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151:人か、獣か












 ――俺の告げた言葉に、アリスは硬直し、大きく目を見開く。

 普段無表情である彼女にしては、随分と感情を露わにしたものだ。

 まあ、先程からの二人の様子を見ていれば、それも納得せざるを得ないが。


 アリスは歪みを抱えている。

 それは、その体質そのものではない。その体質を抱えたことによって生まれてしまった感情だ。

 それを、本来どのように呼ぶのかは知らないが――



「社会の中においては、常に周囲に合わせながら生きなければならない。だが君は、そんな己に違和感を感じているんじゃないのか?」

「……どうして、それを」

「俺自身も……そしてウチの連中は大なり小なり、そう言ったものを抱えているからな」



 流石に、アリスほどそれが濃い人間は珍しいが、決していない訳ではない。

 武術に身を捧げるということは、それだけ俗世から離れるということなのだ。

 人としての在り方を捨て、その社会に背を向けて武に打ち込む――



「……俺たちは、その性質を『獣性』と呼んでいる」

「獣性……」

「獣の性だ。人として生きるには不必要な感情で、社会においては抑え込まなければならないもの。本来であれば、誰もが抱えていて――けれど、それを表に出さずに生きる、そんな性質だ」



 俺であれば、それは『怒り』だ。

 かつての戦場で、仲間を殺された時に胸に宿った炎。

 今もなお熾火のように燻り続けるそれは、今は悪魔に対しての殺意として現れている。

 敵に対する殺意など、現代社会においては不要なものだ。

 けれど、俺はそれを捨て去ることができない。それは既に、俺の一部となってしまっているからだ。



「人として生きるのであれば、それは隠すべきものだ。どれほどの違和感があったとしても、獣性に属するような感性は排斥される」

「それは……」



 小さく呟くも、言葉にすることができず、アリスは沈黙する。

 身に覚えがあるのだろう。彼女は痛覚を持っていないがために、他者と異なる感性を得てしまっている。

 痛みを理解できないからこそ、他者の痛みに共感できない。

 生存に根差した感覚が無いからこそ、生に対する実感が沸かない。

 だからこそ――アリスは他者の認識から逃れたあの刹那の中に、己の生を見出したのだ。



「一度それを自覚し、願望として抱いてしまった以上、君はそれと付き合って生きていかなければならない」



 その言葉に、アリスは静かに胸へと手を当てる。

 ある意味では、このゲームを始めてしまったのは失敗だと言えるだろう。

 己の獣性を知らなければ、彼女は無気力ではあるものの、普通のまま生きていくことができた筈だ。

 だが、今のアリスにそれは難しい。彼女は、『しっくりきた』のだと口にしていた。

 ――己の獣性にぴったりと当て嵌まる行為を、見出してしまったのだ。



(相手の懐に飛び込んで、刃を突き立てる瞬間のスリルか。己の命と、相手の命を天秤にかけるその刹那が、アリスにとって己の生を実感できる瞬間だった)



 かなり危うい思想だ。だが、彼女が行っていたのはPKKだった。

 標的を選ばなければ、それこそPKとなっていたならば、歯止めが効かなくなっていただろう。

 だが、アリスはあくまでもPKを標的とすることを選んだ。

 良心の呵責なく殺すことができる相手だと――それはつまり、無差別に攻撃することには呵責を覚えるだけの良心は残っているということだ。

 であれば、まだ間に合う。方法は二つに一つだ。



「だからこそ、君は選ばなくてはならない」

「……何を、選べって言うの?」

「君が、人として生きるか、獣として生きるかだ。今のまま、家族や友人たちと共に、己の獣性を抑えながら生きるか……或いは、俺たちと共に、それを飼い慣らしながら生きるか――どちらかだ」



