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36 話 一筋の光明

 そうやって白瀬の電話が着信する前日。

 8月2日火曜日のことである。


 状況を打開するべく、あちこちに連絡を取っていた白瀬は面白い話を耳にしていた。


『異世界からの転移者が先日東京区域エリアで発見されたらしい』


 というのである。


 そして、レゾナンス症例などの研究を行なっている機関『ゲヒルン』の研究者──久保田真が、その人物が目覚めた際に立ち会ったというのだ。



 ゲヒルンはドイツ語で脳を意味する単語である。

 研究機関『ゲヒルン』は、その名の通り人間の脳の働きをメインテーマに研究を進めている機関なのだが、その関係もあってレイバノイド事業部とも、アンドロイド研究を進める上である程度の協力関係にある組織だった。


 特に最近は、ガイノイドの研究を進める上で人間の脳の詳細な働きを煮詰める必要があったため、ゲヒルンの研究者ともやり取りをする機会が増えていた。

 そう言った事情で、白瀬もこの久保田真とは学会などで何度か面識があり、その後も連絡を取り合う仲だったのである。


 白瀬は早速、火曜日の夜のうちに久保田に連絡を入れた。

 すると……彼はこう切り出したのだ。



   ◆◇◆◇◆



「白瀬さんは流石に耳が早いですね。7月25日の未明ですよ。東京区域エリアのある場所で、異世界からの転移者が発見されたんです」



 この手の噂にはガセもかなり混じっているので心配ではあったのだが、幸いこの情報に関しては事実だったらしい。

 白瀬も思わず電話口で身を乗り出してしまう。



「何!? それは本当か!?」



 それに対する久保田の返事は刺激的なものだった。



「本当も本当です。何しろ僕が彼に最初のレクチャーをしたんですからね。間違いありませんよ」



 そう言ったのだ。



「君が直接話したのか?!」



 白瀬もこれには驚きを隠せない。

 それに続いて更に衝撃的な話が続く。



「ええ。今こっちでは大騒ぎですよ」


「なんでだ? 転移者なんて毎日とは言わないが、ちょくちょく発見されるだろうに」



 そう聞く白瀬に久保田は──。



「聞いて驚いて下さい。彼……えっと歳はまだ20歳前後の男の子なんですけどね。実は彼は……」



 そう勿体ぶる久保田だったが、次に彼が口にした言葉には流石の白瀬も言葉を失った。



「2019年だって!?」



 驚きのあまり素っ頓狂な声をあげてしまう。

 ──なんとその青年は2019年から来たというのである。



「こっちじゃ大騒ぎですよー。久々に委員会カウンシルの監視が付くんじゃないかって!」


「あの7人衆の直々のか!」



 確かにそんなこと、めったに聞いたことがないな。

 白瀬も驚きを通り越して呆気にとられてしまう。



 委員会カウンシル


 第三次世界大戦の末期に、世界中の各地から突如現れたとされる7人の謎の人物達によって構成された組織である。


 なんでも──彼らはこの世界について、我々には知りえない重要な情報を握っており、アースユニオン政府は実質彼らによって舵取りがされてる──なんていう昔の謀略論者が聞いたら飛びつきそうな噂まであるらしい。


 そして昔の国の名残である7つのエリア──『アメリカ、日本、オーストラリア、イギリス、EU、アフリカ、ロシア』に普段は一人ずつ常駐し、常に密接に連絡を取り合っている……と言われているのだ。



 彼らはめったに一般の人間の前には姿を表さないらしい……のだが。

 白瀬はというと、実はこれまでに何度か会ったことがある。


 ガイノイドを研究していくうちに、どうしても問題が解決せずに行き詰まっていた時のこと。

 いくつかの技術的ミッシングリンクについて、突然現れた日本エリア担当のメンバーから直接助言を受けたことがあった。



 そうなのだ。

 彼らはどういうわけか起こっている状況を先回りすることができるらしく、このような形で世界中のあちこちに出現しては特定の問題を解決して回っているという。



「何しろ2019年からの転移者なんて、これまでに一度も無い事態ですからね。不慮の事象を必要以上に憂慮する『彼ら』が黙って見てるわけないんじゃないかってのが、こっちでもっぱら語られている見解ですよ」



 久保田も電話の向こうでいささか興奮気味である。



「なるほどな」



 考えつつ顎の無精髭を弄る白瀬。

 そんな噂まで出ているようじゃ……できるだけ早く動いたほうが賢明かもしれんな。


 白瀬はそう考えるとすぐさま動くことにした。



「それでその彼はすぐ働くことを了承したのか? 希望職種は?」


「それなんですが……」



 それに対しての久保田の返事は急に勢いを失ってしまった。

 しおらしくなって言葉を濁したのだ。



「僕もその時はまさかそこまでのレアケースだなんて思わなくて。だから後をコーディネーターに任せてすぐ研究に戻っちゃったんです。ほら、もうすぐ学会が近いから。立て込んでるんですよね、うちも……」



