132:久遠家の方針
牧場の防衛戦があった翌朝、俺はいつも通りに支度をして道場へと向かうと、そこには異様な光景が広がっていた。
何故か中央付近で正座をさせられている明日香。そして、その周囲を取り囲む師範代たちと、一族の運営組。
普段は朝稽古に顔を出さない運営組まで何故ここにいるのかと眉根を寄せていると、こちらの姿に気づいた彼らもまた、一斉に俺の方へと視線を向けてくる。
朝っぱらから、こいつらは一体何をやっているんだ?
「おう、師範。おはようさん。早速だがちょいと取り込んでるぜ」
「おはよう。いきなり何をしてるんだ?」
異様な雰囲気ではあるのだが、修蔵の口調は普段と変わらない。
いや、こいつは何も考えていないだけか?
どちらかというと楽しそうな表情の修蔵であるが、その他の師範代たちは半眼で明日香を見下ろしている。
当の明日香はと言えば、視線を右往左往させながら身を縮こまらせているところだった。
「……で、これは何の騒ぎだ?」
「ああ、師範。これは貴方にも関連する話ですよ。貴方たちがやっているゲームとやらの話です」
「うん? ああ……あのCMが原因か」
先日放映されたテレビCMは、確かに一族の人間が見れば俺たちがゲームをプレイしていることが一目瞭然な代物だっただろう。
それが原因となってこの状況になっていることは理解したが――
「で、あのゲームがどうかしたのか? まさか、お前ら全員でやるとか言うつもりじゃないだろうな?」
「そのまさかです、お兄様」
俺の姪である幸穂の言葉に、俺は僅かに眉をひそめる。
確かに、あのゲームが修行に利用できることは確かだが、彼らは俺や明日香と違い門下生たちへの稽古がある。
俺たちのように、長時間ゲームにログインすることはできないはずだ。
だが、そんな俺の疑問を他所に、蓮司が話を先に進めていた。
「師範、一つお聞きしたいのですが……お二人がやっているゲームは、久遠神通流の修行に有効だと思われていますか?」
「うん? そりゃあ……そうだな、経験を積むという意味では有効だ。型稽古に使えるかどうかは本人次第だが、現代ではほぼ経験できない実戦経験を積めることは間違いなく有効だ」
今の久遠神通流において、現実世界での実戦経験があるのは俺とジジイのみだ。
実戦で積み重ねた経験は、稽古のそれとは比べ物にならない。
互いの命を削り合うような戦場には、そこでしか得られないような経験が存在するのだ。
それに関しては、間違いなく事実だろう。
「つまり、お二人がやっているゲームとやらは、修行に取り入れることができる……そう判断しても?」
「だが、それはお前たちみたいな、型稽古が完了している者達だけだ。中途半端にしか終わっていない連中にはむしろマイナスにしかならん。それは分かるだろう?」
「ええ、勿論ですよ。それは理解しています。自分自身で型の修正ができない者にはマイナスでしょうね」
蓮司の言葉に、俺は軽く肩を竦める。
どうやら、こいつらは本当にゲームを修行に取り入れるつもりのようだ。
自分で型修正を行えるような上位段位者――つまり、習い事感覚の若者とは異なり、本格的に剣の道に打ち込んでいる住み込みの内弟子たち、彼らならば確かに問題はない。
だが、そこにもまだ問題はある。あれを扱えるような機材を購入するとなると、流石に個人の負担でどうにかできるレベルではなくなってくるのだ。
内弟子たちもそれほど金の余裕は無いだろうし――そこまで考え、俺はちらりと視線を横へ向けた。
この場に運営組まで巻き込んだのは、まさかそういうことなのか。
「おいおい……昨日の今日で運営組を説得したのか?」
「ここの所、師範が腕を上げているのは皆も知っていたのでな。その要因がそこにあるとなれば、取り入れるのも当然だろう」
「厳太、お前さんまでそこに賛同するとは思わなかったんだが」
「我々の目的は、何よりも強くなること。師範が有効だと判断したならば、我々もそれに続きたい」
こいつは本当に、強さに対してストイックだな。
小さく嘆息し、じろりと運営組へと視線を向ける。
彼らは俺の視線に一瞬たじろいだが、姿勢を整えると改めて声を上げた。
「ええ、師範代たちが選んだメンバーに対し、機材を提供する予定です」
「俺が言うのもなんだが、そこまでするか? 確かに有効であることは否定せんが……」
「実戦不足については以前から問題として挙がっていましたので……」
確かに、経験を積む手段としては有用であるし、運営組が許可しているのであれば俺としても文句はない。
金の工面など、色々と気になることはあるが――まあ、こいつらが何とかするだろう。
「……了解だが、こちらでの型稽古までおろそかにするなよ?」
「ええ、それは勿論分かっていますよ。一日おきに師範代二名ずつが、受け持ちの門下生たちにゲーム内で稽古を付けます。やり過ぎないようには注意しますよ」
