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56 話 お見舞いの日々

 翔哉の目が覚めた次の日。

 8月18日からは、エルもまたエルドラドに今まで通り出勤するようになっていた。


 一日しっかり仕事を勤め上げた後、夜の8時にお店が終わるとエルはそこから真っ直ぐに翔哉の病室に直行する。

 それから午後10時の病室の消灯時間まで、翔哉と二人だけの時間を過ごすのである。


 そのエルの様子にいち早く気が付いた篠原が、次の日の金曜日からはランチの残りで衛生的に問題がなさそうなものや、仕込んだ食材の半端に余った料理などを持たせてくれるようになった。


 つまりはまかない弁当というわけだ。



「翔哉さん……食べさせてあげましょうか?」


「あ……いや……自分で食べられるよ」


「遠慮しないで下さい。はい!」



 翔哉の病室は、個室なので他には誰もいない。


 その安心感も手伝って、二人の間ではこのような会話が交わされており、これが夜の当番なのに店が終わる8時頃には早くもモニター室にやってきて、張り付いていた舞花を喜ばせたのは言うまでも無い。



「美味しいですか?」


「うん、すごく美味しいよ!」


「よかった……」



 賄いと言えどもあのエルドラドの食材なのだ。


 病院食も3日目で、既に食傷気味だった翔哉がこう言うのはある意味当然で、エルもそれによって存分に幸せな気分を味わえたのである。



   ◆◇◆◇◆



 そうこうしているうちにもう週末だった。

 週末のエルは、当初の予定では研究所内でリクリエーションのはずだったのだが、今週は多少様相が違ってきていた。


 翔哉は一週間入院して次の火曜日にはもう退院なのだ。

 そして、その後8月24日の水曜日からすぐに職場に復帰する予定なのである。


 地球暦の時代では、iPS細胞などの技術が進歩したおかげで内臓などの回復を促進できるようになったため、今回の翔哉のように内臓まで刃物が届いて傷ついた場合でも、従来までより随分と早い回復が見込めるようにはなっていた。

 そのため表皮がくっつく一週間ほどで、最短退院などという芸当が可能だったのだ。


 ──それでも体は病み上がりには変わりがない。


 普通に考えれば、退院してからも出勤するまで数日休暇を取るなり、もう少しゆっくりしてもいいのではないかと思うのだが──。

 どうやらこれは翔哉自身の強い希望によるものらしい。



 それはともかくとして。

 そういうわけで、この土日病室で彼は一人きりなのである。


 当然、エルは本心では翔哉のところに行きたいだろう。

 また開発スタッフもそれに異存はない、いやむしろ行かせてやりたいのだ。

 何しろ今のエルにはそれがエモーショナルフォースのリカバリーに一番効果が期待できるのだから。



「遠慮なんていらないわ、エル。行ってきたら?」



 そこで恵がまずはそう言ってエルの背中を押した。


 エルの臨床テストが終わるまで後10日。

 翔哉が職場に復帰してからでは、残り時間は一週間しかない。

 翔哉とエルが一緒に居る時間を、少しでも長く作ってあげたいと誰もが思っていたのだ。


 きっとできるだけ早く職場に復帰したいと希望した翔哉も同じ気持ちだろう。



 開発メンバーも一緒にお見舞いに行こうか──と言う話も出るには出たのだが、その時研究所にいなかった白瀬に後から相談した結果、結局その案は見送られることになった。


 土日は、エルの詳細な稼働データを提出する義務がないので、誰と一緒に何処へ行こうが実は大きな問題はない。

 しかし開発陣がここで一度翔哉に会ってしまうと、その後の翔哉との関係が開発側の作為だと第三者機関に疑念を持たれてしまう可能性がある。


 結局、行政府側が元々ガイノイドの実用化に消極的であることに加え、今となっては安原龍蔵の意図も一枚噛んでいるかもしれないという状況になってきているため、こうなってくると悪いファクターはできるだけ作らないほうが無難という結論に落ち着いた。



「ほんっとアイツらって邪魔しかしないわよねー」



 王子様と会う絶好の機会を逃した舞花がこれに怒り心頭であったのはいうまでも無い。



   ◆◇◆◇◆



 病室の翔哉はひたすら暇を持て余していた。

 平日の夜は今のところエルが来てくれているものの、身内も知り合いもこの世界にあまりいない翔哉は、基本誰も他に病室には来る予定が無いのである。


 翔哉が入院している病院は銀座中央病院。

 綾雅コンツェルンの息がかかった総合病院だ。


 そして、入っている病室は一般病棟とは別にしつらえられた特別ルームで、周りに他の患者や人の出入りも無く非常に静かである。


 落ち着いてきてから色々見て回ってみると、他の病棟とも全然雰囲気が違うし、何より非常に上等そうな部屋なのだ。

 他にも色々と扱いが違うらしく、面会時間は通常朝11時から夜9時までのところを、この病室だけは夜は10時まで特別に許可してもらっているとのこと。


 そんなことが色々わかってくると翔哉はだんだん恐縮してきてしまっていたのだが……だいたいこれ入院費とかはどこから出ているんだろう?

