93 話 テロリストの隠れた牙
ここは九州にある龍蔵の別荘である。
ペンションのようなチャチなものではない。
真っ白な建造物はもはや規模の大きなリゾートホテルのようであった。
屋外のプールも温水プールになっており、春でも温かいこんな日は泳ぐことができそうだ。
そして、その裏庭にはヘリポートまで完備されている。
それはそうだろう。
この別荘は、九州地区を取りまとめた福岡エリアの都市群からもかなり離れた場所──昔で言う鹿児島辺りにあるのだ。
都市群の周囲以外にはロクに人が住んでいない地球暦の時代では、正に名実共に陸の孤島となっており、自家用ジェットやヘリでも無いと移動もままならないのである。
そのいつも閑散としているヘリポートに、龍蔵のプライベートヘリの他にこの日は軍用ヘリが一機やってきているようだった。
やがて──。
テラスでくつろいでいる龍蔵と絵里のところに、鋭角的なデザインの眼鏡を掛けた背の高い男が近づいてくる。
絵里はそれを見ると面倒臭そうに、露骨に嫌な顔をすると遠くの方の椅子へ移動していった。
「こんな不便で辺鄙なところに隠れ住んでいらっしゃいましたか。お呼び出しを受けた折には大層驚きましたよ」
一見丁寧で慇懃な物言いだったが、嫌味っぽいニュアンスに加えて少し耳につくような訛りがあった。
それに対して、龍蔵は一向に意にも介さず尊大な態度を崩すこともない。
「何を言うか。ここには何でも揃うとるぞ。あの妖怪どもが作り出した胡散臭い都市なんぞに住まんでも何も不自由なぞ無いわ!」
龍蔵はカカカと笑って見せる。
「強がりは相変わらずですな。ですが聞くところによれば、何でも島崎のことまでサツに嗅ぎつけられたそうじゃないですか。こんなところに引き籠もっていても、遠からず逃げ場が無くなるのは明白でしょうに」
「ふん。相変わらず口が減らんな。貴様は」
歯をむき出すように闘争心を露わにする龍蔵。
これが麗しい女性だったりしたら、ツンデレとでも言われて少しは可愛げもあるものを──。
男は心の中でため息をつく。
そして、次にその老人の横で汚物を見るような目で男を見ている娘のほうを品定めをするような目でジロジロ見る。
そこの老人の性格と資質は、こちらの妙齢の孫娘のほうにも受け継がれているようではあった。
……が、こちらはこちらでかなり猜疑心が強そう、か。
とても男に対してデレてくれそうにもない。
「そろそろ店を畳む準備でも始めてみてはどうですか。いい高跳び先をご用意して差し上げますが?」
「莫迦を言え。これからが本番よ。勝負などまだついておらぬわ!」
強気の姿勢を崩すことがない龍蔵。
きっと自分の正しさをこれまでも疑ったことがないのだろう。
こういう人種は自己正当化と自己保全の塊なのだ。
きっと死ぬまで改まることはあるまい。
──男はそう思っていた。
◆◇◆◇◆
「また貴様ら猟犬どもに、直々に仕事をくれてやろうというのだ。ありがたく思うがいいわ!」
挨拶代わりの軽いやり取りが終わると、早速龍蔵は男に対して横柄にそう切り出した。
「今度は何をなさるおつもりなのですか?」
「異世界人の転移現場に潜り込ませておいた子飼いが、あのガイノイドに盗聴器を仕掛けることに成功しおった」
老人はいつものように得意げである。
──新しい玩具を見つけたわけか。
それに対して男は内心冷ややかだった。
全くこちらは今それどころではないと言うのに……!
「そこからの情報によれば、次の月曜に例の異世界人の男とガイノイドの二人が都市の外周部に出てくるとのことだ。そこを狙わん手はないだろう?」
龍蔵はニヤリとした。
「どうやら委員会の黒崎は、あのガイノイドにずいぶんとご執心のようじゃからのう。何か特別な秘密でもあるんじゃろう。ここできっちりあの二人を始末すれば、ここからの流れもまた変わるというものよ!」
その根拠の無い自信はどこから無尽蔵に湧いてくるのだろうか。
自分の都合の良い想像だけで、勝ったつもりになれるその思考回路が羨ましいものだ。
──男は嘆息した。
それにしても、聞けば今回は部隊を動かす目的が遊園地へ出かける男女を襲う計画……なのだという。
まったく!
これでは任務内容を伝えただけで、部隊の士気がダダ下がりすること間違いなしではないか。
この御仁は、我々を特撮ヒーロー物の敵か何かだと勘違いしているのではなかろうか?
全く金持ちの老人の暇つぶしに付き合うのも楽ではない。
「この間、ワシの金で開発した強化人間部隊があったじゃろう。あれの実地訓練にもってごいだと思うのじゃ。実益を兼ねた良い機会じゃろう?」
「反撃を想定する必要があるのでは?」
男は先日委員会の黒崎が助けに入ったという報告が気になっていたのだ。
何の魔法を使ったかは知らないが、リムジンに使われていた特殊硬化ガラスを一瞬で吹き飛ばしたそうだ。
目標はイージーでも護衛が計算外では勝てるものも勝てない。
しかし、それは龍蔵も考慮には入れていたつもりだった。
強化人間部隊が複数いれば、あの黒崎がいかに割って入ろうと、どうにもなるまいという算段なのである。
「無いな。それによもや反撃されたとしてだ。あれほどの新鋭を与えてやって、それすら打ち破れんほど貴様らの部隊は無能なのかよ?」
挑発するように顎をシャクってくる龍蔵。
貴様らの言いたいことなどわかっておるわ。
いつも金、金、金だ。
もっと金が欲しいのじゃろう?
