76 話 ひとつ屋根の下
エルが再び目覚めた次の日。
地球暦9月7日の水曜日。
翔哉とエルが一緒に住む家の準備ができたというので、開発のみんなも一緒に見に行くことになった。
そしてエルと翔哉の二人は今日からそのまま入居することになる。
その家は研究所から歩いて5分。
日当たりのいい綺麗な2LDK物件だった。
しかも新築の一戸建てである。
「ほら、これだとエルを交えての新生活にもってこいでしょ?」
そう白瀬は事も無げに言ったものの、これには翔哉もびっくりしてしまった。
「へぇ、研究所の近くにこんなに広くて良さげな物件あったんですねー」
隆二も感心しているようだ。
「研究所や工場関係者でも、家族で住むことになる場合は結構あるからな。まあ、俺達独身貴族にゃ関係ない話なんだけどね、うん」
かく言う白瀬は、古いタイプの狭い平屋に昔から住んでおり、隆二はというと研究所近くのワンルームマンションに住んでいた。
そして舞花と恵は、研究所から歩いて15分くらいという少し遠目の1LDKマンションに住んでいるという。
こちらはかなりいい物件で隣の部屋同士とのことだ。
地球暦に入ってからは、住居は全て行政府管轄の組織が管理しており、契約も転居もそれまでよりずっとスムーズになったのだそうである。
「新婚生活よー、新婚生活! 私ちょっと次の土日にでもエル用の服を見繕って来なくっちゃ!」
「それ経費で落とすから、領収書忘れないでおいてくれよ?」
翔哉達の新居に上がりこんでからは、テンションが上がりっぱなしで興奮気味の舞花に、白瀬が冷静な口調で事務的な一言を入れる。
「舞花お前、あんまり趣味に走り過ぎた変なヤツ買ってくるなよー」
「いつ私が変な服をエルに着せたっていうのよ!!」
隆二がいつものように注意するのだが、やはりというかまともに取り合ってもらえないようだ。
「舞花ちゃん、よかったら私も付き合おうか?」
「いいんですか? 恵さん!! 私、エルに似合う色がわからなくって! 恵さんなら髪の色も似ていますもんね!」
「恵ちゃん、舞花のお目付け役頼んます!」
こうして服の買い出しには、恵もついていくことになったらしい。
エルの服のサイズは、舞花のサイズにぴったりなのだが、髪の毛の色や髪型なんかは恵のほうが少し近い。
二人がいつも一緒にエルの服を選んでいるのは、こういった理由もあるようなのだ。
◆◇◆◇◆
こうして、ほぼ新築状態の屋内を間取りを確かめながら、みんなでゾロゾロと一部屋ずつ部屋を確認していく──。
日当たりのいい、奥まで縦長の広い部屋がリビングになっており、奥にダイニングキッチンがある。
その他2つある部屋のうち、ひとつに大きなクローゼットとベッドが設置されており、ここが寝室ということになるらしい。
「ああ。あいにくベッドはひとつしか付いてないんだよなぁ」
寝室を眺めながら白瀬がわざとらしくそう言ってみせる。
「あの……今更なんですが、エルは夜には普通に眠るんですか?」
翔哉が遠慮がちに聞く。
「うん。これまでは夜になると一日毎に毎回バッテリーを落として、データのバックアップやら分析なんかを行なってきたんだけどさ。これからはより実践的に一週間の連続稼働を目指したいんだよ。エルのバッテリーはフルだと170時間保つからね」
そこからは恵が補足するように説明する。
「肉体的な疲労はあまり考慮する必要がないと思うんだけど、これまでのモニタリングでもエモーショナルフォースによる精神的疲労はあるみたいなの。だから夜はバッテリーを落とさずに、でも翔哉君と一緒に休眠状態に移行することで安静にする方がいいと思うわ」
「一緒に眠るってことだな。まあ、それもまたテストってことだ。ベッドも多少広そうだし……別に良いんだよ? 二人で一緒に寝ても!」
白瀬がまた煽るようにそう言う。
「い、いえ……遠慮しておきます」
翔哉は少しドキドキしながらそう答えた。
そこまでのやり取りを聞いて、バッと勢いよく翔哉の前に出てくる者がいた。
言わずと知れた舞花である。
もう辛抱たまらんと言うように、舞花は顔を真っ赤にしながら翔哉を指差してこんなことを言い出す──。
「いい? 王子様! キス……までは許すわ!! でも……むぐぐ!」
偉そうな口調でそう何かを宣言しようとしたのだが──隆二にすぐさま取り押さえられて未遂に終わってしまう。
──それを見ながら白瀬がボヤいた。
「ああー。何だか狙いとは違う魚が釣れちゃったみたいだなぁ……」
そして頭を掻きながらしょうがないと言った感じで説明を始める。
「なんだかさぁ。舞花が誤解を招きそうなこと言っちゃったんで、そこはちょっと最初にはっきりさせといた方がいいかな?」
意味ありげにそう言うと、翔哉に顔を近づけて白瀬はシリアスに迫ってきた。
「んー実はな、翔哉君。ガイノイドの設計段階では人間との色恋沙汰的なことは全く想定されていなかったんだ。だから最初にはっきり言っとくと、いわゆるエッチはできんのだよ。意味わかるよね、これで?」
