015:森の奥へ
トレントという名の魔物。その姿は、ほぼただの樹木であるといっても過言ではないだろう。
注視してみれば、周囲にある木々よりも若干太く、そして低い。
だが、木々の中に存在するこれを見つけ出すのは中々に困難なはずだ。
木を隠すなら森の中、とはよく言ったものである。だが――
「タネが割れりゃ、それまでだな」
その場から移動できるのかどうかは知らないが、木である以上、機敏に動き回るということは不可能だろう。
事実、トレントはその場から動かずに、こちらに向かって枝を振るってきている。
硬質な枝が鞭のようにしなる姿には違和感を覚えたものの、所詮相手は木だ。
高々木の枝程度、切り払ってしまえばそれまでの話である。
「しッ――」
枝を切り払った勢いで、体勢を低く構えつつ駆ける。
残る枝の攻撃が頭上を通過していくのを感じながら、俺はトレントへと接近した。
若干顔のようにも見える窪み――そこへと向けて、俺は構えた刃を振るう。
「――《生命の剣》」
だが、ただ斬りつけるだけでは芸がない。
持っているスキルも、育てておくべきだろう。そう判断した俺は、昨日教わったスキルを発動させた。
己自身のHPを削り、太刀に淡い金色の燐光を纏う。
そのまま振るった刃は、トレントの幹を大きく抉るように斬り裂いていた。
だが、さすがは樹木というべきか、相応にタフな様子であり、未だHPを残している状態だった。
それでも、動きが鈍いのならばもう一発程度は問題ない。
「《収奪の剣》!」
返す刃に、今度は黒い靄を纏わせる。
そのまま振るった一閃は、先ほどの傷跡をなぞるように食い込み、更に深く傷を刻む。
《生命の剣》を使ったときよりも、やはり傷跡は浅いが――それでも、レベルで言えばこちらがかなり上。
トレントも、二撃目までは耐えられなかった様子であり、傷跡からへし折れるようにその場に倒れていた。
『レベルが上昇しました。ステータスポイントを割り振ってください』
『《刀》のスキルレベルが上昇しました』
『《生命の剣》のスキルレベルが上昇しました』
『《収奪の剣》のスキルレベルが上昇しました』
「ふむ、物足りん相手だが……スキルのほうは上々だな」
「……奇襲を受けたら、距離を取って遠距離から潰す相手なんですけどね、トレントって。しかし、度々見ましたけど、強力なスキルですわね」
「そうだな。教えてもらった甲斐があった。自分でHPを減らせるのも都合がいいしな」
何しろ、HPを減らさなければ《収奪の剣》を使う意味が全くないのだ。
一応たまには使う場面もあったのだが、《生命の剣》を習得する前と後では雲泥の差である。
《収奪の剣》を使うために多少はMPを消費するが、それも《MP自動回復》によって自然と回復する。
一度使った程度なら、次の戦闘に入るまでには全快していることだろう。
「道場の話は聞いたことがありますわ。武器の扱いに慣れていないプレイヤーが行くと、基本を教えてくれるとか。けど、そんなスキルを教えていただけるなんて、聞いたこともありませんわよ?」
「そうなのか? 普通に教えて貰えたけどな?」
「何か条件があるのでしょうか……」
腑に落ちない様子で伊織は呟いているが、これに関してはある程度予想が付いていた。
思いつくことは二つ。一つは、《収奪の剣》――または、これを始めとする三魔剣の前提スキルを有していること。
そしてもう一つは、あの師範達に対して模擬戦で勝負することだ。
まあ正直なところ、他のプレイヤーに易々とできることではないと考えている。
あの連中には奥伝――久遠神通流の奥義たる、俺の切り札を切らされたのだから。
つまるところ、あれらの技を一つも修めていない緋真では、あの連中の相手をすることは難しいということになる。
あいつら、一体何レベルあったのだろうか。
「まあ、そのうち誰かしら発見するだろ」
