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68 話 暗転

 明くる日の9月1日。

 綾雅商事の本社ビルに入って本部に着いた白瀬を待っていたのは、大川本部長のいつもとはまるで違う高圧的な大声だった。



「白瀬君。それは以前にも言ったはずだ! レイバノイドに心が必要なわけがなかろう! 莫迦をいっちゃいかん!!」



 それはグリフォン3の製品化の話から、エルへと話題が移った途端だった。


 だいたい白瀬の記憶では、心が必要なのかと問われたから答えたことがあるだけで「必要なわけがない」などと大川さんから断定的に否定されたことはない。


 ──ずいぶんな物言いである。


 ふむ……この態度の豹変は……どうやら裏で何かあったな?

 そう思いながら、白瀬も立場上まずは反論せざるを得ない。



「ですが……」



 だが大川さんは焦っているのか、それすら許してはもらえないらしい。

 すぐに言葉を被せてくる。



「ガイノイドに必要なのは高い処理能力と多彩な機能だ。そうだろう!」



 大川さんらしくもない。

 ずいぶんと今日は高圧的である。

 苦しそうにすら見える本部長には悪いのだが、今となっては白瀬にも後に引けない理由があった。


 状況としても……そして心にもだ。



「しかし融通性というファクターもあります。レイバノイドの機能をこれ以上拡張しても、効果的な運用ができるかは疑問です。親和性と融通性の点では更なる問題が……」


「白瀬君……!!」



 泣きが入っているらしい。

 わかってくれと言わんばかりの、それでいて理屈を吹き飛ばす大声が部屋中に木霊する。



「……はい」



 白瀬も不承不承というのが見えるように返事をする。

 こうなったら徹底抗戦である。



「親和性はデザインの領域で何とかなるはずだし、融通性はアルゴリズムの改良で……」


「いくら分岐を増やしても、相手の意図を──心を汲み取ることができなければ意味がないのです!」



 沈黙が流れる……。

 議論は白瀬の勝利だった。

 だが企業での主従関係は、議論だけで片が付くほど甘くはない。


 ふう、仕方がない──とでも言いたげに居住まいを正すと、大川は更に威圧的にこう言い放った。



「白瀬君。君の言いぐさでは、みすみす自分たちの無能さをさらけ出しているようにも聞こえる! そうだろう! そうは思わんかね!?」


「…………」



 最終手段は上司としての権威の行使というわけだ。

 こう言われてしまっては白瀬も返す言葉もない。



「いや……すまん。少し言い過ぎた」



 そこまで言ってしまってから、大川の方も少しやり過ぎたと思ったのか、自らファイティングポーズを解いてきた。

 そうして少し緊張がほぐれると、本部長は苦々しそうな表情で語り始める。



「実はな……ここだけの話にしてもらいたいのだが……」



 白瀬との関係をこれ以上悪くするよりも、口止めをした上で秘密の共有をしたほうがいいと判断したらしい。

 何が背後で起こったのかを、少しは話してくれるつもりになったようだ。



「……わかりました」



 それは白瀬としても願ってもないことである。

 口外しないことを確約する。



「今回のプロトタイプの件を聞きつけた厚生保健省そして公安警察庁の方から圧力がかかってきているのだ。レイバノイドが“心”そして“自由な意志”を持ったときの、治安と風紀……その他諸々への懸念でな。ずっと娘のように開発してきた君らには本当に申し訳ないとは思うが。すまんが……どうか汲んでくれ」



 それは静かだが有無を言わさぬと言う態度だった。

 白瀬は形式張って、大川に礼をすると、無言で部屋を出た。



   ◆◇◆◇◆



「どういうことなの!!」


「どういうことなんですか!!」



 研究所に戻った白瀬に食ってかかってきたのは舞花と隆二の2人。

 今回は珍しく共同戦線らしい。



「心及び自由意志を持ったレイバノイド、もしくはガイノイドの製品化は凍結されることになる……本社の指令だ」



 白瀬は表情を殺して、一息で言った。



「どうして?! 納得できる理由を聞かせて下さい!!」



 バン!


 泣きそうになるのを歯を食いしばって堪えながら──。

 舞花が白瀬の机を叩いた。



「命令に理由がいるのかな?」



 私も酷い奴だな……白瀬は少し自己嫌悪を覚える。

 だが表情には出さない。


 隆二も食い下がってくる。



「だから、言ってるじゃないですか! 納得いかないって! 僕らの苦労とは言いません。エルは……じゃあ、エルはこれからどうなるんですか!!」



 私を睨みつける隆二と舞花。


 このプロジェクトには、驚くほど純粋な者達が集まった。

 だからこそ、エルのようなガイノイドが生まれたのだろう……そこに疑いの余地はない。



「それは……治安への懸念から……ですか?」



 横にある自分のデスクから、恵が誰に言うともなくそう言う。



「鋭いな。はっきりとは言えんが、そういうところもある」



 流石に普段はおっとりしていても切れる時は切れる。

 白瀬も、恵のいざという時のカンの良さには、時々驚かされることがあった。



「それでチーフは引き下がってきたんですか!?」


「やめましょう、隆二さん」



 まだ食い下がろうとする隆二だが、恵は私の気持ちを察したのだろう。

 そう一度は止めたのだが、隆二の感情はそれでも収まらなかった。



「いえ、言わせて下さい!! そんな治安への不安なんて、エルを見せれば一遍に無くなります! みんなも言ってたじゃないですか! エルが実際に世に出ればこの世界平和になるって! あのエルのお人好しなまでのヒトの良さが、治安を乱すような要因になるとは──」


