75 話 エルとの再会
取り合えず当初は、土日の二日だけを白瀬の部屋で泊めてもらう予定だった翔哉なのだが、新居に入れるのが水曜日からという事情になったこともあり、その後も研究所から一緒に帰ってそのまま転がり込むという流れになっていた。
日々打ち解けて、ますますざっくばらんに会話するようになっていった白瀬と翔哉だが、それでも白瀬の好奇心や知識欲には際限が無いようで話が途切れるようなことはなく──。
その結果、今日も今日とて白瀬とは夜な夜な異世界文化論が、ビールを片手に花開くことになっていた。
政治、経済、文化、そして科学……様々な分野についての話題を白瀬は求めたのだが、どれくらい満足のいく答えを返せたのか翔哉には自信がない。
何しろこれまでは、あまり物事に深く興味を持って来なかったのだから。
それでも、直近のワールドカップの成績やオリンピックの開催地、歴代の総理大臣や大きなニュースになった事件とかの話だけでも白瀬は十分面白かったようで、話はどこまでも尽きることがない。
ただ、白瀬としてはやはり興味があるのはAI関連の話のようで、魚が回遊するように話は定期的にそこへと戻っていく。
「ふーん、なるほどね。翔哉君の世界では、やっぱりAIは文化的な存在として捉えられていたってことだな……それが2019年まで続いた訳か。それも少なくともだろ? こっちの世界では確かに戦争によって、AIは急激に進化したけれどもそれはアンダーグラウンドでのことであって、加えて戦後は労働力を賄うためだけにそれが利用されたんだ」
白瀬は3本めのビールを開けて、それをコップに注ぐと少し口をつけた。
「これだとアンドロイドの立場は言わば移民労働者みたいなもんだ。人間側にとっては対抗意識や差別意識の方が大きく育ってしまうんだな。それが、翔哉君の世界と俺達の世界の文化的素養の違いとして現れてしまったってことになるのかもなぁ」
そこまで言って、白瀬はまたビールでゴクゴクと喉を潤しながら、今度はおつまみのアタリメを口に放り込む。
もそもそと口を動かしながら何か考えている様子である。
翔哉はというと、帰りに買ってきた緑茶を飲みながらチョコを食べていた。
転移する時に19歳だったと翔哉に聞いた白瀬からは「じゃ、今だともう20歳過ぎてるんじゃないの?」とビールを勧められたのだが一応遠慮したのだ。
「エルのようなガイノイドが芽吹く苗床としては、明らかに翔哉君の前いた世界のほうが理想的なんだよなぁ。むしろ、俺の方が翔哉君のいた世界に転移して研究を続けたいくらいだよ……」
心底残念そうにそう言ってため息をつく白瀬だった。
ここのところ、白瀬からは夜ごとにこの世界でのアンドロイドの実情や、大衆の偏見についての愚痴や苦労談を聞かされていたので、翔哉にもそれはあながち冗談には聞こえなくなってきていた。
◆◇◆◇◆
そして、次の日になった。
今日は地球歴24年9月6日の火曜日。
昼頃には社内便で翔哉のIDカードが届けられる予定になっている日である。
舞花は、朝からまたスーツケースを研究所内に持ち込んでいた。
「これって全部舞花さんの私物なんですか?」
「そうよ?」
そこで行きがかり上、エルの身体が舞花の体型から象られたという説明を受けた翔哉なのだが……。
そこでいきなり──。
はっと何かに気が付くと舞花が急にこんなことを言い出す。
「だからって、エルを見ながら変な想像したら駄目だからね!」
「し、しないですよ。しないです。はい……」
とばっちりだと思いながら、翔哉がすぐにそう返事をすると、今度はまた何かを感じたらしくムッとする舞花。
