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72 話 白瀬と翔哉(後編)

「谷山翔哉君……俺は君をこれからうちの研究所のスタッフとして、新しく迎え入れたいと思っているんだ」



 それは翔哉にとっては思いも寄らない言葉だった。



「ぼ、僕が……エルの研究所のスタッフにですか!?」


「そうだ。そして、その君の存在こそがこの窮状のエルを助け、彼女を延命するための切り札になるんだよ」



 白瀬はあっけに取られる翔哉の前で──自信満々にそう言い切って見せた。



「僕が……切り札……」



 翔哉は流石に驚きを隠せない様子である。



「実はね、翔哉君」



 一旦そこで止まって、翔哉を観察する白瀬。


 さっきまでの澱んだ感情は見られない。

 どうやらエルと一緒にいた時のいつもの彼に戻ったようだな?

 それを確認すると白瀬はそんな翔哉におもむろに話し始めた。



「ガイノイドの製品化は凍結されてしまった。つまりガイノイドプロジェクトは頓挫してしまったんだよ」


「え!? それじゃ、エルはこれからどうなるんですか!」



 その告白に驚く翔哉。



「あの夜以来今はまだ眠ったままだが……このままではエルの意識は存続を許されなくなってしまうかもしれない」


「消されてしまうんですか?」



 白瀬はそれに静かに頷く。



「このままではね」 



 しかしすぐに顔を上げると、前を睨みつけるように言葉を強めて言った。



「ただ俺達研究者もそれで諦めてしまうつもりは毛頭ないんだ」



 次は真剣な目で翔哉が頷いた。



「今の状況は一先ず製品化が凍結しただけに過ぎない。言い換えればこれは無期延期だ。すぐに研究を中止しろというわけじゃないんだよ。それは事と次第によってはガイノイドの研究を続けられる余地がまだあるということだ」


「…………!」



 翔哉としては、相変わらず色々なことが一度に起こり過ぎて、多少混乱気味ではあったものの、何とか白瀬の話についていく。

 ──何しろ事はエルが生きるか死ぬかの話なのだから!



「そのための問題は今のところ2つある。ひとつは研究を続けるための有用なテーマ。そしてもうひとつは目覚めた後のエルの精神状態の安定なんだよ」



 翔哉はまたこくりと頷いた。



   ◆◇◆◇◆



「ガイノイドの運用ではもう君もわかっている通り、精神状態を安定させることがとても重要なんだ。それによって稼働効率は性能以上にも、そして逆にゼロ近くにもなってしまう」


「それは……なんだかわかる気がします」



 エルをしばらく近くで見ていた翔哉にも実感があった。

 それは気分次第というより、むしろ人間と同じ様に感情が大きな影響力を持っているが故に、どうしても左右されてしまうという類のものなのである。



「まずそういう観点で言えば、エルを今後目覚めさせるにあたって、君がそばにいてくれるのといないのとでは、エルの精神状態に計り知れないほどの差が出てきてしまう」



 白瀬はそう言うと次に翔哉にこう投げかける。



「それはさっきまでの君が、エルを失って鬱に近い状態にまで陥っていたことからしても、よくわかる話だろう?」


「そ、そんなに酷かった……ですか?」


「うん。あれはもう少しで通院しないといけないレベルだねぇ!」



 翔哉が恥ずかしそうにそう聞くと、白瀬も冗談めかしてそう応える。

 その是非はともかくとして、確かに翔哉にもそれはわかる気がしていた。


 自分が大切だと感じている存在が側そばにいないこと。

 ましてや、もう二度と会えないかもしれないということが、どれほど辛く悲しく心細いことなのか……。

 それは翔哉自身が嫌というほど思い知らされていたのだから。



「だから俺達開発者としては、君にはどうしてもエルのそばにこれからもずっと寄り添ってやって欲しいと願っているんだ。今のエルは君にただ信頼を寄せているだけではない。彼女自身の意識はまだ表層上は気が付いていないかもしれないが、君の存在を自分が生きていく上でのパートナーとして、心から求め始めてすらいるんだからね」



