58 話 恋愛は戦争なのよ
次の日の日曜日。
エルは、意外なことになかなか翔哉の病室に姿を見せなかった。
翔哉が病院から出された昼食を食べて、更に時刻が午後2時を過ぎた頃になっても、彼女がドアを開けて入ってくる気配はなかったのである。
「大丈夫かな?」
翔哉としては、エルの側で事故に遭ったり問題が起こったり何かあったんじゃないか、むしろそういう方向の心配をしていたのだが。
……ここでそれを気に病んでいても仕方がない。
なので暇を持て余したことで、入院してからやるようになったスマホゲームでもやりながら、エルをのんびり待つことにした。
『ぷよスライムハンター零』
このゲーム、通称「ぷよスラ」は、リアルタイムで変わり続けるスライムの形の急所を撃ち抜くハンター系のゲームである。
一見単純なようだが、ステージが進むと複数のスライムが連携したり合体したりして攻撃してくるので、見かけによらずかなり攻略するのが難しくなっていくのだ。
演出も良くできていて盛り上がることもあって、軽い気持ちで始めた割にここ数日で翔哉はすっかりこのゲームにハマっていた。
またスマホゲームとは言うものの、この世界のスマホは小さめのタブレットくらいの画面である上に、簡単にあちこちのテレビにモニター出力できるようになっている。
家庭用ゲーム機のゲームソフトのほとんどが、VRゲームという状況になっていることもあって、スマホでは非VR系のゲームやARを使った外であちこち出かけてやるゲームが出るという……そういう住み分けになっているようである。
そんな訳で、翔哉はこの「ぷよスラ」を病室のテレビに出力してここ数日遊んでいたのだ。
そうすると──やがて午後3時を過ぎた頃になって、ようやくエルが病室にやってきた。
「翔哉さん! 遅くなってしまってごめんなさい!」
そう言って病室に入ってきたエルは、昨日よりも更に着飾っていた。
昨日はセンス良くちょっと落ち着いた感じだったのだが、今日のコーデはそれとは打って変わってかなり攻めた感じである。
ファーが付いた黒い毛皮のコートの下は、フリフリの目一杯ガーリーに装ったロリータファッション風の出で立ちだったのだ。
──平たく言うと魔法少女みたいな感じだろうか?
可愛らしく広がったフレアスカートの下から見えた足に、巻き付いたようなオシャレなタイツが、スタイルの良い足を強調して目に飛び込んでくる!
「エルも、そういう可愛い服を持ってるんだね……」
目のやり場に困りながら、翔哉がやっとそう口にする。
当然、内心はドキドキして平静を保つのに苦労しているのだが。
「あの……舞花さんの服をお借りしているんです。ちょっと恥ずかしいですね」
エルがそう言うと、しばらく二人共俯きながら黙り込む。
流石にこれくらいになってくると、こうしてお互い赤面して黙り込んでしまうくらいは恥ずかしいのである。
これって──。
舞花という人に遊ばれてるんじゃないだろうか?
