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52 話 プログラムを超えた意志

 エルは厨房の通路から一気に店のフロアの中へと飛び込んだ。

 そして、まず素早く現状を確認する。


 店の中はフロアの真ん中付近を中心に椅子やテーブルがなぎ倒されている。

 床には壊れた食器や飛び散った食べ物。

 向かって右側にテーブルを盾にした清水。

 翔哉と安原が左側、厨房側の壁際にいる。


 そしてその二人に向かって──まだ少し距離はあったものの──体格の良い小太りの中年男が髪を振り乱して仁王立ちとなっていた。


 手には金属製の凶器のようなものを持っているようだ。

 しかし店の外からの光で室内は逆光状態になっており、光を背にして立っている中年男も構えている凶器も、光学センサーではシルエット状態で細かいところまではよくわからない。


 そこまでエルが状況を把握したところで、彼女を見つけた翔哉がこれまで聞いたことが無いような大声で叫んだ。



「エル! こっちに来ちゃ駄目だ。危ないからもっと遠くへ!!」



 だがエルの心は決まっていた。

 ごめんなさい翔哉さん。

 そのお願いを聞くことはできません。


 私は……。

 私はあなたを守ります。


 例えそれで私がどうなってしまっても──。

 あなただけは誰にも傷つけさせはしない!


 ──それが私の“望み”だから。



 エルはゆっくりと歩くように、翔哉の前まで行くとそのまま彼と目を合わせることなく背を向けて立った。

 凶器を持った中年男と翔哉の間に入り、前に立ちふさがるような格好になる。


 そして……大きく両手を広げた。



「奥に居るじゃないですか、エルが行かなくても“普通”のレイバノイドが!!」


「もう遅い!!」



 後ろで翔哉がまだ逃げずに誰かともみ合っているようだ。

 あくまで私を助けたいというのだ。


 人間ではない──ガイノイドの私を。


 翔哉さん。

 あなたがそんな人だから──私は──。



 前方からは、中年男が威嚇するようにジリジリと距離を詰め、次第に迫ってきていた。

 かなり彼は体格が良い肥満体だ。

 私はこの巨体を抑え切れるだろうか……。



 翔哉さんには早く逃げていて欲しかったけれど、後ろで感じている気配では恐らくそれはもう無理だろう。


 どうあっても私が──せめて最初の一撃だけでも受け止めなければ!!


 男がこれまで威圧するように振り上げていた凶器を、腰元で低く構えて突きに切り替え、エルに襲いかかってくる。


 獣のような吠え声をあげて。


 来るっ!!

 そう思ってエルが全身に力を入れた瞬間。


 ──広げた両手の脇を抜けて、翔哉がエルの前に突然滑り込んできた!!



「翔哉さん!?」



 そう思った時にはもう遅かった。

 刺さった刃物が翔哉の脇腹を深々とエグり、そこからはすぐに大量の血が吹き出して──。



「いやああああああっ!!!」



 エルは悲鳴を上げ、後ろから力が抜けたようになった翔哉を抱き止める。

 彼女の意識からは目の前の中年男すら、もう消失してしまっていた。


 翔哉さん……死なないで、翔哉さんっ!!!



   ◆◇◆◇◆



 白瀬は、エルが両手を広げて翔哉の前に立ち塞がったのを見て、そこに畏敬の念すら抱いていた。


 エルの中では、いざという時には非常に強い力で自己保全が働くようセットされたプログラムが、まるで本能のように背後で動いているのだ。


 どんな状況でも、まずは自分の生存を優先させ、いかなる状況からでも生還すること──。


 そのベースプログラムは、大戦時代に白瀬が所属していた研究チームが、軍事用の戦闘アンドロイドを開発していた頃から受け継がれている相当に強力なものなのである。


 ましてやエルは非戦闘アンドロイド。

 ガイノイドは自らを守る術を何一つもってはいないのだ。


 それに加えて、自らが例え危機に瀕したとしても、人間に対してだけは危害を加えないようにするためもあり、いざという時には逃げ、耐え、怯えることが優先され、相手に反撃することによって自己保全を行わないよう、先天的にも後天的にも厳重に教育されている。


 そんなエルが、彼女自身の意志──更にそれよりも強力なエモーショナルフォースの力で──プログラムされた”本能”を抑え込んだ結果が、正にここに現出しているこの情景なのである。


 これこそ、正に彼女がプログラム通りに動くだけの存在ではない──アンドロイドとして世界で初めて自由意志を持った存在である“証”なのだ。


 これほどのエモーショナルフォースが、彼女の中において既に生まれ、そして育まれていたとは!