 そのようなエルの潜在的な願いや望みも含めた内面は、最終日が終わった後のモニタリングデータでも次々と明らかになってきていた。


 この世界では忌み嫌われる存在であるアンドロイドの自分。

 それを初めて会った時から人間と対等に見てくれた上に、危険も省みず身を挺して守ってくれた。

 そればかりか最後には、共に信頼し合う恋人同士のように自分の全てを許し、包み込んでさえくれたのである。


 ガイノイドの心の動き、意識状態がここまで人間に近いものであることが分かってきている以上、その後のエルの想いと心情は正に推して知るべしと言えるだろう。



「君は彼女のファーストキスまで奪ったんだ。そこまでエルの心を虜にした責任は当然取ってくれるよね、翔哉君?」



 白瀬がいたずらっぽく笑ってそう念を押す。

 それがトドメだった。


 翔哉は恥ずかしさの余り、赤面してうつむいてしまう。

 それでもその白瀬の申し出は彼にとっても願ってもないことだった。


 もう二度と会えないと思っていたエルと、また会うことができるかもしれないのだから!



「こんな僕で良ければ……喜んで」



 翔哉はっきりとそう答えた。



   ◆◇◆◇◆



 それから白瀬は色々と詳細を説明してくれた。


◯ エルに下りているパブリックコミューンという人間と触れ合うための認可には、不特定多数条項があること。


◯ その条項によって8月1日~31日までの間は、エルは開発者以外の人間とも触れ合うことができた。しかしそれ以降は、研究所所属の人間以外と触れ合うことが認可上不可能になってしまっていること。


◯ またその後に綾雅の本社から製品化の凍結を言い渡されたのだが、それは正確にはまだ研究の打ち切りを意味してはいないこと。


 まずはこの辺りがエルの置かれている状況の概要だった。

 そして、まだ研究の打ち切りは宣告されていないものの、このまま放置すれはいずれそうなってしまう可能性が高い。

 今後もガイノイドの研究を続けていく算段を付ける必要があるのだ。



「ただ今後も研究を続けていく許可を会社側から得るためには、社会やその部門の発展に貢献するような、新しい意義ある研究目的が必要とされるんだ。それが認められないと予算が下りないんだな。そこで翔哉君とエルには人間とガイノイドが、どこまで強くて近しい関係性を築けるかのモデルケースになってもらいたいんだよ」



 そしてこう付け加える。



「それがさっき言った次の研究テーマということになる」



 翔哉もそれを聞いて頷いた。



「またそれ故に、君に対しては今後もエルの心の中が開示されることはない。彼女との自然な関係を今後も維持するためにね。これを君が不当に思ったり、覗き見たい願望があまり強いようだと──ちょっと困ったことになってしまうんだ。人の好奇心は無理に押し止めるのが難しいからね」



 それがさっき君に尋ねた二つ目のテストの意味だったんだ。

 そう説明してくれる。



「いや……むしろ僕はこれからもそれは知りたくないです。気にならないと言えば嘘になっちゃいますけど。でもやっぱり……エルに悪いですから──」


「君が、そういう人間であってくれて、本当によかったよ……」



 赤くなりながらそう言う翔哉を、白瀬は満足そうに見つめていた。

 そして、更に確信に満ちた様子で次の説明を続ける。



「つまり翔哉君。君がいることによって、研究テーマの創出とエルの精神の安定の両方が確保されることになるわけだ。このテーマが会社側に認められれば、大手を振ってエルを目覚めさせることができるし、彼女の意識は今後もそれによって今以上に成長を続け、ますます学術的にもより貴重なものになっていくだろう。彼女のアイデンティティーを守った上で、これからも生き延びさせるために俺はこれ以上の方策はないと思っているんだよ」



