79 話 新婚三択
こうして、その日はエルや翔哉の夢の話で盛り上がった研究所の面々だったのだが──。
その後になると翔哉達が研究所でやることも特に無い様子で……。
午後2時過ぎくらいになったら「もう帰ってもいいよ」ということになった。
「引っ越ししたばかりだから、片付けとか掃除とかまだやること色々あって大変でしょ?」
舞花がそう言ってくれた上に、みんなもそれに倣って翔哉達を気遣ってくれたのである。
「確かにそうですね。僕の私物はまだあまりないんですけど、届いている新しい家具とか電化製品のダンボールがまだ家中に散乱してて……」
──実際家の中はまだそんな感じだった。
それを考えると正直早く帰れるのはありがたい。
先日、研究所に村井刑事がやってきた時。
前に住んでいた部屋が火事になった時の状況を、翔哉も白瀬と同席して聞かせてもらったのだが──。
翔哉がこの世界に来てから住んでいたワンルームは、どうやら建物ごとほぼ全焼してしまったらしい。
出火元は翔哉の部屋付近だった。
しかし、翔哉は家にはほとんど寝に帰っていただけだったし、オール電化の住宅なのでガスなどの火の気も無いはずなのだ。
──加えてポットなどが空焚きしたような痕跡も無く。
幸い翔哉の過失という話にはならなかったらしい。
そんなわけで、出火原因としては概ね不審火……つまり放火のセンが強いという方向で今も捜査が続いているそうである。
ただそのせいで、翔哉の持ち物については再び見事に全滅してしまっており、今度の入居にあたってもまたイチからの再出発という様相になっていたのだ。
これについては悪いことだけはなかった。
幸い捜査に一枚噛んでいる村井刑事の口利きなどもあって、今回は犯罪被害者として補償されることになったことで、色々と家具や家電類を新調することができた。
今度の家は広いため、どちらにしても相応に色々と物入りだった翔哉にとっては結果的に大助かりだったと言える。
──その一方で、それによって引っ越し直後の片付けが大掛かりになってしまうのは致し方のないところであった。
「夕御飯とかの準備は大丈夫かしら?」
恵さんがそういう心配もしてくれたのだが……。
昨日も出前を取ってもらったわけだし、いつまでもお世話になりっぱなしって訳にもいかない。
「それについては、まあ、大丈夫ですよ。さっきエルと二人で、今日はハンバーグを作ろうって話をしていたんです。エルドラドでも仕込んだことがあるんで……たぶん大丈夫じゃないかと」
食材の質が違うので、同じレベルや味のものって訳にはいかないと思うが、それでも『らしきもの』は作れるだろう……という算段だ。
「本当は私が、ちゃんと一人でお作りできればいいんですけど……」
少し申し訳無さそうに言うエルに翔哉がすぐ切り返す。
「問題ないよ、エル。僕も少しは包丁を使えるようになったし。それに何でも二人でやったほうが楽しいって前に言ってたよね?」
それを聞いてまた舞花のテンションが上がる。
「ほんっと王子様って理想の旦那様よねー!!」
「ナチュラルにこれを言ってるってのがすごいよなあ」
「そうね。これならエルを安心して任せられるわ」
これには隆二や恵も一緒に頷きながら感心していた。
「ほら~! やっぱりアツアツの新婚夫婦には要らぬ気遣いだったでしょ~、恵さ~ん!」
「そうかも。むしろお邪魔だったかもしれないわね!」
珍しく恵が満面の笑みでその舞花の悪ノリに付き合い──エルがそれに天然な感じで反応してくる。
「私達って新婚夫婦……なんですか、翔哉さん?」
研究所に来てから舞花に衣装替えをされたエルは、この日もまた清楚なフリルのブラウスにジャンパースカートという破壊力抜群の姿で、ついさっき翔哉の隣に戻って来ていた。
こうしてみんなに冷やかされる中、翔哉はまた一人で赤面する事態になってしまったのだが──それも悪い気はしなかった。
翔哉がこれまであまり感じたことがなかったような、温かな関係、温かな空間がそこにはあったからだ。
その中で翔哉は少しずつ満ち足りた充足感を感じ始めていた。
◆◇◆◇◆
こうして研究所から早めの時間に帰途についた翔哉とエルは、そこから夕食の買い出しにスーパーへと向かった。
「この研究所は結構大きいから、施設の中にスーパーやコンビニもあるんだ。そこなら安心してエルとも買い物できるんじゃないかな?」
隆二がそう教えてくれたので、その研究所内にあるスーパーに帰りに寄ることにしたのだ。
その目的は主に夕食のおかず──つまりハンバーグの材料買い出しである。
時刻は午後3時過ぎ。
夕方前なので、スーパーの中はまだそれほど混んではいない。
それにここなら、エルをつれていても問題になることはまず無いし、何よりジロジロ見られたり敵意が飛んできたりすることもないだろう。
隆二が言う通り、安心してエルと一緒に買い物ができそうだった。
「えっと挽肉はこれでいいんでしょうか?」
エルが冷蔵ケースから手に取った、牛肉の挽肉を翔哉に見せる。
「えっと……」
エルドラドで仕込んだハンバーグを仕込んだことがあるとは言うものの、全く同じ食材で作れるはずもなく、どんなものが出来上がるのかは未知数だった。
牛肉は脂分が少なくて形が崩れやすいって聞くし、合い挽き肉にしたほうがいいのかなあ、とか実際に食材を目の前にすると迷いも出てくる。
しかし──だ。
エルドラドで色々と調理風景を見ていたとは言え、翔哉はまだ実際には料理の経験が乏しい。
変に応用しようとしても失敗は目に見えているような気がした。
「うん、やっぱり基本同じようなものを使ってみようかな?」
考えた末、流石に仔牛の肉とかは無理だが、無難に普通の牛の挽肉を選ぶ。
そして、玉子に玉葱だ。
つなぎも……パン粉は使わず、エルドラド風に小麦粉でいくことにする。
しかし今度はいつもエルドラドで使っていた全粒粉が見当たらない。
これって普通の小麦粉でもいいのかなあ?