「……まあ、それならいいが」
その辺り、蓮司はきちんと弁えているだろう。
修蔵が陣頭指揮を執っていたらどうしたものかと思っていたが、これならば問題はないか。
それで――
「明日香がこの状況なのは一体何なんだ?」
「ははは、師範を独り占めしようとして我々にゲームの情報を隠していたことの追及をしていただけですよ」
「も、もういいじゃないですかそれは! ちゃんと説明しましたし! って言うか初期ロットは売り切れてて言っても意味なかったですし!」
「ほう、では我々が追及しなくても教えていたと?」
「それは、その、えー……」
語るに落ちるとはこのことか。
戦いにおいてはあまり素直過ぎるということはないのだが、こういう嘘を吐くのは苦手なんだよな。
俺をゲームに引き込んだのも、その辺りの下心があったからだというのはいい加減よく分かっている。
まあ、こいつらしい迂遠なやり方だとは思うが、決して嫌いではない。
「俺としても、お前たちがそこまで乗り気になるとは思わなかったからな。その辺りで許してやれ」
「……まあ、結果的に二次ロットには間に合ったようですし、構いませんが」
俺の言葉に軽く嘆息し、蓮司は相好を崩す。
幸穂の奴はまだ不満げな表情をしていたが、俺の言葉に反抗するつもりは無いのか、同じく嘆息して矛を収める。
中央にいた明日香は、ようやく解放されて安堵の吐息を零していた。
ともあれ――
「お前らがあのゲームを修行の場とするのは問題ないとして――俺は、あちらでまでお前らの面倒を見るつもりは無いぞ?」
「お兄様、一緒に戦っては下さらないのですか?」
「戦場を共にするぐらいなら構わんが、固定のパーティとして行動を共にするつもりは無いということだ」
こいつらの実力ならばイベント時に一緒に戦う程度ならば構わないが、普段から一緒にいるのは流石に息が詰まる。
そもそも、レベルが違い過ぎるため、こいつらが育ってくるまで待つのも面倒だ。
その辺りに関しては、自分で何とかして貰わねばなるまい。
「ま、お前らなら戦いで困ることはあるまいが――運営組、一応基本情報ぐらいは調べて伝えておけよ?」
「承知しました、師範」
「……先生、その辺り全部私任せにしてるのに」
「何か言ったか、明日香」
「いえいえ、何でもないですよ、何でもー」
雑な誤魔化しを行う明日香に嘆息し、会話を切り上げる。
調子のいいことだが、こちらも助かっていることは事実だ。あまり文句を言うつもりはない。
尤も、後の稽古が厳しくならないと言うつもりもないが。
そんな内心は隠しつつ、俺は改めて運営組の面子へと視線を向けた。
「じゃあ、後のことは任せるぞ。何なら、運営に直接問い合わせても構わん」
「は? それは……いいのでしょうか?」
「ああ、ソフトの用意すら通じる可能性はあるぞ。やるだけやってみるといい」
あのゲーム内で再現されていた餓狼丸――天狼丸重國。
その時点で、あのゲームとクソジジイが関わっていることは確実だ。
久遠神通流のことを知っていることもまず間違いない。
そして、あの刀の存在を俺に伝えたということは、ジジイが己の存在を俺に気づかれても問題ないと判断していたということだ。
――あのクソジジイは、ゲームの中で俺に何かをさせようとしている。
(ジジイと運営の思惑が通じているのであれば、運営にとっても俺という戦力を引き入れることが何らかのメリットであったということだ。であれば、久遠神通流そのものを巻き込むことも許容される可能性はある)
尤も、これはただの希望的観測だが。
この話が通じない可能性は十分にあるし、過度な期待はするべきではない。
だが、少なくとも何らかの反応はあるだろうと、俺の勘は囁いていた。
「ほれ、話は終わりだ。さっさと稽古に入るぞ、時間が押してるんだ」
パンパンと手を叩き、集まっていた面々を解散させる。
さて、果たしてどのような反応が返ってくることやら。
もしも、運営側から久遠神通流の参戦を歓迎するような反応が返ってきたとしたら――
「……ま、その時はその時か」
直接話が聞けない限り、それを判断する方法はない。
とはいえ、イベントの結果発表の時の反応を見るに、あまり期待するような反応を返してくれるとは思えないが。
特に、あの機械的な反応を返してきていた、ガーデナーとやらたちは。
そこまで考えて、俺は思考を切り上げる。考えたところで詮無いことだ。
「先生、乱取り始めないんですか?」
「ああ、今から始めるぞ。無駄に時間を食っちまったしな、今日は厳しめに行くから覚悟しとけ」
「ええ!?」
眼を剥く明日香ににやりと笑いつつ、使い慣れた木刀を手に取る。
さて、さっさと稽古を終わらせて、戦いの場に身を投じるとしよう。





