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83 話 月曜のサプライズ

 篠原のお料理教室の後。

 エルは珍しく気合の入った表情で、翔哉とスーパーに買い物に出かけていた。


 今晩の夕食の献立は当然肉じゃが。

 早速、さっき見たものをすぐに試してみたいようである。


 AIの頭脳があるエルは、知識や理屈的な部分においては基本物忘れはしないのだが、印象や感性的なものはエモーショナルフォースというアナログ的なものが関わっているためか、時間が経つと薄くなったりするのかもしれない。


 なので、家に帰ってからもう一度自分の身体で実践してみる。

 その辺りの行動原理は、こうなってくると本当に人間と同じように見える



 そして家に帰ってきたエルは、さっきから買ってきた新しい醤油を吟味しているようだ。


 この醤油──。

 実は買ったものが既にあったのだが、今日は篠原から改めて和食で煮炊き用に使う際の選び方をアドバイスされたらしい。


 流石にスーパーで買う時に味見はできなかったのだが、有機で置いてあった唯一のものが篠原が推奨していた関西で造られた本醸造のものだったらしく、エルはお店で見つけて大喜びしていた。


 ──こんな感じで、どんどん食材選びが専門化していくため、翔哉はもう話についていけなくなりつつあるのだが。

 わかったのは値段が通常の3倍くらいしたことくらいか。


 醤油はこれで良かったようだが、日本酒とみりんに関しては篠原が指定するような望みのものを、スーパーで買うことは正直難しいようだ。


 日本酒も、昔の二級酒にあたる本醸造のものなら、どれでも良いという訳ではない。


 その中で好みの雑味が多く、品質が良いものをチョイスしないといけないのである。

 またみりんについても、餅米と米麹と焼酎だけで造られているいわゆる本みりんは、地球暦時代のスーパーではほとんど取り扱われていない。

 なので、この2つに関しては篠原が小瓶に入れて、帰りにエルに持たせてくれていた。


 そんなわけで。

 やがて、買ってきた醤油の味に満足したらしいエルは、みりんと酒の小瓶を取り出してテーブルに並べると調理に取り掛かった。



「僕は……お邪魔かな?」


「そんなことないです! 翔哉さんがそばで見ていて下さると私は嬉しいです」



 エルにそう言われて、翔哉はそばで見ていることにしたのだが……やっぱり本格的過ぎて今日はどうやら見る専になりそうだ。


 今回は肉じゃがを作るのに、鰹節で出汁を取るところから始め、次に醤油、日本酒、本みりんを一度煮立てて火をつけ、アルコール分を飛ばす。

 そして、そこに三温糖を加えてまず割り下を作る──そういうところから始めるほどの本格仕様なのである。


 ズブの素人よりは包丁が少し使えるくらいの翔哉にもう出る幕はなかった。



   ◆◇◆◇◆



 エルの目は真剣そのもの。


 少しでも昼間味わったものに近づけようと、理科の実験さながらに集中して材料を混ぜ、火をつけ、そして冷まして作った割り下を慎重に味見する。

 この部分が大事なんだそうで、和食の場合は一度この感覚を掴むと、煮魚や丼ものなど応用範囲が広いのだそうだ。


 そして、料理人のような見事な包丁さばきでジャガイモや人参玉葱を切りそろえると、今度はいい音を立てながら肉を炒め始める。


 それを少し赤身が残るくらいで止めると野菜の煮炊きに入り、それに後から牛肉を入れる……この辺りが牛肉の出汁をたくさん出すより、煮込みすぎて固くさせないための篠原流のこだわりらしい。


 そして、一度煮立ててアクを取った後に、さっき作った割り下の出番となる。

 それを入れて、しばらくしてから味見をするエル。


 ──だがどうも表情が思わしくない。



「うーん……」



 エルの表情が曇る。

 あれ? 失敗したのかな?

 ……と思って、翔哉も味見をさせてもらうと──。



「何これ! 美味いじゃない、エル!!」



 思わず叫んでしまった。

 はっきり言って、翔哉はこんなに贅沢で美味しい肉じゃがなんて、今日の昼間まで食べたことがなかったくらいだ。


 肉じゃがを侮っていた!

