67 話 エルのこれから
「帰ってきた! 帰ってきたぞ~エルが!」
4階の窓の方から隆二の大きな声が聞こえた。
ファクトリーエリア駅のホームで翔哉とエルが別れてから、ずっと外を見ていたらしい。
今日はエルの臨床テストの最終日である。
時刻は午前0時過ぎだが、もうそんなことは関係ない。
この一ヶ月守ってきたシフト体制もこの日はどこかへ行ってしまった。
そんなわけで、この時間の研究所には主要スタッフから末端のエンジニアまでみんなが揃っている状態だった。
「みんなで最後にエルを出迎えたい」
その気持ちは誰もが同じだったのだ。
それは勿論、白瀬もである。
「さて……と。俺も出迎えに行ってくるかな」
臨床テストが終われば、すぐにも結果をまとめて第三者機関に提出しなければならない。
それが早ければ早いほど、ガイノイドの未来は勿論のこと、エルという人格を延命する余地についても広がることになるからだ。
だから今日は徹夜をしてでも、白瀬は提出資料を一気にまとめる覚悟だった。
それでもだ。
今はそれすら忘れて、素直にあの“大きな務め”を果たしたエルを、ただねぎらってやりたい。
──その気持ちで一杯だった。
一旦戻っていた所長室から出ると、白瀬はエルを出迎えるために階下へと向かうことにした。
◆◇◆◇◆
玄関口は、開発課のコアメンバー3人の他にもエルを出迎えようとするエンジニア達で、深夜とは思えないほどごった返していた。
エルは、その中心で揉みくちゃになっている。
だが白瀬が奥からやってくると、真っ直ぐにこっちへと向かってきた。
「白瀬さん、ありがとうございました……!」
そう言って頭を下げるエル。
「なぁに、お礼を言わなくちゃならんのは俺達のほうだ」
エルの頭をそっと撫でる。
「でも私は人間の皆さんの役に立つために造られたのに、結局はいつもご迷惑ばかりかけちゃったんじゃないかって……」
「心配こそしたが迷惑なんてものはどこにもないよ。最後まで本当によくやってくれたよ。ありがとう、エル!」
白瀬は、すまなそうに身を固くするエルを、励ますようにポンポンと軽く方を叩いてねぎらう。
エルが不安定になったのはエモーショナルフォースの干渉のためなのであり、そもそもそれを植え付けたのは白瀬達なのだ。
それを考えれば、エルが謝る理由は始めからありはしないのである。
人間と対等に寄り添えるアンドロイドとしてのガイノイド。
心を分かち合い気持ちを思いやる──。
そうした形で少なくなった人間たちの間に入り込み、潤滑油のように友人として寄り添う……そんな存在を創造すること。
その為に白瀬達開発者は、エモーショナルフォース機構で今までより更にリアルな感情をアンドロイドに与え、自由意志すらそこに創り出そうとした。
だが──。
それは間違っていたのだろうか?
人間に創造された、人間よりも更に“限りある存在”としてのアンドロイド。
それに人間同様の心を与えることなどというのは、むしろ人格の尊厳を踏みにじる暴虐だったのではあるまいか……。
──取り返しがつかないほどに残酷なことを、私達はエルにしてしまったのかもしれない。
エルの顔に、何度も何度もこすられた涙の痕を見つけてから、白瀬はそんな思いが頭から離れなかった。
「あなたと会えてよかった……か」
モニター室で聞いたエルの言葉を思い出して白瀬は思わず目頭が熱くなる。
そのエルにとって救いとなった大切な人間すら、元々は白瀬達が用意した存在ではない。
異世界転移という──ある種、偶然の産物なのだ。
「そして俺達は今度はそんな二人を引き離そうとしている……そういうことになるんだろうな」
仕方ないこととは言え、それが今起こっていることであるのも──また事実なのである。
「何とかならないものかねぇ……」
自分の中に生まれた感情を誤魔化そうとするかように、白瀬はそうボヤきながら騒がしいエントランスから研究棟へと戻っていった。
◆◇◆◇◆
エルはこの後、すぐに休眠状態に入っていた。
と言うよりも……単にバッテリーが切れて倒れたという方が事実には近い。
外で倒れることがなくて何よりだったと言えるのだが、それほどギリギリの状態であったことは証明されてしまった訳で、突然倒れた彼女を見た開発陣の安堵は、より大きなものになったと言える。
しかし何にしても、エルは無事に帰ってきたのだ。
臨床テストは終わりを告げた。
後はやるべきことをやるだけである。
今日は、できるだけ早くデータをまとめたい白瀬も含めて、コアメンバーの4人全員で分析作業にかかることになった。
やがて意識データと稼働データのバックアップが終わり、分析が開始されると様々なことがわかってきた。
