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26 話 特別なプロジェクト

『……それ故、当該の高度知性体プログラムによる自律制御管理下にあるアンドロイドが、自己の緊急的な状態保全に係る環境情報の変更を打診するために、自らが自発的に行動を起こす必要性が認められる場合には──』


 低い声で音読しながらパソコンのキーボードを叩いているのは、この綾雅技術研究所の所長であり次世代技術研究課のセクションチーフも兼任している白瀬宗一郎である。

 白瀬はいつもの昼時の散歩から研究所に戻った後、所長室にこもって行政府の上層部に提出する予定の上申書の作成に勤しんでいた。


『当該のアンドロイドは、人間の判断を逸脱する形での独自の決断を実行に移すことで、環境情報の変更を打診する権利を有しているとの見解をここに表明するものであります。これはいわゆる…』


 ふう。

 故意に大きめの一息をつくと、白瀬はため息混じりに首の辺りに手をやり、肩を回してコリをほぐす。


 ──こんな理屈をこねたところで、しょせんあのお偉いさん達には通じないかもしれんが。


 心の中でそう呟きながら、より強く肩に力を入れるとコキコキと音が鳴る。



「まあ、でも、これも給料分だからな……」



 自分を納得させるようにそんな独り言を言うと、気を取り直してまた文章の続きに取りかかろうとする。


 新しいテクノロジーの開発というのは、社会に実用化される際にはその前に様々な難しい問題を解決しなくてはならない場合が多いのだ。

 それ故、まず次世代技術開発課を部長直轄の少数精鋭部署として立ち上げ、若い研究者達に経験を積ませながら、いざという時には白瀬自身が矢面に立つという形で諸々の問題解決にあたってきたのだが……。


 それもこれも全て、これから始まる特別なプロジェクトを成功に導くための白瀬なりの布石だったのである。



 もうすぐ『彼ら』の時代が来る。

 いや、来て欲しいと願っていると言った方がいいか。


 いずれにせよ、そのためには少しでも前もって社会に新しい価値観の種を蒔いておかなくてはならないのだ。



「それには面倒臭くてもまず足元から耕さなくっちゃねぇ」



 長い道程を俯瞰してばかりいると、どうしても理不尽で不合理な目の前の問題を先送りにしてしまいたくなってしまう。

 だが結局それでは遠回りになることが多いのだ。

 だから、白瀬自身自戒も込めてそう考えるようにしているのだが──。



「色々難しいんだよねぇ、これが」



 思わず口からは愚痴がついて出てきてしまう。

 そうして一息つきながら気を取り直すと、またまともに読んでは貰えないかもしれない文書を作成するためにキーボードに指を走らせるのだ。



「コミュニケーションは結局正確で確実な現状認識よりも、希望と期待の方に比重が傾いていないと成立しないから、ね。っと」



 カチャ!



 自らを奮い立たせるように勢いよくリターンキーを叩く。

 そしてまた続きを書き始めた。



『人工的な意志が利他と利己の両方の見地から明らかに有用であるとの合理的な判断の下、特定の条件化においてプログラムされたプロセスを逸脱すること。それこそが自由意志の価値であり、このプロジェクトが持つ根源的な意味合いだと我々は考えているのです。』



 そこまで書き終えたところで、手元のビジフォンの内線が鳴った。



「おう。恵か」


「白瀬チーフ、もうすぐお時間ですが……」



 もうそんな時間だったか!

 左手の腕時計を見て時刻を確かめる。



「おっと、そうだったな」



 今日は節目の大事な日なのだ。

 ──白瀬とて決して忘れていたわけではないのだが。



「はい、全員もう集まっておりますので」


「そうか。遅れてすまん。俺も急がないとな。すぐ向かうわ」



 受話器を肩ではさみながら、手早く机の上を片付け始める。

 恵はそこでくすっと笑った。



「みんなも、ただ待ちきれないだけなんですよ、きっと」



 彼女の声は、そこで急にそれまでのビジネス的な形式口調から、柔らかい語り口に変わった。

 どうやら時間に遅れた俺をフォローしてくれているらしい。


 そんな細かな心配りができる恵の性格は、個性派揃いの開発チームをまとめていくために非常に助かっていた。



「そうだな。ほんっと、やっとだもんな」



 基礎的なフレームワークから開発陣の実質的なコアメンバーを揃え、本格的にこのプロジェクトが始動してから数えても早5年……か。


 それだけの時間が既に経っていた。



「そうですね。やっとです」



 これまでのAIの範疇を大きく逸脱するほどの、自由な意志と知性を併せ持つアンドロイドの開発。

 それに伴う、政府筋にも根回しをしながらの先を見据えた法整備や、社会構造の変化をも視野に入れた新たな市場の創造。


 それらを実際に推し進めていくためには、やはり開発だけでは済まない部分の方が多く、様々な調整をアプリオリに進めていくためには、やはりかなりの時間と労力がかかったのである。



