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71 話 白瀬と翔哉(前編)

「だが……。エルはこのままではひとつ間違うと、その存在を抹消されかねない危機に瀕しているとも言える」


「……!」



 翔哉の肩がピクリと反応する。



「そこで翔哉君。君に相談があって来たんだよ」



 白瀬はそう言った。

 しかし翔哉にはその意味が理解できなかった。



「あの……。どうしてそこで僕なんですか? 僕に何かができるとはとても思えませんけど」



 本当に翔哉にはわからなかったのだ。


 なぜ今頃になって、エルの開発者が自分の前に現れたのか。

 もちろん早くエルを忘れたかった訳ではないのだが、彼女ともう二度と会うことができないのなら、自分のことはしばらくそっとしておいて欲しかった。


 ここ何日かずっと襲われていた憂鬱のせいで、この時の翔哉は心が少し否定的な方向に傾いてしまっていたのかもしれない。

 実際彼の心の中は、自責の念と無力感でいっぱいだったのだ。


 しばらく話をしながら、白瀬もそれを見て取っていた。

 これは軽い鬱症状だな。

 大きな喪失感に耐えられずに心が萎縮してしまっているのだろう。


 それほどあのエルが、この目の前の青年にとっても大きな存在だった……というのは白瀬にとっても嬉しかった。

 しかし、これから早急に建設的な話を進めたいと思っている白瀬にとっては、翔哉には手早く目覚めてもらう必要もあったのだ。


 これは多少の荒療治が必要かもしれないな。

 そう考えるとしばらく思案していた白瀬は、そこからこう翔哉に話を投げかけることにした。



「それはつまり……。別れた今となっては、君はもうエルがこの先どうなってもいい。そう考えているということなのかな?」



 横にいる白衣の男が突然発したその言葉に、翔哉は頭をガツンと殴られたような気持ちになる。



「──つまりエルとのことは遊びだったと」


「そんなことありません!!」



 間髪を入れずにそう返す翔哉。

 その顔は一瞬で怒りに燃え、スイッチが入ったようにエネルギーに満ちたように見えた。


 なるほど……これは効果テキメンだ。


 陰鬱に侵されている翔哉を見て、何かショックを与えてでも一度目を覚まさせないと──そう考えたのは確かだが、エルとの関係を揶揄することがこれほど如実にカンフル剤になるとは。


 会った時とは打って変わって、突き刺すように対峙してくる翔哉を見て、白瀬は心の中で苦笑した。


 本当に久保田君の言っていた通りだな。

 普段は温厚なのに、エルのことになると途端に感情的になる……か。



「随分とムキになるじゃないか。翔哉君」



 それからの白瀬は、そのまま少し挑発気味の口調で翔哉にまるで絡むように語り始める。



「君はエルにいったい何を見ているんだい? 最後の日の彼女を見ただろう? あれがエルの真実ほんとうの姿だよ。エモーショナルフォースというオブラートを外したある意味で本来の姿だ。開発者の私が言うんだ、間違いはない」



 翔哉の顔色を伺うようにそう言うとすっくと立ち上がった。

 そしてそこから翔哉の周りをゆっくりうろつき始める。

 そうしながら白瀬は次の言葉を紡いだ。



「君が見ている“つもり”だったエルは、実は本当の彼女ではなかったかもしれないんだよ?」



 挑発されていることがわかったのか、キッと翔哉は更に視線に力を込めた。



「僕はそうは思いません!」



 すぐに小気味よい返事が返ってくる。



「ほう。じゃあ、どんな風にだい?」



 そう言われて一瞬言葉に詰まった翔哉だったが、少し考え込むとひとつひとつ言葉を選ぶように説明し始めた。



「きっと誰の心の中にも色々な自分がいるんだと思うんです。優しい自分も、狡猾な自分も、そして弱虫な自分も……。その中で揺れ動きながら、みんな本当の自分を見つけようとして、もがいているのかもしれない」



 ふむ、意外と自分の中を冷静に見てはいるわけだ。

 白瀬は心の中でまず頷く。



「だからエルの中にもきっと様々に違った自分がいて……それで彼女は苦しんでいたんじゃないかと僕は思っているんです。確かに最後の日の“あの”エルもきっとエルなんでしょう。でも、みんなの中で役に立とうとあんなに苦しんでいたエルが、それだけでエルじゃ無くなってしまうだなんて。僕にはどうしても思えないんです……」



 なるほどね。

 なかなかじゃないか。

 白瀬は、翔哉を眺めながら心の中で首肯した。


 複雑な概念思考をすばやくまとめる頭の良さ。

 それを言葉に翻訳する精度。

 どちらも悪くない。


 まずここまでは、満点と言っていい回答だった。

 だがこれはどうかな──?



