25 話 次世代技術開発課
ここで物語中の時間は3週間ほど巻き戻る。
語られる舞台は、綾雅総合技術研究所のレイバノイド事業部。
その一角にある次世代技術開発課である。
◆◇◆◇◆
開発課の朝は──遅い。
「んー!」
ガラガラー……バタン!
窓を開けて伸びをしたのは舞花。
清白舞花である。
「良い天気だなあ~!」
彼女はしっかりした日本語を話しているのに鮮やかな金髪だった。
舞花の髪がよく晴れた日光に透けて美しく輝いているように見える。
そんな窓際の舞花に対して、今度は後ろの方から若い男の声で文句が跳んできた。
「寒っ! 窓開けんなよ~舞花~」
「隆二?! あんた、まーたこんなところで!」
舞花が呆れたとばかりに負けじと声を張り上げる。
するとその声に呼び出されたように、部屋の奥の方からヨレヨレの白衣を着た青年──見かけよりちょっと幼く見えるようなそんな男である──が眠そうに眼鏡をかけながら湧いて出てきた。
「徹夜だったんだよ~。勘弁してくれよ~」
隆二と呼ばれた男、鏡野隆二は心底だるそうに悲鳴を挙げる。
「な~にが徹夜よ~。あんたまた非効率な仕事をして、ダラダラとコード打ってたんでしょ!」
「うっせえよ。昨日は大事なサブルーチンのデバックがあってだなぁ」
そこまで言ってから、がっくりとうなだれる隆二。
「結局その肝心のコード打つところまでいかなかった……」
「なにやってんのよ……もう!」
舞花は、せっかくの気持ちのいい朝が台無しだわ!とか何とか言いながら、奥のブースに入って通勤着から白衣に着替えている。
「ズボラだなー。ちゃんと更衣室使えよー。女子なんだからさー!」
「差別発言ね! 男だろうと女だろうと面倒くさいものは面倒くさいのよっ!」
シャッ!
と、そこで勢いよくカーテンが開く。
すると早くも白衣になった舞花が出て来た。
「だいたいだなー。お前昨日暇そうだったじゃん? 手伝ってくれたらよかったのに。俺のデバッグ……」
「いやよー。あんたは人格系、私は慣性系ってセクションが決まってんでしょ! 私の時に手伝ってくれんの、あんた?」
「やだ」
即答する隆二である。
「性格最悪! 嫌な男ねー。あんた」
ジト目で隆二を睨む舞花なのであった。
しかし、隆二はそんな憎まれ口など、どこぞ吹く風で続ける。
「だってよー。お前んとこ担当の慣性系って、いわゆる『人格系』以外のあらゆる無意識稼働系のアルゴリズム全般っつー奴だろー? そのデバッグとか一度関わったらモロ死ぬじゃん!」
「だーかーらー。助けろって言ってんでしょ!」
隆二の頭にヘッドロックを決めようとする舞花だが、隆二はそれをスルリとすり抜けると彼女のそばから素早く脱出する。
「いーやーだー!」
顔をしかめて逃げ回る隆二。
その隆二が逃げた方向にあるドアが開いて、そこからセミロングの髪で背が高い女性がシズシズと入ってきた。
「相変わらず仲がいいわね。隆二さんに舞花ちゃん」
3人目の登場である。
「何言ってるんですか恵さん。こんなのと一緒にしないで下さい!」
憤慨する舞花。
「恵ちゃ~ん、おはよーっす」
「おはようございます。隆二さん」
恵と呼ばれた女性は、隆二の馴れ馴れしい挨拶にも丁寧に答えている。
「隆二ってば、恵さんはあんたの上司でしょうが、上司!」
舞花が声を荒らげた。
「いいんだって。親愛の表現なんだから。ねー、恵ちゃん」
「はい」
そう言われた恵、春日部恵は、そんな隆二に対してにっこりと笑顔を返す。
肩より少し下辺りで切りそろえた髪といつも温和な表情。
それが恵を三人姉弟の長女のような位置付けに感じさせる。
面倒見のいいお姉さん──そんな感じに見えるのだ。