 そして白瀬はこう言って話を締めた。



「これがさっき君を切り札と言い切った理由なんだ。君にもこれでわかってもらえたかな?」



 翔哉は頷いた。


 ここまでで白瀬も心の中でやっと安堵の一息をついていた。

 翔哉の資質にまで関わるこの最初の施策については、正直賭けに等しいものだったからだ。


 そう考えれば首尾は上々だと言えるだろう。

 しかしそうなると次に出てくる問題を解決しなければならない。

 それは翔哉の身分である。



「エルのパブリックコミューン自体には期限はないから、研究スタッフと触れ合うことについてはこれからも問題がない。だが不特定多数条項の期限はもう切れている。そして、これを延長したり特例をもらう余地は今後まずないと言える。だが、それなら──」



 白瀬がまるで決め台詞を言う前のように勿体ぶって一呼吸置く。

 そして得意そうに肩をすくめてこう翔哉に言った。



「翔哉君が俺達の研究所の所属になれば問題ない……どうかな、我ながら名案だろう?」



 自画自賛の呈である。

 確かにそれは、ある意味一番合理的な解決策のような気がした。

 それは翔哉にもわかっていたつもりなのだが、どうしても引っかかる不安があった。


 正直にその不安を口にする。



「そう言って頂けるのは本当に嬉しいんですが、僕に務まるんでしょうか……その……研究職が」



 翔哉はこれまであまり勉強ができるほうではなかった。

 何しろこの世界に来る前には浪人生だったのだから。

 そんな自分に研究職などできるのだろうか?


 だがそれに対して白瀬は何も問題はないと一笑に付した。



「その辺りは何も心配することはないよ。今回我々が必要としているのは君のそう言う正直で誠実な個性パーソナリティ、自然に出てくる気質なんだ。だから翔哉君はエルのそばにただ居てくれるだけでいい。データを収集したりそれを分析したりするのは俺達の仕事だ。つまり──何というか」



 白瀬はそこまで言ってからやや口ごもったのだが、翔哉はそれで彼が何を言いたいか解ってしまった。



「つまり僕は観察されるモルモットの側……ということなんですね」


「──そうだね。君には悪いが正直に言うとそういうことになる。嫌かい?」



 少し申し訳なさそうにそう言う白瀬に──。

 翔哉は迷うことなく即答した。



「いえ……僕は別にかまいません」



 いずれにせよ、今までだってある意味同じだったのだ。

 これからも、エルと一緒にいられることを考えれば、そんなことに何の問題があるっていうんだろう?



「そういうことなら是非やらせて下さい!」



 そうはっきりと応えた翔哉が、やっと安心したような笑顔を浮かべる。

 それを確認すると白瀬が目の前にスッと手を差し出した。



「ありがとう。これからもどうかよろしく頼むよ! 谷山翔哉君!」



 そしてその手を翔哉もがっちりと握り返す。



「ありがとうございます! 白瀬さん!!」



   ◆◇◆◇◆



 ──こうして。


白瀬と翔哉のホームにおける話し合いは、明るい未来を感じさせる決着となっていた。

 時刻は土曜日の午後3時半を少し過ぎたところである。


 そこから白瀬は「もしよかったらこれから研究所まで来てくれないか? みんなに紹介したい」そう話を持ちかけて翔哉もこれを快諾──。


 今、正にここから新しい流れが始まろうとしていた。



 白瀬と翔哉は二人揃って、ファクトリーエリア駅から出て駅前のロータリーを通り、研究所に続く広い道の方へと向かう。


 土曜日の工場街は人もまばらで交通量も少ない。


 久しぶりにここ数日の陰鬱なストレスから開放された翔哉が、これからまた忙しくなりそうだなあ……そう心の中でつぶやいた。


 ちょうどその時であった──。


 それは向こうから猛スピードでやってきた。

 研究所へ向かおうとしている二人の元へと、何かが敵意を撒き散らしながら暴力的に突っ込んできたのである!

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