77 話 初めての夜
翔哉がお風呂から上がってくると、エルは花柄の可愛らしいルームウェアに着替えて待っていた。
ルームウェア──いわゆるパジャマである。
「これも……舞花さんの?」
「いえ、このパジャマだけは、恵さんのものなんです!」
いつも通りこれも嬉しそうに答えるエルだったのだが──。
実はこれ舞花がネグリジェ派で、自分のものはスケスケのネグリジェしかなかったからなのである。
しかもそれをそのままエルに持たせようとしたのを、偶然隆二に発見され……。
「ちょ、舞花! お、お前……なんちゅうものをエルに着せようとしてるんだ!」
「アンタこそ見るんじゃないわよ! この変態!!」
「い、いや、その、だから、そういう問題じゃなくてだな。それはいくら何でもマズイって──!」
「マズイのはアンタでしょうが!! セクハラで訴えるわよ~この~!!!」
「そーゆーことじゃないんだよー」
……などと、すったもんだの末。
最終的にやっと恵にまで話が行きついたことで、結局彼女が普通のルームウェアをエルに貸すことになったという──そういうわけなのだ。
しかしである。
実際にその恵のパジャマを来たエルはというと──!
確かにそれはスケスケのネグリジェではなかったものの、少しサイズが大きめのパジャマを着たエルは、ゆるい首元にルーズに見え隠れする肩などという──またいつもとはちょっと違った意味で色っぽい感じになっており……。
ちょうど“裸ワイシャツ効果”とでも名付けたくなるような艶めかしい恰好になっていた。
「ちょっと大きめなんだね。そのパジャマ……」
翔哉は、もちろんドキドキして落ち着かないことこの上ない。
それもそのはず。
持ち主の恵そして舞花すらも意図しない形で、そのちょっと大きめのパジャマはとんでもなく“けしからん”姿のエルを、その場に出現させる結果となっていたのである!
胸元はゆったりと肌の露出する空間が確保され。
右と左で非対称に……そして程よくだらしなく肩がずり落ち。
それがまた、まるで胸元を強調するように可愛らしい襟を弛ませる──。
一言で言えば……それは正に“反則技”そのものの姿だったのだ。
このように一緒に暮らすとなると、これからは様々な私服ファッションのオンパレードになっていくわけで……。
翔哉は、この先自分の心臓が保つのだろうかと、だんだん心配しなければいけないことになりそうだった。
◆◇◆◇◆
そこから二人で寝室へと行ってみると、ベッドはメイキングが既に出来ている状態だった。
「ここで眠るんですね。私はこういうの初めてです」
これまでは休止する時はいつも休眠カプセルに入っていたのだ。
こうして、人間と同じ様にバッテリーが切れていない状態で、自分から意識を休眠状態に移行させて眠るのはこれが初めてなのである。
そういう意味では、エルはこうして素直な感想を発しただけだったのだが、それが余計に翔哉の心臓にまた負担を掛ける結果になっていた。
そう。
これから寝るのである。
それもエルと一緒の部屋でだ。
ちなみに白瀬からは、一緒のベッドで寝ても良いんだよ?
──と持ちかけられた後。
耳元でこっそり。
「これはひとつの実験カリキュラムなんだ。別の部屋で寝ようとかするのは却下だからね」
──などとさり気なく釘を刺されており、既に彼の退路は絶たれていた。
となると……手段はひとつだ!
ガラッ。
翔哉は収納を開けて中からもう一人分の布団を取り出す。
それをおもむろにベッドの横に敷き始めた。
「あの……」
黙々と作業に没頭しようとする翔哉に、エルが遠慮気味に言おうとする。
「私なら翔哉さんと一緒に寝てもかまいま──」
「駄目! 絶対!!」
考えたことがそのまま声に出てしまう。
かなり気持ちに余裕が無いらしい。
「あー、いや、エルが嫌いとか一緒に寝たくないとかじゃないんだけど……」
“こんな格好の君と一緒に寝たりなんかしたら、僕のほうがおかしくなっちゃいそうなんだよ!”
