07 話 新しい世界の朝
目が覚めるとベッドの上。
そしてまた知らない天井を見上げていた。
ここ……どこ……?
そう思って昨日のことを思い出す。
あ……。
僕は異世界に転移した──なんていう冗談のような説明を真剣にされて、知り合いの全くいないところで生活しはじめた……んだっけ?
夢じゃなかった。
どうやら夢オチにはなってくれなかったようである。
うーん……。
服は昨日のものを着たままである。
この服は前の世界から持ってきたものだ。
ある意味、唯一僕がこちらの世界に持ってこれたもの……ってことになるんだろうか。
そして、見知らぬ玄関には靴が脱ぎ散らかしてあり、そこから持っていた荷物を置くというより散乱させながら、そのままベッドに頭から突っ込んだ……。
その様子が──記憶には残っていないけど──目に見えるような部屋の中の散らかりようだった。
──向こうの世界での最後の記憶。
光のようなものに食われた時に持っていたはずのリュック……やバッグなんかは、この世界で目が覚めた時にはもう手元にはなかったんだよね。
そして病室のベッドで昨日目が覚めた時には、白い病衣のようなものを着せられていたんだけど、僕が発見された時に着ていた服は既に洗濯されていて、次のフロアに向かう時にそれにまた着替えた──のだった。
服のポケットに入っていた財布やキーホルダーなんかは、その洗濯してあった服の横に並べて置いてあったんだけど、前の世界の家の鍵なんてのはもう何の役にも立たないだろうし、財布に入っているお金やプリペイトカードなんかもたぶんここでは使えないんじゃないかと思う。
その代わりというか何というか。
昨日、スマホと一緒にこの世界用の新しいカードを貰った。
どうやら、これはプリペイドカードとクレジットカードを足して2で割ったようなものらしい。
今のこの世界で流通しているバーチャルマネーが、ここに自動的にチャージされるようになっているカードらしいのだ。
この世界ではこれが住民一人に必ず1枚ずつ支給されているとのことである。
カードは自動の指紋認証セキュリティが施されているらしく、当人以外には使用できなくなっている……とのこと。
加えて言うと、この世界にはどうやら紙幣や硬貨はもう存在しないみたいなんだよね。
ちょっと特殊な表面加工をされたそのカードを手の中でいじくる。
手の中でカードを意味もなく転がしていると不意に自分が本当に違う世界にきちゃったんだな……という実感がまた湧いてきてしまう。
「夢……じゃなかったんだ」
部屋には、他に誰もいないことはわかっていたんだけど。
敢えて声に出してそう言ってみた。
悲しい……という感情はあまり湧かなかった。
涙も出なかった。
それはきっと僕が結局自分の属していた世界を失っても、自分にとって本当に大切なものは何も失わなかったということだ──。
「そうだよなあ……」
ため息をつく。
本当に僕は薄情だ。
まったくもって冷血漢だ。
実際に全部失ってみて良くわかった。
僕は本当に……何も……。
そこまで思った時に、やっとちょっと胸が苦しくなってくれた。
ともかくだ。
異世界コーディネーターの伊藤さんと別れてあの施設を出た後。
この部屋──これから自分の帰るところになる自分の部屋に向かって歩きながら、昨日自分が考えていたことを思い出してみる。
『起きてからこれが夢じゃなかったら。それからこれからのことを考えることにしよう』
そう考えていたんだっけ。
さて。
今朝僕はこうして目が覚めた。
そして全ては夢じゃなかった。
だから……もうこれからのことを考えることにする。
考えなくっちゃいけない──んだと思う。
前の世界で。
僕はもしかしたら失うことが怖かったのかもしれない。
だから大事なものを作りたくなかったのかもしれない。
でも。
もしかしたらそれは間違っていたのかもしれない……そう思った。
本当にこの期に及んでだけど。
確かに全てを失っても痛くも痒くもなかった。
それはある意味とても楽ですらあると言えた。
でも……。
なんだろう?
このやりきれない気持ちは?
