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32 話 暗い思惑

 いよいよ臨床テストの初日である。

 その日エルは事前に地図で教えられた通りエルドラドへ向かっていた。


 今日は8月1日の朝。

 天気は雲ひとつ無い快晴だ。

 そして、今日からエルは臨床テスト先のレストラン「エルドラド」で働くことになっているのである。



 この臨床テストのデータは、行政府が設置した第三者機関に直接送られる。

 その上で、平日の間のエルは朝に研究所から出てから、夜になって研究所に戻るまでは、開発スタッフとの接触を避け、基本独りで行動しなければならないレギュレーションになっているのだ。


 エルはコート姿だが、その下にエルドラドの女性フロア担当用の制服を既に着用している。


 ガイノイドは、勿論寒くて風邪をひいたりはしないのだが、周りの人間の服装やドレスコードにある程度合わせるためもあり、コートを着ることくらいの身だしなみは許されることになっていた。


 しかし人間ではないことをわからなくしてしまう、フードなどの着用は今回のテストでは許可されていない。


 そのため、最寄りのファクトリーエリア駅や電車の中ではそれほどでもなかったが、電車から降りて銀座街区の駅から出る頃になると、地域的にもアンドロイドが少ないこともあって途端に好奇の目にさらされることとなった。


 ヒソヒソと周りからの声が聞こえてくる。



「え……?」


「なに、あれ」


「……レイバノイド?」



 そしてその驚きと好奇の眼差しが、次第に敵意へと変わっていくのだ。




「なんだあ……?」


「今度はあんなの作ったのかよ」


「なんだよあれ……あざといなー!」



 …………。


 その言葉が、うつむき気味に歩くエルの胸に突き刺さっていく。


 こういった反応があることは事前に予測されており、開発スタッフからも注意を喚起されたり励まされたりはしていたのだが、だからと言ってそれで心の痛みやストレスが消えるものでもない。


 エルは少し俯きながら次第に足早になる自分を感じていた。


 これがレイバノイドを、まるで移民労働者のように20年間労働力として扱ってきた──この世界の現実なのだ。


 そして、その流れはレイバノイドの概念を完全に変貌させてしまうようなアンドロイドが表れてそれを打破し、人々の意識すら書き換えるほどのインパクトを打ち出さない限り、変わることは決して無いとさえ言えるのである。


 しかし、座していればそれはこの先ますます難しくなっていくだろう。


 だからこそ白瀬達は自分の開発を急いだのだ。

 エルはその事情を理解していた。


 自分に何ができるのか……その期待に応えられるのか。

 それは正直わからない。


 でも……。

 いや、だからこそ。

 目の前にある自分のできること──それをただ精一杯にやろう。


 性格的には決して気が強いわけでも行動力がある訳でもない自分が、この大きすぎる使命を全うできる可能性があるとしたらそれしかない……エルはそう強く心に決めていたのである。



   ◆◇◆◇◆



「まじっすか!?」



 奇声のような声を発したのは柴崎祐樹であった。


 ここは、レストラン『エルドラド』の中。

 その厨房奥のスタッフ用オフィスである。


 そこでフロアリーダーの高野浩二が、朝仕事前に集まったみんなに今日からガイノイドが臨床テストのために一ヶ月間やってくることを告げたところなのだ。



「結構前からもう言ってあったよね~。そういう心を持ったアンドロイドがうちに来るかもしれないってさ~」



 高野はいつもの調子でそう言う。



「心ですか……前に聞いた時からも気になっていたんですけど、そのレイバノイドには、人間のような感情があるんですか?」



 そう聞いたのは清水晃である。



「そうだよ。それも感情をただ演算するだけじゃなくて、ちゃんと人間のように感じて生きているんだそうだ。だから~今までのレイバノイドとは全然違うらしいんだよ~。だから正式にはレイバノイドではなくてガイノイドって呼ばれることになるってさ~」


