55 話 若き日の研究者
──2013年9月。
この世界において、第三次世界大戦などという小説や映画のネタになり尽くした名前の──大仰な戦争が実際に始まった時。
白瀬宗一郎は22歳。
その時の彼は、某有名大学の機械情報工学科で知能情報システムについて研究しながら高性能な汎用AIの実用化を夢見る大学4年生であった。
優秀だった彼は、4年に上がった春頃から既に研究室に入り浸って研究漬けの毎日を送っており、その頃は8月の院試の結果が出て大学院へ進むことが丁度内定したばかりのタイミングだった。
しかし突然巻き起こった“世界大戦”などという歴史上ですら稀に見る大波が、その白瀬の約束されていた進路を歪めてしまう結果になってしまったのだ。
この緊急事態に内閣府からの要請を受ける形で、白瀬はアメリカ軍との共同開発プロジェクトに参加することが決まったのである。
これは要請とは言うものの、実質断ることは不可能な学徒動員に近いものだったと言える。
そしてそのプロジェクトとは、当時存在していた以上の先鋭的な高性能AIを、世界に先駆けて開発することによる『自律型無人兵器』の開発プロジェクトであった。
この『兵器』の対象は当初は、無人偵察機から進化させた無人自律戦闘機や無人自律戦車だったのだが、AIの稼働データが集まることに比例して戦争自体も膠着長期化していったことで、それは次第に次世代機械歩兵としての『自律型戦闘アンドロイド』の開発へと向かうことになっていったのだ。
「ロックオン精度がコンマ3向上したな。白瀬君」
「そうですね。ですが、ソフトウェア的にはコーディングの効率化がもう少し見込めます。加えてロボティクス的な精度も上げることができれば、後もう少し何とかなるのではないかと自分は思っています……そうすれば速度も──」
「そうか。君は優秀だな。よろしく頼むよ!」
「はい!」
戦争動員される形で突然始まったこのプロジェクトは、戦争が思っていた以上に長期化ししてしまったことで、既に決まっていた白瀬の大学院への進学も、なし崩し的に消滅させてしまった。
こうして思わぬ形で大戦の余波を被った格好の白瀬だったが、彼は実を言うとこの従事している研究自体は嫌いではなかったのだ。
自分がやったらやっただけ成果が出て、そしてすぐに演習や実戦で次のデータが出てくる。
社会的モラルや外部からの騒音も含め、研究以外のことは何ひとつ考える必要が無く、予算も無尽蔵とさえ言えるほどであり、白瀬達からの申請はどんなものでも全て通る──。
研究者としては、正に夢のような環境だったからである。
そんな中。
若き日の白瀬は、自分の研究したものがどう使われるか、何を引き起こすかの深い思慮をすることもなく、ただ自分の知的好奇心を満たすためだけに、ひたすら研究に没頭した。
その日々は楽しかった。
作っているものはどんどん良くなっていく。
周りからは称賛される。
実績を上げると給料もあっと言う間に当初の10倍以上になった。
何不自由無く、そして何の心配もなかった。
いや無いように思えた。
そう。
少なくとも“あの日”までは──。
◆◇◆◇◆
2015年12月8日。
朝から雨が降り出しそうな曇り空だったその日。
東京が突然戦場になったのである。
その時期の白瀬は、自衛隊入間基地近くの研究所で勤務しており、筑波とその近くに敷設された演習場を行き来する忙しい毎日を送っていた。
また結局あのまま大学院には行けなかったものの、戦時における実績と研究論文が認められる形で、彼には特例として既に博士号が授与されており、研究所内でも特別な存在と認識されるまでになっていたのだ。
自律型戦闘用アンドロイド開発のプロジェクトリーダーを任されていた彼は、その日も昼過ぎから筑波に行く予定だった。
その為に自衛隊のヘリがこの研究所まで白瀬を迎えに来るのである。
しかし、その日は11時半を過ぎた頃から電波障害が発生しており、ヘリが飛び立つ報告が来るはずの入間基地からは連絡が途絶えていた。
「これは……ECM? まさか……!」
研究所の通信担当が顔を引きつらせる。
この状況は2013年9月の東京テロを思い出させるのだ。
ECMの電波妨害で各所が混乱した後、突然東京タワーが爆破され倒壊した。
後になってNYの自由の女神、パリのエッフェル塔が同時に爆破されたことがわかり、更に犯行声明が出されて世界は泥沼の現代戦争へと引きずり込まれていったのだ。
