144:様々な準備
ベーディンジア王国を大移動した翌日、明日香への稽古を終えて汗を洗い流した俺は、廊下から見える庭に一台のトラックが止まっているのを発見した。
ロゴを見る限り運送会社のトラックのようだが、まるで引っ越しか何かのように大量の荷物が運び出されている。
だが、誰かが引っ越してくるような予定はなかった筈なのだが、あれはいったい何を運び込もうとしているのか。
思わず眉根を寄せて、その作業を行っている場所へと近づいていき――俺が辿り着くよりも先に、作業員の元へと何人かの人影が接近していた。
その先頭に立っているのは他でもない、柔の型の師範代である蓮司だ。
彼が引きつれているのは運営組の面々であり、どうやらこれが久遠家としての公式な搬入であることが窺える。
ということは、まさか――
「おい蓮司」
「おや、師範。お疲れ様です」
「ああ、そっちもな。ところで……そいつはまさか、VRマシンか?」
「その通りです。いやはや、中々早かったですね」
朗らかに笑う蓮司の言葉に、思わず頬を引き攣らせる。
運送用の外箱に梱包されているため中身は把握できないが、どうやら一つ一つがそこそこの大きさのものであるようだ。
俺が使っているものほどではないようだが、そこそこいい機材を購入したらしい。
「種類については本庄さんの意見を参考にしました。助かりましたよ。流石に機械はあまり詳しくないですからね……おかげで、そこそこいいものが安く購入できました」
「そう言えば、質問攻めにしてたな……ソフトはどうした?」
「師範のご指摘通り、運営側に問い合わせたら用意していただけるとのことです。しかし……」
「ああ、何故俺たちを特別扱いしたのかってことだろう?」
俺の言葉に、蓮司は神妙な顔で首肯する。
まあ、無理はあるまい。本来であれば、ゲーム会社が俺たちに対して忖度する必要などない筈なのだ。
そう、本来であれば、だが。
「……恐らくだが、あのゲームの運営にはクソジジイが関わっている」
「なっ!?」
俺の言葉に、蓮司は驚愕に目を見開く。
無理もないだろう。あのクソジジイは、歴代でも最強と名高い剣士だ。
あのジジイが、何を間違ったらゲームの運営などに関わるのか――いや、確かに修行に有用であるためゲームだからということは出来ないのだが、それでもまるで繋がらない組み合わせである。
とはいえ、餓狼丸が――天狼丸重國が存在する以上は間違いない。
いかなる形であろうとも、あのクソジジイが関わっていることは間違いないだろう。
「どのような関わり方かは知らんが、関わっていることだけは確かだ。どうやら、運営は久遠神通流が関わることを歓迎しているようだな」
「いかなる理由なのでしょうか……」
「さてな。分からんが、今のところこちらの益になっていることは間違いない。今は素直に享受しておけばいいさ」
何か問題が起こった時は、その時に対処すればいい。
厄介事であれば正面から踏み潰せば済む話だ。
まあ、あのジジイが関わっている時点で警戒はせざるを得ないのだが。
「とりあえず、お前たちは予定通りやればいい。どうせ、詳しい話を明日香から聞いているんだろう?」
「ええ、とりあえず基本程度は」
「なら、準備は始めておけよ。それと、あまりアイツを拘束しすぎるなよ?」
「ははは、了解です」
胡散臭い笑みに半眼を返す。
どうやら、今も何かしらの話を聞いているようだ。
あいつがログインしてくるまでには少し時間が空いてしまうかもしれないな。
さて、何をして時間を潰しておくか――
「……じゃ、そちらのことは任せる。俺に追いつけたなら、多少は様子を見てやるぞ」
「では、その時を楽しみにしておきましょう」
不敵に笑う姿にこちらも笑みを返しつつ、自室へと向けて歩き出す。
さあ、今日もやっておきたいことはいくつもある。
とりあえずは、《斬魔の剣》を育てなくてはならないだろう。
今日の活動方針を脳裏に描きながら、俺は手で口元の笑みを隠していた。
* * * * *
ベーディンジア王国王都、グリングロー。
その王城の端、訓練施設で一夜を明かした俺は、まだログアウト状態の緋真を放置して訓練場へと足を踏み出す。
既に騎士たちが訓練に勤しんでいる姿があるが、その数は若干少ない。
恐らく、多数を前線へと向けて送り出しているのだろう。
例の砦がどこまで完成しているのかは知らないが、あれが進んでいるのならば騎士たちの拠点としても利用できるはずだ。
ともあれ、訓練場が空いているのであれば好都合。フィノから受け取った装備の確認を行いつつ、訓練場へと足を踏み出す。
こちらも、出発前に訓練をさせて貰うこととしよう。
そう胸中で結論付けて、俺はインベントリから二つの従魔結晶を取り出した。
「来い。ルミナ、セイラン」
俺の言葉に応えるように従魔結晶が光を放ち――その輝きの中から、二つの姿が飛び出してくる。
俺のテイムモンスターであるルミナとセイランは、纏っていた光の粒子が消え去ると共にこちらへと駆け寄ってきた。
「おはようございます、お父様」
「クェ」
「ああ、今日もよろしく頼む……ああそれと、緋真が来るまでには少し時間が必要だ。それまでは、俺たちで訓練をやっておくぞ」
「緋真姉様無しで大丈夫でしょうか?」
「問題はない、一応考えてきてあるからな」
不安そうな様子のルミナに対して笑みを返しつつ、もっと広いスペースへと向けて移動する。
