04 話 異世界コーディネーター
この位相転換分子再配置局──うーん、ややこしい!
ともかく、なんだかこの小難しい名前がつけられた行政施設。
これが久保田さんが言うように、どうして「職安」だとか「ハロワ」だとか呼ばれているのかは、彼が言った通りその後すぐに僕も理解することとなった。
最初に起きた部屋。
結局あの部屋だけが特殊だったんだよね。
その最初のベッドだけの真っ白い部屋を出ると、そこはもう年季の入ったオフィスの空気で、病院なんかとは全く違った様相だったのだ。
こうなってくると。
むしろあの病室になっていた部屋だけが、特別な部屋だったと言ったほうがいい感じ。
実際この施設自体はオフィスビルのような趣きだったのである。
久保田さんや美咲さんのような人たちは普段は別の研究所にいるそうで、ある研究に従事している研究者兼医者のような人達とのこと。
異世界からの人間がここに運び込まれた時にだけ呼び出されるのだそうだ。
そう聞いてみると、美咲さんのあのKYな感じもちょっと理解できるような気がしてきた。
久保田さんと別れた後。
そんなことを考えながら、順路に従って次のフロアに移動する。
ここでは簡単な問診と健康診断。
とは言っても、病院で行われるような本格的な検査って感じではなく。
それは学校や会社で行われる健康診断の延長みたいな軽いもの。
問診してくれる先生も緊張感なんて全く無く、ざっくばらんとしていて「はいー大丈夫ですよー」みたいな感じだった。
消毒液の臭いもあまりしないような雰囲気……である。
そしてそれが終わってしまったら、そこからはもう完全に事務的な手続きになってしまった。
あのー。
これって、確か異世界に受け入れてもらうための手続きなんですよね?
そう思わず相手に聞き返したくなってしまったほどだ。
それくらいごく普通の現代社会の、それもつまらない事務手続きの類の連続だった。
異世界転移のはずだったのに──。
その夢が……憧れが、僕の中でガラガラと壊れていってしまう。
そして、それを口に出したら逆に笑われてしまいそうなくらい、周囲は完全に常識的な雰囲気だった。
「ああ、はいー。じゃあ、次はこれを書いてすぐ提出して下さい」
やる気のなさそうなオジサンが至って事務的に渡してくれた用紙。
そこには「適性検査」と「職務経歴書」と書いてあった。
はぁ~……。
これじゃもう、まるっきりハロワじゃないですか。
ため息を付きながら、役所のようなテーブルで性格テストのようなものと職歴を書いて提出する。
なんだかなあ。
なんて思っていると今度は「次はカウンセリングです」と係員から声が掛かった。
──やっぱり。
だんだんそう思うようになってきてしまう。
異世界に来たロマンを感じる展開なんてまるっきりないよなぁ!
◆◇◆◇◆
しかし──。
ここで僕の予想はちょっと裏切られることになる。
てっきりここでもまた事務的なおじさんが出てきて、通り一遍の御託を聞かされることになると覚悟していたんだけど。
その僕の悲観的な予想に反して、目の前に明るい笑顔の若い女性が出てきてくれたのだ。
雰囲気もこれまでの面倒臭そうだったり、やる気がなさそうな人達とは全く違っている。
明るそうだし態度もハキハキとして見るからに親切そうなのである。
異世界に来たロマンを感じる展開になってきたって訳じゃないけど。
こういう人が出てきてくれるとやっぱり安心感が違うよね?
僕は心の中でほっと胸を撫で下ろす。
彼女の胸のネームプレートには『異世界コーディネーター 伊藤春佳』と書いてあった。
異世界コーディネーター……この世界にはそんな職業があるのか!
ちょっとびっくりである。
「伊藤春佳です。よろしくお願いしますね」
そう深々とお辞儀をしながら挨拶してくれる。
伊藤さんは、見るからにハツラツとしており、仕事を楽しんでいるような雰囲気があった。
さっきまでのオジサン達とは、人種自体が根本的に違うんじゃないかと思うくらいだ。
その伊藤さんから「もうお昼を過ぎてますし、まずはお食事にしましょうか」と提案される。
そう言われて、近くの壁に掛けられた時計を見てみると、時刻は午後2時を過ぎたところらしい。
時間的にはちょっと遅いが、ここで昼食にありつけるようだった。
「こっちにちょっと狭いですが、一応レストランもあるんですよ?」
彼女は僕とランチを一緒に食べてくれるつもりのようで、並んで歩くと所内にあるレストランまで案内してくれた。
──レストランと言うか。
あまりに飾りっ気が無い様子だったので、むしろそこは社内食堂という感じだったが。
席に座ってラミネート加工されたメニューを見せられ、そこに書いてある料理をざっと見てみる。
「ハンバーグ定食」「ミックスフライ御膳」「ホットケーキ」「チョコパフェ」・・・
うーん……。
やっぱり拍子抜けするほどそれらは普通だった。
見かけ通りというか。
メニューに並んでいる料理の名前も、その横に貼り付けられた写真も、見ただけで想像がつきそうなものばかりである。
ここからも文化には大した違いがないのがわかる。
取り敢えず。
伊藤さんが待ってくれているようなので注文を決めないとね。
こうやって女性と対面で一緒に食事なんていうのも、僕のこれまでの人生ではあまり経験がなかったことなので、意識するとちょっと緊張してしまう。
今回はお金のことは考えなくていいとのことだった。
そこで僕は無難にハンバーグ定食を頼んだ。
ちなみに彼女はオムライスである。
まあ、これくらいだろうな。
やがて出てきた料理は──。
さして高級なものではないことも含め、やっぱりごくごく普通の料理だった。
ちゃんと想像した通りのハンバーグ定食とオムライスということだ。
冷凍のものらしい人参やインゲンの付け合せまでイメージした通りである。
メニューを見て思っていた通り、これなら食文化も前にいた世界とほとんど変わらないくらいなんじゃないかな?
