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64 話 事態の急転

 8月26日金曜日。

 時間は早朝のことである。


 安原絵里は今日()朝早くからエルドラドにやって来ていた。



「絶対に今日こそは何とかしてやるんだから……!」



 そう口の中で何やらブツブツと言いながら、倉庫の中に入るとごそごそと何か作業を始める。


 朝起きが苦手なキャラで通っていた安原だったが、ここ数日は毎日朝の6時くらいに一度エルドラドまでやってきていたのだ。

 誰もいない店の中で倉庫まで行き、あちこちの棚に登っては降り登っては降りを繰り返す。


 そうやってしばらく作業をした後、自分が納得すると一度龍蔵の屋敷ではなく、店の近くに借りているマンションまで引き返すのである。

 そしていつもの出勤時間になると何食わぬ顔をしてお店に出る──ここ数日はそんなことを繰り返していた。


 この日もいつものように棚を登り降りしながら、細かい作業をしているように見えた安原だったが、今日はそれだけでは終わらないようだ。


 今度は奥にある大きな棚を傾けようとする。

 それはエルほど背が低くはないものの、それでもやはり女性である安原には結構な重労働だった。

 そして浮き上がってきたその棚の足のひとつに鬼目ナットというちょっと大きめのナットを噛ませる。


 やっとのことで作業を終えた時は流石に息が上がっていた。

 私がこんな肉体労働みたいな惨めなことをしなきゃいけないなんて!

 正直腹が立って仕方がなかった。


 でも、今日という今日は絶対に決着けりを付けてやるんだから。

 棚ごとひっくり返してあの人形を下敷きにしてやるのよ。

 これなら──。



「……それくらいにしとこうか、安原」



 突然そこで入口のほうから毅然とした声が掛けられた。

 ビクッと体を竦ませる安原。


 今は午前6時過ぎのはずだ。

 こんな時間に他に誰かがいるわけがない──のに!

 恐る恐る振り返るとそこには……。


 ──高野が立っていた。



   ◆◇◆◇◆



 高野が安原を連れてオフィスに戻ってくると、まだ早朝だというのに篠原と柴崎が揃って座っていた。


 それを見るなり安原が大声で叫ぶ。



「チクったのね!? 柴崎ッ!!」



 柴崎は俯いたまま動かない。

 そして無言のままだった。

 その代わりに高野が口を開く。



「いや、シバからのタレコミでわかった訳じゃないさ。まあ、さっき証拠を突きつけて話は聞かせてもらったけどな」


「証拠!?」


「これだよ」



 高野は手を開いて中のものを見せた。

 そこには見覚えのある今時珍しい金属球があった。

 パチンコ玉である。



「僕はエルが来た初日、カレースープがぶち撒けられた現場で、たまたま金属的な音を聞いていたんだ。そして偶然見てしまった。何か光るものが排水路に転がり込むのをね」



 それを聞きながら柴崎は震えていた。


 もう何もかも終わりだ。

 俺のエルドラドでの日々も、そして料理人としてのキャリアも……。

 昔のようにまた何者でもない人間に戻っちまうんだ──俺は!


 後悔先に立たずである。


 ──安原も後悔していた。


 しくじった……!

 あまりにも上手く行き過ぎて、証拠も上手く隠滅できたと思っていたから詰めを誤ったわ。

 そのため自分から怪しい行動をして足がつくのを嫌って、溝に転がり込んだパチンコ玉をすぐに回収しようとはしなかったのだ。


 後で年末に大掃除をした時にでも出てくるだろう……と、そう思って。



「で、でもそれだけじゃ、結局何の証拠にも……!」



 安原は反論しようと試みてみた。



「いや、エルの聴覚センサーにも異音は残っていたんだよ。僕が気が付いて後から解析をかけなければ見過ごす程のかすかなものだけどね。分析によってこの音がエルの足にこのパチンコ玉がぶつかった時に出た音だってことは既にわかっているんだ。そしてこのパチンコ玉が昔、安原財閥が経営していた遊技場で使われていたものだってこともね」


「やっぱりあの人形の開発元と“グル”だったんだ。アンタら!」



 普段の愛らしいキャラクターからは想像もできないくらいの憎々しげな声を出し、感情を絞り出すように安原が言葉を投げつける。


 高野はそれを敢えて無視して説明を続けた。



「そして、トドメはここ数日の倉庫での出来事だ」



 そう聞いて安原も再びビクッとする。



「上手くエルちゃんの死角を狙っていたみたいだけど、後になって翔哉君が一緒に棚卸しを手伝うようになったからね。翔哉君が棚に登り、エルちゃんがそれを見ていたことで、全て手口が記録されてしまったんだよ」