失った時に、こんな『空虚』な思いをするくらいなら。
いっそ苦んだほうが楽なのかもしれない。
僕はそんなことを思い始めていた。
だって、そんなのは。
きっと僕がここまで生きてきた証が……。
どこにも見当たらないってことなのだから──
◆◇◆◇◆
その部屋は少し広めのワンルームだった。
前の世界で住んでいた『実質四畳半』とは大違いで。
洋風の結構いい部屋に思えた。
手元のスマホを見てみる。
時刻は朝の10時半。
昨日帰ってきたのが確か夕方だったはずだから、ずいぶん眠ったらしい。
入り口付近に飛び跳ねるように脱ぎ散らかしてあった靴を揃えながら、部屋の中を観察しながら少しずつ片付けていく。
部屋は。
まだ何も私物がないこともあって簡素には見えたが……。
南向きで明るい。
ベッドが部屋の奥目に鎮座していたものの、少し広めの部屋なおかげでそれほど手狭な感じはなかった。
そして手前に小さめのデスクと、その上にパソコンらしきものがある。
トラックボールのような大きめでポタンが多いマウスと、クリスタルのような未来感を感じる色のキーボードが設置されていた。
そんな感じで見かけは前の世界のパソコンとよく似ている。
でも動いたOSはMicro WIXという名前。
なんかこの──見かけが似ていて中身は違うってのが前の世界とこの世界みたいで……ちょっと心情的には複雑だった。
ちょっと電源を点けていじってみると、画面は先進的なデザインではあったものの、基本的にはマウスカーソルでアイコンをクリックする感じの操作感で慣れるのは難しくなさそうである。
そう言えばスマホも今まで使っていたものとよく似た感じだったな。
基本マウスをクリックする代わりにタップすればいいだけだからね。
こっちもまあ使うのに問題はあまり無いだろう。
このパソコンも、画面自体は透明感のある未来チックなデザインで綺麗なアイコンがスムーズに動き回る割に、大まかな機能自体は対して変わっていないんだよね。
──まあ、その方が僕にとってはありがたいけど。
インターネットについても、ブラウザのソフトがどれなのか最初はよくわかんなくて困ったんだけど、一度見つけてしまえばあんまり前の世界と変わらないように思えた。
一旦ホームページを表示してしまえば後は大差無いしね。
検索エンジンも名前は違ってたけど普通にある。
これで調べ物も万全だ。
調べ物……か。
前いた世界では、僕はネットのようなデジタル方面でも、図書館のようなリアル方面でも、あまり物事を詳しく調べたりするタイプではなかった。
興味が無かった……まあ一言で言えばそうなんだけど、今思うと何か気力のようなものが湧かなかったんだよね。
でも今回。
こんな感じで変なことに巻き込まれたせいもあって、僕の心の中ではちょっと心境の変化があったようで……。
せっかくこうして新しい世界にやってきたんだから、生き方をリセットできたと思ってこれからは少しは色々なことに興味を持っていきたい。
いや興味を持っていかなければ。
みたいな。
そんな使命感みたいな気持ちが自分の中に生まれて来るようになった。
うん──ようなのだ。
いや、まあ、でも。
そんなことを言っても、人間やっぱり急には変われないわけで。
今でもそれは僕にとって怖いことなんだけれど、ね。
それでもいつか、今までとは違った『生きた実感』みたいなもの?
……を感じられる日が来たらいいな。
そんな気持ちが僕の中に生まれてきているみたいなのである。
一度、何にも心に残らなかった人生に区切りをつけなければならなくなった僕。
だけど何とかこれからは『生きた証』っていうのかな……そういう実感のようなものを感じる生き方がしてみたい。
そんな欲望というか。
衝動のようなものが僕の中に生まれ始めているのを感じていた。
生きた証……か。
それって喜びに満ちた満足感のようなものなのかな?
それとも。
これだけやったんだからもういいや、みたいな諦めのようなものなのかな?
まだ今の僕にはわからないけど。
そんなのはもしかしたら無いものねだりなのかもしれない。
それでも、今までとは違った自分になりたい。
同じことを繰り返すのは嫌なんだ……と。
次第にそんなふうに感じるようになってきたんだ、と思っている。
自分でもまだよくわからないんだけど、ね。