考えてみれば、翔哉は薄力粉や強力粉の違いもわからないのだ。
そこでエルがこう助言してくれた。
「私のメモリーに入っている知識では、薄力粉よりも強力粉のほうが粘りが出るみたいですよ?」
なるほど。
それを聞いて小麦粉は強力粉をチョイスすることにする。
でも──やっぱりエルドラドと同じようなものは中々手に入らないようだ。
勤めている時は、あまりわからなかったが、こうして離れてみるとかなり特殊なお店だったんだなあと実感する。
「お米や炊飯器は家にあったよね? じゃあ、後は調味料関係かな?」
翔哉がそう言うと、調味料に関してはエルが色々教えてくれた。
エルドラドで倉庫担当だったこともあり、エルは調味料にはかなり詳しくなっていたのだ。
あれこれと翔哉に助言しながら、隣で並んで歩くエルの表情は明るい。
「エル……楽しそうだね」
鼻歌が出てきそうな雰囲気のエルを見ながら、自分まで嬉しくなって翔哉はそう声をかけた。
「そうですか?」
そう言って、一度考えたエルはクスリと笑ってこう答えた。
「そうですね。こうして翔哉さんと一緒にお買い物をするのって、やっぱり楽しいです!」
色々と情報を出したり尋ねられたりすることで、役に立てている実感があるのかもしれない。
幸せそうに歩きながら、しきりに翔哉にまとわりついてくるエルは、まるで本当に人間の新妻のように見えた。
それは、この時間にはあまりたくさんはいなかった店内のお客達に、思わず笑顔を誘うくらいのアツアツぶりだったのである。
◆◇◆◇◆
こうして二人で買い物を終えると、家に帰って今度はハンバーグの仕込みを始めることにする。
「頑張りますね!!」
そう言ったエルは、さっきまでのジャンパースカートルックに可愛らしいフリルのエプロンを上から羽織るという、もう舞花辺りが狙っているとしか思えないような、強烈な連続攻撃を見せてきた。
無論、その攻撃に翔哉は休む間もなく動揺の連続である。
「こ、こうやって荒く刻めばいいのなら、僕だってできるからね!」
そう言いながら平静を装って翔哉が玉葱を刻む。
そして、今日のハンバーグに使う予定の黒胡椒は、ちょっと値段が高めのミルで挽くタイプのものを見つけたのでそれを買ってきた。
それをガリガリと回しながらかけると、いい香りがして何かそれだけでも美味しくできそうな感じがしてくるから不思議だ。
エルはまだ味付けに関しては少し自信が無いようだったが、挽肉にツナギや玉子を混ぜて適度な柔らかさになるように、バランス良く調合して練ることについてはほぼパーフェクトな出来栄えだった。
それを適度な大きさに丸めて冷蔵庫に寝かしておく。
これくらいで下ごしらえはだいたい完了だ。
この後は、エルがご飯を炊飯器で炊いておいてくれるというので、翔哉は荷物の梱包を解いて部屋をセッティングしていく作業へと戻ることにした。
昨日のうちにテレビのセッティングは終わっていたので、次はパソコンを配置してそれを配線していると──。
やがて台所で炊飯器のアラームが鳴ったのが聞こえた。
どうやら、もうご飯が炊けたようである。
となると──だ。
付け合せは冷凍なのでもう準備はできている。
後は最後にハンバーグを焼くだけだったはず。
──さっき二人で話し合った手筈を思い出した翔哉が、急いでダイニングの方に向かおうと振り向くと。
もう既にエルがダイニングの前辺りで待っていた。
それも何やら改まっている様子でその場にいきなり正座をすると──。
ジャンパースカートにエプロンを付けたままで、翔哉に三つ指をついて深々とお辞儀を……こ、これは!
「翔哉さん。準備が整いました。あの……まず、お食事にしますか? お風呂にしますか? それとも──」
そう言おうとするエルを翔哉が慌てて押し止める。
「わータイム! 待った! ストーップ!!」
エルはきょとんとして首を傾げる。
「これが新婚夫婦の間で、お食事ができた時の正式な作法だと教わったのですが……?」
「舞花さんに?」
「はい!」
やっぱり!
そう聞いて翔哉は心の中でため息をついた。
「それにしても、最後の“私”ってなんでしょうね、翔哉さん?」
最後エルに対して、その意味を翔哉から説明させるという無茶振りまで入っている周到さ。
この舞花……明らかに確信犯である──。




