81 話 バッテリーチャージ
こうして、エルと二人の生活が始まってもう4日目。
今日は9月10日の土曜日である。
土曜日は一週間に一度のエルのメンテナンス日。
ちょっと早めの朝の9時頃に研究所に行くと、すぐにエルは休眠カプセルに入ることになり、バッテリーの充電とデータのバックアップが開始された。
恵と舞花は、銀座街区までエルの服などの買い出し行っており、白瀬も朝から色々所用があって出かけているとのこと。
そのため研究所には、当番として隆二が独りで残って作業にあたっている。
このバッテリーチャージは170時間分をフルに充電するのに4時間くらいかかるらしく、翔哉もこうしてエルが眠っている間は隆二と一緒に見守ることになった。
とは言え、一緒にいても作業を手伝うこともできなければ、隆二が一体何をやっているかも全く見当がつかないのだが──。
「バッテリーチャージが終わる頃には、データのバックアップ作業も終わってると思うんだ」
隆二にしても、実際にバックアップ作業が始まってしまうとやること自体はあまりない。
そのため予定された終了時間が来るまで、二人は所内のカフェに行ってダベることにした。
「やっぱり全部……見られてしまうんですよね……?」
コーヒーを飲みながら翔哉がため息をつく。
考えてみれば今までもそうだったのだが、開発課のメンバーの人達と顔見知りになってしまうと、やはりそれはそれで余計に恥ずかしい。
「あんまり気にしなくていいよ。見られるって言ってもエルの側の主観的な情報だけだからね。その内容いかんで、翔哉君が責任を問われたりすることは基本無い訳だし。今まで通り気楽にやればいいんだよ、気楽にね!」
そう笑って言う隆二。
できるだけ翔哉を安心させ今まで通りの関係をエルと続けて欲しいという意図は勿論あるんだろうけど、付き合ってみると隆二は元々あまり深く悩まない楽観的な性格らしい。
「エルのデータは、主にガイノイドがどれくらい人間と近いポテンシャルを有しているかを測るために利用される。人間に近いことが立証されれば、エルのデータを分析することで人間のこともより詳しくわかってくるかもしれないからね」
そして、そうやって他の研究機関から興味を持たれれば持たれるほど、エルの価値も高まっていくということになるのだ。
「だからこの間の夢の話みたいに、翔哉君が実際エルと暮らしていて経験したことや、他にも気が付いたり感じたことなんかも、それと同じくらい重要になってくることがある。その辺も期待してるからね、頑張って翔哉君!」
特にこの間のガイノイドが見た夢の話は、かなり興味深い出来事だったらしく、恵や白瀬だけでなく話を聞きつけたゲヒルンの関係者なんかも、今日のデータのバックアップを心待ちにしているくらいなのだそうだ。
「ゲヒルン……久保田さんが所属している機関ですよね。レゾナンス関連の研究をしているとか?」
翔哉も、その辺りは少しずつ説明をしてもらってきていた。
「ああ。ゲヒルンはね、一般的にはレゾナンス症状の研究で名が通ってる所だけど、実はその名の通り人間の脳の働きを研究している機関なんだよ」
「ゲヒルン……どういう意味なんですか?」
「ゲヒルンはドイツ語で“脳”って意味の単語だね」
「なるほど……」
どうやらそういう関係で、人間の仕組みを機械に置き換えようとしている次世代技術開発課のガイノイドプロジェクトと、それが上手く行くことでガイノイドをシュミレーターとして使って、人間の脳の活動をより緻密に分析できるのではと考えたゲヒルンとの間で、暗黙の協力関係が成立しているらしいのだ。
「じゃあ、僕達の私生活がゲヒルンとかにまで筒抜けになっちゃうんですか……!?」
翔哉が悲鳴を挙げる。
「日常生活のデータ全部を渡すわけじゃないよ。必要なところだけコピペしてね。まあ、翔哉君とエルが一緒に眠っていたところくらいまでは、晒されちゃうかもしれないけど!」
アイスティーに口をつけながらニヤリとする隆二。
「はぁ……そうですか……」
翔哉は頭を抱えた。
◆◇◆◇◆
その頃、白瀬はファクトリーエリア駅前の無人ファミレス「マスト」で、村井と落ち合っていた。
銀座街区付近とは違い、ファクトリーエリア駅付近では無人レストランが多いのだ。
最近では状況が色々面倒臭くなってきていることもあって、村井との会合の際には周りに人が少ないほうが好都合になってきていた。
別に研究所の所長室でもいいのだが……。
村井が研究所の雰囲気が苦手ということも多少はあるものの、それ以上にあまり研究所付近で情報交換することによって、龍蔵達の矛先が翔哉や開発スタッフにまで及ぶのを避けたかったというのもある。
その点では、あまり流行はやっていない無人ファミレスというのは会合場所としては正にうってつけだったのだ。
「また進展あったんだって?」
白瀬が言う。
翔哉の家が焼失してから、既に一度翔哉も交えて会ってはいたのだが、今日の会合はその後に村井の方から再び白瀬に連絡が入ってのものであった。
「そうなんだよ。この間宗ちゃんから聞いた委員会のヤツが言っていたっていう“龍蔵にしてやられるなよ”みたいなの? ありゃ言ってみれば裁判じゃ使えねえ言質なんだけどさ。捜査を決め打ちするにはいいネタだったんだよな!」
