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31 話 白瀬の頼み事

 午後8時になると、エルドラド近くのカフェ『まんでりん』に4人が集まって来ていた。

 その4人とは、白瀬、飯田、篠原、高野、である。


 みんながテーブルに揃うと、まずは白瀬が頭を下げた。



「今回は本当に急なことになってしまって申し訳ない」



 それに対して、篠原がすぐさまにこやかに返答した。



「ご事情は伺っております。私としても白瀬さんはお店を開く時からの恩人ですから、できるだけお力になりたいと考えておりますわ」



 そうなのだ。


 レストラン・エルドラドを創業する時、どうしても採算の辻褄を合わせることができず、途方にくれていた飯田と篠原に対して、行政府を利用しての補助金の活用というアイデアを提供し、その間まで取り持って交渉を成功させたのは他ならぬ白瀬だった。


 つまりエルドラドは白瀬の力添え無しでは生まれることはなかったということになる。



「お店に来るエルちゃん……でしたか? 飯田からは普通のレイバノイドではない……そう伺っておりますが」



 そう尋ねた篠原に対し白瀬が答えた。



「そうなんです。私達は現在人間と同じような感情の働きを再現したアンドロイドを開発しております。このエルはただ感情を演算しているだけではない、感情を感じる心というものを自分の中に保持しながら、それと共に生きるアンドロイドということになります」


「それは、すごいですね!」



 それを聞いて、高野がすぐさま感嘆の声を挙げる。



「彼女の人格は、この機構によって実際に喜ぶことも、そして傷つくこともある。そのために今後の彼女とその仲間達のことを考えた時、旧来のレイバノイドと同様に扱うことはできないと私達は考えております。ですので、レイバノイドではなくガイノイドという新しい呼称で、社会には認知していって欲しい……そう願っているんです」



 レイバノイドという人間の奴隷から、共に生きる存在としてのガイノイドへ……今後の人類の未来を考えた時、そのパラダイムシフトに成功するかどうかが、運命を分かつことになるのではないか──白瀬はそう考えていたのである。


 それを聞いて、篠原がこう尋ねた。



「ということは、私達はできるだけ彼女を傷つけないように。つまりフレンドリーに接して、仲良くしていけばいいということでしょうか?」



 当然、開発者としては親も同然子も同然。


 人間同様の感情を持っているとしたら尚のこと、決して傷つけることなくデリケートに扱って欲しい、そういう依頼をするために今日自分たちは呼ばれたのだと……篠原は思っていたのだが。


 それに対しての白瀬の答えは意外なものだった。



「そうしたいのは……私もやまやまなんですけどね……」



 ましてやエルはまだ人格形成期と言ってもいいのだ。

 愛されるに越したことはない……いや、愛されるべき時なのだ。

 だが……。


 そう言いながら白瀬は表情を曇らせた。



「今回の件ですが、行政府はこのテストでガイノイドが何の予備知識も与えられない状態で社会にどう認識されるか、され得るのかの実データを出せと言ってきているんです」



 それを聞いた高野にはピンと来るものがあった。



「つまり今回のテストには社会科学的なシミュレーションの側面があると言うことなんですね?」



 白瀬は頷いた。



「その通りです。ですので、お店の中の人達にはエルが心を持っているガイノイドだという事情と、テストに協力することになった経緯だけを伝えて頂いて、後はアズイズ(そのままで、自然に任せて)の方向でお願いしたいんですよ。篠原さんと高野さんにおかれましても、あまり命令や指示でエルに対する接し方を強要するのではなく、静かに推移を見守りながら少しずつサジェスションして頂くような方向でお願いしたい。今日はその意向をお伝えするために参りました」



 丁重に頭を下げてそう言う白瀬に対し、高野が戸惑い気味に表情を曇らせる。



「しかし……それは……」



 言葉を濁す高野に対し、白瀬ははっきりと頷いた。



「確かに、事の推移によってはエルに辛い思いをさせてしまうことになるかもしれません」



 時と場合によっては、実験の中止すらあり得るだろう。

 そして、それがこのプロジェクトを凍結させておきたい行政府の狙いであることも、だ。


 ──しかし白瀬もそれらは全て承知の上だった。


 彼らの真の狙いは、そうやって我々が手をこまねいているうちにますます状況が悪くなり、ガイノイド計画そのものが中止に追い込まれるよう仕向けることなのだから。


 現在のこの地区の行政府の背後には、反アンドロイド──引いては現在の政府に対するレジスタンス的な勢力が関与している……白瀬の持っている広大なコネクションの一部からはそういった警告すら入ってきているくらいなのだ。


 ──それは白瀬達にとっては、どうしても引くことができない状況であることを意味していた。



「それでも敢えて頼みたいのです。エルのようなガイノイドが、無作為に社会に放り込まれた時に何が起こり得るのか……今後のゴーサインを行政府から引き出す為には、その実データが今回はどうしても必要なのです。どうぞよろしくお願いします……!」



 白瀬は行きがかり上“状況”などという言葉を使うしかなかった訳だが。

 もちろんそんな実データなど、あの頭の固い行政府のお役人たちが相手でなければ必要なわけはないのだ。


 この社会情勢、労働環境、そして人心の方向性。

 それらを考え合わせれば、実際に彼女に痛い思いなどさせなくても、そんなことは容易に洞察できるはずなのである。


 想像力を失った莫迦者共が……!

