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78 話 ガイノイドが見る夢

「えーーっ! 朝、目が覚めたらエルが隣で寝ていた!?」


「あっ! 隆二さん声が大きいですよ……」



 エルと一緒に研究所に出向いた後、朝に起こったことを隆二に相談しようとした翔哉。

 恥ずかしいので、できればこっそり話を聞きたかったのだが、それはいきなり失敗に終わってしまう。



「アンタ達、なに男同士でそんなウラヤマけしからん話をしてるのよ~~っ!!」



 数メートル向こうの机で書類の整理をしていたらしい舞花が、すぐさま雄叫びを上げながらこっちにすっ飛んで来る事態になってしまった。



「わーーっ!!」


「出た~~~! ガサツ女!!」



 ──舞花がこんな話をみすみす見過ごしてくれるわけはないのだ。



「どうせ土曜日になったら、データのバックアップ取って分析されることになるのよ? なんでそこで隠す必要があるっていうの!」


「う……」



 口ごもる翔哉。


 そうだった。

 エルとのやり取りや起こった出来事は後からとは言え、結局全部見られてしまうんだったよな?


 それを思い出してみると、昨日の夜からのことなどちょっと考えただけでも恥ずかしいことこの上ない。

 自分側の視覚や心の中で考えたことまでは、モニターされないだけまだマシだとは言えるのだが──。



「そんなのお前がウザいからに決まってんだろー!」


「アンタには聞いてない! 莫迦隆二は黙って!!」



 朝からいつもの痴話喧嘩が始まりそうな気配が立ち込める。



   ◆◇◆◇◆



 しかし──。

 今日はそこに恵が通りかかった。



「どうしたの?」


「ああ、実はですね。翔哉君が……」



 隆二が渡りに船とばかりに恵に話を振った。


 そしてエルが昨晩夢を見たらしいこと。

 朝方には休眠状態で意識が無いにもかかわらず、エルの外殻だけが勝手に動いて、気が付いたら翔哉の布団で眠っていたらしいことを話す。



「無意識稼働系が干渉しているのかな?」



 無意識稼働系担当の舞花が首をひねる。

 隆二がそれに対して疑問を差し挟んだ。



「でもさ。無意識稼働系からの信号で人工筋肉って動くの?」


「一応、条件反射や習慣などに依存した自動処理によって、意識的な判断を迂回した一連の関連動作が引き起こされることはあるはずよ?」



 そこに恵が、何かを閃いたように口を挟んだ。



「エル……あなた、眠っている間にどんな夢を見ていたか記憶してる?」


「えっと、そうですね。翔哉さんと一緒になんだか、緑がいっぱいの広い場所を歩いていて……」



 羞恥心とかはあまりないのか、エルは少し思い出す時間を取りながらも、明け透けに夢の内容を語っていく。

 逆にそれを聞いていて翔哉の方が恥ずかしくなってくるほどである。



「それから、大きな木の根本で二人でお食事をするんです。翔哉さんがサンドイッチを食べて、その後は温かかったので一緒にそこでお昼寝を……」



 そこで朝になって、翔哉の声で起こされたらしい。



「まるで、人間が見た夢のようですねぇ……」



 隆二が感心する。



「過去の記憶とかエルの願望とかがやっぱり要素として使われたり、色々な解釈を作り出したりしているって感じなのかなー?」



 舞花もそう考えを述べた。


 確かにサンドイッチを食べるとかは過去の記憶の反芻だろうし、翔哉と一緒にまた散歩したいというのはエルの願望のようにも思える。



「でも、夢の情景に恐らくエルの記憶や知識に無いものも混じってるわね。エル……あなた草原って言われたら何か、具体的にイメージできる?」



 今度は、恵がエルに尋ねた。



「メモリー内のデータにはあります。“草に覆われて、でも木がまったくない、もしくはほとんど存在しないような大地”──ですよね?」



 それは最初のうちは正に『知識』だけというか、辞書の定義を読んでいるような説明だったが、エルはそのうちにそれが具体的にどういうものかをイメージし始めたようだ。



「あ……そうすると、私と翔哉さんがその時一緒に歩いていたのはその草原──ということになるんでしょうか!」



 自分が持っている知識と覚えている記憶とをすり合わせて、今になって思い至ったようにエルが嬉しそうにそう付け加えた。


 一方の恵はというと──。

 そのエルの答えを聞いて、自分の仮説が確かめられたかのように、こちらもどこか嬉しそうである。



「土曜日に実際にエルの記憶しているデータを映像で見てみないとわからないけど、多分そうなんじゃないかしら。エルはそういう自然がいっぱいの場所にまだ行ったことがないから、自分の見たものと草原という言葉が結びつかなかったのね!」