「──何だか、それはそれでムカつくわねー」
「………」
舞花はどうにも気に入らないらしく不機嫌そうだ。
難しいお年頃という奴である。
そう軽口を叩きながらも、相変わらず服を色々と引っ張り出しながら、舞花は悩んでいる様子だ。
自分の金髪を翔哉に示しながらこう愚痴る。
「でも、私ってこんな髪の色でしょー。私の持っているものから、エルの綺麗な栗色の髪に似合う色目の服を見つけるのって難しいのよねー……」
女性が自分の服や私物を選り分けている様子を見ているのも、翔哉としては少し気が引けるシチュエーションだったのだが、今は舞花と一緒にいることになっている時間帯で勝手にあちこち自由に歩き回るわけにもいかない。
舞花の話を聞きながら少し目のやりどころに困っていると、服と一緒に近くに投げ出されていたバッグから、ひとつのアクセサリーが翔哉の目に止まった。
「あ……これって」
それは最終日に翔哉がエルにプレゼントした、星があしらわれた金色のバレッタだった。
「そう──。これは私のじゃない、数少ないエルの私物よ。それもとびっきり特別な、ね!」
そう言って翔哉にウインクしてくる舞花。
それからすぐに真面目な顔に今度は切り替わる。
「あの夜。電源が切れるギリギリまで動いていたのよ……あの娘。それで最後はバッテリー切れで倒れちゃったんだけど……」
そうやって外殻が停止してからも、エルはこのバレッタをしっかりと握ったまま、なかなか離そうとしなかったのだそうだ。
「あんまりあなたには、エルの心の中とか言っちゃいけないんだけどね。最後の日に翔哉君の目の前でバレッタを外したのだって、あの時吹いていた強い風であなたにもらった大事なバレッタが飛ばされないようになのよ?」
ため息をつく。
「決してあなたを拒絶してなんかじゃないの。その辺……わかってあげてよね?」
「ええ……そうなんじゃないかと思ってましたよ」
「そうよね。あなたはああして嫌われようとしてたエルの真意を、あの場で見抜いた人だもの。私が出る幕はないか!」
舞花はそう言って、照れ隠しのように自分の頭を叩くとテヘペロのような仕草をして見せる。
コロコロ表情が変わる彼女は見ていて飽きなかった。
「さて! これで決まりっと!」
──ボスン!
スーツケースを舞花が勢いよく閉める。
「そろそろ時間だわ。社内便が届く頃よ。屋上に向かいましょう!」
それにしても気持ちの切り替えが早い人だ。
翔哉は少し驚きながらも慌て気味に舞花の後をついていく。
屋上……そう。
定期社内便はドローンで届くのである。
◆◇◆◇◆
遠くから小型のヘリコプターのようなものがパタパタと飛んでくる。
あれが……ドローン?
一応前の世界でも噂には聞いていたのだが、翔哉は動画サイトなどで見たことがあるだけで、実際に見るのは初めてだった。
近づいて来るとわかったのだが、実際にはヘリコプターのようなバタバタな感じではなく、ブーンと言った感じのプロペラの音。
そして、そのドローンがサッと上空まで素早く到達すると、そこで姿勢を制御するために一旦止まった後、キビキビとこちらに向かってきた。
社内便が入ったダンボールをアームで掴んでいるようで、目標地点にの真上に到達するとそれがスルスルと下に伸びてくる。
屋上の中心地点には、受け取るための容器のようなものが用意されており、ある程度の高さまでダンボールの位置が降りて来るとそこに落下させるのだ。
容器には下向きにだけ開く蓋が付いており、それが上から物が乗ると真ん中で割れて中に収まるという仕掛け。
──そして一度蓋が閉まると後は雨が降っても大丈夫……そういう仕組みになっている。
ドスッ!