 その怒りが表に出そうになるが、白瀬はやっとのことでこらえた。


 いずれにせよ──彼らが権力者側にをいる限り、ある程度は従わなくてはならないのだ。

 娘同然の彼女を危険に晒すことになっても……である。



   ◆◇◆◇◆



 ばん!


 白瀬の机を叩く音が部屋の中に響く。



「そんな要求なんで呑んできたんですか!!」



 本部長のところから開発課に戻ってきた時には、隆二にも詰め寄られたっけ。

 白瀬はその時のことを思い出していた。



「エルは人格的にはまだ子供と同じなんですよ? 愛情が必要なんです。優しさが必要なんですよ! レイバノイドと混同しているあんな奴らに、それがわかるわけないじゃないですか!!」



 全くもって隆二の言う通りである。

 今回の行政府の要求はエルを生贄にしろと要求しているに等しい。



「だが、ここで要求されたデータを出さなかったら、それこそ実験中止を通告するための格好のネタを彼らに提供することになる。いずれにせよ社会科学シュミレーションに基づいたアセスメントは、法律的にもこのプロジェクトには必須事項なんだ」



 白瀬がここで迷いを見せれば逆に士気に影響するだろう。

 さも当然のように言い切って見せなければならない。



「でも……!」



 当然、隆二は納得できるはずがない。



「やめなよ隆二。そんなの、どうせまたお役人連中の嫌がらせに決まってんでしょ! 交渉の余地なんてあるわけないじゃない。まったくアイツら性格悪いったらありゃしないんだから!」



 舞花は一応隆二を止めつつも、自分は自分で悪顔で悪態をついていた。



「みんな、気持ちはわかるがこれはもう決定事項だ。お上が決めたことは理不尽でも果たさにゃ前へは進めないんだ。それが現代社会ってもんだろう?」



 もちろん白瀬も内心怒り心頭なのだが、立場上それをここで表に出すことはできない。



「勿論、テストはエルの状態を見ながら慎重に進めなければならないだろう。もう後戻りはできないが無理も禁物だ。わかってるな?」


「…………」



 恵が何かを言おうとしたのを止めてうつむく。

 みんな歯を食いしばるように下を向きながら、悔しさに耐えながらそれぞれに頷くしかなかった──。


 それが7月中旬頃のことだったのである。



   ◆◇◆◇◆



 エルドラドの面々との会合を終えた白瀬が研究所に戻ると、開発課のスタッフ達は明日からのテスト開始に向けての最終チェックに入っていた。


 恵がテスト環境の最終確認をしている。



「モニタリングは当初はエルの視覚だけをリアルタイムに追う予定でしたけど、万が一の時に備えて聴覚も加えることにしましょう。そうすれば何かあった時に少しでも早く対応することができるし。送信するサンプリングレートをできるだけ下げればエルの負担も最小限にできると思うの」


「それはいい考えですね」



 舞花が同意する。



「それじゃ、送信フラグの設定とサンプリングレートの調整指示を、エンジニアに出しておきますね」


「お願いね」



 恵が答える。


 そこで、表から白瀬が戻ってきたことにみんなが気がつく。

 そして彼に注目した。



「もう解っていると思うが、それでもエルのエモーショナル関連データと意識活動データ、それから無意識自律機構の稼働データについては、どうやっても夜にエルが帰ってきてから分析することになる。今後一ヶ月間は実質24時間戦ってもらうことになる。覚悟しておいてくれ」