いつも通りのあっさりとした口調だったものの、そこまではっきり言われてしまうと翔哉も耳まで真っ赤になってしまう。
「は……はい……。問題ないと思います」
そこからは恵がまた詳しい説明をしてくれるようだ。
「でも、エルの電子神経系は人間のA10神経を模倣して造られているから、精神的なストレスの解消にスキンシップはとても有効なのよ。だから翔哉さんもあんまり恥ずかしがらずに、大切だっていう気持ちをできるだけ態度でエルに示してあげてね?」
そう言って、懐くように側にいるエルを優しく撫でる恵。
そんな時のエルというと。
少し顔を赤らめながら恵に寄り添って気持ちよさそうに目を閉じている。
まるで猫のようである。
だいたいこうして、みんなで各部屋の現状確認が終わった頃になって、ちょうど頼んでいた出前が到着したようだった。
初日の今日は、夕飯を用意するのも面倒だろうということで、白瀬がお寿司を頼んでくれたのだ。
みんなで大きめのリビングに移動してテーブルの周りに座ると、目の前に到着したばかりの寿司桶がいくつか置かれていく。
そして、それぞれ思い思いにお寿司をつまみながら、これからの生活と研究プランがゆっくりと説明されていった。
今回行われるエルとの生活の大まかな計画としては──。
エルは、今回フルバッテリー充電でのテストも兼ねているため、翔哉とこの家で一緒に寝泊まりすることになること。
その間は今回はリアルタイムのモニタリングも行われないこと。
そしてメンテナンスも最小限しか実行されないこと。
そういうことになっていた。
一方でウイークディに関しては、昼間については基本翔哉はエルと一緒に研究所に顔を出し、だいたい夕方になったら家に帰るというサイクルで良い。
また翔哉に対しては、今後もエルの内面である意識データ及び記憶データなどは開示されることはないが、ガイノイドの仕組みや構造などについての情報に関しては、望めばその都度学習することができる。
そして一週間に一度、土曜日くらいを目処にして研究施設でバッテリーを充電し、稼働データや意識データなどのバックアップを行うこと。
だいたい、こういう研究プランになっているとのことだ。
「私、できるだけ翔哉さんが快適に生活できるよう頑張りますから!」
そう張り切って言うエル。
それを聞いて、みんなが同時にそれぞれの反応をする。
「新妻だねぇ」と顎髭をイジる白瀬。
「正に新婚よね!」力を入れてはしゃぐ舞花。
「楽しそうで何よりだわ」静かに微笑む恵。
「まあ、いいんじゃないかな、うん……」
──隆二についても、最近は翔哉と仲良く話すようになってきたことも影響しているのか、エルと翔哉の関係については前ほど懐疑的な態度を示さなくなってきている。
「まあ、みんなも8月中は不眠不休に近い体制でやってきて、今は体力的にも限界のはずなんだ。なんでここしばらくは、だいたい9時5時勤務を守るようにして、まずは体調を整えてくれ」
こうして、夕食を終えると研究所のみんなは揃って帰っていった。
◆◇◆◇◆
家の中が急に静かになる。
後には、エルと翔哉の二人が残された。
もう暗くなって明かりが点いたリビング。
さっきまで大人数が座っていたダイニングに二人きりで座る。
改めて見回してみると洋風の綺麗な部屋──そしてコンパクトだが行き届いた一軒家であった。
比較的大掛かりなキッチン。
そしてその手前に二人が今いるダイニングテーブル。
そこからは広い空間が採られており、テレビのある前には柔らかいカーペットが敷かれている。
その奥にあたるキッチンと反対側の端には、昼間は明るい日差しがいっぱいに差し込むであろう大きな窓が採られていた。
これまで充てがわれていたワンルームとは大違いである。
しばらく──。
何事もなく静かに座っていた二人だったが、エルが気が付いたようにお茶を入れてくれる。
「ありがとう」
「もう少ししたら、お風呂が沸きますから入って下さいね」
「う、うん」
お風呂と聞くと、昨日のこととか宙を舞ったバスタオルとかが、どうしても思い出されてしまう。
「お背中──流しましょうか?」
「い、いや……大丈夫。一人で入れるよ、うん」
そう言って反射的に席を立ってしまってから、恵の言葉を思い出してエルの方へと一度近づいていく。
「エル……本当に無事でよかったよ」
そう声を掛けた。
それは実感のこもった翔哉の本心だった。
「翔哉さん──」
翔哉の言葉を聞いて、少しエルの目が潤む。
「私も……もう逢えないかと思っていました」
「でも、また逢えたね」
「はい!」
そう言って少し笑ったエルを、翔哉が近づいてしっかりと抱き締めた。
ダイニングに投影されている影がひとつになる。
そして、その一緒にいるという感覚が幻でないことを確かめるように、その揺れる影は重なり合ったまましばらく動くことはなかった──。