その時の悪夢が白瀬を含め、そこにいるみんなの心によぎる。
ただこの時、結果的にその後の推移は彼らの最悪の想定すら、遥かに上回る事態を迎えてしまうのである。
12時ジャスト。
まずステルス性の高い輸送機に搭載された空挺部隊が東京を空から急襲する。
それに載っていたのはテロリスト側の自律型戦闘アンドロイド。
その中には秘密裏に開発されていたらしい当時の最新鋭の機体も混じっていた。
空から突然アンドロイド達が、次々とパラシュートで空から降り立つのを、当時の東京都民達は呆然と見上げるしかなかった。
そのような戦況情報を、連絡が無いまま定時からも遅れて入間基地から到着したヘリ隊員に聞いた白瀬は、実戦配備直前のこちら側の最新鋭機体を東京の戦場に急遽投入することを具申し司令部から承認されることになる。
そしてその戦闘を直に視察するために、東京市街の最前線近くまで行くことを彼自身が志願したのだ。
白瀬は、それまで実際に戦場を見たことがなかった。
演習場で実戦に近い自律戦闘アンドロイド同士の格闘戦が行われたり、射撃訓練を見ることはあったのだが、それだけで実戦時の状況を正確に理解しているとは言えない。
それ故、今後更に改良を続けるためにも、この機会に現場を視察する必要がある……そう思ったのだ。
──それは一見合理的で的確な判断に思われたのだが……。
◆◇◆◇◆
東京都心付近の戦場に到着した白瀬達はそこで見たのだ。
アンドロイド達が戦う最前線で展開されていたのは……正に。
地獄そのものだった。
戦場になるはずがない東京。
誰がそう決めたのだろう。
まして、今は戦時下であったはずだった。
しかし無人化、電子化が進んだ戦争は人々から当事者意識を奪っていた。
突然の『敵』の来襲に、戦争を他人事のように思っていた都民たちは逃げ惑い、悲鳴を上げ、そしてテロリスト側のアンドロイド達によって次々に殺されていったのだ。
これはもう虐殺である。
そこに国連軍のアンドロイド達が次々と投入される。
しかし、彼らアンドロイド達は合理的な判断こそするものの、人の生命や建物の損壊を気に病むことはない。
まして戦況が悪くなれば尚更である。
結局合理的判断という名の元に、人命はどんどん失われ、街は廃墟と化していくことになってしまった。
それはある意味当然なのかもしれない。
彼らは敵味方共に「戦闘用アンドロイド」──壊すことに特化した存在なのだから。
それを白瀬は空から見ていた。
まるで神の視点から俯瞰で見ているかのように。
何が神だ。
俺達は悪魔だ。
俺達こそが悪魔じゃないか。
──この地獄を作り出している元凶こそ、正に俺達自身なのだから!
白瀬は強烈な自己嫌悪に駆られていた。
ヘリの窓から飛び降りたい衝動を感じるくらいだった。
その代りに白瀬はヘリの乗員に──。
「地上に降ろして欲しい」
そう頼んだのだ。
最初は訝しがったヘリのパイロットだったが、白瀬の意志が固いと知ると了承してくれた。
折しも、相手の部隊は制圧することが目的ではないらしく、戦況はまだ膠着していたにもかかわらず速やかに撤退していく。
それは彼らの目的が、この後準備されていた東京への核攻撃を、ギリギリまで隠すための囮作戦だったからなのだが、この時の白瀬達はそれを知る由もなかった。
見晴らしが良くなっている丘のように、少し高くなった地形のところを見つけ、そこでホバリングしてもらう。
白瀬が地上に降りるとヘリは彼を残して一先ず離陸した。
戦場で地上にいるヘリなど、ただの的に過ぎないからだ。
丘から見える市街は瓦礫の山だった。
ビルがどころどころ、倒壊を免れて残ってはいたものの、それも無傷には程遠い。
そして、あちこちにボロ雑巾のように散らばる死体。
壁の落書きアートのように勢いよく飛び散った血痕。
白瀬は呆然として目の前の光景を見つめ続けた。
しばらくそうして自虐的な気持ちに駆られて立っていると、そこにさっき白瀬を降ろして離陸したヘリが戻ってきた。
無線のおびただしい雑音に混じって、白瀬の被ったヘッドセットから切れ切れに声が聞こえる。
「ザッ……緊急……ザー…核ミ……ザッ……至急……ザザー」
──よく聞こえない。
そこに全国瞬時警報システムの放送が鳴り響いた。
『ミサイル発射情報、ミサイル発射情報……当地域に着弾する可能性があります……』
まさか核ミサイルか!?