そう満足そうに言う村井。
彼に言わせると、証拠性は低いが信頼性は抜群の情報とのことなのである。
「ある意味、答えを先に教えてもらったようなもんだからさ。これって」
研究者のように、プロセスを重視するわけではない刑事のような仕事の場合は、答えを先に教えてもらうことに対して何の抵抗も感じることはないらしい。
「結果が出て後からでも立証できれば問題無し。細けえことはいいんだよ!」
──これが村井の口癖である。
あっけらかんとしている村井の態度は、常に筋道立てて考えるのが日常の白瀬とって羨ましい限りだった。
「その上、フロントガラスを割って散乱させてくれただろ? これも恐らく計算ずくなんだろうけど、調べて見たらあれってかなりレアな偏光性の高い特殊防弾ガラスって奴だったんだ」
「そんなキワモノだったんだ?」
「一般にはあまり知られてねえが普通の防弾ガラスってのはすぐ割れる。それによって衝撃を吸収するって代物なんだが、あれは普通の衝撃ではめったなことで割れないタイプだ。かなりのレアもんだぜ、ありゃあ」
「なるほどな。それで脱兎のごとく逃げたって訳だ」
普通の防弾ガラスというのは、実は「割れないガラス」というわけではない。
むしろ小石などで簡単に割れてしまうものなのだ。
しかしそれを2枚のガラスで挟み込むことで、貫通させないことに重きをおいているのである。
しかし彼らが使っていたのは、特殊な製法で造られた「割れない硬化ガラス」を使ったフロントガラスだったのだそうだ。
「これアルミナを利用して、鋼鉄にも匹敵する硬度を叩き出したっていう画期的なヤツらしいんだけど、ヤッコさんそれを割っちまうとはねー!」
白瀬も納得する。
そんな特殊なものだ。
恐らくフロントガラスを割られるなど、夢にも思っていなかったんだろう。
だがそれが割れて散乱する事態になれば、物的証拠としては最上のものとなってしまう。
レア物であるが故に、ズブズブにアシが付いてしまうというわけである。
「いやいや、痛快だよな! そんなのを割られたそいつらの慌てぶりっての
俺もその場で是非見てみたかったくらいだけどよ!」
「うん。目ん玉飛び出してたよ、マジで」
そう言って二人で笑う。
「けど、分析班も不思議がってたよ。あんな銃弾も跳ね返すような、鋼鉄並に硬いものをどうやって壊したんだろうってさ?」
確かにそれはそうだ。
白瀬も首を捻る。
あの時、銃声らしい音も特には聞こえなかった。
最初は白瀬もきっと黒崎がサイレンサーでも装着した銃で撃ったんだろうくらいに軽く考えていたのだが……。
そうなってくるとそれも無理──となると。
「委員会にまつわる都市伝説が、これでまたひとつ増えたってわけ……か」
白瀬も科学者の端くれとして、一体そこで何が起こったのか気にならないわけではなかったのだが、委員会が科学を逸脱した存在であるということを、誰より痛感している一人がまた彼でもあったのだ。
理解しようとする方が時間の無駄かもしれない。
最近では次第にそう思うようになってきていた。
◆◇◆◇◆
村井によると、その特殊なフロントガラスの製造元とその卸し先辺りから、そのリムジンまで特定できそうな情勢なんだそうだ。
「翔哉君傷害事件に続いて、また奴らのボロが出たわけだ」
「気の早い連中からはやれ家宅捜索だ、逮捕状だ、なんて声も出てきてる。ま、でも、権力者ってヤツをお縄に掛けるのは、それほど簡単じゃねえんだよなあ」
そう言うものの、ずっと龍蔵の尻尾を掴もうと長年やってきた村井の表情は明るかった。
「実は、例のレゾナンス患者が事件直前に寄った病院に、不定期で来てるらしい外来医師がいてさ。コイツがこの前言ってた施術師っぽいセンセイらしいって情報も入ってきてはいるんだわ。その辺もはっきりしたらまた連絡するからよ!」
こうして村井との会合が終わった後。
白瀬が急いで研究所まで戻ってくると……。
バッテリーチャージが終わったエルと翔哉が、そろそろ帰ろうかという頃合いになっていた。
「おーっと、ちょっと待ってくれ」
慌てて白瀬がみんなを呼び止める。
いるメンバーを確認すると、エルの衣類や小物を調達してきた恵や舞花も含めて、ちょうど全員が研究所に揃っているようだ。
「みんな聞いてくれ。実は明日からなんだけど。毎週日曜日にこの研究所に凄いゲストがやってくることになったんだよ。だから明日の日曜は取り敢えずみんな午後1時頃に一度ここに顔を出してくれるかな。やって来るのは普段は会うことができない高名なお方だ。きっと後悔することはないと思うぞ?」
そう勿体ぶる白瀬。
だいたいにして、この白瀬宗一郎という男は裏で動いた上で、後からこうしていきなり言い出すことが多いのだ。
研究所のメンバー達はこういうのにはもう慣れていた。
「ゲストって誰です?」
隆二が聞く。
「隆二。お前も空気を読めよな? こうしてサプライズっちゅう雰囲気を醸し出してるんだ。そんなの俺が今言うわけ無いだろう?」
白瀬は、ちょっと芝居がかった口調でそう答えてから、ポンと両手でエルと翔哉の肩を叩く。
「ただし君達二人に関しては強制参加だ。先方直々のご指名なんでな!」
また何かを企んでいるらしい白瀬が、らしくなくニヤッと笑った──。




