47 話 言葉では伝えられない想い
そして金曜日である。
翔哉は特訓を始めて3日目だったが、ずいぶんと包丁扱いが良くなってきているようだった。
これならそろそろキャベツの千切りも、エルが切ったものを大量に混ぜなくても使えるくらいである。
「翔哉君、上達早くない?」
「俺とかまともな千切りになるまで2週間はかかったよ?」
そんな声が囁かれ始めているくらいだ。
次第に作業が捗るようになってきた上に、今日は今週最後の営業日なのでキャベツの千切りもあまり必要がない。
そのため特訓と名付けられたキャベツの千切り大会は、昼頃くらいまでで終了となっていた。
金曜日は確かにランチが忙しい日ではあるのだが、それが終わるとぱったりお店からはお客がいなくなりかなり暇になる。
これは近くにあるオフィス街が金曜は午後からの業務が無い、いわゆる半ドンの会社が当たり前なのでこうなってしまうのだ。
エルドラドも夕方からはマッタリ進行で、場合によっては閉店時間の夜8時より前にお店を閉じてしまうこともある。
そんな風だったので、エルも午後6時を過ぎるともう少しずつ片付けを始めていた。
トラブル続きでテンパっていた先週とは天国と地獄ほどの差を感じる。
7時を過ぎると、店のみんなもほとんどお休み前モードである。
「今晩は飲みにいこうかな~」
そう高野が言うと。
「行きますか!」
清水がそう応えてハイタッチをする。
「俺は楽しみにしてた今日発売のゲームを攻略したいのでパスっす!」
柴崎はそちらに敬礼してそそくさと帰り支度を始めた。
「翔哉君はどうする?」
清水が翔哉に聞く。
「流石に今週は疲れちゃいました。帰って大人しく休みます」
──そう答えている翔哉の声をエルの聴覚はしっかりと捉えていた。
◆◇◆◇◆
エルの目の前をいつものように翔哉が歩いている。
その彼に走って追いつくエル。
「翔哉さん!」
そのやってきたエルの方をチラリと見た翔哉が、照れるように前に向き直りながら噛み殺すように微笑んでいるのを見て今日もホッとする。
「一週間お疲れ様でした、翔哉さん!」
今日も彼と一緒に帰ることができる。
つまり4日連続の『帰宅部』なのである。
これで週末はお休みだし、もしかしたら翔哉も今日はみんなと一緒に繁華街の方へ遊びに行ってしまうのではないかと少し覚悟していたのだが……。
それだけにエルも余計に嬉しいのだ。
「僕の方こそ、今週は特訓や何やらで随分とお世話になっちゃって」
そう言ってはにかんでいる翔哉。
本当に彼にはエルが人間ではないという感覚があまり無いみたいだった。
そんな風に接される度に、最近のエルは「夢なら醒めないで欲しい」という気持ちにすらなってしまう。
もし普通の女の子として生まれて、こんな風にずっと翔哉さんの側にいられたら──。
最近はふとそんなことさえ考えてしまうことがある。
私は……ガイノイドなのに。
「そんなこと……ないです。翔哉さんが頑張ったから……あっ!」
ドン!