また味付けにも特におかしなところは何もなかったのだが……。
お腹が減っていたこともあって、見かけよりずっと美味しく感じたのは確かだ。
だけどこれに関しては、空腹が一番の調味料ということなんだろう、うん。
◆◇◆◇◆
食後に飲み物を勧められたので、僕はコーヒー彼女は紅茶を飲みながら少し雑談をしてみる。
すると、なんと彼女自身も異世界から来た人間だということがわかった。
「別の世界から突然新しい世界に来るのって、誰にとってもきっとショックなことだよね……」
彼女はそう言って気遣ってくれる。
優しい人である。
伊藤春佳さん……異世界転移の経験者……か。
それで、異世界コーディネーターなんていう肩書になってるんだ。
そうすんなり納得しそうになってから、やっぱり「まてよ?」と思う。
……ここには、そんなに異世界から来る人達がたくさんいるんだろうか。
ふと、そんな考えがよぎってしまった。
やっぱり慣れないことが続いているせいで勘ぐりすぎなのかな?
でも、これで少なくとも。
この世界で僕だけが異世界からのたった一人だけのストレンジャーだってことはない。
それは、はっきりした訳だ。
ただ……。
伊藤さんが、僕が前いた世界。
つまり僕と同じ世界から来たのか?
ということに関しては、すぐにそうではないことがわかった。
彼女の元いた世界では東北で大地震や原発事故はなかったらしいし、東京でオリンピックが開かれる予定もなかったとのこと。
元号も平成の後は令和じゃなかったって言ってたし。
それでも聞いたところでは、文化や科学のレベルなんかは似たり寄ったりの感じだった。
やってきたこの世界については──。
つまり、次は今いるこの世界に関してだけど、今のところざっと見たところは建物や言語、そして食事や文化などにもそれほど違いがあるとは思えないんだよね。
ということは、ですよ?
この僕らが生きている世界の“隣”には、こんなにも似たような──そして少しずつ歴史が違うような世界が──たくさん本棚のように並んでいるということなんだろうか?
それが……異世界?
いやいや、でもそれってただの平行世界ってだけなんじゃ?
まあ、パラレルワールドなんて言ったって、僕もあんまり詳しくは知らないんだけど……。
うーん、どうにもその辺りがよくわからないな。
いずれにせよ。
なんだか、僕がいままで持っていた異世界に対するイメージが、ここまでで既にどんどん崩れていっているような気がする。
それだけは確かだった。
◆◇◆◇◆
昼食を終えた僕と伊藤さんは、広めのブースのように仕切ってある小部屋へと移動した。
いよいよここでカウンセリングが始まることになるらしい。
カウンセリングって……何を聞かされるんだろう?
ちょっと緊張している僕に伊藤さんが改めて声を掛けてくれる。
「そんなに大げさに考えなくてもいいからね」
「そう……なんですか?」
「これまでの雑談の続きという感じでいいよ。私もその方が楽しいし」
そう言って僕の緊張を和らげてくれているようだ。
「翔哉クンは聞きたいことを何でも聞いてくれればいいし、私はそれについて知っていることを答える。ただそれだけのことだよ」
この辺りは、流石は異世界コーディネーターということなんだろうか。
ともかくこういう時。
状況的に困っている時っていうのは、話しやすいとっつきやすいっていうのは助かる。
頭の中にふっと浮かんだ美咲さんとの悪夢。
──それを僕は「そっ閉じ」して忘れることにした。
それではまずは質問といきますか。
最初はもう当たり前のように感じていることから無難に始めてみようかな。
「やっぱりここって日本なんですよね?」
みんなの名前が日本風であることや、日本語が普通に通じるところから察するに、そんなことは聞かなくても日本には違いないと思ってはいた。
だから、まずこの辺りの当たり前のことから聞いてみることにしたのだ。
けれども。
取り敢えず一応聞いてみることにした──最初の一番無難な──はずだったこの質問。
それがまず最初の爆弾になってしまったようなのである。
彼女は僕のこの問いにすぐさまこう答えたのだ。
「実は日本っていう国は、もうこの世界では存在していないんだよね……」
え?
えっ?
えええーーーーっ!?
………………。
…………。
……。
そして。
この時の僕はまだ知らなかったのだ。
これがこれから始まる異世界カルチャーショックの始まりに過ぎなかったのだということを──。