 安原は翔哉がお店に出てくるようになったことは認識していたが、気まずい気持ちに耐えられず避けていたことで、裏でエルを手伝っていることまでは気づいていなかったのだ。


 ──そして現行犯という訳である。



「最近、朝に弱い安原が頑張って早起きしてると聞いて喜んでたんだけど……がっかりさせられたよ、これにはね!」



 そう言って高野は話を締めた。



   ◆◇◆◇◆



 高野は、あの時に聞いた異音が気になって厨房の溝を調べ、翔哉が入院している時期に「それ」を発見して回収した。

 その時以来どうするべきか対処に悩んでいたのである。


 それまでも、安原と柴崎が二人でエルに何かをしているのではないかと疑ってはいたのだが、証拠品が出てきたとなると話は全く別物になる。

 これが開発課に知られてしまうと、二人を解雇しなくてはならなくなるかもしれないからだ。


 そこに昨日翔哉から報告があった。

 倉庫で危ない仕掛けがあったと聞かされたのだ。

 そして、それはエルの視覚データで開発課に証拠を押さえられたという通告に等しいものだった。


 そう考えた高野は、昨日エルドラドが閉店した後、その足で白瀬の元へと急いだのである。



「なんで……」



 そこで柴崎が力なく口を開いた。

 もうこれで何もかもが終わりなら、最後に安原のように憎まれ口のひとつでも投げつけたかった。


 ──しかし。



「なんであんな人形の肩なんか持つんすか……。俺には……俺にはもうこれしか無い……のに……」



 だがその意に反して涙が止まらなかった。

 まともに言葉にならない。


 小さい時から俺は勉強もスポーツも何もできない情けない男だった。

 何をやっても一番にはなれなかった。

 このままこの社会で動物のように飼われて、何者にもなれずに死ぬのは嫌だ。


 必死で自分のできることを探して──。

 やっと出会ったのが……料理だったんだ。


 死ぬほど練習した。

 自分を叱咤した。

 できないんなら死んでしまえ!

 そんな俺に生きている意味なんてねぇ!!


 そうやってエルドラドまで辿り着いたんだ。


 だけどここエルドラドでは、料理を始めてから初めて感じた高すぎる壁。

 才能という努力だけじゃどうしても超えられない壁が立ちはだかった。


 俺はシノさんにはどうしても勝てねえ。

 どうやっても勝てそうにねえんだ……。


 だけど、だけど……!

 それなら絶対に替えのきかない右腕になってやる。

 エルドラドに必要不可欠な人間になってやるんだって。


 そう思って。

 ここまで頑張ってきたのに……。


 その柴崎の想いは、結局言葉となって紡がれることはなかった。

 柴崎が観念したようにそのままがっくりと膝をつく。


 だけど俺はやっちまった。

 俺がやったことはどういう事情があったとしてもきっと許されないことだ。

 だから……俺はもう……終わりだ。

 何もかも終わりなんだ。


 そんな柴崎の肩に、篠原の手が優しく置かれる。



「柴崎、あなたは本当にこれまでよくやってきたわ。よく頑張ってきた。でも本当は気が付いていたんじゃないの?」


「え……?」


「自分に足りないものが、エルちゃんの中にあるって」


「………!」



 そうだ。

 俺は怖かった。

 あの人形が……エルが怖かったんだ。


 アイツは俺が必死で習得した技術を、あっと言う間にモノにしやがる。

 それも目の前でみるみるうちにだ。

 あの吸収力。


 そして、俺がどうしても掴めそうで掴めなかった料理に対する嗅覚。


 アイツは人形の癖に。

 アンドロイドの癖にそいつを持っていやがったんだ……!


 ──それが柴崎の焦りに恐怖を刻み込むように更に火をつけたのだ。


 それが彼を駆り立てた。

 手段を選ばない方向へ。

 取り返しがつかない方向へと。


 そんな柴崎に篠原がゆっくりと噛んで含めるように言葉を綴った。


「私はね、柴崎。人に言い聞かせたり、教えたりするのって大嫌いなんだ。その人を逆に莫迦にしているような気がしてね。でも今日はちょっとだけヒントをあげる。柴崎、あなたに足りなかったのは、エルが見せたあの思いやり。感性なんだよ」


「…………」



 そう篠原に言われて、柴崎にもやっと見えた気がした。

 いつもエルを否定したいとやっきになっていたが故に、目や耳に入ってこなかったエルの所作がそして篠原との会話が──。


 そこで初めて彼の脳内にフラッシュバックしてきたのだ。



「いつも頑張ってる柴崎を見ながら私は悔しかったよ。木を見て森を見ず……ってね。生真面目で一本気なところはアンタの良いところだけど、目の前のことばかりに拘り過ぎてるんだ。だからせっかくの大事なことが見えてこない!」