 それは……もしかしたら、この谷山翔哉という存在との出会いによって、偶発的にエルの中で爆発的に膨れ上がったものなのかもしれない。


 しかし、このままでは──。

 その貴重なエモーショナルフォースも、ここで彼女が破壊的な衝撃を受ければ、大きく歪んでしまうことになるだろう。



 白瀬は腹を決めた。

 懐にあるスタンガンをそっと取り出す。


 立ちふさがったエルからは反撃の意志は一欠片も見当たらない。

 恐らく自分の身体で相手の攻撃を受け止める気だろう。

 だが、そうなってからでは全てが水の泡だ。


 事が起こるその前に、このスタンガンで奴の動きを止めねばならない!


 髪を振り乱した中年男が、威嚇するように凶器を振りかざしながら、ジリジリとエルとの間の距離を詰めていく──。



 この中年男よりも一歩早く飛び出して、後ろから首の根っこにこのスタンガンを突き立てる!


 それによってエルが白瀬を認識してしまった場合には、色々と後から面倒なことになってしまう可能性もあったが、それを気にする時間も余裕も白瀬にはもうなかった。


 いくぞっ!!


 そう力を込めた瞬間……。

 白瀬はそこに信じられないものを目にした。



“彼が見ているエルの前に翔哉が突然出現したのだ”



 なにぃ!?



 一瞬、躊躇し動きが遅れた。

 そこから慌てて飛び出したものの……もうタイミングは間に合わなかった!

 凶器を持ち替えて突進した中年男を、後ろから一歩遅れて追う形になる。


 ええいままよ!



「いやああああああっ!!!」



 もう目の前に迫ったエルが悲痛な声をあげる。


 刺されたか!?

 そう思ったが、こうなったら後はもうなすべきことをなすだけである。


 翔哉に凶器を突き立てていることで、無防備に晒されている中年男の首の後ろ──男の頚椎の最上部にスタンガンを突き立てる。



 ジジジジジジジッッッ!!!



「あおうおああああああっ!」



 男が再び、今度は苦悶の咆哮を上げた。

 そこに横から清水が素早い動きで飛び込んできて、男の腕を捻り上げ凶器を取り上げる。


 そして慣れた手付きで男の両手を後ろに引っ張り──。

 更に首を上から踏んで床に押し付ける。

 これで男の身体は完全に拘束された。


 そこまでを確認すると、やっと白瀬の緊張は弛んだ。

 だんだん周りの状況が意識に飛び込んでくる。



「翔哉さん!! 翔哉さんっ!!!」



 ふと気が付くと。

 横でエルがそう叫びながら泣きじゃくっていた。

 そして床には翔哉のものらしい血がどんどん広がっていく。

 その勢いから見るにかなりの出血である。


 これはマズいな!


 白瀬がそう思っていると、そこに高野がやってきて叫んだ。



「もうすぐ治安維持局からパトカー来ます。救急車も手配しました!!」



 その高野の声に呼応するように、早くも遠くからパトカーと救急車のサイレンの音が、折り重なって聞こえてきている。


 ──翔哉の意識はもう無いようだ。


 エルは涙のタンクが空になるほど泣いた後も、放心したように翔哉の側から動こうとしなかった。

 翔哉の血で、服や体のあちこちがかなり汚れてしまっていたが、もうそれも気にならないらしい。

 だが、意志だけははっきりとしているようで、やってきた救急車に乗って一緒に病院へ行きたい意志を示す。



「よろしく頼みます……!」



 白瀬は、救急車に一緒に乗るらしい高野に一言だけ頭を下げてそう声をかけると、現場にやってきた治安維持局の警官の中に知人を見つけて声をかけた。


 彼に話しかけ、捜査の協力を申し入れる。


 そのままさりげなく。

 そして、ゆっくりとエルから距離を取っていった。



「ふう。どうやらエルには見つからなかったようだな」



 一旦そう思いはしたが、やはり翔哉の具合が心配だった。


 かなりの出血があったようだ。

 傷も決して浅くはないだろう。

 大丈夫だろうか……?


 そして……エルだ。

 この事件が、彼女に人格の根本までを揺るがすような衝撃を与えたのは間違いない。

 それが今後どのように作用していくのか。


 今のような時にこんなことを考えてしまう自分の研究者的思考に、白瀬は少し自己嫌悪が無いでもなかったが、こればっかりはもう今更どうしようもない。


 この強烈な体験が、彼女を──エルというガイノイドを一体どのような地平へと導いていくのだろうか?

 それがエルとガイノイドの未来にとって良きものであればいいのだが……。


 白瀬は祈るような気持ちで、立ち去ろうとしている救急車から踵を返して、現場検証を始めた警官達の方へと歩き出した──。



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