001:プロローグ
書籍版マギカテクニカ第2巻、9/19発売です!
情報は随時、活動報告やツイッターにて公開していきますので、是非ご確認を!
――黒い軍勢が、地響きのような足音を響かせて接近してくる。
数を数えることも億劫になるような軍勢は、ただこちらへの敵意と殺意を滲ませながら接近してきていた。
対し、こちらは二人。正確には、後方にある都まで下がれば多くの味方はいるだろうが……生憎、そんなところで悠長に待っているつもりは無かった。
「お父様、やはり無茶です! 下がった方が――」
「何馬鹿なこと言ってる。これほどの機会、そうそうあるもんじゃねぇぞ」
抜き放った太刀を肩に担ぎ、下がらせようとする仲間の声に対してそう返す。
嗚呼、全く――こんな機会を、得ることが出来るとは思わなかった。
この現代の世で、合戦の空気なんてものを味わうことが出来るとは。
ゲリラ戦の鉄火場とも違う、己の命と敵の血肉が交じり合うような戦場。
――俺が、求めて止まなかったものだ。
「くくっ、あの馬鹿弟子には感謝せんとな。まさか、こんなに楽しい戦いを提供してくれるとは思わなんだ」
今はこの場にはいない、己の直弟子の姿を思い浮かべ、俺は再び笑いを零す。
本当に愉快極まりない。今度、しっかりと礼をしてやらねばならないだろう。
多少ならば無茶な頼みも聞いてやらないでもない、それほどまでに、俺はこの状況に歓喜していたのだ。
「さぁ、始まりだ。よく見ておけ、我らの剣が――久遠神通流がいかなるものであるのかを」
「……ッ」
抑えきれぬ戦意に、後ろから息を飲む音が聞こえる。
けれど俺は軍勢から目を離すことなく、笑みと共に太刀を構えた。
全ての始まりは数週間前、弟子が持ち込んできた一つの提案。
――その時のことを、俺は笑いだしそうになるほどの高揚を抑えながら思い返していた。
* * * * *
息も吐かせぬ風斬り音と、閃く黒い木刀の応酬。
雷のごとく打ち合わされる木刀――その只中にいるのは、俺と、目の前の男、ただ二人のみ。
まるで近寄るものを余さず砕くミキサーのような剣戟の中、俺とジジイは、互いの剣に殺意を込めて打ち合っていた。
「くたばれやクソジジイがッ!」
「テメェが死ね馬鹿孫が!」
そんな言葉とは裏腹に、このジジイの、祖父である久遠厳十郎の口元に浮かんでいるのは愉悦の笑みだ。
この応酬が、この戦いが楽しくて仕方ないと、そう告げるかのように。
俺からすれば、冗談じゃない、と言うところだ。
使っている武器が木刀とは言え、振るわれる剣戟は全てが本気。
紛れもない殺意を乗せたその一撃は、当たり所が悪ければ容易く命を奪うだろう。
それを理解した上で――俺とジジイは、全力で剣を交えていたのである。
「はっ、鈍ったんじゃねぇかな当主様よ?」
「テメェは進歩してんのか、クソガキが。そんなもんじゃ、当主の座はくれてやれねぇなぁ!」
「んなモンいるかボケジジイ! 俺は――」
振り下ろされる木刀を、己が木刀で流す。
だが、ジジイの木刀はまるで張り付いたかのように俺の木刀に喰らいついている。
ならば、と、俺は力の位置を変えながらジジイに対して踏み込んでいた。
剣を強引に流しながらの右肩からの体当たり。これで体勢を崩せば御の字だが、まぁそんな甘い相手じゃない。
「――アンタをブッ倒してぇ、それだけなんだからなぁ!」
「良く吠えるなぁ! だが、その程度じゃあ効かねぇんだよ!」
案の定、ジジイは俺の体当たりを胸で受けながら、まるで微動だにしていない。
耐えたんじゃない。すべての衝撃を足元に逃がしたのだ。
この至近距離、ジジイは口元に笑みを浮かべながら俺を見下ろしている。
密着した体勢では有効打にはなり得ない。一度仕切り直しが必要になる――そのタイミングで、このジジイは仕掛けてくるつもりだ。
先ほども何度かその状況になっているのだ、このジジイも分かっていることだろう。
故に――
「――らァッ!」
「ぬぅ!?」
――ここから決めに行くことなど、考えもしていなかっただろうよ!