 しかし、それに対して今度は隆二が反論する。



「でも、それじゃおかしくありませんか?」



 首をひねりながら続ける隆二。



「それじゃ説明が付きませんよ。エルが夢で見たっていう草原の映像、その風景のデータはいったいどこからやってきたんですか? エルの知識はナビゲーションAIのようにクラウド化されてないんですよ?」



 ナビゲーションAIなどは、持っている知識が常に最新である必要があるので、定期的にネットワークなどを使ってビッグデータと交信し、アップデートされることになっている。


 しかし、ガイノイドは違うのだ。

 学習される内容の整合性を取るために闇雲にデータが更新されることはない。

 学習状態と人格の推移を、より克明にモニタリングしなければならないプロトタイプのエルについては、特にその辺りは徹底されているはずなのである。



   ◆◇◆◇◆



 その疑問に対しては──。

 さっき、何かを思いついていたらしい恵が既に答えを持っているようだ。


「そうね……。これはエモーショナルフォースの構造を構築している時から、仮説としてはあった推論なんだけど……」



 恵はエルの話を聞きながら、ちょうどその仮説について考えていたところだったらしい。

 自分の思考を少しずつ確かめながらといった様相で、一言一言区切りながらゆっくりとその仮説の説明を始めた。



「エルの感情とその感覚化、そして体の各器官と意識に干渉を与えるシステムは、人智学アンドロポゾフィーの理論から来ているのは知ってるわよね。その理論の中でシュタイナーは “人間の霊魂は睡眠中においてアストラル体をともなって肉体とエーテル体から抜け出る” と言っているわ」



 舞花と隆二はうんうんと頷きながら聞いている。

 それに対して翔哉は、そう言われても全くわからない。



「アンドロ……アンドロイドの基礎理論か何かなんですか?」


「ああ、翔哉君には少し説明は要るわよね。人智学アンドロポゾフィーというのは19世紀から20世紀にかけて活躍したルドルフ=シュタイナーが提唱した理論よ。当時は内容があまり理解されずにシュタイナーは宗教家や神秘家扱いされてしまったんだけど、その考え方は少しずつ浸透して教育論や認知学などで、応用されることが最近は増えてきているの」



 そう言われてみればシュタイナー教育とか学校とか……どこかで聞いたことがあるような?

 翔哉はそれくらいの認識だった。



「エルの感情を人間に近づけるようにエミュレートするにあたって、ガイノイドではこの人智学アンドロポゾフィーのメソッドを取り入れているのよ。感情という本来目に見えない雲のような実態を、どうやって感覚という五感に近い形に転写して電気信号化するのか……。それをまず正確に行わないと、演算しても正しい流れは作り出せないのよね」



 恵によるとその理論に当てはめた場合、エルに使われているテクノロジーは、それぞれこういうことになるらしい──。


 ◯ 外殻……“身体”

 ◯ エーテル体……鉱物的存在である身体に生命的脈動を与える要素=“電気”

 ◯ アストラル体……対象を意識化するための受け皿になるもの=“エモーショナルフォース”


 それらが組み合わさって情報が複雑に受け渡されることで、擬似的に造られた感情パラメーターとしての“波動”を意識という形で実体化し、それが演算できる電気信号に置換するための素体となるのである。



「それで言うと、エルがもし夢を本当に見ているのだとしたら、その人智学的な解釈は “人間の霊魂は睡眠中にはアストラル体をともなって肉体とエーテル体から抜け出る” わけだから……つまり、エモーショナルフォースが外殻から抜け出して、外部からの情報をどこかに受け取りに行くって──そうことになるんじゃないかしら?」


「はい、せんせーい!」



 隆二が手を挙げる。



「エルの場合、その霊魂ってどうなってるんですか?」



 そう聞かれて、恵の顔が曇る。



「……それなのよね。その部分で、私達──私と宗一郎さんは開発の初期に行き詰まっていたの。だけど、そこで委員会カウンシルの黒崎さんがやってきて、彼から “ある装置” を受け取ったのよ」