翔哉にそう言われて、エルがちょっと夢見心地なフワフワした気持ちを味わいながらそう答えていると、突然横から押されたような力が加わってつんのめる。
誰かに斜め後ろ辺りからぶつかられたらしい。
「大丈夫?」
翔哉が膝をついてしまったエルに手を差し伸べてくれる。
この場面をリアルタイムモニターで見ていた舞花が、ここで「よしっ!」とサムアップしていたのは言うまでもない。
エルは、これまでも何度か街中で意地悪に突き飛ばされたことはあるのだが、こうやって翔哉に手を差し伸べてもらえると、逆に嬉しいと言っても良いような気持ちになってしまう。
ただそうやって翔哉と手を繋いで引っ張り上げるように立ち上がらせてもらうと、幸せな気持ちが湧き上がるのと比例して周りからのプレッシャーのような空気も増大したような気がした。
そのせいで彼も流石に、周りから投げかけられているものに気が付いてしまったようだ。
翔哉の顔が険しい。
それを見ているエルも胸に痛みを感じてしまう。
「行こうエル」
「あっ、翔哉さん……」
急にエルの手を取って早足に歩き始める翔哉。
そして、その後ろを手を引かれながら慌ててついて行くエル。
その顔は紅潮していた。
まさかこんな形で手を引かれて一緒に歩けるとは思わなかったのだ。
エルの心は、一瞬にして喜びでいっぱいになっていた。
これには研究所でモニターしている舞花も大興奮である。
「いいなあー! 私もこんな風に王子様にエスコートされたーい!!」
「うるさいなあ」
隣にいる隆二が不機嫌そうに不平を漏らす。
「あ~ら、アンタはお呼びじゃないから。別に気にしなくていいのよ~隆二~」
今日の昼のモニター当番は舞花と隆二の二人なのだ。
銀座街区駅の改札前にある広間まで来ると、翔哉とエルの二人は取り敢えず立ち止まって一息ついた。
翔哉の息が少し切れている。
「こんな目で見られていた……なんてな」
翔哉が少しナーバスな口調でそう呟くとエルの胸に再び痛みが走った。
申し訳ない思いで心がまたいっぱいになる。
やっぱり私がいるせいで──そう思ってしまうと心の中に忘れかけていた自己否定の思いが一気に駆け巡った。
「ごめんなさい。翔哉さんに嫌な思いをさせてしまって」
「え?」
翔哉は驚いているようだ。
エルが何を言いたいのかわからないらしい。
「私が原因なんです……」
──『お前は疫病神かよっ』そう言った柴崎の声が頭脳内で再生される。
やっぱり私がいると──翔哉さんにも迷惑がかかってしまう!
「私がレイバノイド……だから」
エルは自虐的な思いに駆られていた。
自分は所詮レイバノイドなのだ……と。
結局、周りの人間が自分をレイバノイドだと思っている限り、そう扱われてしまうのだから──。
「だいたい君はレイバノイドじゃないガイノイドなんだろ?」
「でも……」
翔哉と初めて倉庫で話した時と同じだった。
自分を信じられない──いや、この世界自体を信じることができないもうひとつの人格が、エルの中に生まれてきつつあったのだ。
その人格は、この数日の間はポジティブなエネルギーに抑え込まれてはいたが、エルの心の中で決して消えてはいなかったのである。
「でもどうして君がレイバノイドだったら、みんなからそんな目で見られなきゃいけないんだ?」
翔哉は、そんなエルを本気で心配しているようである。
ただレイバノイドという言葉が聞こえたのか、周りの人達がこちらを注目する気配が感じられた。
「そうだ。エルがいつも降りてる駅まで行こう。僕も一緒に降りるからそこでちょっと話そうか」
「はい……」
その嫌な空気を察知したのか、翔哉は落ち着いて話せる場所へ移動しようと考えたようだ。
エルもそれに従うことにした。
ファクトリーエリア駅に移動するまでの間、二人は無言だった。
その間のエルは、自分の心の中に蠢いている不信感とも言えるようなネガティブフォースに負けないよう、必死に自分を保とうと耐えているかのように見えていた。
◆◇◆◇◆
ファクトリーエリア駅に着くと、翔哉はホームにあるベンチに腰掛けた。
エルも隣に座る。
ここは元々通勤時間などにはあまり関係がない場所なので、ぽつぽつと人が思い出したように通る以外は比較的閑散としているのだ。
そこに身を落ち着けると、翔哉はさっきの話の続きを始めた。
「この世界の人間はそんなにレイバノイドが嫌いなの?」
彼は真っ直ぐに質問をぶつけてくる。
しかしここで変に気を使われるよりも、エルには却って話しやすかった。
「たぶん……そうなんだと思います」
まずはそう答えながら自分の心を意識してみると、さっきまでよりも幾分落ち着いてきているようだ。
インターバルを置いたことで、一度湧き上がったネガティブフォースは沈静化してきたようである。
それを確認すると、ここから彼にどう話したら良いか思案する。