密着した状態からの、無拍子の発勁。ジジイの目からは俺の脚が見えないように隠した。
故にこそ、ジジイは俺がここから攻撃に移れることを気づけなかった。
足から腰、そして背中から連動させた密着距離の衝撃は、そのまま余すことなく俺の木刀へと伝えられ、ジジイの体を仰け反らせながら跳ね上がる。
さあ、俺の剣は装填された。後は――
「しゃあああああッ!」
先ほどの勢いをそのまま反転させるかのように、俺は木刀を振り下ろした。
大上段からの一閃、俺の持ちうる最強の剛剣。
その一閃は、防御のために掲げられたジジイの木刀に直撃し――
「ぬ、おおおおおおおおおッ!?」
――芯鉄の入った木刀をへし折って、ジジイを後方へと吹き飛ばしていた。
紛れもない会心の一撃。だが、今の感触は妙に軽い。
恐らく、ジジイは衝撃を殺すために自ら後ろへと飛んでいたのだろう。
それを直感で理解するよりも早く、剣を振り切った俺の体は前に倒れるように前傾姿勢を取り、そのままジジイへと向かって飛び出した。
ジジイはまだ着地していない、その逃れがたい隙に――俺は、その首筋へと、己の木刀を突きつける。
「……俺の、勝ちだ」
「っ……く、ふふ、はははははははっ!」
突き出されれば己の首を貫くであろう切っ先を目にし、ジジイはさも愉快そうに笑う。
だが、その声音の中には、既に戦意は存在していなかった。
戦いの高揚ではなく――ジジイは、本当に愉快そうに笑みを浮かべていたのだ。
その表情に、俺は眉根を寄せて問い詰める。
「おいジジイ、何笑ってやがる」
「くくっ……これが笑わずにいられるかよ。ようやく、ようやくこの俺に勝てる剣士が生まれたんだからな――なぁ、見てただろう、お前達」
その言葉に、はっと目を見開いて周囲へと視線を向ける。
近づいてもこなかったし、ひたすら目の前のジジイに集中していたせいで周囲を意識している余裕がなかったというのもあるが、俺が気づかぬうちに周囲には俺たち久遠一族の人間が勢揃いしていたのだ。
つまり、今俺がジジイに勝利したことは、一族全員の知るところとなったわけで――
「これにより、総一は晴れて久遠最強の剣士となった! 故に、今この時より、久遠家の当主は総一が務めるものとする!」
「な……おいコラジジイ、テメェ何をいきなり……ッ!」
「ああ? いつも言ってるだろうが、久遠家の当主は久遠家最強の男がなるものだってな。俺に勝った以上、お前が当主になるのは当たり前だろう?」
「いや、だがな……俺はまだ二十四だぞ? 家の運営なんて全く知らねぇっての」
「そんなモン俺だって知るか。その辺は運営組にでも任せておけ。お前は師範代と直弟子に訓練つけて、時々やってくる挑戦者を叩きのめせばいいんだよ。つー訳で、俺は隠居するからな。後は頑張れよ」
一方的にそれだけ告げて、ジジイはそそくさと踵を返す。
ああ、言ってることは正論だ。確かにそういう決まりだし、俺が勝った以上はそうなることも確かだろう。
だが――
「嵌めやがったな、クソジジイイイイイイイイ!」
――わざわざ決闘場所に選んだこの人目のつかない屋敷の隅に、どうしたら一族全員が集まるってんだ!
そんな俺の言葉にならない叫びは、周囲の拍手の音に紛れてかき消されていた。
* * * * *
「だぁー、クソ、つまんねー……」
「ちょっと先生、人が訓練している隣でそういうこと言うの止めてくれます?」
半ば無理やり当主就任をさせられて早数日。
俺こと久遠総一は、何と言うか人生の目標を見失ったような状態となっていた。
縁側に寝転がっている俺の視界の中で剣を振っているのは、俺の唯一の直弟子である本庄明日香だ。
明日香は肩甲骨辺りまでの黒髪を揺らしながら、半眼で俺のことを睨みつけている。
まあ、真剣に訓練している最中に水を差されるのは不愉快だし、その気持ちは分からんでもない。
だが――
「俺はほら、あのジジイをブッ倒すことだけを人生の目標にしていたわけだが」
「何ていうか、灰色の青春だったんですね」
「どっちかというと赤かったがな。血とかで。まあとにかく……燃え尽き症候群って奴かね。何しても面白みに欠けるッつーか」
初めてあのジジイに負けた時から、俺の目標はとにかくあのジジイを超えることだけだった。
とにかく剣に打ち込み、ひたすら修行に修行を重ねて二十年弱――先日、俺はついにあのジジイを超えることができたわけだ。
それに伴っていきなり当主にされたわけだが、まあこれについてはもう諦めている。
というか、あのジジイの言っていた通り、実際殆ど何もしていない。
精々、師範代連中と明日香に稽古をつける程度だ。