 柴崎にはやっと少しわかった気がした。

 なぜいつも篠原が自分にだけは厳しかったのか。

 なぜいつまでも認めてもらえなかったのか。


 柴崎の目から大粒の涙が溢れた。



「なんてこった……。俺が……俺の方が人形だったのか。アイツよりも、俺のほうがもっとずっと人形だったってのかよ……ちくしょう!」



 そんな言葉を叩きつけながら泣き崩れる柴崎。

 しかし、そんな彼を見つめる篠原の目は温かだった。



   ◆◇◆◇◆



「エルには本当に感謝しなくっちゃね」



 柴崎が落ち着くと。

 しばらくして篠原がそう言う。



「私の一番弟子の覚醒をこうして助けてもらったんだから!」



 それを聞いた柴崎が首を傾げた。



「え……でも、俺はこんなことまでしちまって。もうクビ……なんじゃ?」



 高野がそこで口を挟んだ。



「僕が何のために昨日、開発の白瀬さんに会いに行ったと思うんだい?」


「そ、それは……俺達のやったことをチクリ……いや報告に……」



 観念したようにそう口にする柴崎。

 その柴崎の声を聞きながら高野はにやりと笑う。



「それだけで済むんなら、そこまで急ぐ必要なんてなかったさ!」


「え?」



 昨日翔哉から報告を受けてエルドラドが閉店した後。

 高野は急いでエルの研究所まで白瀬に会いに向かったわけだが、その場で彼はまずこう切り出したのだった。



「エルちゃんの周りで一体これまで何が起こっていたのか。その真相究明に僕も協力したいと思うんです。ですが、その上でどうやって解決するかについては、一度私に任せて下さいませんか?」



 そう言って、例のパチンコ玉を見せたのだ。


 白瀬に話を聞いてみると、やはりその日に倉庫であった件については既にデータの分析に入っており、その映像やデータを見れば誰かが意図的に倉庫に色々と仕掛けをしているのは一目瞭然の状態であったと言う。


 このままでは、それを証拠にしてエルドラドに調査が入ってしまうのは時間の問題だっただろう。

 例え社会がエルの人格を擁護対象として認めなかったとしても、こうなってくると器物破損には引っかかってきてしまう。


 しかし高野の話を聞いた白瀬は、エルドラドのメンバーをできるだけ守りたいという高野の立場と考えに理解を示してくれた。

 そして今回の件について、互いに協力することを前提にエルドラドのメンバーができるだけ社会的には不利益を被らないよう計らってくれることを約束してくれたのである。


 高野が白瀬に感謝すると共に、大きく胸を撫で下ろしたのは言うまでもない。



 そして高野が加わっての検証作業が始まった。

 高野から提供された観察していた店の中からの情報とパチンコ玉などの物証、それにエルの稼働データからのファクターを照らし合わせ、それぞれの時点で何があったのかをひとつひとつ割り出していく。


 するとだんだん、柴崎と安原が協力して色々な画策を巡らしていたことが浮かび上がってくる。

 その上で高野は柴崎と連絡を取って詰め寄ったのである。



「彼らはこう言っていたよ。我々は治安維持局じゃない、研究者だ。真相が究明できれば問題ない、とね。そして今後もう二度と同じことが起こらないことだけを望んでいる。ただそれだけだと」



 それを聞いて柴崎の泣いて、クシャクシャだった顔に希望の光が灯る。



「それじゃあ……俺は……」


「人材難のエルドラドが、有能な人材をみすみすクビにできるわけないだろ?」



 そう言って笑う高野。


 そしてそれはまた事実でもあった。

 高野はむしろ柴崎や安原の立場を最低限守るために奔走したのだ。

 その気持ちが白瀬に通じたというわけである──。



「これからもしっかり頑張ってもらうぞ!」



 高野は励ますように柴崎の背中をポンと叩いた。

 その場にいるみんながほっと安堵の息をつく。

 これにて一件落着の空気が漂った。


 ──ただ一人を除いては。

 そう。

 そこには一同の気がゆるんだスキを見逃さない者がいた。


 突然、体当たりをするように安原が高野に向かって体をぶつける。

 そして高野の手の中にあったパチンコ玉を引ったくったのだ。



「あ、おい!」



 そのまま安原絵里は脱兎のごとく外へと飛び出していった。

 そして彼女はそれきり帰っては来なかったのである──。

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