「それに私は上司って言っても役付じゃなくて、ただのプロジェクトリーダーだからね……」
そう言ってうなだれる恵。
しかしその印象は見かけだけであり、3人みんなで揃って話しているのを聞いていると、実際には年長者のような感じには全く見えなかった。
どうやら恵は“気弱な姉”ということらしい。
「なーに言ってるんですか! 組織ではしっかりと上下関係をはっきりさせないと、こういう隆二みたいな輩が付け上がって示しがつかなくなるんですよ~!」
舞花はそう言いながらゴツゴツと隆二の頭をゲンコツで小突いている。
「舞花こそ、そういうパワハラやめろよなー。このガサツ女!」
「うるさい、甲斐性なし隆二!」
「あのー。二人共、宗一郎さん……知らない? 私、昨日提出した報告書に間違い見つけちゃって……」
恵は部屋に入ってきた時から誰かを探しているそぶりだったのだが、二人と話しながらその人物がここにもいないことがわかるとそう尋ねてきた。
その態度はやはり少しオロオロしている感じである。
「白瀬チーフ? またどっかフラフラほっつき歩いてるんじゃないんですか?」
「確かにね。あの人こういう天気のいい日は、フラフラーっといなくなっちゃうもんねー」
珍しく舞花が隆二の意見に同意してみせた。
宗一郎、白瀬宗一郎はレイバノイド事業部の部長。
つまりこの綾雅技術総合研究所の実質的な所長であり、特殊な役割を持つ直轄の次世代技術開発課におけるセクションチーフという人物である。
年は48歳。
バツイチで娘さんが一人いるらしい。
第三次世界大戦が起こる前からアンドロイドの研究に従事しており、今ではその筋の第一人者と目される人物。
そればかりか、巨大な綾雅グループのトップにまで顔が効くほどの切れ者ということらしい……のだが。
「白瀬チーフがシャキッとしてるとこ、あんま見たこと無いよなー」
隆二が独りごちる。
「宗一郎さんは夜型らしいので──」
恵は一応弁護しているつもりらしい。
「そうそう、だから昼行灯っていうのよ。ああいうのって!」
舞花も一口入れる。
「困ったわー。あの報告書が今日中に本部長のところまで通らないと、パブリックコミューンの認可が遅れちゃうのよね……」
「エルのですか?」
それを聞いて舞花も気になったらしい。
声のトーンが急に変わる。
「マジっすか!? また臨床テストのスケジュールが更に押しちゃうじゃないですか~。そんなことになったら俺が今日なんのために徹夜したんだか~」
隆二もそう言って嘆いた。
「あん? なんのため?」
その隆二のセリフを舞花が聞き咎める。
「そりゃ~エルちゃんを一日でも早く目覚めさせるため、でしょ!」
キリッと真面目な顔を作る隆二。
「キモい!」
「なんだよー舞花! お前だってこないだ一刻も早くエルをみんなに会わせたいって!」
「言ったわよ」
「もしこのまま順調なら今日に認可が降り次第、夜にはいよいよ目覚めさせられるわけじゃん? だから俺は昨日徹夜までして、人格系アルゴリズムの最終チェックを──」
「それはあんたがいつまでもグズグズしてんのがいけないんでしょうがっ!」
舞花はニベも無かった。
「それでさっきコーディングまで行ってないって言ってたわよね? それちゃんと終わるんでしょうね。今日の18時までに……!」
ジト目で隆二に対して凄む舞花。
「それはもうこれから真面目にしっかりと!」
隆二は鯱張って敬礼する。
「でも、もうすぐ始まるのねー……」
そこで恵が感慨深げに呟いた。
「とうとうっていうか、やっとっていうか、いよいよっていうか……」
続いて舞花もそれに同意する。
「苦労したよな。ここまで来るのに……」
隆二もそう続けた。
「苦労ねー。あんたの場合は自業自得が多かった気もするけどね!」
