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66 話 午前0時のシンデレラ

 8月31日。

 翔哉とエルが一緒にいられる最後の日。


 ガイノイドであるエルが、開発スタッフ以外の不特定多数の人間と関われる期間は、8月1日から一ヶ月──この日の24時までだった。



 本来エルに供給されている活動バッテリーの最大容量は170時間分の設計になっている。

 これは今後一般流通され自律活動を始めた時の利便性を考えて、だいたい一週間ほどの連続稼働が可能になっているわけなのだが、この臨床テストの期間は不慮の事故を防ぐためもあり、毎日午前0時過ぎくらいまでの充電しか許されていない。


 つまり朝6時からとして概算で18時間くらいである。



 最後の日に少しでも翔哉と一緒に過ごさせてあげたいという開発スタッフの好意から、エルには「今晩は深夜0時までに帰ってきたらいい」との旨が朝の見送り時に伝えられていたのだが、それは詰まるところバッテリーの保つぎりぎりまで翔哉と一緒に居てもいいという意味なのだ。


 またそれによって今度は、バッテリーが切れるギリギリまで稼働させることによるリスクを負うことになってしまうことも意味していた。

 バッテリーが切れる間際に何が起こるのか予断を許さないため、開発スタッフのみんなもモニタールームでヤキモキしながら見守ることになった。



「おう、帰ったぞー」



 などという……お父さん帰宅的な雰囲気を醸し出しながら、白瀬がモニタールームに顔を出す。

 そこには最終日であることもあり、恵、隆二、舞花のコアメンバー全員が既に勢揃いしていた。



「あれ? 白瀬チーフ。もう帰ってきちゃったんですか?」



 隆二が言う。



「若いもん同士がデートするって言ってるんだ。その後ろをコソコソつけるだなんて、野暮な真似はできんだろう?」


「エル……大丈夫でしょうか」



 白瀬は軽いノリで答えたが、やはり恵も心配そうである。



「まあな。バッテリーの残量はこっちからでも把握できるだろう。もし危なくなるようならまた迎えに行くさ」


「私達にできるのはもう見守ることだけ……か」



 舞花が静かにため息をついた。



   ◆◇◆◇◆



 その頃──。

 翔哉とエルはPOSバーガーに来ていた。


 エルは食事を必要としないため、翔哉は当初今晩の夕食については後回しにするつもりだったのだが。



「規則正しい食事は健康の基本なんですよ?」


「そう……かな?」


「それに私も翔哉さんが普段どんなものを食べているのか知りたいです!」


「う、うん……じゃあ」



 そう言われて急遽食べることにしたのだ。

 そこで前から入ってみたかった──どこか覚えのある名前の──手作りハンバーガーショップに入ってみることにしたのである。



「これがハンバーガーなんですね!」



 エルは意外にも大喜びだった。



「なんだかサンドイッチにちょっと似ている感じです……!」



 翔哉の食べるハンバーガーを興味ありげに観察している様子だ。



「エルのサンドイッチの方がずっと美味しいけどね!」



 そう言う翔哉。


 ただ、このPOSバーガー。

 翔哉が前いた世界のよく似た名前のハンバーガー屋さんと同じで、ソースがたっぷりかかっていて美味しいというのがこの世界でも専らの評判だった。



「そうだ、エル。ここの人気メニューのPOSベジタブルバーガーは、このソースが美味しいんだよね!」



 そう言ってプラスチックのスプーンで、食べていたハンバーガーのソースを少しすくってエルに差し出す。


 エルは翔哉の意図をすぐに察して、味見をするためにペロッとそれを舐めた。

 彼女は食事は必要ないけれども味覚はある。

 翔哉はそれを思い出したのだ。



「本当です! 美味しいですねっ。濃厚なソースの中にオニオンと挽肉がクリーミーに合わさっていて、お肉にもお野菜にも上手くマッチしそうです!」



 毎日の食事が必要無いとは言え、エルドラドに一ヶ月いた上に最後の二週間は、篠原コックと味見三昧だったエル。

 彼女は実は既にかなり舌が肥えてるんじゃないだろうか?


 喜ぶエルを見ながら、翔哉はちょっとそんなことを考えてしまう。


 そのうちに……。



「この塩はちょっとミネラル分が足りないですね。化学塩です!」


 ビシッ!