「しかし翔哉君。それもこれも全て……君のただの願望なのかもしれないんだよ? それに対して僕達開発者はエルの心の中を全て知っているんだ。それはデータとして完全な形で残っているんだからね。エルは──彼女は君のことを内心ではどう思っていたんだろう?」



 その言葉が翔哉の心をぐっさりとえぐる。

 その表情を確認した上で白瀬は更にこう続けた。



「それを知りたくはないかい?」



 ベンチに座っている翔哉の顔が一瞬歪む。

 ……しばらくの沈黙の後。

 返答があった。



「別に──知りたくはないです」



 それはぐっと何かを堪えるように抑えが効いた声だった。

 白瀬は更に挑発的に踏み込んでみることにする。



「確かめたくはないのかな。エルの本当の心を。君はエルの開発者の前にいるんだよ? 普段なら知ることができない彼女の心を知るチャンスじゃ──」


「あなたは!!」



 翔哉は振り払うように白瀬を遮った。

 そして立ち上がると、今度こそはっきりと敵意を込めて睨みつける。



「あなたは……本当にエルの開発者なんですか!?」



   ◆◇◆◇◆



 翔哉は怒っていた。


 エルの心を知りたいか?

 そんなの決まってる。

 自分の大切な人の心の中だ。


 知りたいに決まってるじゃないか!!


 でも開発者だからって、その立場を利用して盗み見る?

 僕にそれを教えてやるだって?

 それをこんな風に下卑た感じで言い寄ってくるだなんて!!


 この人は……!


 翔哉は目の前にいる人は実は偽物で、自分は騙されているんじゃないかとすら思った。

 こんな人がエルを作った開発者のはずがない……!!


 いっそのこと、このまま席を立って帰ってしまおうか!

 そう考えていた翔哉の目の前で。


 これまで黙って睨みつけられていた中年男が、その翔哉の思考に割って入ってくるようにいきなり静かに──こう言ったのである。



「合格だ。谷山翔哉君」


「え……!?」



 あっけに取られる翔哉をよそに、白瀬は何事もなかったようにまた彼の隣に座り直した。

 そして、そこからはさっきまでの挑発するような意地悪な口調や態度が、幻ででもあったかのようにすっかり消えてしまっていた。


 いきなり変わった白瀬の態度に翔哉はあげた拳のやり場に困ってしまう。


 それにもかまわず白瀬はあっさりと謝ってきた。



「失礼なことを言ってしまって悪かったね。君の資質をちょっと試させてもらったんだ。これからのためにね」


「僕を……試したって言うんですか、今のが?」



 つまり圧迫面接だったというんだろうか?

 でもいったい何のために!?


 白瀬はそれをあっさりと肯定するとこう付け加える。



「そうだ。私はね、翔哉君。いくら表面上は良い人であっても、自分の中にある“都合の悪い自分”を直視できない人間は、どうしても信用することができないんだよ」



 白瀬は、翔哉の性格が少し“良い人過ぎる”ことが気になっていたのだ。



「そういう人間は、自分では気が付いていないだけで、いつか必ず自分からも隠している悪い部分が噴出する。それも自覚していない分、抑制が効かない最悪の形でね。それなら多少性格に難があっても、自分を良い人だなどと思っていない人間の方が、よほど正直かもしれないじゃないか。そうは思わないか?」



 『良い人』に見える人間には二種類あると常々白瀬は思っている。


 自分の嫌いな部分を直視したくないが故に、その反動で常に表面上良い人でいようと無意識に取り繕っている人間──と。

 自分の嫌な部分を思い知っているが故に、意図的にそれを表に出さないよう努力している人間とである。


 白瀬はまず翔哉が後者であることをはっきりと確かめたかったのだ。



「そして、もうひとつは君の性質だ。君という人間が、好きな人の日記を見つけた時にその中身をこっそり見ようとする人間か、それとも黙って片付けてあげる人間かを知りたかったんだよ」


「正直かどうかってことですか?」


「いや……正確には違うんじゃないかな? 前者は確かに君のような人間からは不謹慎に見えるかもしれないが、それは逆に好奇心が旺盛で真実を追求したがるタイプだと言い換えることができる。これはむしろ研究者には多いタイプなんだ。だが今回私としては、翔哉君には後者であって欲しかったんだよ」



 白瀬はそんなことを言った。



「それはどうして……?」



 しかしそう聞く翔哉には直接応えず、白衣の研究者はまず居住まいを正すと次にこう切り出したのである。



「ここでもう一度改めて君に謝罪させてくれ。さっきは失礼なことを言ってしまって本当に申し訳なかった。だがそのお陰で俺も決心がついたよ」



 そう言った彼は、さっきまでのよそ行きの顔と口調ではもうなかった。

 研究所でスタッフ達と話しているいつもの白瀬がそこにはいた。

 そして、結論とばかりにこう続けたのだ。



「谷山翔哉君……俺は君をこれからうちの研究所のスタッフとして、新しく迎え入れたいと思っているんだ」



 ──それは翔哉にとっては思いがけない言葉だった。



「ぼ、僕が……エルの研究所のスタッフにですか!?」


「そうだ。そして、その君の存在こそがこの窮状のエルを助け、彼女を延命するための切り札になるんだよ」



 白瀬はあっけに取られている翔哉の前で──自信満々にそう言い切って見せたのである。

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