 料理って奥が深いっ。



「本当ですか、翔哉さん?」


「うん。僕はエルにお世辞なんて言わないよ!」



 エルの作った目の前にある肉じゃがも、翔哉にとっては昼間篠原が作ったものと同じくらいのレベルに思えた。



「でも……」



 翔哉は本当にそう思ったのだが、エルはそれでもやっぱり気に入らないらしい。



「今日のお昼間に、味見をさせてもらった篠原さんの味とは、これだとやっぱり少し違うんですよね」



 そう言うエル。



「僕にはそんな違いなんてわからないけどな……」



 これが細かい味の違いを認識できる天才と凡人の差なのか。

 もう翔哉には、エルのレベルの高い悩みを、わかってあげることはできそうになかった。



「まあ、使った野菜も有機じゃなくてスーパーで買った普通のものなんだし。何より僕にとっては十分すぎるくらい美味しいんだから。取り敢えず問題ないんじゃない?」



 元々はエルだって、今日は翔哉を喜ばせたくて作ったものなのだ。

 翔哉が本心からそう言っていることが伝わると少し安心したようだった。



「そうですね……。ありがとうございます、翔哉さん!」



 そうは言うものの──。

 本当にすごいよな……翔哉はすっかり感心していた。


 エルは感覚という点では、最初から究極に近いものを持っていると言える上に、最高に近いお手本を洋食和食で最初から見せてもらっている訳で……。

 ある意味、これって相当な英才教育なんじゃないだろうか。


 もしこのまま、エルを料理人として育成しちゃったら、とんでもないことになっちゃうんじゃないのかなあ。


 翔哉は、究極のメニューに登場してきそうな「肉じゃが」を美味しく頂きながら、ぼんやりとそんなことを思っていた──。



   ◆◇◆◇◆



 そうやって平和に過ごした日曜日だったのだが、月曜日は早朝に電話で起こされるという珍しいスタートになった。


 朝の8時に電話で起こされた翔哉とエルは、これから急いで10時頃には白瀬のいる研究所の所長室に顔を出してくれないか──とのことだったので、バタバタと準備をして出かけたのだが……。


 所長室に入ると、そこには白瀬や開発課のコアメンバー達だけでなく、他にも何人かの見知らぬ人達が既に何人か顔を揃えており、翔哉とエルを待っている状態だったのである。


 翔哉がみんなの中に加わると。

 その内の見知らぬ人達の一人が待ちきれないように話し始めた。



「ああ、今日は折り入ってお願いがあって来たんだ」



 そう言っていきなりエルの方にズカズカと近寄ってくる。

 少し押し付けがましい感じの人だな……そう翔哉が感じていると、エルも怯えるように翔哉の袖を持ちながら、彼の影に隠れるような様子を見せる。


 そこまでを観察した上で、白瀬がやっと横槍を入れた。



「ああ、草壁教授。ちゃんと自己紹介から入ったほうがいいと思いますよ?」


「そ、そうか。うん、そうだよな……白瀬君、失礼した」



 そう言って草壁と呼ばれた男は、一旦素直に退却する。


 翔哉達がこの部屋に入った時、まず目についた見慣れない人影は4人いた。

 全員白衣だったのでどこかの研究機関の人だろうと思ったのだが、よく見てみるとその内の二人は翔哉には見覚えがあったのだ。



「久保田さん、それに美咲さんも!」



 思わず声に出してしまうと、久保田はにっこり笑って小さく手を振る。

 一方、美咲……吉原美咲は無視である。

 これもある意味印象通りだと言えるかもしれない。


 そして、もう一人が中村という40代くらいの男で、草壁教授と呼ばれた50代の男がこのグループのリーダーのようだった。


 草壁が一度久保田達のところに戻った後、白瀬が改めて紹介してくれる。



「この人達は、研究機関ゲヒルンの研究者の皆さんだ」



 久保田がゲヒルンの人間だと聞いた時は翔哉も正直びっくりした。

 初めて会った時から普段はどこかの研究所で、ある研究を行なっていると言ってはいたのだが、まさかあのゲヒルンだとは思わなかったのだ。


 しかし、今考えてみるとそれも当然のような気がしてくる。



「ゲヒルンは知っての通り、人間の脳を研究している研究機関なんだが──こちらの二人、久保田さんと吉原さんはそのゲヒルンで大脳生理学と異世界との関係を研究している。翔哉君は会ったことがあるんだっけ?」


「はい。最初にこの世界にやってきたばかりの時にお世話になりました」



 美咲さんの話は良くわからなかったけど、それでも彼女なりに一生懸命やってくれたんだろうし、久保田さんはこの世界と異世界のことについて色々教えてくれた。

 僕が刺されて入院していた時も、顔見知りの久保田さんが近くにいてくれたお陰で、取り敢えず安心して入院生活を送ることができたのだ。


 どうして、何かと僕の周りで世話を焼いてくれるのかと思っていたんだけど、そうかゲヒルンで異世界に連する研究をしていた人だったんだな。



 色々と腑に落ちることが多く、むしろ嬉しく思っていた翔哉だったのだが、今度は白瀬が残りの二人を紹介するそぶりを見せた途端に、急に場の空気が重たくなったような気がした。



「ううんっ!」



 草壁は咳払いなどをしているし中村も顔がこわばっている。

 二人共かなり緊張している様子なのが伺えた。

 そこに白瀬が──。



「いいですね?」



 などと、また何だか勿体をつけるように念を押したため、余計に訳がわからない緊張が部屋中に充満する羽目になった。


 やがて、白瀬が諦めたように二人の紹介を始める。

 しかしこれがまたいかにも歯切れの悪い感じなのだ。



「これはねぇ。まあ、ゲヒルンとしてはこれから話すことは今後も対外的には内密にしてもらいたいらしいんだけど……」


 ん???


 白瀬の持って回ったような言い方に引っかかりを感じた翔哉だったが、それに続く説明にはそれ以上にショックを受けることになった。



「こちらのお二人、草壁教授と中村主任はね。異世界からこの世界に“人材を転移させる”という実務に携わっていらっしゃる。その責任者のお二人……なんだそうだ!」



 異世界からこの世界に人材を転移させる。

 ──“転移させる”!?


 なんだってーー!!!

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