最初から何が起こるかわかっていると、案外大したことではないのかもしれないが、初めて見ると「おおーっ」という感じである。
周りに集まっていた開発課のみんながゴソゴソとダンボールを取り出して、すぐにその場で箱を開ける。
すると中には──。
「ジャジャーン!」
舞花がみんなに見せびらかすようにカードを示す。
しっかりありました。
IDカード。
翔哉は今回このIDカードのために、写真を撮ったり送ったりした覚えはないのだが、このIDカードに使われた写真は住民登録時のデータなのだそうだ。
つまり最初に再配置局──つまり「職安」で撮影されたデータが今後どんな時にも使い回されるということらしい。
そんなところも、管理社会なんだなあと翔哉には感じられてしまう。
ともかくこれで問題はクリアーされた。
後はこれを身に着けて研究棟に入り、エルを目覚めさせる現場に立ち会う。
その時を待つばかりである。
◆◇◆◇◆
研究棟の前のセキュリティを無事通過し、みんなで揃って地下にある第三研究室に向かう。
第三研究室。
エルを最初に目覚めさせた場所──。
そして8月中はエルが研究所に戻った後、毎日のデータ保全を行なっていた場所でもある。
そこで今のエルは眠り続けているのだ。
ただ、最初の時のようにパーソナルデータを移動させたり、エモーショナルフォース制御機構を起動したりする必要がないので、今回の覚醒作業はそれほど煩雑ではない。
毎日朝に起こしていたのと基本同じ要領でいい。
そのため今日はみんなもリラックスした表情で、部屋に入ると勝手知ったる感じでいつもの作業を始めた。
中央のカプセルに入ったエルは、今は擦りガラス状の上蓋で覆われているものの、中では裸体状態で横になっている。
そこで恵が翔哉に大きなバスタオルを渡した。
「翔哉さん、あなたがエルの近くで見守っていてあげて。そして目が覚めたら、服を着るまではこれで体を覆ってあげてね」
エルは恥ずかしかったり寒がったりすることはないので、これまでこういうことは特にしていなかったのだが、今回のこれは主に翔哉の気持ちを考えての演出である。
翔哉は、恵にそう言われて受け取ったタオルを持ちながら、こわごわと様々な計器類やチューブが行き交う部屋の中心へと足を踏み入れていく。
自分がここに居ることに対してまだ場違いな感じがしつつも、目の前に目覚めを待つエルがいるのを見て、胸の鼓動は早鐘のように打って止まらなかった。
「ほら、エルが目を覚ますぞ。しっかりな」
翔哉に白瀬が声を掛ける。
緊張してバスタオルを構える翔哉。
エルの眠っているカプセルが介護ベッドのように起き上がり、中からエルの美しい身体が姿を表す。
翔哉が目のやり場に困ってドキドキしていると……そこでぱっちりとエルの瞳が突然見開かれた。
まっすぐに目の前にいる翔哉を見つめるエル──。
「お、おはよう……エル」
極度の緊張で、翔哉は自分でも何を言っているのかわからない。
早くバスタオルを渡さなきゃ……いや、自分が掛けてあげるんだっけ!?
翔哉の頭の中は大混乱である。
一方エルは、最初何が起こったのか全く理解できなかった。
自分はもう目を覚ますことがないかもしれないと覚悟すらしていたのだ。
それが、この日覚醒状態になる命令が何の予兆もなく突然実行され──。
目を覚ますと目の前に──翔哉がいたのである。
もう……会うことはできないと思っていた一番大切な人が。
「翔哉さん!」
バスタオルを掛けようと手を広げた翔哉の胸の中に、エルは思わずそのまま飛び込んでいた。
その勢いで、翔哉の手からタオルが飛び跳ね、本来の働きをすることなく宙を舞う。
「翔哉さん! 翔哉さん……翔哉さ…ん……!!」
泣きながら、エルは翔哉の胸の中でそう繰り返す。
翔哉は、顔を真っ赤にしたまま、どうしていいかわからず。
舞花は涙ぐみながら恵に肩を抱かれ。
苦笑する隆二の横で白瀬がうんうんと頷く。
そんななごやかな雰囲気に包まれながら、またここから翔哉とエルの新しい関係が始まったのである──。