「今日とうとう目を覚ますんだな。『彼女』が」



『彼女』


 そう。

 人類史上恐らく最初の一体となるであろう特別なアンドロイド。


 知性的な人格としては、端末を通してこれまでも何度か人間と触れ合ってきた彼女だったが、ほぼ完全な人間に近い身体という容れ物を与えられ、アンドロイドとして覚醒するのはこれが初めてのことになるのだ。



「ついにこの日が来ましたね」



 まだまだ先は長いとは思うが大きな節目である。

 それだけに感慨深い気持ちは隠しきれない。



「ああ」



 そう短く答えて立ち上がると、カレンダーの今日の日にふと目を走らせる。

 今日の日付はAT(地球暦)24年7月30日。

 カレンダーのその場所には「18時 ガイノイド『エル』臨床テスト開始」と書いてあった。



 ◆◇◆◇◆



 ガイノイド……その言葉の誕生は20世紀まで遡る。


 20世紀後期に、ある科学者が「アンドロイドのアンドロの語源はギリシャ語で男性を表すものであり、それを女性のアンドロイドにも適用するのは権利侵害にあたるはずだ」などと騒いだことがあるのだ。


 ガイノイドはその時に作られた造語なのである。


 だが当時は、まだそれほどアンドロイド自体が普及しておらず、その呼称に実体と実用性が伴っていたかどうかと問われた場合、少なくとも学術的な見地では定着したと主張するには程遠い有様だった。



 だが今はもう状況が全く違うのである。

 レイバノイドという作業機械が往来を跋扈する今の時代。


 レイバノイドという呼称がロボットという人間性を否定した呼び名に限りなく近づいてしまったことで、人間性を持って生まれてくる彼らにはそれとは違った全く新しい呼び名が必要になったと言えるのだ。


 そう考えた私達は、この新しい人間性を持った女性アンドロイドシリーズを『ガイノイド』と名付けることにした。



 もっともこれは法整備上、これまでと大きく違うことを強調することで彼らの権利を守り、レイバノイドと差別化していくための記号である部分が大きい。

 本来、自らの自由意志と人格という人間性を併せ持った彼らは、自分たち自身に名付けられた各々の個体名で呼ばれるべきなのだ。


 ただ大衆レベルで、今すぐそこまでのシンパシーモラルを求めるには、この世界は少し回り道をしすぎたのではないか?


 ──時々、白瀬はそう考えてしまうのだ。



 人間性を持ったアンドロイド達が人間と対等に協力し合う……そのための理想的なロードマップを歩むには、この世界の歴史は歪になり過ぎた。


 現代型戦争の長期化とそれによる人心の疲弊、それに地球規模の自然災害が重なることによる人的資源の枯渇。


 この急激な情勢の変化と状況からの要請よって、アンドロイドは人間社会に少しずつ順致される機会を奪われたばかりか、その欠落を慌てて穴埋めするためのただの道具としてインフラの中核に据えられてしまった。


 これからのビジョンに思いを馳せる猶予も、次第に育っていくであろう彼らの人格と人間性を社会に和合させていく方策について、慎重に考慮していく余地さえ一切与えられずに、だ。


 だが、そこに選択の自由などありはしなかったのだ。

 当時の人類は大げさでなく正に“存亡の危機”にあり、それは歴史的必然と言い切れるほどの差し迫った事態に対する緊急の解決手段だったのだから。


 とは言え、その歪と言ってもいい施策による負債が、全て来るべき時代に生まれようとしている新世代のアンドロイド達に降り注ごうとしているのは紛れもない事実なのである。


 その破滅的にも思える軌跡を、私達は果たしてこれから変えることができるのだろうか……?



