59 話 中間管理職
エルと翔哉が、ゲームをやっている様子をモニター室で見ていた3人のところに、所長室から大方デスクワークを片付けた白瀬がやってきた。
「ん? なんか面白いことあった?」
みんなが盛り上がっている様子なのを見てそう尋ねると、エルがテレビゲームを始めてから最短距離でクリアするまでの流れを、恵がかいつまんで白瀬に説明する。
「やっぱり、こういうのは得意ですよねー。エル!」
感心したように隆二が言う。
「まあ、アドバンスドAIの頭脳が入ってるわけだからな。基礎的なことを学ぶまでは多少手間取っても、一度習得してからの応用は人間の比じゃないだろう」
白瀬はあっさりそういうものの、舞花は違うところが気になるようだ。
「だけどゲームをクリアしても人間のように喜ばないのね」
「それは人間とは、後天的な刷り込み価値観が違うからじゃないかな?」
この辺りは人格系プログラマーの面目躍如と言えるだろうか。
まだ不思議そうな舞花に隆二は更に説明を加える。
「どういうこと?」
「人間は、小さい頃から何かが、上手くいったらその度に『偉いねー』って教育されるだろ?」
「そうよね」
「何かを学んで結果を出す。つまり達成したら、人より価値が上がるっていう刷り込みを受けているんだよ。達成感という意識付けでね。でもそうなるとそれがいつしか物事を行う時の目的に刷り替わってしまうんだ」
「つまり、人より偉くなるために、自分の価値を上げるために、学習を行うようになるってこと?」
「確かに何かをやり遂げることは素晴らしいことだと思うけど、本質的にはそれによって人間の価値が実際上下したりはしないよね? でも、そういう刷り込みを受けることで、その幻のような“自分の価値“が上がると思い込む。つまりアイデンティティを得たと錯覚するんだ。そしてそれを達成感だと思うようになってしまうんだろうね」
その二人の会話に白瀬が入ってくる。
「それは確かに、人格育成期に学習する習慣を植え付けるためと考えると、ある一定の成果を挙げているとは言えるんだ。しかしそれが今度は逆に次第に学習プロセスの足かせになってくる……」
顎の髭を撫で上げる白瀬。
「達成感という快感でエゴが満足感を得てしまうと、逆に学習意欲が減退してしまうんだな。そこが更に高いレベルの学びを続けていく時、今度は問題になってくるんだよ」
「私は達成感は大好きだけど、それで意欲が減退したりはしないわ!」
舞花はそれを聞いて逆に得意げである。
「決して満足しないもの!」
「あーあー。お前はとびっきり強欲だよ、舞花!」
隆二がいつも通り突っ込む。
「まあ、そういう舞花のようなやり方もあるにはあるんだが……」
白瀬は説明を続けた。
「ガイノイドは感情を導入するにあたって、その辺りが障害になって学習効率が低下しないよう、あらかじめ細心の注意をはらって設計されているんだ」
それを横から恵が補足する。
「そうですね。だからエルは学習によって卓越した能力を得たとしても、それからもずっと謙虚で居続けられるんです。達成感という全能感に浸らない分、それが優越感に変換されにくいんだと思います」
「それもガイノイドの持つ重要な特性のひとつだな。彼らは人間と寄り添い、能力では上回りながらも、対等な関係を続けられる存在としてデザインされているんだよ。一度、社会に受け入れられれば、人間のパートナーとして大きな力を発揮してくれるはずなんだが……」
種としての生命力の低下によって、この世界では人間の数がこれ以上増える見込みが薄くなってきている以上、そういう存在を社会の中に迎え入れることが急務だったのである。
しかし、レイバノイドによって植え付けられた怨念、アンドロイドに対する不信感とも言い変えることができるだろうそれを、人間はこれから払拭することができるのだろうか?
「自分の優越感を満足させる目的で、周りを支配しようとやっきになって生きているみたいな人達には、そういうのって逆に理解されにくいからなあ……」
隆二が、暗に行政府の役人を皮肉っているのは明らかだった。
「それどころか、アイツら自分たちを正当化するために逆にこっちを敵視してくんのよ? まったく腹立つったらないわ!」
それを受けて舞花も怒り出す。
そうこう言って盛り上がっているうちに、エルの視覚モニターの映像はだんだん研究所へと近づいて来ていた。
それを見て、これにてお開きとばかりに白瀬が最後を締める。
「ともかくだ。いずれにしてもエルの臨床テストは後一週間と少しで終了することになる。みんなも気を抜かずに最後までしっかり頑張ってくれ、頼むぞ!」
◆◇◆◇◆
臨床テスト中、日曜日は早めにエルが休眠カプセルに入るので、研究所に詰めているみんなもそれぞれ一旦家に戻る手筈になっていたのだが、今日は夜の9時を回ってしまったため、そういう訳にもいかなくなってしまったようだ。
そこで白瀬も当初は「今日は俺も仮眠室で……」と言っていたのだが、これは恵から止められてしまった。
「宗一郎さんは明日本社に行くんですよね? 一度家に帰ってお風呂に入って、着替えた方がいいと思います!」
そう力説されて、白瀬はしょうがなく一旦家に帰ることにしたのだ。
家に帰ると言っても社宅みたいなものなので、彼らの住処はそれぞれ研究所の近くにある。
歩いて10分と言ったところだろうか。
しかし、夜の9時半頃になって真っ暗な中、独りで家までの道を歩いていると、間もなく白瀬はおかしなことに気が付いた。
後ろから、自分の歩く足音に加えて、別の足音が聞こえるのだ。
最初は自分の足音が反響しているのかとも思ったが、よく聞いてみると足音の質が違う。
白瀬はいつもの通り、研究所で履いている普通のサンダル履きのまま出てきてしまったのだが、後ろから聞こえてくる足音はそれとは違う硬い革靴の音なのである。
そして──。
後ろを振り返っても誰もいない。
しかし、また前を向いて歩きだすと同じ足音が追ってくるのだ。
これは……!?