翔哉もだんだんそんな気がしてきていた。
そして今日はもうひとつエルが持ってきたものがあったのだ。
それは大きめのピクニックバスケットである。
その中には各種趣向を凝らしたサンドイッチが入っていた。
「これを作っていて……遅くなってしまったんです。ごめんなさい」
そうエルは言った。
「これ……エルが作ってくれたの?」
「は、はい。皆さんに色々手伝って頂きましたが……」
翔哉の驚きの混じった尊敬の眼差しのような視線を浴びながら、そう言ってまた恥ずかしそうに下を向くエル──。
◆◇◆◇◆
事は昨日に逆上る。
何か食べ物を持ってきて欲しい──という翔哉が出した要望に、また舞花が食いついたのである。
「お弁当よ! これは手作りお弁当作戦しかないわっ!!」
「舞花、お前は一体どこを目指してんだよ」
毎日色々と画策しようとする舞花に、隆二はいささか呆れ顔だったが。
「でもそれいいんじゃない? エルは翔哉君に自分の作ったものを食べてもらいたいんでしょ? 今回はその夢を叶えるいい機会なんじゃないかしら?」
こうして恵もそれに賛成したことで、計画は実行に移されることになったわけなのだが……。
しかし手作りお弁当とは言っても問題は何を作るかである。
エルは既に包丁扱いについては、ちょっとしたプロの職人でもかなわないレベルに達しつつあったのだが、それに対してまだ煮炊きや味付けは正直難しいところがあった。
それはまだ味覚についてはあまり学習が進んでいないからなのである。
エルは、毎日食べ物を食べることによってエネルギーを補給している訳ではないのだ。
それ故に、味覚のディープラーンニングについては、どうしても立ち遅れてしまうことになる訳で、これはある意味致し方ないところだった。
「そこでサンドイッチよ!!」
「舞花さ。そのいちいちポーズを決めて、大げさに決め文句に持っていくのって……篠原シェフ意識してるとか?」
横でつまらなそうに突っ込む隆二である。
「もちろん!!」
舞花も負けてはいない。
しかしよくよく考えてみると、サンドイッチを作るというのは名案かもしれなかった。
味付けという微妙な部分は最小限に留めた上で、中に挟む具を切る場面において包丁使いの正確さを十分に発揮することができるからだ。
舞花が「絶対に玉子サンドの玉子は焼かなきゃ駄目!」と謎のこだわりを見せたため──玉子焼きを初めて焼くという部分と、最後に出来上がったサンドイッチを上手く切り分けるところが懸案になったのだが、そこは多少失敗しながらも最終的にエルが上手くやり遂げた。
こうして無事エルの手作りサンドイッチ弁当が出来上がった訳である。
朝から準備を始めてこの時点で11時半。
これなら昨日と同じ午後1時頃に、翔哉の病室に到着するのは問題ないように思われたのだが、そこから今日着ていくエルの服装でまた一悶着あった。
これも主に──「今日は昨日以上にインパクトを残さないと!」と家から大きなスーツケースを2つも持ち込んだ舞花が原因なのだが。
「常に対象に驚きが無いと、男という生き物はすぐに飽きてしまう。恋愛は戦争なのよ!」
「お前は一体何と戦ってんだよ……」
隆二といつもの掛け合いを続けながら、舞花はエルのファッションに最後までこだわりを見せたのである。
自分のコレクションからゴスロリルックを引っぱり出し、エルに合うものを見繕った後はそこから下着、タイツ……そしてお化粧や髪の毛まで試行錯誤しているうちに、時間は午後2時を超えてしまい……。
──そういう訳なのだ。
◆◇◆◇◆
「すごい……!」
翔哉の喉がゴクリと鳴った。
しかしその甲斐あって、エルが病室のミニテーブルに並べていく、サンドイッチはどれもかなりのクオリティーであった。
「すごく美味しそうなサンドイッチじゃない、これ!」
美味しそうな香りを立てている焼いた玉子焼きやハム……そしてキュウリやトマトなどが、しっとりとした目の細かい食パンに挟まれて、素晴らしい精度で切りそろえられたサンドイッチ。
それらが綺麗にバスケットの中に収まっていた。
それをエルが丁寧に翔哉の前に並べていく。
よく見てみると黒胡椒がかかっていたり、塗ってあるのがマヨネーズや辛子マヨネーズやバターであったり、あちこちに細かい工夫もなされている。