「どうせ投入部隊の規模を水増ししたいだけじゃろうが。ふん! その手にはのらん。お前ら猟犬は動物と同じよ。血の気が多くていつもやり過ぎおる。非戦闘員のガイノイドとガキの一人くらいこれでもやり過ぎなくらいよ。ワシがその辺を今後もしっかり見極めてくれるわ」
こうやって自分の側が金を持っていると言うだけで、この老人はこれまでも自分の意のままに自分勝手な命令を下し続けてきた。
彼らの部隊の運用資金を全て龍蔵が握っていたからだ。
それがなければ身動きが取れない以上、どうあってもこちらに牙を向けてくることはできまい。
この資本家はそう高をくくっていたのである。
「これぞ文民統制という奴よ」
誇示するようにうそぶくと満足そうに笑った。
しかし、その富豪の言葉はもう男の心中には届いてもいない。
莫迦を言え。
男は毒づいた。
自己陶酔と顕示欲で自分の都合を優先し。
そして自分のプライドで都合よく現実を捻じ曲げ。
現場の痛みも顧みない。
そんな姑息な人間が、我がもの顔で軍人に生命を差し出せと命じるのが文民統制だというのなら──そんなものは茶番に過ぎないのだ。
それもまた歴史の必然だろうに。
「後悔なさらないといいんですがね?」
男はそう一言だけ口にすると、老人と娘に背を向けて歩き出す。
これまで幅を聞かせてきた安原龍蔵だが。
それももう後がない状態だ。
捜査が進んで事態がこれ以上切迫してくれば、部隊の所在や拠点についても当局に嗅ぎつけられる可能性が出てくる。
そうなれば……。
こんな戦力の逐次投入を続けて、無駄に消耗する余地も無くなってくるというのに──それすらわからんとは。
例え表面上は一時的にそう見えることはあっても「これまで」そうであったことが、自動的に「これから」を保障することは無い。
それは幻想に過ぎないのだ。
そろそろこの賞味期限が切れた封建主義者には、ご退場して頂かないといけない頃合いかもしれんな?
ヘリポートにある軍用ヘリに向かいながら男は今後の算段を始めていた。
◆◇◆◇◆
より人間のような反応を示すようになったエルに、舞花は大喜びで今まで以上に色々な服を着せたり、アクセサリーなどで飾って反応を見たがった。
その度に研究所の中が、舞花の私物で溢れかえっていったのだが、そんなことはお構いなしである。
エスカレートした挙げ句、イブニングドレスから着物ルック、猫耳やバニーガール……そしてネグリジェやスク水まで行ったところで、とうとう恵からもストップが掛かったらしい。
そしてネグリジェについては、翔哉と寝る時にも着せようと舞花がかなり勧めたらしいのだが、こちらは人間の感覚を次第に持ち始めたエルにまで拒否されたとのこと。
かなりの一般常識と、個人としての価値観を備え始めたエルは、もう何でも言いなりの存在ではないのだ。
次の日曜日には、先週から来るようになった篠原が、今週は親子丼を教えてくれた。
そこから玉子を加熱する際の状態の変化について、またエルと篠原がさかんに意見交換をすることになったり、スーパーで買う玉子の品種について、エルがその場でしばらく動かず考え込んでしまったりなどと色々あったのだが──。
その日の晩御飯に、翔哉がまたエルの作った超絶美味しい親子丼を食べられるという結果に収束するところは変わらなかった。
こうして土日はバタバタと忙しく過ぎていき……。
いよいよ9月19日の月曜日になった。
この日は翔哉とエルが遊園地──東京ファミリーランドに行くことになっている当日である。
天候は晴天──とまではいかないが何とか保ってくれた。
先週の火曜日に一度雨が降って以来好天が続いていたのだが、今日の昼頃くらいから下り坂になるとのこと。
しかし今日の日中くらいは何とか保ってくれるのではないか。
そういう予報だった。
そんな中。
エルと翔哉は朝から電車に乗って東京地区の外周部に向かっていた。
銀座街区を抜けると、どんどん人工物が少なくなって緑が多くなっていく。
こちら方面とは逆方向にずっと行くと、そっち方面は工場関係のプラントがたくさんあるようなエリアに繋がっているそうなのだが、今日翔哉達が向かっているのは農業プラントなどがある緑が豊富なエリアなのだ。
そこに植物園や動物園に加えて、遊園地なども併設されているらしい。
電車がどんどん先に進んでいくと、街中ではあまり見かけることがなくなった広い森や草原のような緑が見えてくる。
「翔哉さん草原です、草原!」
エルは電車の窓から初めてみる草原に大はしゃぎである。
彼女にとってみれば夢が現実になった感じなのだろうか。
「あの辺りでは、牧草であるアルファルファが栽培されています」
リリスが教えてくれる。
電車の窓からの景色が見慣れないものになってきてからは、こうしてリリスが出てきてずっと解説を入れてくれていた。
まるでバスガイドである。
そこはそれナビゲーターなのだから、あながち間違いではないのだが。
「ファミリーランドの中にも草原あるといいですね!」
「そうだね。多分それくらいはあるんじゃないかな? リリス、どうなの?」
「はい。芝生のようなものがあります。その辺りには植物園が隣接されており、農業プラントも見学可能の状態で併設されているようです」
ここまでやってくると、この時代ではもう少なくなってしまった鳥類も見ることができるらしいとのことだ。
エルに少しでも色々新しい体験をさせてあげられればいいな……。
翔哉はそう思っていた。
そうこうしているうちに、電車は『レジャーパーク駅』と名付けられた駅に到着する。
ここが目的地。
東京ファミリーランドがある最寄りの駅なのである──。




