206:アドミス聖王国
山道を下りて、北へと向かってゆく。
出現する魔物は登って来た時と同じであるが、流石に背後から岩が転がってくるのは勘弁願いたいところだ。
音で分かることは分かるのだが、やはり若干反応が遅れてしまう。
奴らは生物的な気配ではないし、どうにも察知が難しいのだ。
しかもこちらから先制できないことには仕留め切ることも難しいため、稼ぎにもならない。全く何のためにもならん魔物だ。
しかし、こいつらが出現するのはこの山の中まで。平地まで降りれば、この岩共も出現しなくなるだろう。
「だいぶ降りてきましたけど……この後はどうするんですか?」
「ま、普通に街道沿いに進むしかないだろうな。流石に、地理が分からん国で適当に動く訳にもいかんさ」
今の所、この国については概要程度しか情報を知らない。
適当に進んで迷いでもしたら、それこそ面倒なことになってしまうだろう。
出現する魔物は気になるが、ここは素直に街道沿いに進んでいくのがベストだ。
山道を降りきったところで、セイランの背に乗って移動を開始する。
緋真もペガサスを出すが、とりあえずは飛ばずにこのまま地上を移動するとしよう。
とりあえずは、この国における魔物の能力を確認したいのだ。
一応、今の所は特に異常らしい異常もない。ベーディンジアと同じような、平原の風景だ。
とは言え、遠方には森や山も見えているし、丘陵地もあってある程度の起伏は見られる。
どうやら、ベーディンジア程の広い平原といった地形ではないようだ。
「ここも結構移動しやすそうな土地ですねぇ」
「広さはベーディンジア以上だし、他の地方はどうなってるか分からんがな。大国なんだろうが……それがここまで不利な状況になっているってのは気になる所だ」
果たして、この国における悪魔の戦力とはどの程度のものなのか。
ここまでの流れを考えると、伯爵級以上の悪魔が出現する可能性は十分にある。
無論、このような場所で突然爵位悪魔と遭遇するということは無いだろうが……警戒は怠らないようにしておこう。
気を引き締め直し、さっさと街まで到達してしまおうとセイランを駆る。今はとにかく、状況を理解するための情報が欲しいのだ。
だが――
「む……前方に敵影だ」
「……見覚えのある姿ね」
緋真の背中でしみじみと呟くアリスの声が耳に入る。
その言葉に、俺は内心で同意した。あそこにいるのは、見たことのある敵だ。
それも――
■デーモン
種別:悪魔
レベル:44
状態:アクティブ
属性:闇・水
戦闘位置:地上・空中
ベルゲンで戦った、あの悪魔共だ。
どうやら、こいつらは以前の奴らとは別の個体であるようだ。属性もレベルも異なっている。
だが、姿かたちは以前に戦ったデーモンとほぼ変わりはない。
イベントの時だけ出てくるような存在であるのかと思っていたのだが、どうやらここからは勝手が異なるようだ。
まさか、こんな序盤から爵位持ちでないとはいえ上位の悪魔が出現してこようとは。
「――光の鉄槌よ!」
ルミナが放った閃光が、歩いていたデーモンに直撃する。
その一撃だけで倒されるということはないが、それでもダメージと光によって奴らの動きは一瞬停止する。
そして、その状況であれば――
「セイラン、吹き飛ばせ!」
「ケェッ!」
セイランに命じ、正面から突撃する。
馬以上の体格を誇るセイランは、その体重を利用して正面から頭突きを敢行する。
胴体から突撃を受けた悪魔は、そのまま撥ね飛ばされて街道の奥へと吹き飛ばされる。
そちらへと遠慮なく突撃したセイランは、そのまま倒れたデーモンを容赦なく踏み潰す。
一応こちらも刀は抜いていたのだが、どうやらこちらの仕事はなかったらしい。
ちなみに、もう一体の方は緋真が擦れ違い様に野太刀で薙ぎつつ、怯んだところに突撃したルミナがトドメを刺したようだ。
「こんな平原で突然悪魔が出てくるとはな」
「ですね。それだけ、悪魔に攻められてるってことなんでしょうか」
「……とにかく、情報が必要だな。こいつらを狩るにしても、まずは拠点となっている場所を探さにゃならん」
敵が明確であることはありがたいが、無策に攻めることは命取りだ。
とりあえずは、このまま街道を北に進むこととしよう。
塵になって消滅していく悪魔共を横目に、北への街道を進む。
進んでも、人の姿は見当たらない。度々見かけるのは悪魔の姿だけだ。
とりあえず目についた悪魔は皆殺しにしつつ進んでいくが、人間どころか他の魔物すら見当たらない。姿を現すのは悪魔ばかりだ。
「……拙いんじゃないかしらね、これ」
「否定はできんな」
アリスが呟いた言葉に、俺は顔を顰めながら同意する。
以前の国では、フィールドで悪魔と出くわしたことは殆ど無かった。