聞こえている切れ切れの無線の内容と考え合わせ白瀬は肝を冷やす。
もしやって来ているのが本当に核ミサイルだったとしても、最近になって実用化された新型の電磁波ミサイルが、高い確率で核弾頭を無力化してくれるとは聞いていたのだが、それでもゾッとする気持ちが無くなるものでもない。
慌ててヘリに収容してもらおうと白瀬が急いで回れ右をしようとした時──。
世界はまるで突如として終わりを告げようとするかのように、白瀬の見ている景色がそのままぐるっとひと回りした……かのように見えた。
フワッと体が宙に浮き、無重力になったような体験をした彼は、何が起こったわからないままに地面に強く叩きつけられ、そのまま意識を失った。
……………。
………。
…。
どれくらいの時間が経ったのだろう。
薄暗くなった中で、気が付くと白瀬は仰向けに倒れて、雨に打たれていた。
空は分厚い雲で真っ暗。
そして断続的な地震によって、地面はずっと揺れ続けているようだ。
「うっ……一体……何が……」
それが電磁波兵器が誘発したポールシフトの瞬間であったことを、白瀬が知るのはまだ後のことである。
その場で地面の揺れにフラつきながら起き上がると、近くにさっきまで連絡を取り合っていたはずのヘリが墜落していた。
周りは降り続く雨と揺れる地面、そして白瀬以外は動くものは何もない。
ヘリに乗っていた乗員達も、そして同乗していた研究所の同僚も全員が亡くなっていた。
辺りは一面の死の世界だった。
遠くで稲妻が光っている。
これはいったい何なのだろう?
世界の終わりが来たのだろうか……。
一瞬そんなことを考えてしまう。
白瀬は、その情景を呆然と見つめながら、何もかもが虚しいものに思えた。
自分のやってきた研究も、受け取った名声も、金も……。
──そして何もかもが……。
──────。
そうやって、その中で死人のように立ち尽くしていた白瀬の元に、やがて別のアメリカ軍の軍用ヘリがやってきて──。
そのヘリによって彼は救助されたのである。
その直後、ポールシフトによる大津波がやってきて、東京は一度完全に水没することになる。
白瀬は正に間一髪のところで生命を拾ったのだ。
◆◇◆◇◆
「また……あの時の夢か……」
白瀬は、ベッドで起き上がった。
頭を振って過去の幻影を振り落とす。
今日は地球暦24年8月18日の朝だ。
西暦があのまま続いていれば2039年ということになる。
「俺も年を取るわけだよな……」
そう言いながら起きて朝の支度をする。
白瀬は、あの時以来「俺はこんなものが作りたくてアンドロイドを研究してきたのだろうか?」そう自問するようになった。
そしてあの時感じた空虚さを埋めたくて、アンドロイドが人間と対等に協力し合う世界を……。
──そんな未来を夢見るようになったのだ。
そこから生まれたのがガイノイド──そして、エルではあったのだが……。
「これも結局俺のエゴなのかもしれないな」
白瀬はそう自嘲気味に呟く。
だが、現実にエルというガイノイドが生まれ、意志を持って生きることを始めた以上、もう後戻りはできない。
例え自分のエゴから生まれたものだったとしても。
いやだからこそ──か。
白瀬は、エルには少しでも幸せになって欲しかったのだ。
その為の方策を、これからまた探していこう。
今日からエルがまた今まで通りエルドラドに出勤する。
白瀬も、それを見守る為にこれからあの店に向かわなければならない。
適当に朝の支度を終えると、いつものコートを羽織って表へと向かう。
恵に貰ったいつまでも被り慣れない、つば広のメンズハットを面倒臭そうに被り直すと、白瀬は靴を履いて一人で暮らしている家のドアを開けた。
昨日に引き続いて、その日は日差しが眩しい良い天気だった──。