「ガイノイド……ねぇ~?」



 安原絵里はオウム返しにそう応えはしたものの、表面上にはあまり興味がなさそうな素振りである。



「それから個人としては、エルって名が付けられているらしいんで、できればそう呼んでやって欲しいって言ってたよ~」



 そう説明する高野に柴崎が食いつく。



「感情って言ったってしょせん電気信号でしょ? そんなの結局はマガイモノじゃないっすか!」


「まあ、そう言うなって~。ともかく今日から一緒に仕事をすることになるから~仲良くしてやってよ。チャーミングな女の子らしいからさ~!」



 そう言った高野だったが、みんなの反応はあまり思わしいものではなかった。

 柴崎は関係ないとばかりに厨房へ行ってしまい、安原もそそくさと逃げるようにフロアへと出ていく。


 その様子を観察しながら、篠原和美は周りにわからないように小さくため息をついた。



   ◆◇◆◇◆



 ここは倉庫前の通路。


 昼間でも手動で電気を点けなければ薄暗く、倉庫内に入らなければ自動で照明は点かない。

 その暗い倉庫前に二人の人影があった。



「アンタ……わかってんでしょうね」


「…………」


「心を持ったアンドロイド? はん。そんなのが出てきたら真っ先にお払い箱なのは、どんな奴か──わかってるわよねぇ?」


「ちっ……。女だっていうだろ? それじゃお前だって!」



 そう言われた女の方に動揺した様子は見られなかった。



「だ、か、ら、前から言ってるでしょ? 協力してあげるって」


「…………」


「やるのよ! ビビってんじゃないわよ。ったく」



 彼女は愛らしい普段とは全く違った態度で男を煽っている。

 しばらく思案していた男は、何かを思いついたらしく更に声を潜めて言った。



「……今日はカレースープの仕込みがあるんだ」


「ふーん。使えるわね、それ」


「だろ?」



 男は得意げに鼻を鳴らした。

 女も意地悪く粘りのある声を出してみせる。



「心があるとかって言ってたじゃない。最初にいきなり大失敗とかしちゃったら、どうなっちゃうのかしらねぇ~?」


「…………」


「うふふふ。これも勿論貴重なテストの一環……よねぇ?」



 時々彼女と付き合っていると怖くなってくることがある。

 ただこれで頭だけは回るんだよな、こいつって。

 男にとっては、今回はその彼女の悪知恵だけが頼りだった。



「どうすんだよ。それで」


「どうするって? こうするのよ!」



 そう言うと懐から何かを出す。

 暗闇に光るものが見えた。



「それ……?」


「アンタさ、パチンコ玉って知ってる? 昔、何かの娯楽に使われていたものらしいのよ。私、小さい頃にこれをお爺さまにもらってから、ずっとお気に入りでいつも持ち歩いてたのよね……。これを、ね──?」


 その女の口元が醜く歪んだように見えた。



   ◆◇◆◇◆



 やがて、エルドラドにエルが到着した。



「皆さんガイノイドのエルです。今日からどうぞよろしくお願い致します!」



 エルがエルドラドのスタッフの前でペコリと頭を下げた。



「おお~すごいなあ~! エルちゃん可愛いね~!」



 高野がエルを見て声を掛けた。

 彼からするとそれは全くもって率直な感想だった。



「よろしくね。エル!」



 篠原もそう言いながら握手を求めて手のひらを出す。

 エルも遠慮気味にその手を取った。

 だが、やはり嬉しそうである。



「これからよろしくね」



 笑顔を作る清水。

 と、掛け値無しに好意だったのはここまでくらいで──。



「足引っ張るんじゃねーぞ!」



 これは柴崎。



「よろしくねー」



 安原も一応明るい声で挨拶したが。

 ……目が笑っていなかった。


 それぞれそんな感じである。



「それじゃエル君はまず篠原さんの下についてやってもらえるかな~?」



 高野は、昨夜あれから白瀬と当面の方針を話し合ったのだ。


 まず最初は色々な作業や動きに慣れるまでは、予測できない失敗が起こる可能性が高い。

 それに加えて、一般の人達のアンドロイドに対する意識も考慮すると、まずはお客さんの対応はさせないほうがいいのではないか。


 ──白瀬からはそう助言を受けていた。


 銀座街区周辺の住人であるエルドラドのお客達が、アンドロイドであるエルをどれくらい受け入れてくれるのか……。

 最初は少し距離を置きつつ、その辺りは慎重に見極めていく必要がある。


 そういう話になっていたのだ。



「こっちっすか~!」



 柴崎はそう不満げな声を挙げながら、心の中では「しめた」と考えていた。

 これなら労せずにこっちの仕事を命令できるからだ。


 こうしてその日の開店前は、柴崎がランチ用のカレースープの仕込みを行い、篠原はいつも通りメインディッシュ用の肉料理の下準備をしつつ、エルに包丁扱いを教えることになった。


 エルはこうして最初の仕事としてジャガイモの皮を剥くことになったのだが、最初こそ慣れない手つきだったものの、30分もしないうちにスルスルとスムーズに皮を剥くようになってしまった。



「すごいじゃないエル!」



 これは、前日に開発課でリハビリテーションを行った際、既に似たような作業をさせてもらっていたこともあるのだが、その辺りの事情は篠原も柴崎も知らないのだ。


 それによって、実際に起こった事実以上にエルは評価される結果となった。


 事情を知っているエルとしては正直恐縮していたのだが、これは開発課のスタッフ、特にリハビリのカリキュラムを作った恵の手柄であり、それを貶めるようなことを言うことはできなかった。


 その結果。

 エルは有能かもしれない……!


 そういう第一印象ファーストインプレッションが、まずはみんなの間で広がることになったのである。


 仕事を始める最初としては、そしてみんなの信頼を勝ち取るためにも、それは思いの外上々のスタートであった。



「ちっ!」


「くっ!」




 はっきりと声にこそ出さなかったが、これでますますくだんの二人は後には引けなくなっていた。

 ──こうなったら何としても『あれ』を成功させなければならない!


 それぞれに持ち場でこう思っていたのだ。


   “打合せ通りに”


 二人は離れた場所から互いにそう目配せし合った。

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