37 話 週末の攻防
「と言うわけで、この異世界転移者君をうちが貰うことにしたんだ」
そう白瀬が報告すると恵、舞花、隆二の3人は目を丸くする。
「異世界転移者とは考えましたね、チーフ!」
恵が感心して言った。
「それも2019年からって、何者なんですかそいつ。チート?」
そういう隆二に白瀬が答える。
「まあ、目覚める前にある程度の解析もしたそうだが、少なくとも身体的には普通の人間だったそうだよ」
それを聞いて舞花がからかう。
「漫画の読みすぎよ!」
「異世界モノとか夢があるじゃん。俺も人生やり直してみたーい!」
「アンタみたいなのは、生まれ変わってもずっと同じことを繰り返すだけよ! 少しは学びなさい、アホ隆二!」
そう言われても隆二は全く堪えてもいないらしい。
「でもさ、ここ数年は現実でもマジモンの異世界転移者が出てきてんじゃん! 俺ワクワクしちゃってるんだよね!」
そう目をキラキラさせて言う隆二に舞花が流石に呆れて言う。
「アンタだって一応研究者でしょ? 科学的思考とかないの? 恥ずかしい!」
「科学はそういう純粋な憧れから常に発達してきたんだよーん」
「やめれ! アンタが言うとキモいだけだわ」
…………。
まあ、彼らも状況に希望が見えてきたことで少し緊張が緩んだんだろう。
久しぶりにいつものやり取りを始める若い二人を、恵と白瀬もいくらかの安堵と共に見守っていた。
◆◇◆◇◆
「それにしても、よくこんなタイミングで異世界転移者なんて見つかりましたよね!」
舞花が感心して言う。
この世界での異世界転移者は、漫画やアニメのように別段特別な力を持っている訳ではなかったが、メンタリティや価値観などがこの世界の人間と少し違うケースが多く、すぐに重宝される存在になって一定の職場に定着することが多いのだ。
だから一旦そうなってしまうと、彼らを後からこちらの陣営に招き入れようと思っても、定着した職場からは引き抜くのが難しくなってしまう。
その結果、結局また次に新しくやってくるのを待つしかない──そういうことになる。
それだけに、今回ちょうどいいタイミングで転移者が現れたのは、正に幸運だったと言うしかない。
「それには俺もびっくりしたよ。しかし実際助かったのは確かだな、うん」
白瀬はもし異世界転移者が見つかるようなことになったら、異言語圏のエリアだとちょっと難しいけれど大阪とか福岡のエリアだったら、自分で直接会いに行ってでもスカウトして来ようと思っていたくらいなのだ。
それが運良くこの東京区域で見つかるとは!
「まさかとは思いますが、柴崎……みたいなのじゃないですよね?」
恐る恐る隆二がそう聞いてくるが、それについては白瀬は楽観視していた。
「その心配はあんまり無いんじゃないかな? 取り敢えず直接会った二人に話を聞いてみたが、少なくとも一見大人しくて優しそうな子だったそうだよ」
土曜日になったら飯田も直接会って印象を聞かせてくれる予定だしな。
まあ、恐らく大丈夫だろう。
「そうなると……彼が月曜日に到着するまで後2日。ううん、最初は彼だって新人さんなわけだし、すぐにエルと仲良くなれるかどうかわかんないよね? やっぱりできるだけ時間を稼がないと駄目か……」
舞花が指折り数えながらそう言う。
「その辺は、多少ならお店側にお願いしてみてもいいだろう。得意な仕事だけをここしばらくは振ってもらえるようにするとかな。その辺は俺が高野君に頼んでみるわ」
そう言いながら白瀬がスマホに手をやった。
まあ、ある程度の期間に限ってのことなら、第三者機関が目くじらを立てるような事態にはならんだろ。
「あー高野君かな。実はな……」
そうやって、その場で電話を掛け始める白瀬に勇気づけられたように、他のみんなも作業に身が入り始めたようだ。
開発課にもこうしてやっと活気が戻ってきた。
方向性が決まれば、後は覚悟を決めてやり通すだけだ。
いつまでになるかわからない中で、ひたすら耐え忍ぶよりその方がよほど張り合いがあるわけで。
だからこうして状況に一度光明を見出すと、同じ物事でもこれまでよりずっと簡単になったように思えるものなのである。
◆◇◆◇◆
こうして木曜日から、エルの仕事は前もって篠原ができるだけ指示を出すようになった。
これまで見てきたところ、エルが包丁を使った仕事や食材の管理などに、向いているのではないかと思われたからだ。
精神的なプレッシャーを取り払って作業に集中させてやると、エルはみるみる包丁使いが上手くなっていく。
やはり技術の習得という面では、ディープラーンニング機構を備えているガイノイドはかなりのアドバンテージがあると見て良さそうだった。
こうして明くる日の金曜日になってくると、エルの包丁さばきは早くもフロア組では太刀打ちできないレベルに達しつつあったのである。