最後にそう付け加えるのを舞花が忘れるはずはなかった。
◆◇◆◇◆
昼過ぎの商店街を白衣の男が歩いていた。
周りから多少気味悪がられている風情ではあったが、本人はそんなことを全く気にしている様子はない。
「……この辺もだいぶレイバノイドが増えてきたな」
そう呟いた男は、太ってはいなかったが洗練された身のこなしからは程遠い立ち振舞だった。
声は少し渋い感じの中年男と言えなくもなかったが、ちょっと間が抜けたような力が抜けた語り口である。
見かけもハンサムと言おうとすれば、言えなくもなかったが。
それも、もう少し身だしなみに気を使って、小汚い剃り残しの髭面を何とかしてからの話だ。
鋭い眼光──には程遠い眼差しで辺りを見回しながら、裸足のサンダル履きで街を闊歩する冴えない中年……彼はそんな男だった。
その彼の決して鋭くはない視線が、町中の一角で稼働していたあるレイバノイドを目ざとく見つけ、そしてすぐさまその素性をとことんまで洗い出す!
「おう? あのたい焼き焼いてるのって、うちのピョンちゃん3号だよねぇ?」
ピョンちゃん3号……量産型汎用レイバノイド。
正式名称ファクトダムFZU7703。
二足歩行をさせるためのバランスアルゴリズムの原型を兎に求めたため、研究所内の愛称としては「ピョンちゃん」と呼ばれていた。
命名したのは舞花だったか。
ピョンちゃんは、2本の後ろ足と臀部でほとんどのバランスを取ることができるため──。
「なるほどねぇ。エクステンション次第でああいう使い方もできるんだねぇ」
男はそう独りで呟きながら、いたく感心している様子である。
綾雅技研は、一般流通しているレイバノイドのシェアの6割を占めているため、綾雅のエンブレムが付いたレイバノイドを街で見かけることはさほどレアなことではない。
それがレイバノイド事業部のメイン部門である汎用企画製作課のものであれば尚更である。
しかし、だ。
もう一つのマイナー部門である次世代技術開発課のものとなると──これがちょいとレアな代物ということになるのだ。
「まあ、あっちのほうがどうしても汎用性が高いわけだから……そこはしょうがないよねぇ」
お察しの通り、このピョンちゃんはレイバノイド事業部の中にあるもう一つの開発課、マイナー部門の次世代技術開発課が手がけたものなのである。
次世代技術開発課は、その性格上コンセプト的な見地から立案されるレイバノイドが多いのだ。
そのため売り出される製品の中に、かなりマニアックなものが多いことが愛好家の間では知られていた。
それが汎用企画製作課に相反する立ち位置という性格上からくるものなのか、それともその開発陣に個性的な人間が多いからなのかは、社内でも意見の分かれるところらしい。
ブーブーブー。
スマホがメール着信を知らせる。
彼が面倒くさそうに画面を覗き込むと、新着メールがサラサラと表示された。
『白瀬チーフ。今日はどこほっつき歩いているんですか。恵さんが困ってますよー。隆二』
そうなのだ。
この男こそレイバノイド事業部の部長兼直轄の次世代技術開発課セクションチーフ、白瀬宗一郎その人であった。
『おう。すまん。すぐ戻るわ。白瀬』
そう返事をすると、また対して急ぐわけでもなく、ひょこひょこと歩き出す。
相変わらず辺りを怪しげに見回しながら、宗一郎は人混みをかき分けるでもなく流されるでもなく、その中をマイペースに歩いていった。
その後姿は、真っ昼間の雑踏に白衣ということもあってか、周りからはずいぶんと浮いた雰囲気を醸し出したままである。
それでも彼が職質されたりしないのは、ある程度この徘徊がこの界隈ではお馴染みになっているからなのかもしれなかった。