「解明する気はないのですか?」
「興味無いな。別に、使える人間が俺しかいないことにこだわりがあるわけじゃないが……そんなことで一々時間を割いていたら、せっかくのプレイ時間が勿体無い」
「……成程。まあ、それはクオンさんの自由ですものね」
伊織は、俺のスタンスは特に咎めるつもりは無いらしい。
少々込み入った話もしているんだが、やはり彼女は必要以上に踏み込んではこないようにしているみたいだな。
現実での話だけでなく、ゲーム内ですらそのスタンスを貫いているのなら、こちらもあまり余計なことを話さないようにしておくとしよう。
あまり、気を逸らすような話をしすぎても、彼女にとっては邪魔になるだろうしな。
「ともあれ、さっさと進むとしよう。目標はそこらの雑魚じゃないんだからな」
「え、ええ。分かっておりますわ」
俺が歩き出すと共に、伊織は若干慌てながら俺の後を小走りで付いてくる。
俺が教えた薙刀の基礎も、未熟ながらとりあえず意識して使っているようであるし、一人で敵に襲われてもなんとかできるとは思うのだが。
まあ、流石に少しずつ消耗していくだろうから、一人で放置しておくと流石に厳しいかもしれんな。
「さて……楽しませて貰うとするか」
伊織を背後に、俺は小さく、口元に笑みを浮かべた。
* * * * *
『《強化魔法》のスキルレベルが上昇しました』
『《生命の剣》のスキルレベルが上昇しました』
まあ正直なところ、道中についてはあまり面白いわけではない。
やはり、北の平原の方が魔物は強いということなのだろう。
あっちでさえあの程度の強さだったのだ、それ以下と言われていたこの森にはあまり期待できるものではない。
蜘蛛も猪も木も、種が割れてしまえばそれだけの敵だ。
だからこそ、期待できるのはこの石柱の先だけということになる。
「んで、気を付けることがあるんだったか?」
「はい、グレーターフォレストスパイダーは、前肢や噛みつきによる攻撃のほかに、お尻の先端から糸を飛ばす攻撃をしてきますわ。糸に捕まると、刃物でも斬ることは困難です」
伊織の言葉を咀嚼しながら、俺は首肯を返す。
まあ、蜘蛛と言うのだから、今までの蜘蛛共が糸を使ってこなかったこと自体がちょっと不可解だったわけだが。
まあ何にせよ、尻からしか出せないというのであれば、いくらでも対処は可能だ。
「後は、フィールドに卵が配置されていて、一定時間経つとフォレストスパイダーが出現しますわ。放置しておくと、フィールドが蜘蛛で埋め尽くされることになります」
「……見たくねぇ光景だな」
「同感ですわ。なので、わたくしはこの卵を潰して回りたいと思います」
「その間、俺がボスと戦ってればいいってわけか」
まあ、面倒が少なくて済むというのであれば否は無い。
そもそも、あの程度の腕で隣に並ばれても、正直邪魔にしかならないだろう。
流石に、それを面と向かって言うつもりもないが。
「それで、他には特にないのか?」
「後は……そうですわね。一応、噛みつき攻撃には注意しておくべきかと思いますわ。アレを受けると毒状態になってしまいますので」
「毒ねぇ。まあ、確かに喰らったら面倒か」
まあ、最悪《収奪の剣》を使って回復し続けながら戦えばいいのだが、さすがにある程度は動きが鈍ってしまうだろう。クソジジイのせいで酷い目に遭った記憶を思い出し、俺は思わず眉根を寄せた。
それだけで対応しきれなくなるほど肉体制御が甘いつもりは無いが、喰らわないに越したことはないだろう。
尤も、流石にそんな大ぶりな攻撃を喰らうつもりもないが。
「ま、何とかするさ。注意事項はそれで終わりか?」
「ええ、他には特に。搦手を除いてしまえば、北の平原のボスよりは弱いですわ」
「そういえばそうだったな。ただ弱いだけじゃないってのは安心したが」
緊張感のない戦いなどつまらない。