 これは、どちらが正解ということは無いだろう。

 前者であれば、獣性を抑えながら生きる苦痛はあれど、人並みの幸福は得られるはずだ。

 後者ならば、己というものを解放しながら、周囲に気兼ねなく生きることができる。

 選ぶのはアリス自身だ。果たして、彼女がどちらを選ぶのか。俺は、その返答を待つ。

 だが――



「っ……さっきから、何なんですか、訳の分からないことばかり言って! アリスちゃんに何をするつもり!?」

「俺は別に何もせんさ。選択は全てアリスに委ねる。彼女が否であるというならば、俺はそれ以上追及するつもりは無い」



 いきり立つシズクの剣幕に対し、俺は軽く肩を竦めてそう返す。

 是非ともアリスを確保したいという本音は否定できないが、それでも無理強いはしない。

 彼女の生き方、彼女の将来を選ぶのは、他でもない彼女自身だ。



「選択するのはアリスだ。俺でもなければ、君でもない」

「そんなのっ! アリスちゃん、アリスちゃんは――!」

「――シズク、黙って。お願いだから」



 地を這うような声で、アリスはシズクを牽制する。

 その瞳の中には強い葛藤があったが、同時に前を向こうとする確かな意志があった。



「考えてはいたの。いつかこのゲームが終わった時、私はどうすればいいのかって」

「……発散する場所がなくなるからか」

「自分自身が怖かったわ。その時、この感情をリアルに持ち込んでしまうのではないかって。いつか、誰かを傷つけてしまうのではないかって」



 細く息を吐き出すアリスは、ゆっくりと視線を上げる。

 その表情の中からは、これまでの葛藤は消えていた。

 決意を宿し、その上で――アリスは、ゆっくりと言葉を紡ぐ。



「私はね、クオン。小学生の頃に、交通事故に遭ったの。あの事故以来、私の体は痛覚を失って、その上殆ど成長しなくなったわ」

「十年近く、そのままの状態だったってことか」



 その言葉は、秘められていた彼女の胸裏を映し出すものであった。

 彼女が抱いてきた思いを理解できるなどとは、口が裂けても言えない。

 同じ体験をした訳でもない人間には、同情する資格など無いのだ。

 俺があまり大きな反応を示さないことに、アリスはむしろどこか安心した様子で続ける。



「私はもう、事故のことなんか忘れたいわ。こんなはっきりとした異常が現れなければ、とっくの昔に薄れていた筈なのよ」

「同情は必要ない、というわけか」

「ええ、勝手に憐れんで、勝手に見下して……馬鹿にするのもいい加減にしてほしいわ。社会的弱者扱いされるのはもううんざり」



 その言葉に、俺は胸中で苦笑を零す。

 アリスが社会的弱者であることは、紛れもない事実だろう。

 だがそれでも、彼女は一人で立ちたいと望んでいる。

 逆境を跳ねのけて、前を向いて生きたいと願っているのだ。



「だから、クオン。貴方が私を対等に扱ってくれたことには、本当に感謝してるわ。子供扱いでもなく、障碍者扱いでもなく――ただ一人の、対等な人間として接してくれたことが、本当に嬉しかった」



 胸の内を語って、アリスは僅かに微笑む。

 それは彼女にとって、満たされぬ想いであったのだろう。

 そのような状態の人間を、一個人として扱うことは難しい。それを理解しながら、それでも。



「周囲には感謝しているわ。私を助けてくれたこと、支えてくれたこと……皆の助けがなかったら、私は生きていられなかった。けど……私はもう、誰かに頼って生きるのは嫌なのよ」

「アリスちゃん、でも……!」

「ごめんなさい、シズク。私はもう、今のままは耐えられない」



 他でもないアリスの告げた言葉に、シズクは顔を顰めて押し黙る。

 アリスは、シズクのことを少々疎ましく思っているようではあったが――それでも、二人は事実友人同士なのだろう。

 そしてアリスは、そんな友人や家族に護られるばかりの自分を変えたいと願っている。

 その関係性について、口出しをするつもりは無い。部外者が口を出したところで、何も解決しない話だ。

 


