152:再度、ベーディンジアへ
一度ログアウトした俺は、軽く体を解した後、早速部屋の近くにいた門下生を捕まえて運営組を呼び出した。
俺からの指示であるため随分と緊張した面持ちであったが、別に内容はただのお使いだ。
呼び出しということもあり、慌ててやってきた数名の運営組メンバーを、苦笑交じりに迎える。
「確かに急ぎの用事ではあったんだが……そこまで人数は要らんぞ?」
「いえ、当主様からの直々の要請ですので。それで、何がありましたか?」
「外部講師を一人招きたい。うちでの住み込み、期間は無期限だ」
「は……?」
俺の言葉に、やってきたメンバーの代表である男――紫藤が呆然と呟く。
まあ、外部講師制度はジジイの代から一度も使用されていない、埃の被った制度だ。
それだけ久遠神通流は内側で閉じており、外との繋がりが薄いということでもあるのだが。
未だに殺人剣を突き詰めようとしている流派とは、積極的に関わろうとする者はあまりいないのだ。
だからこその反応であるが、今回はそれを掘り起こして貰わねば困る。
「……随分と、突然のお話ですね。例のゲームとやらで、面白い武術家を見つけましたか」
「武術家ではないが、面白い才能だ――空隙の才を持っている」
俺の言葉に対し、他のメンバーはその意味を理解できなかったようだが、唯一紫藤だけは驚愕に目を見開いてみせた。
運営組でも筆頭の紫藤家では、空隙の才の名も受け継がれていたらしい。
「まさか……実際に、それを目の当たりにしたと?」
「ああ。初見であった俺を相手に、見事に虚拍・先陣を決めてくれた。あれは稀有どころではない、是非ともうちに欲しい才能だ」
「歩法の奥伝を……! 承知しました、今すぐに手配いたします」
「頼んだ。本人には既に話を付けてあるが、まだ詳しい条件までは伝えていないからな。可能な限り、色は付けてやってくれ」
「勿論です。少々お待ちください」
紫藤は俺に一礼し、そそくさと部屋を後にする。
しかし、他の連中を連れてきた意味はなかったな――いや、折角だから一つ聞いておくとするか。
そう判断し、もっとも最後尾にいた若い男を呼び止める。
まだ見習い、といった風情であるが……情報ぐらいは持っているだろう。
「ああ、そこのお前。一ついいか」
「は、はい! 何でしょうか!?」
「あのゲームを修行に導入する件、今はどんな状況だ?」
「はい、VRマシンの設置と導入は完了しています。参加するメンバーについては、現在身体スキャンを実施中です」
思った以上にしっかりとした受け答えが戻ってきて、思わず面食らう。
ふむ、ただの見習いかと思ったのだが、中々に優秀そうな男だ。
小さく感動を覚えつつも、俺は再度質問を口にする。
「では、ソフトはどうなってる?」
「それについては、既に回答がありました。状況的に、明日か明後日にはここまで届くでしょう」
「早いな……かなり無茶な注文だろうに、それほどの早さで動けるとは」
やはり、あの運営はこちらに対して何かしらの意図があるようだ。
こうもあからさまに動くということは、それを隠す意図がある訳ではなさそうだが――さりとて、あのジジイの企みである以上、聞いたところで素直に答えるとは思えない。
とりあえず、今の所はこちらに都合よく働いているのだから問題は無いのだが。
「ふむ……そうだ、もう一つだけ」
「はい、何でしょうか」
「お前、『箱庭』って言葉を聞いて、何か思い浮かぶことはあるか?」
軍曹が俺に手渡したメッセージ。
世界、秘密、箱庭――あれは恐らく、あのゲームの世界を指し示しているものだろう。
だが、その意味はさっぱり理解できない。
情報が断片的過ぎて、全く意味として繋がらないのだ。
かと言って、これ以上の情報を軍曹に求めるのは難しい。
軍曹があれほど手の込んだ真似をして伝えてきた情報だ。監視の目はかなり厳しいに違いない。
おかげで、まともに情報を集めることができない訳だが――そもそも、軍曹が俺に情報収集能力を期待しているとも思えんし、恐らくはとりあえず知っておけというだけなのだろう。
それならそれで構わんのだが、少しぐらいはヒントが欲しい所だ。
「箱庭、ですか? それは……まあ、まさにあのゲームが箱庭のようですよね」
「……だよな」
箱庭の中に作られた世界。
あのゲームに対する表現としては、まさに的確な物だろう。
だが、だからと言って、それだけではどういう意味であるかは――
「まあ、あのゲームを箱庭と表現するんなら、それを観察してるのは運営ってことなんですかね」
「――っ、何?」
「え……? いや、箱庭を作ったなら、それを観察する人間もいるのかな、と」
その言葉を吟味しながら、俺はしばし黙考する。
成程、確かに――箱庭であるならば、それを観察する側の人間も必要だ。
俺たちは、箱庭の中に入り込んで活動している側。それを外から観察している側ではない。
であれば、それを観察しているのは運営か。しかし、それは何のために?
(あのゲームには何らかの裏がある。運営する以外に、その箱庭を観察する理由があるとしたら……?)
