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88 話 昏睡状態

「本当に申し訳ありません……」



 綾雅技術研究所の所長室で、久保田一人が深々と頭を下げていた。


 位相転換による物質タージオン変換。

 現場において、そう呼ばれていた異世界人の召喚任務に立ち会ったエルは、その場でうわ言のような言葉を残して昏倒していた。


 そのまま帰りを急いだ一行は、ヘリでまず研究所へと直行。

 翔哉とエル、そしてその場で降りることを希望した久保田を残した後。

 任務を終えた他の者達はそのまま空へと飛び去っていった。


 今回の任務で、どこかの世界から転移してきた30代の女性は、また何も知らされることなく職安──位相転換分子再配置局で目覚めるのだろう。


 一方、エルはそのまますぐ休眠カプセルに直行。

 緊急のデータのバックアップに加えてメンテナンス作業が行われていた。

 ──しかしその容態はかなり悪く、状態は思わしくなかった。


 エモーショナルフォース制御機構はなんとか動いていたが、意識自体が消失しており、目を覚ます気配も全くなかったのだ。


 現地にいた翔哉や久保田の証言によると、位相転換の瞬間に何らかの衝撃波のようなものが起こっていたと考えられ、それがエルのエモーショナルフォースを直撃したらしい。



「事前に記録映像を見て、一部始終を知っているつもりだった僕が甘かったです。記録映像や僕が見た資料にはその場に居て実際何を感じるか、そして人体にどんな影響があるかまでは示されていなかった……」