 みんなが黙って頷く。



「念のためにシフト表をプリントアウトしておいたわ。確認しておいてね」



 恵がテーブルにその紙を配る。


 ──この中の割り当てに白瀬は含まれていない。



「すまんな」



 白瀬が小声でそう言うと、恵はにっこり笑って「白衣で行っちゃ駄目ですよ?」とだけ口にした。


 まあ、最近は寒いしな。

 コートくらいは着ていくか。

 白瀬も心の中でそう独りごちた。



「それはそうとテスト先は大丈夫なんですか?」



 隆二が心配して聞いてくる。



「おう、それに関しては全く問題ない。今日会って来たが、明日からの受け入れを快諾してくれたよ」



 それを聞いて一同の間に安堵の色が広がる。



「エルドラド……でしたっけ。確か有人の高級レストランでしたよね?」


「レストランって言うよりも、ありゃむしろ篠原個人の高級料理店だな」



 舞花の言葉に白瀬が訂正を入れる。



「シェフの篠原が存分に腕を振るえるよう全てが配慮されている。アシスタントシェフの柴崎に、忙しい時には厨房も手伝える清水。頭の切れる高野に看板娘の安原……」



 白瀬の頭の中にはエルドラドのスタッフがもう既にインプットされていた。



「それもしても、そんな人数でよく回ってますねぇ!」



 隆二が感心する。



「回る人数のお客しか入れないのさ。あそこが使っている特殊な食材は数に限りがあるし、どのみち売れれば売れるほど赤になるんだからな」



 そう言う白瀬に舞花が呆れたように言った。



「今の御時世じゃなきゃ続けられませんね。そんなお店!」



 実際には今の御時世でも、そんな無茶な店なんて他にはどこにも無いのだ。

 そういった意味では、エルドラドというレストランは、篠原シェフの文化的な希少価値と白瀬の政治力が生んだ奇跡のような存在だと言える。


 正に失われた旧き良き黄金郷というわけだ……白瀬は心の中でそう呟いた。


 そこで手元の資料をまとめていた恵が一息つくとぽつりと呟く。



「上手くお店に溶け込んでくれると良いんですけどね……」



 彼女もやはり心配そうである。



「まあ、こればっかりは行ってみないと……な」



 白瀬もこれにはそう答えるしか無かった。



   ◆◇◆◇◆



 その日の深夜は、エルとのちょっとした親睦会的な時間が設けられた。



「エル~~!!」



 舞花がそう言いながらエルを抱きしめる。



「エル……頑張れよ」



 その後ろからそう言う白瀬に、



「はい。お役に立てるように精一杯頑張ってきますね!」



 エルが満面の笑顔で応える。



「俺たちがいつもついてるからな!」


「はいっ!」



 隆二の言葉にまた嬉しそうに返すエル。


 この親睦会は恵の発案で行われた。


 理論的には既に予見されていたことなのだが、可動し始めてからのモニタリングによって、エルにはやはり「エモーショナルフォース波動の慣性現象」とでも言うべきものが起こっていることが確認されたのである。


 平たく言うと、嬉しいことを感じた後はそのポジティブなエネルギー波動が頭脳内に残り、ゆっくりと消失するまで影響を与え続けることで、好循環を作り出すということだ。


 しかし、それは辛い想いや心の痛みなどのネガティブなものを感じて、それに悪影響を受けた時にも働いてしまうことも意味する。

 つまりこのポジティブ波動とネガティブ波動は相関関係にあるのだ。


 その結果、双方が互いに打ち消し合う構図になっているのだが、ネガティブ波動がポジティブ波動を上回り続けると、エルの心の中には精神的ストレスとでも言うべき「よどみ」が残り続けてしまうわけである。


 一度臨床テストテストが始まってしまうと、平日の間は研究所の人間と触れ合う時間が実質的にはほとんど無いことが予想されるだけに、その間にエルの精神的ストレスがどの程度のレベルまで高くなるのか……その辺りは全く予断を許さないのだ。


 そこで。

 このテスト出発直前、つまり最後の夜に少しでもエルが安心でき、くつろげる雰囲気を作って、ポジティブな波動を可能な限り溜め込んだ上で、少しでも万全なメンタルで出発の朝を迎えさせてあげたい……。


 この夜の親睦会は恵のそう言った親心からの発案なのである。



 メンバー達も軽く飲食をしたりしながら、リラックスした雰囲気でエルと談笑したり、自然にスキンシップが行われる。

 その人の輪の中でエルは満面の笑みを浮かべて幸せそうだった。



「なんだか……身体の中がポカポカ温かい感じがしますね」



 エルが笑顔でそう言う。



「エルがそうやって笑っていてくれるのが一番俺嬉しいよ……」


「嫌な奴がいたら私がぶん殴ってやるんだからね!」


「舞花、パワハラは駄目だぞパワハラは」



 白瀬はそう言いつつも、もし彼らガイノイドが人間からハラスメントを受けたとしたら、いったい誰が助けてくれるのだろうか……そう思わずにはいられなかった。


 そう言う枠組みとコンセンサスを社会に作り上げること、それもガイノイドを世に出していくためには重要なことなのである。


 人間とアンドロイドが対等に協力し合う……それは白瀬の積年の夢であり、そのためにここまで研究を続けてきたと言っても過言ではない。


 だが……この世界はアンドロイドの心を理解できるのだろうか……?


 日に日にアンドロイド達を取り巻く環境が悪くなってきているのを感じている白瀬だったが、それでも手を差し伸べてくれる誰かがいることを祈らずにはいられなかった。

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