であれば、その理由はなんだ。そして、観察しているのは何者だ。
現状、それを類推するに足る情報はないが――なるほど、そう言う考え方があるか。
唐突に沈黙した俺に、返答した男は困惑した様子で眉根を寄せている。
そんな彼に対し、俺は小さく笑みを浮かべながら声を上げた。
「いい意見だ、参考になった。お前さん、名前は?」
「は、はい! 紫藤和正です!」
「ああ、紫藤の所の甥だったか。覚えておこう」
俺の言葉に、和正は大きく目を見開きつつも、喜色を浮かべて大きく頷く。
その様子には苦笑しつつ、軽く背中を押して運営組の元へと送り出した。
さて、面白い話は聞けたが――どちらにせよ、今の所は積極的に動けるような話ではない。
しばらくは様子見しておくべきだろう。
(クソジジイに乗せられているような気がするのが癪だが……致し方ない。一応、気にしておくこととしよう)
何らかの目的を持った観察者――それに観察されている可能性を考慮に入れておく。
果たして、何が真実なのかは分からないが、今は気を付けておくしかないだろう。
小さく溜め息を吐き出して、俺は紫藤が戻ってくるのを待った。
* * * * *
紫藤から書類を受け取った俺は、早速再ログインし、緋真たちに合流した。
結局、アリスに対する月給は50万ほどになった。
その他、保険などに関する書類も含めてメールで渡したのだが、アリスはそれを凝視しながらしばらく硬直していた。
まあ、無理もあるまい。彼女の年齢からすれば、かなりの高額収入だ。
ただし、住んでいる場所はどうにも離れた場所であるため、こちらに来るには色々と準備が必要になるそうだ。
家具等はこちらで提供するため、それほど多くの私物を送る必要は無いだろうが、それでも早晩準備が終わるようなものではない。
それについては、しばらく待つしかないだろう。
アリスは一度書類をリアルに持ち帰り、家族と相談するとのことであるが、何が何でも来るとの言葉は貰った。
それほど、現状を打開したいという意志は強いようだ。
「それで……ええと、これから王都に向かうんだったかしら?」
「ああ、お前さんは緋真の後ろに乗ってくれ。それとも、俺の後ろに乗るか?」
「止めておくわ。貴方、運転が荒そうだし」
口元だけニヒルに笑う幼女姿のアリスに対し、こちらは苦笑を返すしかない。
それについては、緋真から何度も苦言を呈されている点であったからだ。
だが、それについては一応言い訳をさせて貰いたい所である。
別に、俺が運転を荒くしている訳ではなく、俺の指示に従うセイランが荒っぽいだけなのだ。
別に、わざとああいった動きにしている訳ではないのである。
「とりあえず、急ぎで王都まで向かうぞ。ずっと騎乗戦になるだろうが……戦闘できるのか?」
「まあ、普段のスタイルでは戦えないけど、魔法攻撃なら可能よ」
「ふむ……まあ、それなら構わないか。援護だけでも宜しく頼むぞ」
「流石にサボる気は無いわよ。これでも、貴方にスカウトして貰った身だからね」
くすくすと笑いながら、アリスは騎獣結晶から馬を呼び出した緋真の傍に向かう。
バトルホースの胴は、普通に立っているだけでアリスの身長よりも高い位置にある。
確かに、これに対してアリスが一人だけで騎乗するのは不可能だろう。
ひらりと馬に跨った緋真は、歩み寄ったアリスの手を引いて、己の前へと彼女を乗せる。
後ろではアリスの視界を確保できないのと、野太刀を抜くときに当たりかねないからだろう。
「そう言えば、アリスさんが使うのは闇属性の魔法でしたっけ?」
「ええ、身隠し程度に使えればいいと思っていたのだけど……意外と便利よ。相手に放心が付くし」
闇属性の魔法は、攻撃力に関してはそこまで強力なものではない。
だが、そこそこの確率で放心というバッドステータスが付与されるらしい。
これは、相手を数秒間程行動不能にさせてしまうものであり、相手は完全に無防備となってしまうのだ。
火の魔法には炎上、光には盲目と言った状態異常があるらしいが、こちらはあまり発生確率は高くない。
だが、闇属性の場合は、特にスキルによる状態異常発生率強化を行わなくても、そこそこの確率で発生するらしいのだ。
発生するかどうかは完全にランダムだが、動きを止められるだけでもかなり強力だ。
「それなら、とりあえず全体に当てるようにばら撒いてくれ。それで動きが止まるなら御の字だ」
「了解。魔法専門ではないし、威力はあまり期待しないでよ?」
「そりゃ、お前さんは別に魔法優先型じゃないからな、分かってるさ」
軽く肩を竦めつつ、俺はセイランの背に乗る。
時間はいいのだが、どうにも周囲からの視線が集まってきている。
いや、俺や緋真に対して視線が集まるのはいつものことなのだが、今日はそこにアリスが加わっているのだ。
普段俺たちのパーティにいないメンバー、しかも見た目幼女がいるせいで、どうにも妙な視線が集まってきている。
固定パーティを組んでいれば、いずれはメンバーの一員であるという認識も広まるだろうが……しばらくは面倒そうだ。
「……ま、なるようになるか。行くぞ、セイラン」
「クェ」
俺の言葉に頷き、セイランは地を蹴る。
さて、馬上での戦闘も多少慣らしつつ、エレノアたちの所へ向かうとしよう。





