45 話 コインの表と裏
仕事が終わった後、エルと翔哉はまた二人で一緒に並んで駅までの道程を歩いていた。
特に一緒に帰ろうと約束した訳ではないのだが、仕事が終わると翔哉はまっすぐ駅へ向かうようだし、エルも特に他に寄るところが無い。
そういう自然な成り行きで、昨日と同じように先に店を出た翔哉に追い付く形でエルが走り寄って行ったのだ。
実際今日に関しては、翔哉はずいぶんゆっくりと歩いていたようだし、エルも内心期待していたのは確かなのだが──。
「あ、エル。お疲れさま!」
エルに気が付きそう挨拶してきた翔哉は、少しはにかんでいるように見えた。
「今日も──帰宅部ですね!」
「うん、帰宅部だね」
二人してニッコリする。
「今日はエル先生にはすっかりお世話になっちゃったな」
当然の成り行きながら、すぐに翔哉がそう言ってくる。
「そ、そんなこと……ないです。私は篠原さんに言われた通りにやっただけですから……」
「でも、妥協しないところは流石だと思ったよ? 僕は正直エルとだったらもうちょっと楽ができるのかな……なんて甘えたところがあったんだけど、見事に打ち砕かれちゃったよ」
翔哉は屈託なく笑ったが──。
「すみませんでした……」
エルとしては、翔哉に辛いことを強いてしまったのではないかと気になっていたのだ。
「あ、いや。全然。あれは別にエルが悪いわけじゃないから……」
謝られてしまった途端、しどろもどろになる翔哉。
「私は思いやりが足りなかったんでしょうか?」
──あれで良かったんだろうか。
もっと良い方法はなかったんだろうか。
今日の特訓が終わってからも、そうずっと考え続けていた。
それを篠原に伝えると……。
「人に教える時には、そう考える気持ちは大切よ。それが相手に対する思いやりを生み、より伝わるための方法を編みだす手がかりになるはずだから。自分は相手にとって最善のことをしたって自信満々でいるようじゃ駄目なの。だからむしろ私はエルからそう聞いて安心したわ!」
そう言ってはくれたけれど──。
「そんなことはないと思うよ」
少し沈み気味になったエルを見て、慌ててフォローを入れてくれる翔哉。
「ほ、ほら、あれは特訓だから。特訓っていうのは大きな負荷を与えることで相応の成長を促すイベント……だしね……」
篠原さんも似たようなことを言ってくれたような気がする。
翔哉さんもそれを分かってくれていたんだな……そう聞くとエルも少し気が軽くなってきた。
なので、この機会に気になっていることをもうひとつ聞いておくことにする。
「明日も篠原さんに今日と同じようにお願いって頼まれているんです」
これもエルの気が重くなっている原因のひとつだったからだ。
篠原は「大丈夫、ある意味では今日が一番大変なんだから。明日からは少しずつ楽になって谷山君も気を良くしてくるはずよ」とは言ってくれていたが。
それでも、翔哉さんがどうしても嫌だって思っていたら……私……。
──つまりエルは翔哉に嫌われるのが怖かったのである。
「大丈夫ですか? 翔哉さん」
祈るような気持ちで尋ねるエル。
それを聞いて、しばらく動揺するように目を白黒させていた翔哉だったが、やがて結局観念したようにこう答えたのだ。
「だ、大丈夫だと思うよ? うん……頑張る。頑張らせて頂きます……!」
「よかった……」
エルが心からの安堵の吐息を漏らす。
「私……もし翔哉さんからもうやめてくれって言われたらどうしよう……って、ずっと心配だったんです」
翔哉の性格からして、エルからの好意を逆手に取って自分が楽をするためにプレッシャーをかける──などという可能性は、実際問題まず無いに等しかったのだが、それでも気まずい関係にならずに特訓を継続できるのは彼女にとって喜ばしいことだった。
エルの感じていた未来予測からのストレス量が、この会話を境にガクンとダウンしたのは言うまでもない。
◆◇◆◇◆
「ごうかくっ! 合格よっ! そこの異世界転移者!!」
舞花が、エルの視覚を映している大型モニターに向かって、翔哉を指差しながら叫んだ。
「翔哉クンよ、舞花ちゃん」
横からマジレス気味にツッコミを入れてくるのは恵である。
今日はこの二人が、エルが戻ってくるまでの昼のモニター当番なのだ。
「だいたい何が合格なんだよ、わっけわかんないだろー舞花!」
夜のモニターの交代要員でやってきた隆二がそう言うと、舞花が「そんなの当たり前じゃない!」とばかりに彼の額を突っつく。
「ナ・イ・トよ。ナイト! 彼にはエルをエスコートする資格あり、と見たわ!」
自信満々にそう言い切る舞花。
「そんなのはまだわかんねーだろ?!」
「オトウサンは許しませんよっての? 男の嫉妬は見苦しいわよ、隆二!」