昨日、ログアウト前に使用していた場所でもいいだろう。あそこは他の騎士たちの邪魔にもならず、ちょうどいい広さがあった。
そう判断して歩を進め――しかし、使おうと目論んでいた場所に、先客の姿があることに気づく。
しかもあれは――
「……第一王子が何故ここに」
見覚えのある姿――名前は忘れたが、間違いなくこの国の第一王子だ。
どうやら騎士を教師役に付けて訓練を行っているらしい。
彼も、俺がログアウトする前の訓練を見に来ていたが、何やら信じられないようなものを見たとでも言わんばかりの表情を向けてきていた。
どうにも、彼は俺のことが気に入らない様子なのだが、その理由まではまだ分からない。
まあ何にせよ、向こうがこちらを敵視しているのであれば、わざわざ近寄る理由もない。
斬って解決する相手であればまだしも、相手は一応味方であるわけだしな。
軽く嘆息して他の場所を探そうと視線を巡らせ――場所を移動するよりも早く、相手がこちらの存在に気づいていた。
「……面倒な」
こちらを嫌っているのならば無視すればいいものを、第一王子は何故かこちらに近づいてくる。
さて、どう対応したものか。ガリガリと頭を掻いて再度嘆息を零し、しかし対応しないわけにもいかず居住まいを正す。
こちらへと近づいてきた第一王子は、相も変わらず険しい表情をしていた。
「……貴殿、クオンだったか。何故ここにいる?」
「ええ。数日振りです、第一王子殿下。こちらで元の世界に帰還しておりましたので、再びここに戻ってきた次第ですよ」
「ああ、貴殿らはそのような能力があるのだったな」
正直、ログアウトが現地人にとってどのような扱いになっているのかは疑問だった。
どうやら、ログアウトで現実世界に帰還している間のことも、俺たちの能力であると認識されているらしい。
まあ、そこは重要な話ではない。彼らからどう思われていようと、別段俺たちの活動が変わるわけでもないのだ。
「……貴殿に一つ聞きたいことがある」
「何でしょうか」
正直、時間も勿体ないのであまり相手をしていたくはないのだが、流石に無視するわけにもいかない。
真面目腐った表情を造って言葉を返せば、第一王子はチラチラとその視線を揺らしながら声を上げる。
視線の先は――どうやら、セイランのようだ。
「貴殿は……どうやってグリフォンを従えたのだ?」
「は……? どうやって、とは……こいつを屈服させたときのことでしょうか?」
「グリフォンたちは、己が認めた者以外を背に乗せることはない。貴殿がグリフォンを従えている以上、そのグリフォンを屈服させたのだろう……一体、どうやったのだ?」
第一王子の視線の中にあるのは、羨望に近い感情だ。
彼は何やら、グリフォンに対して何かしらの執着だか因縁だかがあるらしい。
その辺りの背景については知らんが、俺としても特に変わったことはしていないつもりだ。
「やったことと言えば、投げ飛ばして威圧した程度です」
「な、投げ飛ばす?」
「別に方法は何でも良いのですが、こちらが上であることを示せばいいということです。こちらの方が、お前よりも強いのだと」
俺の場合、最も大きい要素は殺気を放って威圧したことだろう。
獣同士のマウントの取り合いとしてはよくある手法だと言える。
「相手に死を覚悟させるぐらいの状態に持ち込めば、相手もこちらを認めるでしょう。その程度しか言えませんね」
「……そうか。貴殿の助言、感謝しよう」
相変わらず表情は渋いものの、こちらに対する敵意そのものは若干薄れたようだ。
どうやら彼もグリフォンを従えたいようだが、そこは頑張ってくれとしか言いようがない。
結局のところ、本人の実力が伴わなければどうしようもないのだ。
ともあれ、第一王子は俺の返答に満足したのか、頷いてこの場を去って行った。
面倒な相手だったが、敵視の理由だけでも分かったのは僥倖だったか。
「さて、それじゃあ訓練に入るとするか」
「あ、やはりやるのですね。どのような方法になるのでしょうか?」
「お前とセイランは、ひたすら移動して魔法による波状攻撃をしろ。俺はそれに対処する」
先日戦ったヴェルンリード――奴は、魔法に特化したタイプの悪魔だった。
強力な魔法を連射して攻撃してきたのに対し、こちらは切り札である合戦礼法、白影を使用することで対処した。
だが、白影は中々に負担の大きい合戦礼法だ。奴は体力が高いため持久戦になる可能性が高いが、その間ずっと白影を使用し続けるのは厳しい。
だからこそ、白影を使わずに対処できるよう、訓練をしておきたいのだ。
ヴェルンリードは風と雷の魔法を使用していた。風の魔法はセイランが担当し、雷の魔法はルミナの光の魔法で代用すれば、そこそこ練習にはなるだろう。
「要するに、逃げ回りながら俺に対して魔法を撃てばいい。俺は魔法に対処しながら接近し、お前たちに攻撃する。遠慮するなよ、俺を近寄らせないように全力を尽くせ」
「っ……は、はい!」
「クェ」
緊張気味のルミナに対し、セイランは泰然としたものだ。
こいつの性格は、どうにも俺に似ているような気がする。
ペットが飼い主に似てくる、というのとは少々違う気もするが。
「さて、開始するぞ。魔力が切れるまで撃ち続けてみせろ」
にやりと笑い、決闘モードを開始する。
さて、どこまであの女を再現できるか――まずは、試してみるとしよう。