 この話はスタッフ内でもこれまであまり表沙汰にはなっていなかったらしく──舞花がそんなの初めて聞いたといった様相で叫んだ。



「まさか、それが “霊魂発生装置” ってことですか!?」



 それに対しても恵は真摯に答える。



「実を言うとね。それがまだいまだにはっきりとはわかっていないのよ。少なくともある種のフィルターとして機能していて、エモーショナルフォースや意識されている各感覚の情報を、パターンとして演算した上で、記憶として出力する……そういう働きをしているのは確かなんだけど……」


「それが“自我”とか……?」



 思わずそう尋ねてしまった翔哉なのだが、これは全く的外れな意見だったみたいで、その場にいるみんなの集中が緩んだ。

 そしてよく分かっていない翔哉に対して人格系担当の隆二が説明してくれる。



「いや、翔哉君。自我はむしろ人格側にあるんだ。蓄積された記憶からある種の偏った価値観が作り出されて、それを通ることによって“その人らしさ”というフィルターがかかる。それが自我なんだよね」


「恵さんが言っているのは、むしろそうやって自我として自己解釈される以前の感覚情報が、どうやって意識としての一貫性を保ちながら、情報として転写されるか……ってそのへんのところよね?」



 舞花もそう言って納得しているようだ──しかし。

 だめだー……やっぱり翔哉にはよくわからなかった。

 ギブアップである。


 簡単に言うと、エルの意識が眠っている間に何らかの形で、自分が経験していない情報をどこかから引っ張ってきているのではないか……?

 どうやらそういうことらしいのだが──。



「どこかから?」


「どこでしょうね?」


「???」



  ◆◇◆◇◆



「でもそう考えればあの夢のことなんかも、うまく説明がつくような気がするんだよな……」


「あの夢? エルのことかい?」

 


 思わず小声で呟いた翔哉の言葉に、気がついた隆二がそう尋ねてくる。



「あ、いや、違うんです隆二さん。これは僕がこの世界に転移する以前のことなんですけど……」



 この世界に転移する前。

 一週間ぐらい前から何度か見たエルが出てくる夢……。

 あれは──今考えると──。



「何よそれ! ほとんど予知夢ってのに近いんじゃない!?」



 エルを守って刺された時とよく似た夢──いや今考えるとほとんど状況的には同じ夢かも──を、この世界に転移する前に見たことを翔哉が話すと、舞花が横から隆二より早く突っ込んできた。



「もしその話が本当だとすれば、翔哉さんはその時に夢を通じて異世界の情報──それも時間座標における未来の自分の記憶情報にまでアクセスした可能性がある……そういうことになるわね」



 恵も興味深そうである。



「そんなこと──」


「確かにそうそう起こるものじゃない。でもそこに外部ファクターからの意図的な刺激があったと仮定すれば、夢の性質とその後の推移から言って可能だったと考えられない?」



 思わず舞花が反射的に否定しようとしたのだが、恵はその可能性が充分にあると見ているらしい。



「実際その直後に、翔哉君はこの世界へ転移したわけですしね」



 隆二も頷いている。



「でも──」



 舞花はどうにも釈然としないようである。



「だとしてもよ? それじゃその外部ファクターって言うのは何になるわけ?」



 ──その舞花の問いに答えられる者は誰もいなかった。


 何よりこの異世界転移という現象自体が、今のところ科学的な論拠など何処にもない、まるで魔法のような産物なのだ。



「ただこれも貴重な情報のひとつだとは言えるでしょうね。夢というビジョンが意識に刷り込まれるメカニズムに迫ることができればその謎も解けるかも……」



 恵が考えながら言葉を紡ぎ出す。



「いずれにしても、現状私達が知っている情報だけでは足りないわ。何か他にもイレギュラーなファクターが絡んでいる可能性は高い──そう見るべきね」



 それを一つ一つ裏付けていくためにも、まずは土曜日にエルの意識データのバックアップを取ってからだろう。

 人間の夢の話はともかくとしてガイノイドの意識情報に関しては、少なくともはっきりとした形でデータは残るのだ。

 雲を掴むような話ではあるものの、今回ばかりは何らかの糸口を掴むことができるのではないだろうか?


 そう楽観的になれる要素がある気が恵にはしてきていた──。

 

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