そこに外から白瀬が戻ってくる。
「おう、相変わらず賑やかだな。もうすぐエルが戻ってくる。受け入れの準備を頼むぞ」
こうしてエルが研究所に戻ってくると、昼間のモニターをしていたうちの一人が、休んでいた朝の見送り役の一人と入れ替わり、エルを休眠状態にした後にデータをバックアップした上で、夜のデータ分析に入るのだ。
この日は朝の見送り役が隆二、昼は舞花と恵でエルのモニター、夜になると舞花が抜けて隆二と恵で夜の分析を行うわけである。
とは言うものの、この臨床テスト中はそれほどエルとの接触が許可されている訳ではない。
提出データを収集している8月中は、土日以外は最小限の接触に止めておかなければならないのだ。
これは今回のテストが、ガイノイドが自律稼働を始めた時のストレステストも兼ねているからなのである。
そのため白瀬は、こうして一声掛けるとそのまま所長室に直行。
舞花はすぐに隆二と入れ替わって交代し、明日の見送りのために仮眠に入る。
恵と隆二は、エルを出迎えて休眠カプセルに誘導。
そんな感じになる。
あまりゆっくりとエルに声を掛ける余裕はないのだ。
エルが休眠カプセルに入る頃になると白瀬がまたやってきた。
「エルは眠ったか」
「大丈夫です。安定しています」
恵が無意識稼働系のデータとエルの思考データのバックアップを取りながら応える。
「それにしても、この数日でずいぶんとストレスが軽減したねぇ。王子様効果は絶大……か」
「そうですね。外の世界に、例えたった一人でも自分の存在を丸ごと受け入れてくれる人がいるというのは、それほど大きなことなんだと思います」
「まあ、そうだろうな。ましてやエルは人間ですら無いんだ。その上、存在自体がこの世界では呪われているようなものに等しいとくる。この谷山翔哉という異世界転移者が、あのままここにやってきてくれなかったらと思うと、正直ゾッとするくらいだよ」
ガイノイドの感情的なプロセスが、シュミレーション通り人間のそれに近ければ近いほど、それはエルが現在感じている感情が人間の被差別層が感じる軋轢に近くなっていることを意味していることになる。
それも人類全部から悪意を受けるようなとびきりの奴である。
──考えてみれば、私達はずいぶんと残酷なことをしているのかもしれない。
そこに幸運にも突然やってきた異世界転移者……か。
俺達は神とやらにでも感謝すべきなのかもしれんな?
白瀬は柄にもなくそんなことを考えてしまう自分に苦笑していた。
◆◇◆◇◆
明くる日の8月11日の木曜日もエルはますます絶好調だった。
仕事にも慣れてきた上に、ネガティブなエモーショナルフォースの後遺症もほぼ無くなり、翔哉との特訓における心配も無くなったとなれば尚更だろう。
エルは元々、頭脳として動いているAIも優秀な上にその身体である外殻もほぼ人間同様に稼働できるよう、現代のロボティクステクノロジーの粋を極めた──そういうアンドロイドなのである。
感情的な部分が障害にならなければ、能力的には無双状態になるのは当然の成り行きだった。
ましてやエルのパーソナリティは、初期の環境が純粋培養的なものだったためか、控えめで謙虚そして誰にも分け隔てなく親切というもの──。
失敗したり迷惑を掛けたりすることがなければ、レイバノイドと同一視されて先入観を持たれたりしない限りは、本来嫌われようがないような性格なのだ。
環境に慣れるために8月の中旬頃まで掛かってはしまったが、こうして一度順調な軌道に乗ってくると、エルの臨床テストもいよいよ目処が立ってきたと言っていいだろう。
最初は確かに苦しい船出だったが、こうして最終的には仕事も人間関係も上手くこなした運用データが手に入るとなれば、逆にそのデータの価値も上がろうというものである。
万事これからは物事が上手くいく、そんな流れに入ったようにも見えていた。
しかしながら『好事魔多し』という言葉がある。
物事が一方向に大きく振れると、また振り子のように同じだけ逆へと引っ張られるというものなのかもしれない。
ここでもまた舞台の裏側において、何かが大きく動き始めようとしていた。
「お爺さま……お爺さまはいらっしゃる?」
安原絵里は、夜遅くに安原龍蔵の元を訪れていた。
安原龍蔵。
西暦時代からパチンコ財閥として知られていた安原財閥の現会長で絵里の祖父である。
アースユニオン時代となった今は公営カジノの元締めとして、所謂そちら方面を仕切っていた安原財閥だったが……それはあくまで表の顔である。
そして表があればまた裏もあるということなのだ。
裏の顔。
それをズバリ一言で言ってしまうと、委員会カウンシルに牛耳られたディストピアである現政治形態の打倒。
──つまりはレジスタンス活動であった。