翔哉は、お世辞抜きで夢中でかぶりつくことになった。
「美味いっ!!」
最初に一口玉子サンドを食べて歓喜の声を上げる翔哉。
「よかった……!」
それを見てエルも心からの笑顔になる。
「だから言ったでしょ! 玉子サンドは焼くに限るのよっ!!」
それを見て、モニター室で椅子に足を掛けてモニターを指差しながら、勝ち誇ったようにドヤ顔で、舞花が叫んでいたのはご愛嬌である。
あまりの美味しさに、翔哉はサンドイッチを次々に平らげていく。
慌てて食べたため、途中で喉を詰まらせるというかなりベタなことにもなったのだが、そこもエルがコーヒーを魔法瓶で持参しており、飲み物対策もバッチリだった。
ブレーンに抜かりがない女を自称している舞花と、気配りの恵が付いているのだからそれも当然といえば当然か。
「いやーありがとうエル。エルドラドの弁当並に美味しかったよ!」
「…………」
顔を真っ赤にしてうつむくエル。
「それにこれってエルの手作りなんだろ? すごいじゃない! やっぱり篠原さんが言ってた通り、エルには料理の才能あるんだな。今日で僕にもよーくわかったよ」
「嬉しいです……」
エルは一言だけ控えめにそう呟いたが、その顔は本当に嬉しそうであった。
叶うことはないと思っていた、自分が作った料理を翔哉に食べてもらいたいという願いがこんなにも早く叶ったのだ。
「これも色々と教えて、手伝って下さった開発課の皆さんのお陰です──」
こうして二人で幸せな食事をした後、一息つくとエルがいつもと違うテレビの画面を見つけて言った。
「翔哉さん、今日は何かしてらっしゃったんですか?」
「ああ、ゲームをちょっとね」
「ゲーム……シュミレーターみたいなものでしょうか?」
エルの持っている知識にもゲームという単語はあったのだが、主にコンピューターで結果を計算して目的を達成する──知識としてそう聞いてシュミレーターのようなものだと思っていたようだ。
「うーん。確かにそうかもしれないけど、シュミレーターってほど堅苦しくないんだ。楽しむものだからね」
「楽しむ……もの?」
エルには感情があるため「楽しい」という感情は知ってはいのだが、楽しむことを目的に何かをするということは、まだ実感できないようだった。
「やってみる?」
そう翔哉が言うと。
「いいんですか?」
意外にもエルは興味があるようである。
今はテレビに出力しているのでスマホ自体がコントローラーになっている。
その操作方法を教えてあげると、エルは早速「ぷよスラ」に挑戦し始めた。
「あ、そこを撃つんだよね」
「あっ!」
訳も分からず右往左往するエル。
まあ、初めてやるゲームなんて誰でもそんなそんなものである。
しかし──。
「あっ!」
「そう。これでクリアー」
「これで……いいんですか?」
一度、一面をクリアし成功体験をしてからが凄かった。
エルは2度目の挑戦であっと言う間に5面までをクリア。
そして、そこで一度ゲームオーバーしたものの。
その後は、どんどん変わっていくスライムの変形パターン、合体パターンにすぐに対応できるようになり、一気にエンディングまで行ってしまったのである。
『おめでとう! 君こそぷよスラMASTERだ!!』
これまでにない賑やかで勇ましい音楽が鳴り響き、画面にはスタッフロールが流れ始める。
「これで……終わりなんでしょうか?」
狐につままれたような様子のエル。
「凄いねエル。うん、これでゲームクリア! エンディングだよ。僕も見るのは初めてなんだよね!」
翔哉は少し興奮気味だったが、エルが有能なAIを搭載したアンドロイドだということを改めて実感していた。
「やっぱりエルは有能なんだなあ」
「そうなんでしょうか?」
きょとんとしているエル。
「エルには達成感とかないの? ゲームしていて楽しかったとかってなかった?」
そのあまりに人間とは違う反応に翔哉が思わずそう尋ねる。
それに対してエルはこう答えた。
「楽しかったですよ、ゲーム! でもそれは達成したからとかクリアしたからとかではなくて──」
そこではたと一度止まって考えると、やがて心の中で答えを見つけたように微笑んでこう言ったのだ。
「翔哉さんと一緒だったからかもしれませんね……!」