だが、この国ではまるで当たり前のように悪魔が出現してきている。
まるで、この場所が自分たちの土地であると言わんばかりに、我が物顔でだ。
「……気に入らん連中だ」
「貴方、悪魔に対してはいつだってそんな調子でしょうに。それよりほら、街が見えて来たわよ」
「戦いは起こっていないようです、お父様」
「そうか、下手をしたらいきなり戦争もあり得るかと思っていたんだが……」
道端に悪魔がいる状況ながら、町そのものは攻められていないようだ。
遠目に見える街の規模は小さなもので、先に訪れていたミリエスタよりは一回り程小さなものになるだろうか。
小さな町であるが、拠点とするには十分だ。とりあえずは、あそこで石碑を登録することとしよう。
さて――果たして、この国はどんな場所なのやら。
* * * * *
「――報告いたします。南の国を攻めていたヴェルンリードが倒されたとのことです」
「そうか……残念なことだ」
広い空間に、涼やかな声が響く。
その怜悧な響きを前に、報告を行っていた悪魔は息を飲むようにしながらその声の主を見上げた。
豪奢な玉座、そこに座る一人の男は、報告を耳にしてなお表情を変えず、穏やかな笑みを浮かべていた。
「彼女は我らが王の言葉に賛同せぬ者ではあったが、勤勉な働き者であったからね。彼女の穴埋めは中々に難しいだろう」
「……よろしいのですか? 今の我らの戦力であれば、そちらを攻めることも――」
「構わないとも。彼らは自ら、こちらに向かってくるだろうからね」
そう断言して、頬杖を突いていた男は顔を上げる。
その視線が向かう先は、南――伯爵級悪魔ヴェルンリードが倒され、今まさにこちらへと向かって来ようとしている人間たちがいる方角だ。
遥か彼方を見通すように、その男は視線を細め、呟く。
「それに、あちらにはロムペリアのお気に入りがいた筈だね。ひょっとすると、その彼がヴェルンリードを討ち果たしたのかな?」
「……どうやら、そのようですな」
「そうか、それは楽しみだね」
「楽しみ……ですか? 人間のことが?」
「そうだとも。王も言っていただろう、あれこそが人間の持つ可能性を体現した存在であると」
小さく笑い、男はそう口にする。
相対する悪魔はその言葉を理解できず、しかしそれに対する反論の言葉は口にしなかった。
できなかった、と言うべきだろう。目の前にいるこの男は、圧倒的な格上の存在だ。
逆立ちした所で敵う筈もない相手に対し、悪魔は静かに押し黙る。
そんな様子を察知したのだろう、男は苦笑を零しながら声を上げる。
「そこまで恐れることも無いだろう。王の意志は王の意志、君の意志は君の意志だ。君が気に入らぬというのならば、挑みに行ってはどうかな?」
「いえ……こちらでも、やらねばならぬことがありますので」
「はは、そうだね。せめて、僕の課した仕事は果たしてからでないと困ってしまうか」
その言葉に、悪魔は静かに首を垂れる。
悪魔にとって、王たる魔王の言葉はあまり理解はできないものであった。
しかし、悪魔の糧であるリソースの確保――その手法を構築したこの男は非常に優秀だ。
実力主義である悪魔にとって、強く賢いこの男は敬意を払うに値する相手であった。
「それで、状況はどうだい?」
「リソースは順調に確保できています。特に、バルドレッド卿の回収量はかなりのものですね」
「そうか、流石だね。彼は本当に真面目だ、ありがたいことだよ」
「ええ、彼のやり方は中々に興味深いものです」
その言葉を聞いて、男は楽しそうに笑う。
だが、対する悪魔は、それに畏まるばかりであった。
「申し訳ありません。まだ、貴方が完全に顕現するには力が足りず……」
「構わないとも。彼らが集まってくる前までに、十分間に合うペースだ。楽しみに待たせて貰うとするさ。ああ、だが――」
ふと、男は視線を上げて小さく笑みを浮かべる。
その瞳の中に浮かべられているのは、静かに燃えるような喜悦と戦意だ。
「彼と、一度会ってみたいな」
「……自ら足を運ばれるというのですか?」
「その通りだ。僕は、彼にとても期待している。より奮起してくれたら、もっと楽しめるだろう?」
不敵な笑みと共にそう告げる男に対し、悪魔はただ静かに跪く。
その姿に、男は意外そうに目を見開いた。
「おや、いいのかい? 僕が勝手な行動をしてしまって」
「無論。貴方を止めることができる者など、この国には存在しません……ご随意に、我が主――」
そう口にしながら、悪魔はゆっくりと顔を上げる。
浅黒い肌、血のように赤い髪、軍服にも似た黒い衣を身に纏う、若き男の姿の悪魔――
「――デューク、ディーンクラッド」
――その呼び声に、ディーンクラッドはただ、楽しそうに笑みを浮かべていた。