「じゃ、次はこっちの人参をこうして、こういう形に……」
「はい!」
「次はマッシュルームをね──」
次々と真剣に課題をこなしていくエルに熱心に教える篠原。
エルから送られてくる視覚と聴覚データから、リアルタイムでモニターを行なっている隆二と舞花にしても、これで取り敢えず今週に関しては最後まで無事乗り切れるのではないかと、ほっと胸を撫で下ろしていたのだが。
一方で。
裏でほぞを噛んでいる者達もいた。
「なんとかしなさいよ! あんたの管轄でしょ!?」
「シノさんに意見なんかできるかよ。無理に決まってんだろ!」
「ちっ。わかったわよ。今日はあたしがなんとかするわ」
そう言い合って、すぐに二人はその場を離れる。
これまでは、彼をできるだけ矢面に立たせて、私は足がつかないようにやってきたけど、あの『人形』がこれ以上力を付けたら、本格的にヤバいことになるかもしれないし……ね。
しょうがない、『あれ』をやらせてもらうわ。
ランチ時は野菜の仕込みも一段落して、あの人形も店内が忙しい中で一人だけ手隙になる。
──チャンスはその時しかないわね……。
『プロバビリティの犯罪』という言葉がある。
自分は直接手を下さず、相手を陥れる可能性が高い状況に誘導することによって、事をなす……そういうやり方のことだ。
折しも金曜日はランチ時が特に忙しくなる曜日。
それはみんなが休日前で開放的な気分になって、財布の紐が緩むからかもしれない。
そのため一見さんの比率も高いのだ。
……フロアで接客をしながら、そこまで考えると彼女は奥歯を噛み締めた。
その時に──!
◆◇◆◇◆
そして、金曜日のランチ時がやってきた。
やはり今日はいつもよりお客さんが多い。
「いらっしゃーませー☆」
そのいつもより騒がしい店内に安原の声が一際甲高く響く。
バタバタ……。
フロア担当の3人は正に大車輪の働きで、みんな余裕無く駆け回っていた。
そのお客の中に、黒目のコートを着てつば広のメンズハットを目深に被った白瀬がいた。
実は彼は、エルがこの店に来るようになった月曜日から、ランチ時を中心にお客として毎日エルドラドに顔を出しており、お客のフリ──まあ、本当にお客なのだが──をしながら、それとなく様子を観察していたのだ。
ひとつ余計なことを言うと。
こんなオシャレなつば広のメンズハットなど、元々白瀬は持っていなかったのだが、初日に麦わら帽子を被って出かけようとしていた彼を恵が呼び止め……。
「そんなことだと思いました!」
そう勝ち誇ったように言うと、このオシャレな黒のつば広ハットを白瀬にプレゼントしてくれたのだ。
それ以来今日まで約一週間。
コートにこのつば広帽の姿で、彼はエルドラドに通いつめていたのである。
白瀬は、いつものように12時前にお店に入るとランチを注文する。
ここ一週間は、毎日ここでランチを食べているだけに、食生活は彼らしくもなく充実していた。
月曜日のフォンドボーを使ったスープ『コンソメ・ドゥ・ブフ』が絶品で、初日から白瀬も大喜びだったのだが、それが裏でエル絡みの事件が起こった故の産物だったと後から知って、意気消沈したのはもう5日程前のことである。
今日の主菜は牛肉のテリーヌ。
ズッキーニに加えてオリーブの実とフルーツのオシャレな付け合せもさることながら、テリーヌにかかっているゼラチン状のソースがとんでもなく美味い。
手間が掛かっているのがありありと感じられる透明でオレンジ色のソースは、中には細かい具材が綿密に散りばめられているものの、おおよその見かけはまるで蜂蜜のようだ。
それを全粒粉のバゲット(フランスパン)に付けたり、テリーヌをのせたりして食べるのだが、この味の取り合わせがまた絶妙なのである。
付け合せのスープは今日はクラムチャウダーなのだが、これもまた巷で気楽に食べられているものとは違う奥深さを感じる。
身体もあったまるしね。
こんなのが毎日日替わり。
それも280アリアくらいで食べられるんだったら──!
「まあ、近くに勤めてたら毎日通うわなー」
モグモグ食べながら白瀬が考えの最後の部分だけを口に出す。
そうやって白瀬がつかの間の平和なランチを楽しんでいると、厨房の奥の方からエルらしき人影が客席の方に出てきたのである。
「うん?」
白瀬は喉が詰まりそうになる。
あれ?
エルを当面表のフロアに出さないっていうのは、高野君や篠原さんとも話し合って一応暗黙の了解になってたはずなんだけどなぁ。
「また、おかしなことにならないといいんだが……」
首を傾げながら様子を伺う白瀬は、エルに見つからないようつば広帽を目深に被り直しながら──そう祈らずにはいられなかった。