 そう言い訳がましく言う久保田だったが、白瀬は勿論それで諦める気など毛頭なかった。



「担当の異世界コーディネーターは誰だ?」


「伊藤春佳です。ただ彼女も今頃あちこち引っ張りだこになっちゃってて。すぐには連絡つかないかもですね……」



 やっぱり『彼』と会ったから……か。



「わかった。俺からも連絡を取ってみるけど、久保田くんからも何とか連絡をつけてくれないかな? すまんがこっちも時間が無くてね」



 急いでいるそぶりを見せておくことにする。



「何か差し迫った事情でも?」


「こっちの臨床テストのな。ちょっと後がない状況なんだよね」



 そう聞いて久保田も納得したようだ。

 そして名誉挽回とばかりに声が明るくなる。



「わかりました。それじゃ、できるだけこちらからも急いでコンタクトしてみます。それで伊藤さんと連絡ついたらその彼の……?」


「まず希望職種を頼む!」



 それが第一だろう。

 できるだけ命令や強制はしたくないからね。



「あーはいはいわかりました! じゃ、いつから働けるかと希望職種を聞いとけばいいんでしょうかね?」



 それから悪いとは思うが、もうひとつ頼んでおく。

 その人物と直接会った印象を聞いておきたいのだ。



「それからーその伊藤さんにさ。綾雅技研の白瀬が一度話をしたがってたって伝えといてよ。そうだ! それからさ……」



 そこまで言ってから白瀬は気がついた。

 久保田もその彼には直接会って話したわけだ。

 それなら──。



「久保田くんその彼……」



 その沈黙をどう思ったのか久保田が応える。



「谷山翔哉君って言ってましたよ、名前は」


「その谷山君の君の印象はどうだった? どんな感じの子だったのかな?」


「そうですねー……ちょっと気弱そうっていうか……。まあ、あれは直前に美咲が脅かしてたからかな? まあ、僕には真面目そうないい子のように見えましたけどねー」



 白瀬はその久保田の答えに満足する。

 まずはオーケーだ。



「そうか、わかった。それじゃ伊藤さんの件はよろしく頼むよ!」


「はい、わかりました。それじゃ……」



 こうして、久保田との火曜夜の電話は終了していたのである。



   ◆◇◆◇◆



 そのゲヒルンの久保田からの着信なのだ。

 否が応にも期待は高まる。

 白瀬は一息ついて気持ちを落ち着けると電話を取った。



「白瀬だ。うん……うん。すぐ働きたい? そうか! それから……? 外食産業希望だって? バッチリだ。すごいじゃないの~!! あーいやこっちのこと。もう配属されるお店は決まったって? でもそれってまだ谷山君には連絡してないんだろ? よ~し、じゃあ、綾雅の白瀬が止めといてくれって、そう担当部署に伝えておいてくれないか。ゴネるようなら最大級のインタラプトって言ってくれれば、それで大丈夫だと思う。うん、悪いね。本当に恩に着るよ、ありがとう! 今度飯でも奢るから。ああ、それから伊藤さんのことね。うん。そうかわかった。それじゃ!」



 弾んだ声でそう言って電話を切った白瀬だが、その場にいた開発課のみんなにはさっぱり訳がわからない。


 それもそのはずで、まだ目処がついていないうちに言ってしまって、後からがっかりさせてはいけないと、白瀬はまだ恵にもこれまで事の詳細を話してはいなかったのだ。



「さっき言ったエルを救う策な、もしかしたら上手くいくかもしれん。取り敢えず急いであちこち連絡せにゃならんので、俺はちょっとこれから所長室に籠もるわ。すまん。後でちゃんと説明するから!」



 バタバタバタ……!


 そう早口で捲し立てると、ポカーンと呆気にとられている3人を尻目に、白瀬は足早に所長室に引っ込んでしまった。



「どうしたんだろ……白瀬チーフ」


「さあ……?」



 秘密裏に色々と動くことがある白瀬には時々こういう意味不明な言動がある。

 彼らはそれを分かっていたので、何か状況に大きな変化が起こったらしいことは感じ取っていたのだが──。


 しかし今のところ手がかりは何もない。


 どうやら、後でちゃんと説明するという白瀬の言葉を信じて、取り残された3人はここで大人しく待つしか無いようだった。



   ◆◇◆◇◆



 さて。

 所長室に戻った白瀬は大忙しだった。


 まずはエルドラドの飯田に連絡を取り事情を説明する。

 異世界からの転移者が見つかったこと、その彼をエルドラドで働かせたいことを手短に話す。

 これまで店で起こった色々な状況について、既に高野から報告され憂慮していた飯田は、白瀬からの話を聞いて二つ返事でOKしてくれた。



「どうしましょうか。ここから最短でお店に来てもらうとなると……土曜日に面談して月曜からかな?」



 ちょっとスケジュール的にきついですけどねーと言いながらも、そう提案してくれる飯田。



「わかった。よし、じゃそれで行こう。いつもすまないね。担当部署と話を煮詰めたらまた連絡するわ」



 そう言って電話を切ると今度は人材配置センターである。


 決まりかけていた谷山翔哉の他の有人レストランへの配属を取り消してもらい、エルドラドに勤務という方向へと変更してもらうことにする。



「──はい。その上で月曜から勤務できるよう至急でお願いします。書類的に無理があるというんでしたら転属という形でもかまいません。そうですね。金回りの問題がもし生じるようでしたら、私の名義で一旦は建て替えますから。はい、はい、助かります。よろしくどうぞー」