……などとエルを前にして言えるはずもなく。
「私は……翔哉さんと眠る時も一緒にいたい……ですけど……」
そこでまたエルが、掛け布団で口を隠すような仕草をしながら、そんなことを口にするからたまらない。
それがまた憎いほどいじらしいのである。
──その度に翔哉の理性がザクザクと音を立てながら削られていく。
しかもこれが……断じてカマトトなどではない。
彼女としては単に自分の気持ちを必死に伝えているだけ。
本当にまだ何も知らないだけなのだ。
エルはまだ男性の心理や生理などというものを、全く知る由もなく理解していないだけなのであった。
こうして時に、無垢とは最終兵器になり得るのだということを、翔哉はその夜思い知ることになったのである。
◆◇◆◇◆
────。
エルを傷つけないように、あの後はなんとか『男の子は好きな女の子といると色々大変なのだ』ということを誤魔化しながら簡単に説明し、それによってエルも一応納得してくれたらしい。
理性を紙一重で保って、翔哉はやっとの思いでベッドの横に敷いた布団に潜り込んでいた。
ベッドの方を見てみるとエルもこっちを見つめている。
まだ少し寂しそうな様子のエルを見て、翔哉は布団から手を出して彼女に向かって伸ばした。
それを目にすると──エルは途端に笑顔になって、その手を大事そうに両手で包み顔の方まで近づけた。
なんだか悪いことをしちゃったのかな……。
そんなエルを見ていると、一緒にベッドで寝ることを拒んだ自分が何だか狭量で小心者のような気がしてくる。
ふと気が付くと、エルがそのままじっと翔哉を真っ直ぐ見つめ続けていた。
「うん? どうかした?」
ちょっと、こそばゆい思いを感じながら翔哉が尋ねる。
するとエルがゆっくりと自分の中の何かを噛みしめるように口を開いた。
「私は……」
「うん」
「……夢を見ているんでしょうか……?」
そうぼんやりとした顔で呟いた。
「夢?」
翔哉は最初、エルが何を言おうとしているのかわからなかった。
「はい。いつか人間になって、こんな風に翔哉さんと一緒に暮らせたらいいのに……そんな夢を見ていました。翔哉さんと別れてから休眠カプセルの中で」
懺悔するようにそう言うとそっと目を閉じる。
「私はそんなことを考えちゃいけない存在なのに──」
翔哉はエルの頬を優しく撫でながら言葉を探した。
「見ちゃいけない夢なんて……無いよ。エル」
エルがそんなことを口にする度に、翔哉は自分の胸の中で強い気持ちが抑えられなくなりそうになる。
「でも……何だか不思議です。こうしてまた翔哉さんと一緒にいられるだなんて……」
そう言いながら、本当に幸せそうな顔でエルは自分の手元にある翔哉の手をもう一度近くに引き寄せた。
「僕もだよ。エル。本当にまるで夢のようだよね……」
エルともう会えないと思った時の絶望感を思い出す。
それはまるで、前の世界で暮らしていた日々のようで──。
「でも、夢じゃ……ないんですね……」
「うん──夢じゃない」
二人で頷き合い。
額をコツンと合わせて微笑み合った。
もう今夜からは門限を気にする必要もない。
こうして、ずっと一緒にいられるのだ。
その幸せをゆっくりと噛み締めながら……二人は眠りに落ちていった。
◆◇◆◇◆
次の日は、自然に目が覚めた。
エルドラドに出勤していた時は朝6時に起きていたことを思うと、太陽が昇ってから起きたらいいという生活になると、目覚ましが必要無い気がしてくる。
朝は10時か11時くらいに研究所に顔を出してくれればいい……そうと言われていたので、昨晩は特に目覚ましはセットしなかったのだ。
外はもう明るい。
そして、今の時刻は……と。
ゴソ──。
枕元に置いてある腕時計型の端末を取るために、布団の中から手を出そうと動かすとそこで何かが翔哉の手に触った。
──あれ……こんなところに何か固いものなんかあったっけな?
そう思いながら掛け布団の中を確認する。
すると……!
「おわぁ~~~っ!!」
エルが翔哉の体にすがり付くようにそこで眠っていたのだった。
今の翔哉の声で休眠状態から覚めたのか──ごそごそと彼の横で動き始める。
「あ……。翔哉さんおはようございます……」
眠りから覚めて一度目を開けてからも、眠たそうに手で瞼をこするような辺りは、本当に人間の仕草のようだった。
エルの体は人の体温のように温かく、腕とかに少し硬い部分があったものの……胸は柔らかかった……ような?
翔哉は思わず、エルの体の感覚を反芻してしまいそうになりながら──慌てて頭を振った。
「エ、エル。どうして僕の布団の中に!?」
そう聞くと。
エルは自分では動いたつもりは無いとのことだった。
どうやら昨晩ベッドで休眠状態に入ったところまでしか、彼女も記憶は無いみたいである。
「昨日の夜、横になって翔哉さんとお話していて……そのうち翔哉さんが先に眠ってしまって。私も気持ち良くなってきたのでそのまま休眠状態に移行したんですけど──」
そして気が付いた時にはここで眠っていた。
翔哉の声で、今、目を覚ました……のだと言う。
そして眠っていた間は、何だかまた夢を見ていたらしいのだが──。
「それって、まるっきり人間とおんなじじゃないか!」
そこまで克明に眠っている時の意識状態を再現できるものなのだろうか!?
僕の前いた世界では、何故夢を見るのかってまだ解明されていなかったんじゃなかったっけ?
不思議に思いながら──翔哉はエルと一緒に研究所まで行って、そこで色々と聞いてみることにした。