 人間暇を持て余すとどうしても色々と考えてしまうものらしい。



 そんな感じなので、この土日なんかは死ぬほど暇を持て余すだろうと翔哉自身覚悟していたのだが……。



 その予想に反して、8月20日の土曜日は朝11時に面会時間が始まるとすぐに、エルドラドの人達が早速お見舞いに来てくれた。


 篠原、高野、柴崎、清水……そして今日は珍しく飯田店長も一緒だ。



「安原君は……今日は身内でどうしても外せない用事があるらしくてね」



 そう言う飯田。


 実際には、絵里は巻き込むつもりではなかった翔哉に、こうして怪我をさせてしまったことを気に病んでおり、会わせる顔が無いと思っていたのだが──。



「聞いてます。こーんな凄いお見舞いが朝一で届いてましたからね!」



 翔哉がそう言って奥の大きなテーブルを指し示す。


 するとそこには、見舞い品の大きな花束と豪華な贈答品仕様の焼き菓子の箱が、上に載り切らないほどドーンと置かれていた。

 そのお見舞いの品と一緒に、今日はみんなと一緒にお見舞いには行けない旨が簡単に書かれたカードが添えてあったのだ。


 それを見てみんなも納得したようである。



「やっぱ……お嬢様は違うよな……」



 思わず──という感じでそう呟く柴崎。



「お嬢様──なんですか? 安原さんって」



 翔哉はあまり安原とまだ親しく話したことが無かったので知らかなったのだ。



「うん、実は彼女は安原財閥の一人娘ということらしいんだ。僕も最初聞いた時はびっくりしたよ」



 高野がそう教えてくれた。

 そして安原財閥というのは西暦時代から続く、今でも綾雅に次ぐほどの大財閥なのだというのを、ここで翔哉は始めて聞いたのである。


 確かに何だかちょっと周りと空気が違うっていうか、不思議な感じの人だなあと思ってたんだけど……。

 単に個性的とかってだけじゃなくて、本当に僕達庶民とは身分が違う人だったのか。


 これには翔哉もびっくりだった。



「でも23日退院で24日からすぐお店に出るんだって? 大丈夫? しばらく休暇扱いにしてもいいんだよ?」



 飯田店長も、自分のお店で従業員が傷害事件に巻き込まれたということで、やはりかなり責任を感じているらしく、心配そうにそう言ってくれる。



「大丈夫ですよ。無理はしないようにしますから」



 そう言われてみると、そうやってしばらくは静養しても良い気はするのだが、やっぱり翔哉はエルのことが心配だったのだ。


 それに加えて、そうやってすぐに仕事に復帰してからでも、エルと一緒にいられる時間は後1週間しかない……ということ。

 その現実がだんだん心に重くのし掛かってきていたのである。


 決まっている期限自体は、もうどうすることもできないのだが、できるだけ一緒にいられるうちは一緒にいたい。

 ──そう翔哉自身も思うようになっていた。


 そうやって、しばらくみんなと話していて気が付いたのは、飯田が落ち込み気味だっただけでなく、今日はなんだか柴崎も様子がおかしい気がしたことだ。


 落ち着きがないし表情も暗い。

 翔哉が話しかけると何故かはわからないが、少しビクビクしているような感じにも見える。


 これはどういうことだろう?


 エルドラドの中においても、翔哉がいないうちに少しずつ状況に何か変化が起こってきているのだろうか。

 高野や篠原などには、特に変化は見られないようだったが……。


 やがて──そうして一時間くらい談笑すると、エルドラドのみんなは病院の昼食が運ばれて来る午後12時過ぎくらいには帰っていった。



   ◆◇◆◇◆



 そして。


 病院から出された味の薄い昼食を食べ終わってしばらくすると、午後1時過ぎになって今度はエルが翔哉の病室にやって来たのだ。


 来たのだが──どうにも様子がおかしい。



「こんにちは。翔哉さん」



 ドアを少し開けてひょっこり顔だけを覗かせるエル。

 頭にはいつもと違って、フリースのフードを被っているようだ。



「エル。よく来たね」



 翔哉はいつものようにそう声をかける。

 だが、今日はエルがなかなか中に入って来ないのである。



「どうしたの?」


「あの……どうか笑わないで……下さいね……」



 そして、エルはそんなことを言ったのだ。

 もちろん翔哉は何のことやらさっぱりわからない。



「何のこと──?」



 そうベタに返事をしていると、やがて諦めたようにエルがおずおずと病室の中に入ってきた。


 なんだか……いつものエルと違うような。

 そう思いながら、恥ずかしそうなエルをまじまじと見つめてしまった翔哉は、突然それに気が付いたのだ。



挿絵(By みてみん)



「し、私服!?」


「は……はい……」



 真っ赤になって俯くエル。


 そこには、ベージュのエレガントなフリースのフード付コートを羽織って、編み上げブーツを履き、落ち着いた色調のガーリーでゴシックなコーデを身にまとった彼女──エルがいた。



「…………!」



 絶句する翔哉。

 か……可愛い……可愛すぎる!


 翔哉の目には今やそのエルの姿がスローモーションのように揺らいで……周りにまるでシャボン玉のような水玉が舞っているように見えてしまう──!


 恥じらう表情。

 もじもじする仕草。

 吐息の混じった控えめな喘ぎ声。


 !!!


 翔哉はどうやら、この突然のエルの奇襲に完全にノックアウトされてしまったようなのである。

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