「だからだよ」



 白瀬は、隆二の台詞を途中でぶったぎった。



「は?」



 隆二を始め、そこにいるみんながきょとんとした顔になる。



「だから引き下がってきた。そう言ったんだ」



 一同を見回すように白瀬は話し始めた。



「今は“心”のない時代だ。“心”がわからない時代と言ってもいい。有人店舗のコンビニやバーガーショップにでも行ってみろ。形だけの心の裏付けのない笑顔を張り付けた人形がいっぱいだ。彼らは人間なのにあそこにいる時だけは人形になる。心のない人形に。そして、それを“笑顔があって、対応の優れたマニュアル接客”と言うんだそうだ。わかるか? 今はみんなが“心”というものに価値を見いだせない時代なんだよ……」



 白瀬は祈るように続ける。



「それでなくとも、レイバノイドに対する悪意がはびこったこんな社会情勢だ。そんな社会の中にエルのような子を送り出してみろ。いいように利用され、騙され、濫用され、悪用される。虐げられる! それでも人間を好きであり続けようとするあいつらが、どんな“心の痛み”を感じると思う? 人同士の心すら、痛みすら、思いやれない人間たちが、どうやってガイノイドの心の痛みをわかってやれるというんだ!?」



 確かに高野や篠原のように、理解しようとする者もいるだろう。

 だが、世の中にはまだ安原や柴崎のように、コンプレックスから悪意を抱く者の方が多いのだ。


 このままでは、ガイノイドを社会に大量に送り込んだとしても、そこに待っているのは対等で思いやりのある関係ではないことだろう。


 むしろ──もっと全く逆の──。

 そう考えると恐ろしくさえなる。


 白瀬は心を静めて、改めてさとすように、みんなに語りかけた。



「わかるか? エルを、あの“心”を持ったエルを受け入れるには、人間はまだ早過ぎたんだ。製品化が凍結されたことは確かに開発者としては不幸だが、世に出る前にそれがはっきりしたのは、ガイノイド達にとってはむしろ幸運だったと……私は思うよ……」



 白瀬も臨床テストの前からその危惧はしていた。

 だが人間にはもう時間がなかったのだ。

 人口の減少が手遅れになる前に、開発だけでも先に進めておく必要があったのである。


 そして、それがどうやら委員会カウンシルの意志でもあるらしい。


 はっきりとした形ではなかったが、ガイノイドの開発に行き詰まっていた白瀬の元に現れ、ヒントを与えてくれた委員会の日本担当者黒崎氏が、そうほのめかしていたのだ。


 そこで白瀬としては、なんとかガイノイドの開発を急ぎながらも、社会のコモンセンスをガイノイドを受け入れられる方向へとゆっくりとでも成熟させていく──つもりだった。


 しかしそれを知ってか知らずか、行政府は開発側に対してむしろ臨床テストのデータを早く出せと要求してきたのだ。


 それが、こうしてプロジェクトを暗礁に乗り上げさせる意図が最初からあってのことなのか、それともただ面倒くさいものを早く処理したかっただけなのかは、今となってはもうわからないが……。



 ただその結果。

 ひとつだけ気がかりが残ってしまった。


 しばらくの沈黙の後、舞花が重圧に耐えかねたようにそれを口にする。



「でも……じゃあ……エルはこれから……」



 そのまま、涙が止まらなくなってしまったらしい。

 それ以上は言葉にならなかった。


 ──まるでお通夜のような雰囲気がその場に重苦しく漂う。


 そんな一同を見ながら、ぬか喜びになることを嫌って普段は明かさない手の内を、白瀬は少しだけみんなに明かすことにした。



「俺にもう少し時間をくれないか。エルの今後については考えていることがあるんだ。必ず出口を見つける」



 そう言った白瀬に向かって、みんなの視線が救いを求めるように注がれる。


 本筋として考えていた方向は絶たれてしまったが、それでもまだエルを救う道が全く消えてしまったわけではない。

 その可能性を今は一人になってゆっくり吟味してみたかった。



「口にしてしまったからには、こりゃ本気でなんとかしなくちゃいかんな」



 白瀬は所長室へと向かいながら、自身を鼓舞するようにそう呟いていた──。

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