 ──とかいい出したりして。


 そんな想像をして思わず吹き出しそうになる翔哉。



「どうしたんですか」


「あ、いや。ちょっと想像しちゃって」


「何をですか?」



  …………。

 ……。

…。



 そんな感じで。

 ハンバーガーショップでのひとときは、思ったよりエルのほうも楽しんでくれたようだった。


 食事が終わって外に出ると、今度は少しウインドウショッピングのような感じで、二人でブラブラと暗くなった街中を歩いてみる。



 銀座街区は丘のような地形になっていて、海岸に近い駅の方からショッピング街になっている奥の方へと、だんだん標高が高くなっていくのだ。

 その道を二人で登っていきながら、飾り立てられているお店やいろいろな商品を見て回る。



「あ、この服ってエルが病院にお見舞いに来てくれた時に、着ていたあのフリフリの服にそっくりじゃない?」



 お見舞いの2日目に、舞花がエルに着せたガーリーロリータ風のファッションの洋服一式。

 そのまるで魔法少女のようなコスチュームが、マネキンに着せられてショーウインドウに飾られていたのだ。



「ええー! あの服ってこんなに派手だったんですね!?」



 それを見て改めて驚くエル。

 どうやら自分が着せられていた時はそこまでの実感はなかったらしい。



「私も……こんな感じだったんですか?」



 翔哉の横で恥ずかしそうに頬を染めるエル。

 そんなことを話しながら歩いていると、今度は先の方にアクセサリーショップが目に入ってきた。



「綺麗ですねー」



 それにエルが興味を示す。



「舞花さんの持ってきたバッグの中に、こういうアクセサリーが沢山入っていたんです!」


「なるほど。エルにああいう服を着せた舞花さんね」



 話を聞いてみると、その舞花という人がそういうアクセサリーを色々と取っ替え引っ替えしながら選んでくれたそうだ……。



「こんなのもありました!」



 見たことがあるものを見つけてエルは嬉しそうだった。

 それもそのはずで、彼らが偶然見つけたこのお店は舞花御用達のラグジュアリーブランドショップなのである。


 翔哉もそんなエルに、いくつかの金色の星が流線型にあしらわれたバレッタを見せる。



「ほら。これとかエルに似合いそうじゃない?」



 そう言ってエルの髪に近づける。

 金色の星が栗色の髪の上でキラキラと光って美しかった。



「似合ってますか?」


「うん! ピッタリじゃないかな?」


「…………」



 エルは嬉しそうに俯いた。



「これをエルにプレゼントするよ」


「え……でも……。私は……」


「僕がエルに持っていて欲しいんだ。あの……嫌じゃなければだけど……」



 そう翔哉が言うと。



「嫌じゃないです、勿論すごく嬉しいです! 翔哉さんからこんな素敵なプレゼントを頂けるなんて……!」



 それに何の意味があるのか。

 今日はそんなことは考えたくなかった。


 ただ翔哉は何でもいい。

 何か形になるものを残したかったのだ。

 エルと一緒に今ここにいたという──。



 そうして支払いを終えると、二人は店の外に出てきた。

 エルは翔哉に買ってもらったバレッタを早くも髪に付けている。


 ここまで駅からはずいぶんと登ってきていたみたいで、店から出てきた場所からは駅の方に向かって、美しい夜景が流れるように続いていた。



「ほら見て。エル。夜景が見える」


「これが夜景なんですね。私初めて見ます!」


「夜景……初めてなんだ」


「そうですね。私はあまり外を出歩いたことがありませんから……」



 遠くの駅に向かってたくさんの街の光が、帯のように連なりながらキラキラと瞬いている。

 そして光が集まった遠くに駅の明かりが見え、その向こうは海岸へとつながっているようだ。


 そこで二人は景色を眺めながら佇んでいた。

 しばらく沈黙が続く。



「綺麗ですねー。翔哉さんに頂いたこのバレッタみたいです」



 しばらくすると、エルは何かを考えていたように静かな声でそう言って、髪の金色のバレッタを示す。

 しかしそれくらいでもう時間切れのようだった。


 エルと翔哉はそこからまた坂道を降りていき、電車に乗ってファクトリーエリア駅へと向かう。


 ──いよいよ別れの時が近づいていた。



   ◆◇◆◇◆



 ファクトリーエリア駅に着くと、時刻はもう11時20分を過ぎていた。

 二人でいつものベンチに座る。

 時間が時間なので、もうホームには誰も人はいなかった。



「エル……」



 翔哉は苦しくなってくる胸を堪えながら、気になっていたことを思い切って聞いてみることにした。



「臨床テストが終わったら、君はどうなるの?」



 風が吹いた。

 エルは一度目を閉じてから口を開く。



「私は……後に続く妹達のための存在なんです。プロトタイプですから」



 できるだけ明るく答えようと努力したのだが、そのエルの声は少し感情を押し殺したような声に聞こえた。



「でも君は──」



 翔哉が言おうとしたことをエルは遮った。

 まるで拒絶するように。



「勘違いしないで!」



 そしてその声からは突然温かさが……消えた。



「私は人間ではないのです、翔哉さん。ずっと私を人間のように見ていてくれて本当に助かりました。ですが、それで私が人間になれるわけでもない。あなたは夢から覚めて、ここで目を覚まさなければなりません」



 エルは感情を捨てたようにそう言った。

 これまでとは別人のように乾いた声。

 アンドロイドとしての彼女が──そこに突然現出したように思えた。



「最後に思い出して下さい、そして目を覚まして下さい、翔哉さん。私は人形です。作りものなんです。私はアンドロイド、人造人間です。私には造られた目的があり、それを果たさなければなりません」