 久保田もがっくりとしている。



「何が起こるか知っていれば、事前に白瀬さんにお知らせできたはずなんですが……」



 かなり責任を感じているらしい。

 落ち込んでいる久保田を白瀬が慰める。



「久保田君の責任じゃないよ」



 まったく。

 問題はあのタヌキ親父だよ。


 白瀬は内心で毒づいていた。


 こいつは確信犯だろうな。

 何が起こるかわかっていて断られるのを恐れて黙っていたってところか。


 ──その上で。

 エルがその結果どうなったとしても、後から起こったことのデータだけは頂いてしまおうというハラなのだ。


 今のところ、龍蔵の息がかかっているとまではまだ断定できなかったが、手癖の悪いオヤジというのはほぼ確定事項だろう。


 白瀬の中では、草壁の序列が「教授」から「タヌキ親父」にまで一気に急降下していた。



   ◆◇◆◇◆



 久保田が一通りの報告と謝罪を済ませ所長室から退くと、部屋の中には翔哉と白瀬の二人だけになった。


 ここまで黙っていた翔哉が、心配そうに白瀬に尋ねる。



「エルは……大丈夫なんでしょうか?」



 こういう時の自分は心配するだけでいつも傍観者でしかない。

 翔哉は自分の無力さが恨めしかった。



「うん、そうだな。エモーショナルフォースは止まってはいないし、外殻の機能に差し当たって異常はみられない。つまりエルは死んではいないということだ」



 そう聞いて翔哉は一応は安心する。

 しかし──。



「だが、問題はなぜ意識が消失したのか。その技術的な要因がわからないというところなんだ。それがわからなければエルはこのままいつまでも目が覚めないかもしれない……」



 そして深刻そうに付け加えた。



「人間で言えば昏睡状態のまま意識が戻らない植物人間と言ったところか」



 これは白瀬達がガイノイドを開発していた時、ブラックボックスを入手する前に陥った状況と酷似していた。


 そこから考えると、何らかの異常がブラックボックス内で起こったのかもしれない。


 しかし──だ。

 そうなると事態はより深刻である。


 ブラックボックスであるが故に、開発者である白瀬達もこれについては機能から仕組みまで、未だにまるっきり訳がわからないのだ。


 それだけに、もしここが破損している……ということになれば──。

 白瀬達では手に負えないかもしれない。


 困ったことになった。

 正直白瀬も今度という今度はどうしていいかわからなかった。



 さて。


 いま所長室にいるのは、白瀬の他には翔哉だけである。

 久保田はさっきこの部屋を去り、恐らくもうゲヒルンに戻ったのだろう。


 そして、恵や舞花、隆二のいつもの3人は階下の第四研究室で、エルのメンテナンスにかかりっきりになっている。


 ──そのドアの向こうに突然人の気配がした。



「白瀬」



 何の前触れもなくドアが開いてその人物が姿を表す。



「……黒崎さん!」



 それを見て白瀬が驚きの声をあげる。

 何の前触れもなくそこにいたのは委員会カウンシルの日本エリア担当者黒崎であった。


 全くもって神出鬼没である。


 驚いている白瀬と翔哉をよそに黒崎はさも当然のようにこちらへすたすたと歩を進める。

 そして何もかもを見通しているように手短に言った。



「エルのところにつれていってくれないか」



   ◆◇◆◇◆



 第四研究室がある研究棟の入口まで行った3人は一旦そこで立ち止まった。


 今は黒崎が一緒にいるのだ。

 このまま入っては、セキュリティに引っかかって警報が鳴ってしまう。

 そこで白瀬は所長権限で、緊急用のセキュリティコマンドを発動し警報を切ろうとしたのだが──。


 それを何故か黒崎が止めた。



「必要ない」



 そしてすたすたと研究棟に一人で入ってしまう。

 警報は鳴らなかった。


 一体どうなってるんだ。


 白瀬であってさえもさっぱり訳がわからなかった。

 だが、黒崎が場所を知っているかのように、どんどん先へ行ってしまうので慌てて後を追うしかない。


 それ以上に事情がわからない翔哉もその後に続くことになる。



 第四研究室には、何とか黒崎に追いついた白瀬から入っていった。

 その気配に気が付いて隆二が報告する。



「あ、白瀬さん。やっぱり駄目です。知識エリアと記憶エリアは外殻の機能によって保持されていますが、意識が消失しているせいで人格システムはずっとフリーズしたままです」



 手元のデータを読みながら、そう言っている隆二は気が付かなかったが、後の二人が黒崎に気が付いて呆然とする。


 それで、やっと隆二も異常に気付いた。



「あー。大丈夫だ」



 まず白瀬が手を前に出しながらそう予防線を張った。


 さて、困った。

 極端に言葉の少ない黒崎だ。

 おまけに何を考えているかもさっぱりわからないと来る。


 ここでみんなに黒崎を紹介してしまっていいものかどうか。

 意向がわからずに迷っている白瀬にかまわず、黒崎が先に口を開いて話し始めた。



委員会カウンシルの黒崎だ」



 その場にいる全員が色めき立つ。

 彼が口にした言葉を信じていいのかどうか一瞬みんなの目が泳ぐが──。

 何より白瀬がいつものように穏やかにそこにいるのが一番の証明だろう。


 少し困り顔ではあったが……。



   ◆◇◆◇◆



 エルは部屋の中央で休眠カプセルに寝かされており、死んだように横になっていた。


 そのエル向かって。

 まるで無人の野を行くように、何の躊躇なく黒崎が近づいていこうとする。



「……!」



 舞花が反射的に思わず立ち塞がろうとしたが……白瀬に目で止められた。


 そのまま黒崎はエルの頭部の近くまで来て、少しそこに自分の顔を近づけるとその額辺りに手をかざす。


 そして何やら呟いたようだ。



「ズィザァクト……」



 その後も口の中で何やら小さな声で話し続けている。

 何かをしきりに誰かに説明しているようでもあった。

 それを自分で口にしながらしきりに頷く黒崎。


 それは誰かから指示を受けているようにも見えるが、自分で自分に説明してそれを自分で聞きながら頷いてるようにも見えた。

 ──何かの知識の確認だろうか?


 開発課のスタッフと翔哉が無言で見守る中、黒崎は目を細めるようにして意識を集中している。


 そして──しばらくすると。


 研究室内のモニター波形に突然変化が起こった。


 平板だった波形が上下に触れ始める。

 それに伴って、モニタリング機構も自動的に再起動したらしく、部屋の中が突然騒がしくなった。


 恵がモニターを観察しながら喜びの声をあげる。



「まだ休眠状態ですが、消失していたエルの意識を機構内に確認しました!」



 一同から驚きと興奮に似た感嘆の声が出た。

 しかし黒崎はそれに応えるでもなく、自分の役割は済んだとばかりに立ち上がろうとする。


 しかしそこで……彼の口からまた謎の言葉が発された。



「ポダツデトゥミヌーツ……」



 まるでそれに命令されたように、黒崎はエルの額から離そうとしていた手を慌てて止める。


 そして……しばらくまた口の中でモゴモゴ言っていたようだったが、何かに納得したのか再び今度はしっかりとした足取りで立ち上がって迷いなく出口の方へと向かった。



「く、黒崎さん……ありがとうございます!」



 白瀬が慌てて礼を言うが、黒崎は意に介さないように無機的に答える。



「私はやるべきことをやっただけだ。礼には及ばない」



 そう一言だけ言い残すと、そのままやはり勝手知ったる感じで一人で帰ってしまった。



「あれが……委員会カウンシルの黒崎さんですか……」



 白瀬に恵が近寄ってくる。

 以前ブラックボックスを渡された時も、黒崎は白瀬が一人の時にしか姿を表さなかった。


 だから他の研究スタッフ達は誰も黒崎の姿は知らなかったのだ。


 ──それにしても謎の塊のような人だ。


 安堵を感じて一息ついている白瀬の横。

 喜んでいるスタッフ達の中でただ一人……隆二だけが何かを考え込みつつ首をひねっていた。



「ドイツ語とそれにロシア語……?」

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