「貴方の言う獣性とやらも、周囲に護られるばかりの現状も――私はもう、このまま耐えるなんて無理なの」

「……私たちが、貴方を追い詰めちゃったの?」

「そうね……でも、確かに感謝はしてるのよ。貴方が支えてくれたから、私はここまで来れた。でも……私のことを、認めて欲しい」



 そう口にして、アリスは静かにシズクのことを見つめる。

 心からの本心であろう、その言葉。

 それを受けて、言葉を詰まらせたシズクは――やがて、大きく溜め息を吐き出して、椅子に身を沈めていた。



「はぁ……分かった。ごめんね、アリスちゃん」

「こっちこそ、ごめんなさい。それと、ありがとう」



 そこまで告げて、アリスは改めて俺の方へと視線を向ける。

 その視線の中に含まれていたのは、確かな覚悟であった。



「決めたわ、クオン。貴方の申し出、どちらも受けさせて貰うわ」

「ふむ……分かった。では、処理を進めておこう」



 改めて決意を確認するような真似はしない。

 今更それを問うなど、彼女に対して失礼だ。

 彼女は既に、己の意志で道を選び取った。であれば、俺はそれを受け入れるだけだ。

 処理を進めるための段取りを脳裏で確認し――そこで、隣のシズクが改めて声を上げる。



「言っておきますけど、アリスちゃんに何かしたら承知しませんからね」

「……そういう所を嫌がられていたんじゃないのか?」

「これは違います、友達として心配しているだけです! 遠くに行こうとしてるんだから、当然でしょう!」



 俺の指摘に対し、シズクは憤慨した様子で声を上げる。

 どうやら、子供扱いを辞めるのにもしばらくは時間がかかりそうだ。

 彼女たちも少々複雑な関係性ではあるようだが、それでも友人同士仲良くしておくに越したことはあるまい。



「とりあえず、書類を作らせるために俺は一度ログアウトするが……この後はまだ続けられるか?」

「ええ、問題ないわ。早速お仕事かしら?」

「普通に、同じパーティとして動こうってだけの話だがな。俺たちはベーディンジアへ移動するが、石碑での転移は可能か?」

「ええ、出来るわ。と言っても、牧場までだけど」

「あ、もしかして騎獣も購入済みですか?」



 話の終わり際に紅茶のお代わりを頼んでいた緋真が、ポットから紅茶を注ぎながら問いかける。

 緊張感ある話をしていた筈なのに、こいつは何をしているのか。

 まあ、一応は話が落ち着いてから頼んでいたようであるし、そこは突っ込まないでおくが。

 そんな緋真の言葉に対し、アリスは苦笑しながら返答する。



「騎獣は買っていないわ。一応、買おうとは思ったんだけど……その、鐙がね」

「ああ……緋真、お前の方に乗せてやれ」

「あはは……分かりました」



 どれだけ取り繕った所で、アリスの体格が子供そのものであることは否定できない。

 彼女の体格では、大柄なバトルホースに乗るどころか、普通の馬でも鐙に足が通らないだろう。

 ポニーでもいれば話は別だが、流石にそれでバトルホースやセイランに合わせることは不可能だ。



「とりあえず、石碑で牧場まで移動したら、そのまま王都に向かうとしよう。一度、エレノアの所で装備を整えたい」

「ですね。防具関係も一度見直したいですし……あ、牧場でペガサス買えますかね?」

「それも確認だな。じゃあ、しばらく待っていてくれ……少し、話もしておきたいだろうからな」

「……了解したわ」



 俺の言葉に目を細め、アリスは小さく頷く。

 その様子にこちらもまた小さく笑みを浮かべつつ、俺は全員分の料金を支払って、ゲームからログアウトを実行した。





















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― 新着の感想 ―
[気になる点] 牧場には石碑が無かったので、王都で石碑があって一息つけたのでは無かったっけ?
[一言] 身体に障害を持つ人にとって、VRは福音ですよね。
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