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85 話 同行要請

「今日は映像しか間に合いませんでしたが、この時の記憶データを包括的に解析した結果、そこには触覚や聴覚……それどころか味覚の情報さえ含まれていたと言うのです!」



 バン!


 興奮して机を叩く吉原。

 その主張を久保田が引き継ぐ。



「聞くところによるとエルちゃんは、実際の草原を見たことがなかったとのことのです。それでは、この彼女の見た草原の映像は一体どこからやって来たのでしょうか?」



 どうやらここから彼らの話が核心に迫っていくようである。

 そして、その先に彼らが今日ここに来た目的があるようなのだが──。



 久保田が改めて説明を続けた。



人智学アンドロポゾフィー方面でも既に世界的権威と言っていい春日部博士は、この未知の情報源について“人間の霊魂は睡眠中には、アストラル体をともなって肉体とエーテル体から抜け出る”というシュタイナーの言葉を引用され、エモーショナルフォースが外殻から抜け出して外部からの情報を受け取りに行くのではないか?との仮説を掲示していらっしゃいます」



 春日部博士とは、春日部恵……つまり恵のことである。



「異世界について、主に認知学の方面から研究してきた我々ゲヒルンは、この春日部博士の仮説を相互干渉多世界の理論を用いて応用し、更に発展させられないかと考察したのです」



 説明を続ける久保田が、ここで一息おくことで結論に導こうとする。



「その結果として浮かび上がってきた次の仮説があります。それはこの異世界がもし相互干渉多世界の理論通り“重なり合って”存在しているのであれば、“どこかに行く”という必要すら無いのではないかと言うことです!」



 その結論に室内はにわかにザワついた。


 恵達が相互干渉異世界についての詳細な説明を求め、以前久保田が白瀬にしたような説明が繰り返される。


 逆に久保田達ゲヒルンの4人は今度は恵に、自分たちの仮説を示して人智学アンドロポゾフィーの観点からの傍証を試みようとする。



「なるほど……すると動くのは私達ではなく世界の方という解釈なのですか?」


「いえ、重なり合っているのですから、どちらも動く必要はないのですよ。これは時空間座標を固定で取った上で、ひとつ次元が上の座標軸を設定してその移動曲線を……」


「すると、我々はそうやって個人個人が時々刻々と変化する認識の変化によって、住む世界を連続的に移動しながら別々の現実を認識していく。そういった可能性が存在することに……」


「そうすると存在ごとに断絶が生まれませんか? あ、そっかそれでも相互に干渉し合っているわけだから……」



 活発なディスカッションが続き、白瀬の所長室はもはや大学の研究室のような様相となる。

 ──その中で翔哉は一人全く訳がわからない。


 どうして僕はこんなところにいるんだろうか?


 そう思っていると横にいるエルが、キュッと翔哉の袖を引っ張りながら身を固くしているのに気が付いた。



「エル……大丈夫?」


「はい。大丈夫です……。でも……なんだか私怖くて……」



 そう言って怯えるエルを、少しでも落ち着かせようともう一方の腕で彼女の髪に触れる。

 すると少し安心したように彼女はしばし目を閉じた。



   ◆◇◆◇◆



 しばらくすると、開発課側とゲヒルン側の意見交換が一段落付いてきた。

 部屋の雰囲気もやっと沈静化してきたようだ。


 それを見計らって、白瀬が開発課側を代表して尋ねる。



「つまりその方向性から導き出される結論としては……“夢を見ている時に情報源としているのは我々の世界の周囲に存在する他の多世界なのではないか?”──そういうことでいいんでしょうかね?」



 それに久保田が答えた。




「はい、その通りです。勿論、それが元ソースとして利用されるということで直接ではありません。それが主観的なフィルターや自分が知っている先入観などによる解釈によって捻じ曲げられ、当事者の意識に出力されているのではないか……と言ったところでしょうか?」



 そんな感じで議論は決着したようなのだが──。


 で、結局どういうことなの?

 翔哉は、当然のことながらまだよくわかっていなかった。

 そんな翔哉に気を使ったのか、白瀬が今度はざっくりとわかりやすくこう言って説明してくれた。



「つまりね、翔哉君。エルのエモーショナルフォース機構は、多世界……つまり周りにある異世界の情報をキャッチできるんじゃないかと言うことなんだ」



 久保田がそれにこう補足する。



「そして、エルちゃん……つまりガイノイドなら、その情報を後からバックアップした上で、デジタルデータに変換することもできるということなんだよね」



 そう聞いてだんだん翔哉にも話が見えてきた。

 どうやら、彼らはエルを異世界転移の現場に同行させたら、何か情報を得ることができるじゃないかと考えたらしい。


 そうか──。

 エルはさっきからここで話し合われていた話題。

 その内容の全てを理解していたんだ。


 だからあんなに怯えて……。



「エルさん!」



 そこで突然、草壁教授がエルに呼びかける。



「我々はエルさんに、是非次の異世界転移の現場においてご協力を仰ぎたいと考えているのです!」


「……それはエルが単独で任務に同行する……と言うことですか?」



 すかさず白瀬が問う。



「それは事前に君にも伝えた通りだよ、白瀬君。この任務に他の人間を同行させることは機密上できないのだ!」



 ──雲行きが怪しくなってきた感じだった。

 彼らにとって都合の悪いところに差し掛かってきたのか、だんだん態度に余裕がなくなり頑なになってきた。


 しかし、こうやって強硬に詰め寄られれば詰め寄られるほど、エルもますます身を固くするばかりだ。

 そして、この草壁にはそんな彼女の気持ちを類推するような感性はなさそうである。


 こりゃあ、まずいパターンだな……白瀬は心の中で呟いていた。


 教授なんて立場に長年いると、頼んでいるつもりがいつの間にか命令になっちゃってるってことに気が付かなくなっちゃうのかなぁ。

 その白瀬の心中のぼやきを裏付けるように、更に草壁がテンションをあげてエルに迫る。



「この調査には、人類の未来がかかっていると言っても過言ではない。そして今後少しでも翔哉さんのような理不尽な転移を無くしていくための……!!」



 あーあ、それじゃ脅迫だってば……!