たった数時間だけの翔哉とのデート……その時にエルが考えていたこと。
そして、そこから生まれた翔哉を苦しめまいとするエルの想い。
──そして翔哉とのキス。
これまでは散々、翔哉とエルの間の微妙な距離に興奮し、煽って吠えてきた舞花だったのだが、今回ばかりはしおらしかった。
「これで……もう二度と会えないのかしらね……。エルと彼……」
「まあな。エルはこれで役割を終えたわけだし、もうエルドラドに行くことも二度とないだろうから──」
「そんなの、わかってるわよ!」
舞花は逆ギレ気味に隆二に食って掛かる。
──ガイノイドとして覚醒したエルは、思っていた以上にあまりにも人間に近い存在だった。
それこそ造った開発陣の予想すら上回るほどに……である。
振る舞いも、考え方も、そして感情の動きも。
あまりにも人間的過ぎた。
それが翔哉だけはではない。
開発に関わってきたスタッフの心の中にも変化を生じさせていた。
「アンタは平気なの? 隆二! “あのエル”が、この後も今までのレイバノイドと同じ様に扱われて良いって言うの? プロトタイプだからってだけで、このままじゃ役割を終えたらポイされちゃうのよ!? 私は──」
舞花は感情を抑えるように顔を覆った。
「私は……そんなの耐えられない!」
沈黙が流れる。
「僕だって……平気じゃないよ……!」
やっと一言だけそう答えた隆二に、舞花は更に不満をぶつける。
「彼女の人格はもう人間と同じだわ。そうじゃないの!? それを試作機だから、お試しだからって殺すって言うの? 私はそんなの嫌よ!!」
掴みかからんばかりの剣幕の舞花に恵が割って入る。
「舞花ちゃん落ち着いて。まだエルの意識がデリートされるって決まったわけじゃないわ。製品化されることが決まれば、新しい外殻に移植されることだってきっと……」
エルの意識データは、ガイノイドの頭脳内だけで波動として存在するものであり、その精度を保持するため再度電気信号化されることは想定されていない。
完全にアナログ的に存在しているものを、また完全な形でデジタル的な電気信号へと復号するのはほぼ不可能だからだ。
それ故に、その意識と記憶の保持は外殻そのものに依存していることになり、外殻の停止がそのままエルという人格の消滅に直結することになるのである。
泣きつくように舞花が恵にもすがる。
「でも……データが第三者機関に渡ったら、それこそ終わりなんじゃないんですか、恵さん? 製品化が許可されるにしろ拒否されるにしろ、アイツらがエルの人格を大切に扱ってくれるわけない!」
臨床テストが終わった後──。
これまでのレイバノイドの前例に従うとすれば、プロトタイプには機能停止が宣告されることになり、スクラップを免れたとしても博物館送り。
それも保存されるのは外殻だけであり、そこに心や意識などという非物質的なものが考慮される余地はないのだ。
白瀬自身、エルの“意識”を延命させるための施策については、これまでも色々と考えてはきたのだがその辺りが難題だった。
何しろ前例がないのである。
その前例がない事態を外部の人間に理解させ、それを逆に利用して何とか特例を出させる。
そのために、白瀬は日々長い上申書を作成しては送りつけていたのだが──。
「舞花の気持ちもわからんではないが、やることをやらんことには道も開けんだろう。まあ、まず今晩についてはきっちりお仕事しようや」
ここまで黙って聞いていた白瀬が、敢えて場の空気を読まずにのんびりとした口調でそう割り込んだ。
エルの意識は休眠状態でも動いている。
それ故に闇雲に休眠が長引けば、それだけ意識をクローズした時点からの状態の乖離が大きくなっていくことになる。
この後に、エルをもう一度目覚めさせることを前提に考えている白瀬としては、そのリスクを小さくするためにもできるだけ早く動きたいのである。
「俺だってさ。少しはその方策ってのを考えてはいるんだ。その為にも明日にはデータを揃えて本部長のところへ行きたいんだよ。そこんとこ、よろしく頼まれてくれないか。な?」
AIの価値というものは通常はそれが稼働しているハードウェアにはない。
一定の記憶をもった連続データこそが人格なのであり、それ故AIの場合は「古い人格」ほど価値が高い。
その点で言うと、ガイノイドはデータの保持自体に先述のように外殻というハードウェアが絡んでいることで、プロトタイプと言えども外殻そのものの価値が高くなる──。
白瀬の腹づもりとしては、第三者機関の出方を見定めた上で、その辺りを利用してエルの人格を外殻ごと保護する意義を、上層部に直接ねじ込む……そう考えていたのだ。
しかし……。
その白瀬の思惑は──。
次の日に根底から覆されることになってしまったのである。