翔哉さんは、異世界からの転移者だって言っていた。
彼の疑問は、きっとこの世界の事情を知らないところから来るのだろう。
エルはその辺りを気を付けながら説明してみることにする。
「この世界では終戦直後に社会を成り立たせるだけの人手が足りない中、人間の代わりに労働をさせるため、レイバノイドは生まれて働いてきました。でも、それが逆に効率優先の社会を加速させてしまい、働きたい人達が望む仕事に定着するのを難しくしてしまったのは確かなんだと思います」
「だけどここでは働かなくても生きてはいけるんだよね?」
彼はそう聞いてきた。
ベーシックインカム制度のことを言っているんだろう。
エルはそれについての自分の考えを話してみることにする。
ただこう言う話を平易な言い方にすることにはあまり慣れていなかった。
伝わるだろうか……不安を感じながら言葉を選ぶ。
「でもきっと、だからこそなんだと思います。必ずしも働かなくていい社会だからこそ、仕事を持っている人達にはある種のエリート意識が芽生えたんです。そのアイデンティティーを守るために人は頑張るようになったのかもしれません」
「つまり仕事を持っていること自体がエリートの証明ってことかな?」
翔哉からの返事を聞いてほっとする。
大まかには伝わっているみたいである。
次はもう少し精度を上げて正確に言語化してみる。
「エリートとまではいかなくても、付加価値としての優越感を求めているのかもしれないですね。そう言う意味では働くことの意味が、昔の生存競争という意味合いからステータスという存在価値を求める方向へと転換したと言えるんでしょうか……」
「そうなると生きるために働くというより、それを奪われるってことがその地位からの転落になるから……働くということになる訳だ」
「そうですね」
何とか言いたいことが伝わった様子に安堵するエル。
どうやら翔哉は納得してくれたようだ。
「実際には、レイバノイドは求人と求職の需要と供給によって、人間が優先して労働できるよう非稼働になりますから、本来はライバルにはなり得ないはずなんですが……」
この辺りも、きっと異世界から来た翔哉には事情がわかりにくいだろう。
そう思ったところを口にするエル。
「それなら問題ないんじゃないの?」
やはりこの辺りは翔哉には分かりづらいようだ。
「そうですね。理屈としてはそうなんですが人間には感情がありますから。日々感じている劣等感や仕事に対するプレッシャーから、いつか自分たちがレイバノイドに取って代わられ、必要ないって言われるのではないかと恐れているんだと思います」
その疑問点をあらかじめ掲示しておいた上で、人間特有の感情的な軋轢を説明すれば──エルはそう考えながら言葉を探した。
そうしてまた『伝わっただろうか?』と顔を上げてみると……。
そこには、まるで何か大変なことに気が付いたような様子の翔哉が、表情をこわばらせて固まっていた。
どうしたのだろう?
私は何かおかしなことを言っただろうか?
それを見たエルは一瞬不安に駆られた。
しかし、どうやらそうではないみたいだった。
翔哉はまるで感極まったように、そこでエルを突然抱きしめたのだ。
「翔哉さん!?」
びっくりするエル。
そして、まるで慟哭するかのように全身を震わせながら彼はこう口にする。
「ごめん、エル。僕は……君に何もしてあげられない……」
その言葉を聞いた瞬間。
エルは理解した。
彼は、私を助けられない自分を悔いている。
そして何もできない自分に怒りすら感じているのだ、と。
この人は──!
エルの心の中に生じた驚きは、その理解と共に温かい感情へと変わった。
そうして生まれたポジティブフォースは、翔哉の感情から触発されたかのように大きな感情のうねりとなって彼女の中に流れ込んだのだ。
「翔哉さん。私の方こそいつも翔哉さんに助けられています。挫けそうな心をいつもあなたに力づけてもらっているんです。本当はお礼を言わなければならないのは……私のほうなんです」
それはエルの本心だった。
自分はギリギリの淵から翔哉に助け出された。
誰からも受け入れられない中で彼のお陰で勇気づけられた。
ネガティブな人格に負けそうになる自分を、ここまでなんとか押さえてこれた。
私が今こうして笑っていられるのはあなたのお陰なのだ……!
だが、それを上手く伝える言葉を見つけ出すことが、どうしてもエルにはできなかったのである。
適当そうな言葉は確かにあった。
しかし言葉にすることによって失われるニュアンスが多すぎるのだ。
だから彼女はそれ以上言葉を探すのを止めた。
そしてその代りに、翔哉に回された腕を受け入れるように彼の背中に手を回し、その手に力を込めて祈った。
どうかこの『想い』が伝わりますように──と。