その当の明日香は、一旦手を休めて嘆息すると、呼吸を整えながら問いを発していた。
「それでそんなに老け込んでるんですか。剣の特訓とかは?」
「してるぞ。毎日師範代連中を相手に乱取りしてるし、こうしてお前に訓練つけている間も、イメージトレーニングでお前を百回ぐらい打ち倒しているわけだが」
「止めてくれませんそういうこと!?」
まあ、後者については冗談だが。
とりあえず言えることは、だが――
「相手になる奴がいなくて退屈なんだよなぁ。師範代連中は何故か自分からは挑んでこねぇし」
「そりゃ、毎日1対5なのに一方的にぼてくり回されてたら、挑む気も失せるというか……」
「まあ、つまり退屈なわけだ」
「誤魔化しましたね……ええと、要するに苦戦したいんですか? 何か良く分からない感覚ですけど……先代当主様と戦ってみては?」
「ジジイは俺が当主になると同時に出奔しやがった……今頃温泉旅行にでも行ってるんだろうよ、クソが」
久遠家の当主はあまり仕事こそないものの、当主としてこの家に縛られることになる。
俺は当主になるまでその事は知らなかったのだが……つまりあのジジイ、俺を焚き付けるだけ焚き付けて、俺が当主になるタイミングを計っていたのだ。
まあ、戦いに手を抜く人間じゃないし、わざと負けたということだけはありえないが……俺に当主をやらせる気満々だったのだけは確かだろう。
「ったく、どっかに強い奴はいねぇもんかな」
「……それだったら、なんですけど。先生……ゲームをやってみる気はありませんか?」
「あ? ゲームだ?」
明日香から放たれた意外な言葉に、俺は目を見開きながら体を起こした。
自分で言うのもなんだが、俺は生まれてこの方ゲームなんぞ一度もやったことはない。
五歳の頃にジジイに負けてから、とにかくひたすら剣の道に打ち込んできたからだ。
だからこそ、先ほどの話題から何故ゲームに繋がったのかがさっぱり分からなかったのだが――
「これです、これ!」
「お前なんで鞄の中にゲームソフトなんか入れてんだ? ええと……『Magica Technica』?」
「略してMT! 今話題の、VRMMORPGです!」
「ああ……そういや、テレビでコマーシャルやってたな」
VRゲームってのは、割と前から話題になってはいた。
最初は単なる視覚効果のみ。徐々に他の五感に訴えかけるようになり、ついには没入型――即ちゲームの世界に完全に入り込む形でのゲームプレイが可能になったという。
その没入型の先駆けになる、という謳い文句で発売されたのが、確かこのMTとかいうゲームだ。
「……お前、修行もあるってのにこんなので遊んでたのか?」
「うっ、いや、遊んでいたのは事実なんですけど……でもですね、これが修行に使えるんですよ!」
「ゲームが? 修行に?」
「そうです! こうやって訓練しているだけだと型の微調整ばかりになって、それを振るえる機会なんて滅多にないじゃないですか! でも、ゲームの中なら遠慮なく刀を振るって、斬るべき相手を斬れるんです! それに、強い敵もいますしね」
「……ほう」
それは確かに、興味をそそられる話だ。
現在、俺が戦える相手は師範代の連中か、この明日香のみってところになってしまう。
だが、あいつらも確かに強くはあるんだが、俺にとってはまだまだ物足りない相手だ。
もっと様々な相手と戦いたい。願わくば俺よりも強い相手と。
そういう意味では、確かにゲームの中で戦うというのも悪くはないだろう。
「だが、ゲームの中なんぞで現実と同じように刀を振れるのか? 感覚がずれるようじゃ逆効果だぞ?」
「いいマシンを組んでもらえば大丈夫です。私は全然違和感を覚えませんし。何よりもこのゲーム、物理エンジンに凄く力を注いでいるんです! ほぼほぼ現実の感覚と変わりませんよ」
「成程、それなら確かに面白そうではあるが……お前、何か妙に必死じゃねぇか?」
「い、いえ、そんなことはありませんよ?」
半眼で見つめる俺の視線に、明日香は視線を逸らしながらそう答える。
明らかに何か企んでいる様子ではあるが――まあ、こいつが言っていることが事実ならば、確かに興味はある。
これからずっと暇を持て余すのも勿体無い。少しぐらい試してみるのもいいだろう。
そう判断して、俺は明日香の言葉に頷いた。
「……分かった、試してみるとしよう」
「ホントですか!?」
「ああ。その代わり、説明役は任せるぞ。俺はこういうのは全く分からんからな」
「勿論ですよ!」
何故かやたらと生き生きし始めた明日香の様子に嫌な予感を覚えつつも、俺は僅かな期待を抑えきれずに、口元を笑みの形に歪めた。