だからこそ、弱い相手には興味など持てないのだが、搦手を使ってくるとなれば話は別だ。
戦力の差をあの手この手を使って補ってくるのであれば、それを見極めて攻略するのは遣り甲斐がある。
まあ、まだ序盤のステージであるこの森の中で、そこまで悪辣な手を使ってくる奴がいるとは思えないが。
「よし、それじゃあ行くとするか」
「はい、よろしくお願いしますわ」
俺の言葉に、伊織は緊張感を滲ませながら頷く。
きちんと覚悟を決めた様子であることに満足しつつ、俺は彼女を伴って石柱の向こう側へと歩を進めた。
瞬間、空気の気配が変わったことを感じる。
これまでにいたエリアでは感じ取れていた、森に住まう動物たちの気配。
それらが、一瞬にして消え去ってしまったのだ。
まるで模型の森であるかのように、この中には生きる者の気配を感じない。
「来ますわ……《エンチャント:ファイア》!」
「む? 《付与魔法》か」
木々のない、広場のような空間。
そこに足を踏み入れると同時に、伊織は己と俺の武器に対して、付与魔法の呪文を発動していた。
その発動と同時に、二つの武器が紅の炎を纏い始める。しかしながら、持ち手には熱を感じることは無い。これならば、武器を振るうのに支障は無いだろう。
「あいつの弱点は火です。お気をつけてください」
「ああ、期待には応えてやるとしよう」
こちらも魔法の準備をしながら、広場の中心へと歩を進める。
周囲の木々は、その葉の上から繭のようにうっすらと白く染まっていた。
どうやら、あれが蜘蛛の糸であるようだ。
よくよく見てみれば、白く糸が付着している木々の周りには、いくつもの白い物体が配置されている。
どうやら、あれが伊織の言う卵とやららしい。
ざっと数えた限りでも二十個近くはあるだろう。アレがまとめて孵化してきたら、流石に対処は面倒だ。
まあ、それはそれで面白い戦いになりそうではあるのだが、今回は伊織がいる。あまり無茶はしない方がいいだろう。
そして、その糸と卵を張り巡らせた張本人は――
「上か」
頭上から落下してくる気配に、俺は小さく笑みを浮かべて太刀を構える。
恐らく、この広場の頭上部分に糸を張り巡らせていたのだろう。
そこから降りてきたのは――横幅にして3メートルはあろうかという、巨大な黒い蜘蛛。
■グレーターフォレストスパイダー
種別:虫・魔物
レベル:8
状態:アクティブ
属性:なし
戦闘位置:地上・樹上
まるで鎌のように鋭く尖った二つの前肢を振り上げ、八つの紅眼を妖しく輝かせながらこちらを威嚇する黒蜘蛛。
成程確かに、これは虫嫌いにはなかなかきつい見た目だろう。
黒くはあるが、不自然なほどに黒いわけではない。これが森の木々の陰に潜んでいた場合、見つけるのはなかなか困難だろう。
尤も、この広場に姿を現している時点で、その体色も全く意味が無いのだが。
まあこいつの生態が何であれ、俺にはそんなことは関係ない。精々、楽しませて貰うとしよう。
「――《シャープエッジ》!」
笑みと共に、強化魔法の呪文を発動させる。
雀の涙であろうが、攻撃力を上げておいて損などあるはずがない。
どのように解体してやろうかと考えながら、俺は二色の燐光を纏う太刀を手に、巨大な蜘蛛へと斬り込んだのだった。
■アバター名:クオン
■性別:男
■種族:人間族
■レベル:9
■ステータス(残りステータスポイント:0)
STR:15
VIT:12
INT:15
MND:12
AGI:11
DEX:11
■スキル
ウェポンスキル:《刀:Lv.9》
マジックスキル:《強化魔法:Lv.7》
セットスキル:《死点撃ち:Lv.7》
《HP自動回復:Lv.3》
《MP自動回復:Lv.3》
《収奪の剣:Lv.5》
《識別:Lv.8》
《生命の剣:Lv.4》
サブスキル:《採掘:Lv.1》
《斬魔の剣:Lv.1》
■現在SP:4