   ◆◇◆◇◆



「あー、ちょっとすいませんねぇー」



 そこでたまらず白瀬が割って入った。


 あーあ。

 何だかこうなっちゃうような感じがしてたんだよねぇ。

 そして、そう心の中で独りごちる。


 実は、当初は機密を盾に翔哉を排してエルだけに話を通そうとしていた草壁に対し、翔哉の同席を進言して粘り強く説得したのは白瀬なのである。


 そうやって半ば強引に話に割り込み。

 しばらく間をおくと──。


 白瀬はゆっくりと優しい口調でエルに語りかけた。



「大丈夫か、エル?」


「は、はい……すみません。白瀬さん」



 そう言ったエルの肩は細かく震えていた。

 ガイノイドは呼吸器系が存在しないので息を切らすことはないが、これは軽いパニック障害の発作のような症状が出ている感じである。


 そんなエルを落ち着かせるようにゆっくり話しかける白瀬。

 横では翔哉も心配そうに見守っている。



「何も悪いことをした訳じゃないんだ。エルが謝る必要なんてない。どうしても嫌ならこんなの断ってもいいんだよ?」


「し、白瀬君──それは……!」



 白瀬の言葉に驚いて、思わず反論しようとする草壁教授を中村が押し止める。



「嫌……という訳じゃないんですけど……。どうしてでしょうか。私、何だか怖い気持ちが抑えられなくて……」



 エルはそう口にした。

 それを聞いた白瀬は、ゲヒルンの4人を一顧だにせずに、迷わずエルにこう尋ねる。



「それは──翔哉君と一緒なら乗り越えられそうかい?」



 それに対して──少し考えてからエルがこくりと頷く。

 そこでまた草壁が騒ぎ出した。



「そ、それでは機密が……!!」



 だがタイミングを計ったかのように、その時いきなりスマホの着信音が鳴り出したのだ。

 ──しかも鳴っているのはどうやら草壁のスマホのようである。


 そしてその着信元を見るや否や草壁の顔色が真っ青になった。

 マナーも忘れて慌てて電話を取る草壁。


 そしてその電話の相手と話しながら──その顔にみるみる怯えるような色が加算されていく。



「はい、はい。わかりました。いえ、そんな。滅相もございません!」



 時間としては短かかったその電話が切れると、草壁は力が抜けたように電話を持ったまま座り込んでしまう。

 そのままの状態で切れ切れにこう口にした。



委員会カウンシルの黒崎さんだ。谷山翔哉の任務への同行を承認する……と」



 そう言ったきり草壁教授は魂が抜けたように脱力すると、それからはもう帰るまで一言も言葉を発することはなかった。



   ◆◇◆◇◆



 こうして──。

 異世界から転移者を呼び出す任務に、翔哉とエルは急遽同行することになったのだが……。



「次の転移者の受け入れが、明後日の9月14日の水曜日なんです。場所は富士山麓の樹海。その中のある地点がポイントとして指定されています」



 中村が説明した。

 この転移する日時や場所などは、直前になって委員会カウンシルから一方的に連絡されてくるのだそうだ。



「私達は、それがどのように割り出されているのか。それを類推する余地も全く与えられていない。ただ毎回言われた通りに作業をこなすだけなのです。科学者の端くれとしてはこれは屈辱的な扱いだと言えるでしょう」



 なるほどな。

 そのせいで草壁のオヤジも何でもいいから早く手掛かりを掴みたくて、相当焦っていたってことなんだろう。


 中村の説明なんだか言い訳なんだか分からない言い分がまだ続いていたが──それを聞きながら白瀬が心の中でそう突っ込みを入れる。



「こうなってはもう隠すまでもないことではありますが、今回のことも実は委員会を通さずに独断で情報を得ようと、ゲヒルンが先走って画策したことでして……」



 それを突然かかってきた電話で黒崎に言い当てられ、あんなに真っ青になっちゃってたってことか。

 ──可哀想に。


 まあ、それより。

 どうせ全部草壁が短気を起こして突っ走ったんだろうから、本人は自業自得だと思うけど、尻拭いしなくちゃいけない周りの方が気の毒かもなあ……。



「ただどういう経緯であれ、結果的に委員会の承認が得られたのは僥倖であります。どうか、機密事項につきましては他言無用を徹底して頂きまして、今回の任務の円滑な遂行にご協力頂きたく──」



 中村はこうして最後はなんとか上手くまとめたようであった。

 後は事務的な連絡などを淡々と終えると、ゲヒルンの4人は肩を落として粛々と帰っていく。


 実務的な準備を行うのはゲヒルン側なので、同行する翔哉とエルは特に何もすることはない。

 後はただ水曜日のその日を待つだけだった。

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