こういうことは、以前にも覚えがあった。
隠れてこちらの情報を集めるための尾行ではなく、夜道などでこちらにプレッシャーをかけるために、故意に存在をほのめかす尾行。
「来たか……」
昔、安原龍蔵について調べていた時にも受けた脅迫──。
それをまた受けるかもしれないことは白瀬自身覚悟していた。
「今回も既にここまで、村井とかなり調べ回っているからな……」
この日はこれ以上のことは起こらなかったが、これは恐らく脅しの第一段階だろう。
この先も色々と龍蔵の情報を集め、このまま調査を続けていくのなら、これが今後エスカレートしていくことになるのだ。
「お次はダルマさんが転んだゴッコですか。困ったね……こりゃあ……」
白瀬はそう声に出すと頭を掻いて見せた。
◆◇◆◇◆
次の日。
月曜日の白瀬は、朝一で綾雅商事の本社に顔を出していた。
アンドロイド事業部の中でも、主要な製品を開発している汎用企画製作課の新作レイバノイドの最終データの提出と、ガイノイドの臨床テストの現状報告のためにである。
本社は、銀座街区のエルドラドの裏のオフィス街にあるので、そこからお昼頃にはまたランチ時のエルドラドに、顔を出せるだろうという算段でもあった。
しかし今日はそれだけではなく、そこでゲヒルンの久保田と落ち合って一緒にランチを食べながら情報交換をするという予定も入っていた。
久保田の顔を知っているのは翔哉だけなので、翔哉が店にいない今日は彼が白瀬といても見咎められる心配はないだろう。
チン。
高層エレベーターを降りると、そのすぐ奥が機械工学本部のフロアだ。
組織図的には、この機械工学本部の下にアンドロイド事業部が属しているということになる。
「おお、白瀬君か。順調かね?」
明らかに太り過ぎの横に広がった大きな体のせいで、高級そうなビジネスデスクが小さく見えてしまう人物。
大川二郎本部長が、白瀬が近づいてくると親しそうに声を掛けてきた。
「今日は汎用企画製作課のグリフォン3の最終データを持ってきました」
「おお、そうか。あの新型のだな」
大川の顔が嬉しそうに崩れる。
「これまでよりディープラーンニングエンジンの学習効率が25%向上しています。今回の最終テスト結果を踏まえても、ほぼ理論値に近い数字を叩き出していますので、まず問題ないでしょう」
「ほほう。それはすごいな」
こういう会話をしていると白瀬の中では、どうしても昔の記憶が蘇ってきてしまう。
あの軍事アンドロイドを研究していた日々が──である。
それもそのはずで、現在メインで稼働しているレイバノイドシリーズは当時の軍事用アンドロイドをベースにしたものであり、目的は民間転用されているものの、ベクトルとしてはあまり変わってはいないのだ。
それに対して、ガイノイドに関してはまったく方向性が違う。
提出するデータも、数字的なものはむしろ少ないほどで、資料にはアカデミックな記述が並ぶ。
経済学部出身の本部長は、それに面食らっている様子で……。
「あー。ああ、これ……ね。後で目を通しておくから」
こちらの資料は、そう言って横にやってしまうのだ。
こういうことについて白瀬と意見交換が出来る訳でもなく、ガイノイドの話題については本部長自身正直困惑しているようだ。
「君たちが非常に力を入れて、研究を続けてくれている分野だからね。うん、わかる。気持ちはよーくわかってるよ……」
以前、どうしても「アンドロイドにどうして心が必要なのかわからない」とこぼした本部長に、白瀬の口から直接その理由を説明したら──それ以来こんな感じなのである。
それ故に、行政府から圧力がかかることがあっても防波堤になってくれることはあまりなく……。
そのままこちらまで全て素通りしてきてしまうわけなのだ。
「その辺りはどうにもならないよな……」
会社というものが元々営利組織である以上、どうしてもお金を集めることが第一義になってしまうのは、ある意味しょうがないこととは言える。
社会的文化的意義から経営を語ったり、文化創造の観点から新製品開発を語ることができるのは、むしろカリスマ的な経営者やベンチャー起業家と言われるような人物であり、本部長的な地位にある中間管理職ではないのである。
そこに──言いたいことは山程あるのだが、結局何も言えず胸のうちにしまうしかない、白瀬のやるせなさがあるのだ。
そうして、何とかお昼ごろまでに本部長との面会を済ませて本社を出ると、そこから白瀬は今度はエルドラドへと向かった。
本社のあるオフィス街から、レストラン「エルドラド」までは歩いてもたかだか5分ほどの距離である。
そこで今日は久保田が待っているはずであった。