 それはまるで最後になって、彼女が今まで隠していたAIとしての本性をさらけ出したかのようだった。



「あなたは──」



 エルの目が夜のホームで不気味に光る。

 その目は──機械の目だった。



「あなたは私のことは、今後一切忘れるべきだと思います」



 風が強くなってきた。

 エルの髪が風に揺れて……。



挿絵(By みてみん)



 その舞い上がろうとする髪の毛を押さえた彼女は、翔哉から貰った星のバレッタを無機的に外すと、ポケットへと静かにしまった。

 ──まるで自分の方が、先に翔哉との思い出を断ち切ったかのように。



 しばらく睨み合うように二人が対峙する。



 …………。



「僕は……忘れないよ」



 やがて──翔哉がぽつりとそう言った。



「たとえ君が──エルが僕の目の前から居なくなってしまっても……エルとの思い出は僕だけのものだ。確かにこれからの君をどうすることも無力な僕にはできやしない。でもここまで一緒にいてくれたエルは、これからもずっと僕の心の中にいてくれる。だから──」



 僕は──。

 何度だって手を伸ばし続ける。

 これからもずっと君を想い続ける。


 たとえ──。

 君がこの世界からこのまま消えてしまったとしても……。



「僕はずっと忘れない。エル、君のことを……」



 だって君は……僕の大切な人だから……。



 その翔哉に向かって不意にエルが飛び込んで来た。

 思わずそれを抱き止める翔哉。

 ──その胸に彼女の手が何度も何度も打ち付けられた。



「どうして……!」



 エルは泣いていた。



「どうして私を忘れてくれないんですか! どうして──嫌いになってくれないんですか! 私はもうこれ以上あなたと一緒にはいられないのに!」



 エルは嗚咽を漏らしながら叫んだ。



「私は……翔哉さんをこれ以上苦しめたくない……。これからの重荷にはなりたくない……のに……!」



 翔哉がどうやら自分を人間のように思ってくれていること。

 もしかしたら人間と同じように愛してさえいてくれるかもしれないこと。

 エルにもそれはだんだんわかってきていた。


 それはこれまでのエルにとって希望──いや救いですらあったのだ。


 だが、翔哉がそうやって自分に本気で心を寄せてくれればくれるほど。

 エルの中の未来予測ルーチンからは警報が発されてきてもいたのだ。

 このままでは、翔哉さんは──。



 泣きじゃくるエル。

 その涙は後から後から溢れて止まらなかった。



 やがて翔哉がそんな彼女に声を掛ける──。



「言ったよね……」



 それはまるで安堵したような優しい声だった。



「僕はこうして君がどこかで独りで泣いているんじゃないかって──」



 そう言いながら翔哉は彼女を抱きしめた。

 包み込むように、でもしっかりと。



「……いつだって心配なんだよ。エル」



 ………………


 …………


 ……



   ◆◇◆◇◆



「落ち着いた?」


「はい……」



 翔哉とエルはベンチで寄り添うように座っていた。

 夜が更けてきて、外の風は冷たかったが二人の間は温かい。



「僕は前の世界で、大切なものはいつだって僕を苦しめる。だから誰とも関わらずに生きていこう。そう思っていたんだ。失うことがきっと怖かったんだね」



 いたわるようにエルの肩を撫でる。



「でもエル。君に会ってわかったんだ。たとえ失うことになったとしても、ずっと一緒にいられなくても、それでずっと苦しむことになったとしても。それでも一緒にいたい人と思える人こそが──自分の大切な人なんだって」



 ゆっくりとした優しい時間が二人の間には流れていた。

 だが、もうあまり時間は残されていない。



「私は……翔哉さんには助けられてばかりですね」


「そうなの?」


「はい」



 そう短く答えて、エルは静かに笑った。



「これから私がどうなるのか。それは私自身にもわかりません。でも、ひとつだけはっきりしていることがあります……」



 エルの顔が赤かった。



「翔哉さんあなたに会えてよかった。私はこうして短い間ですけど、人間のように生きることができて……最後まであなたと一緒にいられた。それは本当に夢のようで──」



 そこまで言ったところでエルの頬に涙が伝った。



「幸せでした」



 言いながら懸命に笑顔を作ろうとするエル。

 その様は痛々しいほどに切ない。



「ありがとう……翔哉さ……」



 言葉はそこまでで途切れた。

 二人の影が合わさってひとつになっていた。


 エルの体にも電気のような感覚と熱い感情の波が吹き荒れる。


 いつまでも続くようなその強いエモーショナルフォースの嵐は、苦しいような痛いようなそして熱いような……。


 そんなエクスタシーをエルに刻みつけた。


 …………。



 やがて、ゆっくりと二人の体が離れる。

 エルは感覚に酔ったように、上気した頬を翔哉に向けながら──。



「あなたのことが大好きです。翔哉さん……!」



 最後にありったけの想いを込めてそう口にした。

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