46 話 ディストピアの闇
ここは貴族的な趣味に溢れた豪華な一室。
シャンデリアが煌々と輝く部屋の中央にある高級そうな革のソファーに、安原龍蔵は座っている。
そこにコツコツとノックの音がした。
「入れ」
龍蔵は、置物にでも命令するように中空に声を掛ける。
すると重厚そうな音がしてドアが開き、そこに無表情な執事とそれに付き添われた安原絵里が立っていた。
執事は空気を動かさないように気を使っているような一礼をすると、自分だけがドアを閉めて立ち去る。
後には広い部屋に龍蔵と絵里だけが残った。
部屋の中央で火が燃えている。
これは暖炉というものらしい。
この暖炉が龍蔵のお気に入りなので、彼と話す時はいつも書斎ではなくこの部屋になることが多いのだ。
ただ絵里はこの旧世界的な暖房設備が嫌いだった。
『だって寒いんだもの』
常に焚き木で火を燃やしているため、風通しが良くする必要があり、部屋が広いことも手伝ってすきま風がひどいのだ。
その為、暖炉を炊く冬ほど足元がスースーして冷え込むのである。
『まったく非効率ったらないわ』
正直に言うといつもそう思っていた。
そうは言うものの、それでも絵里はこの恰幅の良い老人が嫌いではなかった。
忙しい父母は彼女が子供の頃からほとんど家にいたことがない。
それもあって昔から一日の半分以上を、絵里はこの龍蔵の屋敷で過ごしてきたのだ。
龍蔵については、彼女が生まれた頃くらいからは父母ほど忙しくはなかったので、時々この屋敷に帰ってきて小さかった絵里を可愛がってくれた。
つまり彼女はお爺ちゃんっ子だったわけである。
そんな訳で──。
むしろ絵里のほうとしては、自分の父母こそ家族だと認めたくなかったくらいの心情だった。
絵里が部屋に入って近づいてくると、龍蔵は手入れをしている古びたパイプから顔を上げずにこう言った。
「絵里か。あれからあの人形はどうなった。きっちり潰したのか?」
彼はエルのことを既に知っているようだった。
「もうちょっとだったんだけどね……しくじったわ!」
絵里は忌々しそうに言うと、龍蔵とは向かいのソファーに座る。
それを聞いて龍蔵は面白そうにニヤリとした。
「ほう、あの状況から立て直したかよ。またあの白瀬の奴が何かしたのか」
「知らないわ」
そう吐き捨てる絵里。
「ただお店にあれから異世界転移者が来たけどね」
絵里は翔哉のことは嫌いではなかった。
だから正直に言うと、この事はあまり祖父には言いたくはなかったのだが、言わないとどうしても状況の説明がつかないのだ。
それに自分の不手際だと思われるのはもっと気に食わなかった。
「白瀬、だろうな」
異世界転移者が来たと聞いて龍蔵はそう断言した。
「でも!」
絵里は反論してみせる。
「その白瀬って奴が異世界転移者を自由に呼び出せるっていうの?」
そうは言ったものの、やはりどう考えてもタイミングが良すぎるのだ。
偶然……なのだろうか?
絵里もそう思わなくはなかった。
「白瀬……だけでは、無理じゃろうな。だがアヤツがあの妖怪どもと接触を持っていた過去があるのよ」
掃除をしていたパイプを持ち直して火をつける。
「妖怪? ……委員会と?」
「そうよ。アンドロイドと異世界転移者は、あの妖怪どもの駒じゃからの」
その話は、昔から龍蔵によく聞かされていた。
委員会は、アンドロイドと異世界転移者を利用することで、この世界を支配しようとしているのだ……と。
「奴らが悪魔と取引をして、違う世界から人間を引っこ抜くようになってからもう5年じゃ。儂がこれまで何とか手を回してガイノイドの開発を邪魔しておらなんだら、この世界はもっと悲惨なことになっておったじゃろうて」
パイプの中にある吸い殻を暖炉に向けて捨てると、パッと火の粉のように光が散った。
「あんな人形、いっそのことお爺さまの兵隊でぶっ壊しちゃえばいいのよ! 人類の敵なんでしょ?」
「おいおい、人聞きの悪いことを言っちゃいかん。アレは何も儂の私兵というわけではない。同志達が力を貸してくれておるだけじゃでのう」
パイプの煙をゆっくりと吐き出しながら、さも当然のようにそう言う龍蔵。
「結局同じ事じゃない! どっちにしてもお爺さまの言うとおりに動く駒なんでしょ?」
「妖怪共が色々と駒を使ってくる以上、こちらも対抗する駒が必要じゃからな。ただアレはお前の腹いせを満たす玩具ではないぞ? 絵里よ」
──そう軽く諭した後。
「じゃが……」
そう言って一旦言葉を止める。
「そうか。あの店にガイノイドと転移者が揃いおったか」
龍蔵はそう呟くと物思いに沈んだ。
アンドロイドと異世界転移者。
奴らは我らにとっては業敵と言っても過言ではない。
何よりガイノイドの成功は、ここからシンギュラリティーポイントへ向かう我ら人類の存在の根幹をすら、揺るがせかねない凶事となり得るじゃろう。
それだけは、何としても阻止せねばならん……!