 ◆◇◆◇◆



 白瀬が開発課棟内にある会議室に足を踏み入れると、そこにはコアメンバーの3人の他にもガイノイド『エル』の開発に携わっている技術者連中が50人近くも既に集まっていた。


 みんな期待に胸を弾ませるかのようなハツラツとした顔つきをしている。

 まあ、それもそれぞれなりにだが。


 開発課のコアメンバーである恵と隆二と舞花、そして白瀬宗一郎。


 実質的にはこの4人で世界最初のガイノイド、その中でも感情と自由意志を併せ持った次世代人間型汎用AIという最も重要な部分──の開発は進められた……そう言ってもいいだろう。


 他の者たちはというと──その動き出した人格にできるだけ人間に近い身体感覚と運動性を与えるために、白瀬が各方面から集めてきたロボティクス関係のエキスパートエンジニア達なのである。


 その彼らが見守る中、会議室の前方にある演壇にふらふらと近づいていった白瀬は、頭を掻きつつそこに立っておもむろに話し始めた。



「あーみんな。遅れてすまん」



 緊張感の無い第一声に場が笑いに包まれる。



「まずは報告だ。エルを一般大衆に触れ合わせるためのパブリックコミューンの認可は……降りたよ。ついさっきな」



 それを聞いてちょっとした歓声と拍手が場内から沸き起こった。

 それを制すると、みんなを戒めるように白瀬の口調が少し厳しくなる。



「ただしまた条件付きだ。不特定多数への接触が許される期間は8月1日から1ヶ月間だけだそうだ。今晩エルが目覚めたとしても準備期間には一日しか充てることはできない。忙しくなるぞ。覚悟してくれ!」



 元々このエリアの行政府のお偉方達は、このガイノイドプロジェクトには消極的であり、極めて非協力的な態度を一貫して示していた。

 それを考慮すれば、認可がすんなり降りただけでも御の字としなければならないのだろうが……それにしても事前準備の時間が実質たったの一日とは!


 嫌がらせなのか、現場をよくわかっていないだけなのかは定かでないが、白瀬でなくてもため息をつきたくなると言うものだ。



「ともあれ」



 もう一度気を取り直す。



「これによってだ。予定通り今晩これから、世界初のガイノイドである『エル』が目覚めることが決定された。これは諸君のここまでの奮闘のおかげに他ならない。本当にありがとう!」



 そう白瀬に言われても、今度は場は依然として神妙な雰囲気のままである。

 皆わかっているのだ。



「そうだよな。問題はこれからだ。これから表へ出ていくエルを社会がどう捉えるのか。受け入れられるのか、それとも拒絶されるのか。それはまだ未知数だ。だがいずれにせよ、もうわかっていることとは思うがその道程は決して簡単なものではないだろう」



 ナビゲーターAIの没収騒ぎに端を発した社会的混乱と、レイバノイドに対して次第に向けられてきている労働者層からの敵意……状況は控えめに言っても好ましいものではなかった。


 だが。

 だからと言って、例えこのまま座していたとしてもアンドロイドを取り巻く状況はこれからもますます悪くなる一方なのである。

 むしろこちらからアクションを起こして流れを変えていくためにも、私達は無理を押してでも先を急がなければならないのだ。


 その気持ちが白瀬の言葉に少しいつも以上の熱を込める。



「しかしだ。少なくとも俺達としては、そんな状況の中からでも切り開いていかなければならない。それが、アンドロイド達と共存していく希望に満ちた未来を──だな」



 そこまで言ってしまってから、白瀬は自分らしくもないと思ったのか一度言葉を止め……咳払いをする。



「ふう」



 そして一度ため息をつくと、いつもの調子に戻ってこう呼びかけた。




「まあ、何ていうの? ……引っ張ってきてくれるんじゃないかなあ。俺個人としては、そんな風に思ってるんだわ」



 無理矢理そう言って話を締めてしまった。

 会議室にいた一同は、一瞬拍子抜けしたようにズッコケた後、場は再び拍手に包まれた。

 勿論それは同意の拍手である。



 白瀬は壇上でその拍手を浴びて照れたように頭を掻きながら、最後まで「らしさ」全開で演説を終わらせる。

 そこには形式を破壊しようという確固たる意志が感じられた。



「まあ、そんなわけで。まだこれからが色々大変なんだけど……みんな頑張ろうね、うん」



 最後まで緊張感を拒否して、それだけを口にすると──。

 そのまま白瀬は演壇を後にそそくさと退場してしまう。



 その足は、会議室を出てまっすぐに研究棟へと向かった。

 研究棟にある第三研究室。


 そこで目覚めを目前に控えた『彼女』が待っているのだ。


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