 ──こうして、谷山翔哉の配属先はレストラン『エルドラド』へと、速やかに変更されたのである。

 本人に連絡がいく前に差し替えられたため、翔哉自身は自分の配属先が後から変えられたことを気が付くことすらないだろうが。



 再び飯田にゴーサインの連絡を入れていると、そこにキャッチフォンが入る。

 今度は異世界コーディネーターの伊藤春佳である。

 さっき久保田からは「後から連絡してくれるそうです」と聞いていたのだ。


 ビジフォンからかけてきているようだったので、白瀬も回線をスマホからビジフォンに切り替えると電話を取った。



   ◆◇◆◇◆



 画面に映った妙齢の女性は疲れているように見えた。



「異世界コーディネーターの伊藤春佳と申しますが……」



 そして少し緊張しているようでもある。

 無理もない。

 ずっとこうやって、ここしばらくは知らない人間達にあちこちから突っつかれっぱなしだったんだろう。



「お忙しいのに、そちらからお電話までさせてしまい申し訳ありません」



 できるだけ白瀬も居住まいを正して礼儀正しく応対する。



「伊藤さんがご対応された、谷山翔哉君のことについてお聞きしたくてご連絡を頂きました。本当は私の方からご連絡するのが筋だったと思うのですが急いでいる事情がございまして……」



 そう言って白瀬が頭を下げると、伊藤は疲れた顔に笑顔を浮かべながら、それでも怪訝そうに首をかしげた。



「谷山君に会ってから、ここしばらく見知らぬ人からそういうお問い合わせを頂くことが多いんです。彼には何かあるんでしょうか?」



 異世界コーディネーターは、異世界から転移した人間が歴任するらしい。

 彼女もその例に漏れないだろう。

 2019年から転移するというのがどういう意味を持つのか……彼女もきっと知らされてはいないのだろうな。


 情報を知らされていないということは、そういう『意向』が働いていると考えるのが妥当だろう。

 特に隠したいわけではないのだが、そういう『意向』に逆らうと彼女に逆に迷惑がかかることになるかもしれない。


 そう考えて、白瀬はそれに対してはこう答えた。



「そうですね。ちょっと変わった特質を備えた人物である可能性がある。それだけだと思いますよ。まあ、あまりお気になさらずに……」



 白瀬のその言葉を聞くと、伊藤の顔が「あっ……(察し)」という顔になり、それから意気消沈した面持ちになる。

 どうやら、連絡を取ってきたみんなからそういう対応をされているらしい。


 そりゃそうか。

 こちらには何も聞かずに、お前は知っていることだけ喋ればいいって、そう言われているようなものだしな……。


 少し可哀想な気もするがしょうがないだろう。

 背に腹は変えられない。



「翔哉クンはちょっと気弱そうな普通の男の子でした。相手のことを思いやる心をちゃんと持っているといいますか、自分が他人に迷惑をかけることを凄く気にしている感じで、自制的と言うんでしょうか……とてもいい子だと思います」


「なるほど」



 それは願ってもないパーソナリティかもしれないな。

 白瀬は心の中でそう思う。



「伊藤さん。私は彼をエルドラドで働かせることにしようと思ってるんです」



 そう白瀬が言うと伊藤の顔に驚きの色が浮かぶ。



「あの篠原シェフの……ですか?」


「そうなんです。実は私達は今、心を持ったアンドロイドを製作しておりまして、エルドラドでテストを行っている最中なんです。あなたの言った通りだとすれば、あの子には是非その翔哉君のような人間と触れ合って欲しいのですよ」



 それは白瀬の本心である。

 あくまでみんなの印象通りの人物だとしたらの注釈付きだが。



「そうですか……でもナイーブな子のようなので、独りで抱え込んで悩まないといいんですけどね……」



 伊藤もまだ彼のことは気になっている様子だ。



「私達が常にモニターすることにはなっているんですが、もしそう言うことになった時には、彼をどうか助けてあげてはくれませんか?」



 そう申し入れてみる。



「勿論です。そのためのコーディネーターですから」



 白瀬にとってその言葉はとても心強かった。



「ありがとうございます。そう言うときには厚かましいですが、今度はこちらからご連絡してもよろしいですか?」



 一応確認を取っておく。



「大丈夫です。喜んで協力させて頂きます。なんだか翔哉クンって放っておけない感じの子なんですよね……」



 伊藤はそう言って快く引き受けてくれた。



「わかりました。それでは今後ともどうぞよろしくお願い致します!」



 伊藤に対して深々と頭を下げながら、白瀬自身もその谷山翔哉という異世界からの転移者に対して、次第に興味をひかれ始めていた。

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