これはもはや戦争なのだ。
人類がこの先、もう一度自らの自由と自立を勝ち取るためのな。
◆◇◆◇◆
一方その頃、白瀬と高野と篠原はビジフォンでの小会議をまた行なっていた。
「エルのメンタル状態はますます良くなっています。本当になんとお礼を申し上げたらいいやら」
白瀬が頭を下げる。
「本当にここ数日は仕事ぶりも安定して来ていますしね~」
高野も感心して言う。
「特訓を見ていても思いますが、エルちゃんがあれほど人に物を教えるのが上手だとは思いませんでしたわ」
篠原も賛辞を惜しまない。
白瀬が説明する。
「エルには元々優秀なAI機構が稼働しておりますので、主観に因われない判断をしたり、それに基づいて分析を行なったりするのは、本来得意なはずなんですよ。それがメンタル状態が上向いてきたことで、発揮されてきているのではないかと思います」
「そうね。その上にあの他人の意図を見抜く目。そして観察力。物を教える時の相手の状態を推し量る思いやり。本当に素晴らしい才能だと思います!」
篠原はすっかりエルの才能に惚れ込んでしまったようである。
「それについては実は、エルのエモーショナルフォース機構、つまり持っている感情のお陰なんですよ。AIは昔から理論理屈には強いが、忖度したりTPOに合わせて空気を読むといった部分には難点があると言われてきました。しかし人間の集団の中でスムーズに仕事をしたり、フレンドリーな関係性を築いたりするためには、その辺りが不可欠なんだと我々は考えたんです」
「なるほど人の心情を理解するには自分にも感情が必要か~それって興味深い話ですね~」
しきりに頷いている高野。
「ですが、その感情を手に入れると今度は感情によるデメリットも生じてきてしまう。ガイノイドは感情による干渉によって、人の心を理解する能力を得ることができましたが、逆にそれによって不安定さも露呈することがあるということなんですよ」
「私達が、いつもエルちゃんが気持ちよく仕事ができるように、協力してあげられるといいんだけれど……」
篠原がため息を吐く。
「確かにガイノイドの稼働環境としてはそれが理想です。ですが今回のエルにはある意味特殊な任務があるとも言える訳でして」
「例の提出データですか」
高野もその辺りの事情は気になっていた。
「ある種のアセスメント実験とストレステストですよ。行政府がこれを要求してくることがなければ、私達も本当はこんな思いをエルにはさせたくなかったんですが……」
ガイノイド計画を阻もうとする行政府の圧力。
それは、役人達のただの保身だけがその出所ではないだろう。
白瀬にはそう考えるだけの根拠があった。
◆◇◆◇◆
十数年前。
最初のガイノイド計画が、委員会メンバーからの情報提供によって本格的に動き出そうとした時、ナビゲーションAIの没収騒ぎからそれが暴動にまで発展し、計画が無期延期に追い込まれたことがあった。
その時のことを白瀬は思い出す。
当時、事態の不自然さを不審に思った白瀬は、あちこちに手を尽くして事の裏を探ってみようとしたことがあったのだ。
そしてそれによって分かってきたのは、西暦時代から続くある財閥が行政府の奥深くまで入り込んで、大きな影響力を発揮しているという図式だった。
安原財閥。
西暦時代には、パチンコ財閥として日本国内で大きな力を誇っていたコンツェルンである。
大戦後は、公営カジノの元締めとしてやはり同じ様に巨大な利権を獲得し、地球暦が進んだ今もなお巨大な富を溜め込んでいると聞く。
アースユニオン政府は、トップは委員会によって指導されているのが実情だが、それでもその下で実際に社会を動かしているのはあくまで行政府なのだ。
そのため、それに指示を出すための長と議会が、それぞれのエリアには設置されているのだが、その構成員はやはり昔と同じように選挙によって選ばれることになっている。
そういう仕組みになっているため、安原財閥はその富を使って多額の献金を行なうことで、自らの意向を優先して議会や行政府に決定させることが可能になってくる。
そのようにして安原財閥の総帥安原龍蔵は、地球暦の現在も昔と同じやり方で政治の世界にも大きな影響力を発揮しているというのである。
この安原龍蔵というコンツェルンのトップが、どうやらアンドロイドを人間の敵だと公言してはばからない人物らしいのだ。
となると──ガイノイド計画に対して行政府の風当たりが強くなるのは、当然といえば当然の成り行きなのだが……。
ただ事はそれだけでは済みそうにないのである。
この安原財閥の現会長。
安原龍蔵には、どうやら何かよほどの秘密があるらしい。
その辺りの調査を始めた頃から、白瀬の身の回りには突然不審なことが相次ぐようになり、身の危険を感じた彼は当時は結局その調査を中止しなければならないところまで追い込まれた──。
そこまでの調査でも既に「委員会の目の届かないところで私設の軍隊を持っているらしい」とか「研究者を拉致して何かの研究をさせているらしい」などという、シャレにもならないような黒い噂が囁かれていたのだ。
勿論、そんな話を裏も取らずに鵜呑みにするほど、白瀬も粗忽者ではない。
それでも、この情報の詳細や背景を当たろうとした途端に身辺に危険が迫ったことや、調査を止めた途端に何事もなかったかのように、静かになったところからみると──。
「当たらずとも遠からずってとこかな?」
──だんだん白瀬もそう考えるようになっていた。
この戦争など起こらないような平和な時代にまさかとは思うのだが……過去に実際何度か危険が迫った時のことを思うと、今回も用心しておくに越したことはないのかもしれない。
ましてや偶然なのか必然なのか、エルドラドには以前からこの安原財閥の一人娘が勤めているのだ。
彼女──安原絵里がエルに何か仕掛けてくるかもしれない──というのは事前に白瀬も考えてはいたのだが、暴力的な手段に訴える際にはその絵里の存在が逆に抑止力として働くのではないか……くらいの計算はあった。
龍蔵はたった一人の孫娘である絵里を溺愛していると聞いている。
「まさかあのお嬢さんまで危険に晒すような真似は、龍蔵の爺さんもしないと思うんだがねぇ?」
ミニ会議が終わったビジフォンのモニターを眺めながら、白瀬はそう声に出して呟いていた。




