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21 話 満ちている悪意の中で

 次の日からも特訓は続いていた。


 早朝の仕込みの時間に特訓、開店からはフロアで接客、昼になると奥に入ってまた特訓である。


 最初はかなり苦戦していたこともあって、もっと大変な日々になるかと覚悟していたんだけど、慣れて来ると多少時間はかかってしまうものの、次第に初日ほどの大変さは感じなくなってきていた。



 そして今日は特訓を始めて3日目。

 今日が終わると休日になる金曜日だ。


 3日目になると特訓の状況も少し余裕が出てきていた。



「お……だいぶサマになって来たじゃないの~」



 高野さんが僕の切ったキャベツの切れ端をつまみ上げてヒラヒラさせている。



「へえ、スジはいいんじゃないか?」



 続いてそう言ってくれたのは清水さん。

 フロアスタッフの中では唯一、いざという時には厨房に入って手伝える戦力だと言われている清水さんに、そんな風に言われると嬉しくて有頂天になりそうになってしまう──が。



「それはエルの教え方が上手だからよ」



 篠原御大にピシャリとそう言われると……その暇もない。

 それに──。



「でも、確かにエルの教え方はわかりやすい気がしますね」



 僕自身も言われてみると本当にそんな気がするのだ。

 なので僕も同意する。



「もっと上下動を繰り返した時の角度に気を付けてとか、もう少し手前に引く感じでとか、指示が具体的で正確なんですよ」


 だからエルの指示通りに修正する度に、作業が実際に良くなったり楽になったりしていく実感があるのだ。



「観察眼も鋭く、問題の分析もそれを伝える言葉選びも的確。エルはむしろ教える才覚の方が高いのかもね」



 感心したようにそう言う篠原さん。



「いや……私は……そんな……。翔哉さんが頑張ったんだと思います……」



 エルは褒められて照れているのか、逆に小さくなっているような印象である。


 そう言えば、こうして特訓を始めてから3日間で、エルも柴崎さんに怒鳴られる回数が格段に減った気がする。

 そのせいか月曜日に最初に出会った時のような臆病さも、今ではすっかり影を潜めてきており、他の仕事ぶりも安定してきたようだ。


 それによって、彼女は元々は格段に有能であることを、ここのところ少しずつ証明しつつあるのだ。

 その結果──柴崎さんはだんだんと口数が減り、篠原さんは僕の特訓の合間にもエルにあれこれ頼むようになってきている──のである。


 そんな状況に変わってきていた。


 今日は金曜日。

 エルドラドはこの後に続く土日が毎週休みなんだそうだ。


 レストランなのに土日が休みだなんてちょっと変な感じもしたのだが、この辺りから奥がオフィス街になっており、常連さんはみんなそこで働く人達ということらしく……。



「この街には他にも土日に開けているレストランはいくつもあるしね~。僕たちは大手を振ってお休みできるって訳さ~」



 そう高野さんが教えてくれた。

 社会主義的な側面を色濃く持っているこの世界の社会システムでは、店と店とが示し合わせて計画的にローテーションで休むことも可能なのである。


 今日は休みを前にした金曜ということなので、僕のキャベツの千切り特訓もお昼くらいまででお役御免となっていた。

 閉店までの分でいいので、これ以上仕込んでも無駄なのだ。


 仕込んだキャベツは水に浸して冷蔵庫にしまってあるため──



「月曜日まで置いといたらキャベツの浅漬けになっちまうわ!」



 とは柴崎さんの弁。

 つまり仕込んだキャベツは今日中に使い切るのである。



「フロアの接客にも包丁使いにも多少は慣れてきたみたいだし~、来週から翔哉君にはランチ時も接客に出てもらおっかな~」



 業務の終了前には高野さんからそう通達された。

 大変そうではあるのだが、逆に言うと信頼されてきているとも取れるわけで、そう考えるとちょっと嬉しい。



   ◆◇◆◇◆



 こうして──。

 思っていたよりもずっと順調に、一週間のお勤めは無事終了した。


 今日は金曜だからか、この後はどうするかと聞かれたのだが「流石に今週は疲れちゃいました。まっすぐ帰って大人しく休みます」と言って誘いを断る。

 そして、閉店して片付けを終えると急いで帰宅の準備をして店を出た。



「お疲れ様でした!!」


「お~う」


「おつかれー」


「お疲れ様」



 みんなから声がかかる。

 そして、寒い表へと出てからしばらく歩いていると……。



「翔哉さん!」



 後ろからエルが追いついてきて声を掛けてくれた。

 出勤2日目に初めて一緒に帰ってからだから……。

 これで4日連続である。


 こうして仕事の後にエルと他愛もないことを話しながら帰途につく。

 これが僕の秘かな楽しみになりつつあったのだ。


 学園モノのゲームで言う下校イベント気分といった感じだろうか。

 ましてやこの後の土日はエルと会うことができない。

 それを思うと、なんとなく名残惜しい……そんな気持ちも僕の中に生まれてきていた。



「一週間お疲れ様でした、翔哉さん!」



 そう労ってくれるエル。



「僕の方こそ、今週は特訓や何やらでエルには随分とお世話になっちゃって」



 それは本心だった。


 僕の学習が早いと裏で褒められているのを何度か耳にしたのだが、はっきり言ってこれについてはエルに助けられるところが大きかったと思っている。

 本当に感謝の言葉もないくらいだ。


 エルがその僕の言葉に真っ赤になりながら恥ずかしそうに俯く。



「そんなこと……ないです。翔哉さんが頑張ったから……あっ!」



 ドンッ!

 そこでエルは誰かから、急に押されたようにつんのめった。



「大丈夫?」



 手を差し伸べて助け起こす。


 確かに今日は金曜日でいつもより人通りが多い気はするけど、そんなに肩が当たってしまうほど多いわけでは……。


 ──あれ?


 これまではエルと一緒に歩いていても、彼女を意識してしまったり仕事のことで頭がいっぱいで、あんまり周りの雰囲気を感じたことはなかったんだけど。


 これはいったい……!?


 一度そうやって気がついてみると、周りの人達は明らかに誰も彼も僕達に嫌悪感を感じている様子だったのだ。

 聞こえよがしに投げつけられた舌打ちも聞こえるし、あからさまに避ける人達もいるほどである。


 なんだってこんな……。

 僕は思わず呆然としてしまう。


 周りに満ちている悪意というのは、一度気がついてしまうとこんなにも実際に圧力があるものなのか。

 ──僕はエルの横でそれを痛感することになっていた。


 それはまるで世界全体が僕達を拒絶しているように、排除しようとしているようにすら思えるほどだった。



「行こうエル」


「あっ、翔哉さん……」



 僕は咄嗟にエルの手を取ると駅の建物の中へと急いだ。


 一旦駅の中に入ると、流石に外ほどジロジロ見られたり、悪意を向けられたりすることは少なくなった感じがする。

 まあ、多少暇そうな人達はあちこちにいるようではあったが、駅の建物に入るとその中ではみんな次へ向かう場所のことで頭が一杯ということらしい。


 それを感じて僕は少し落ち着きを取り戻した。



「こんな目で見られていた……なんてな」



 ここ数日は仕事のことで頭が一杯で、エルと一緒に歩いていても周りの状態に気が付く余裕がなかったということなのだろう。



「ごめんなさい。私のせいで翔哉さんにまで嫌な思いをさせてしまって」


「え?」



 エルが何を言いたいのか、僕はとっさには理解できなかった。



「私が原因なんです……」



 俯いたままでエルがそう呟く。

 その肩が酷く小さく見えて──。



「私がレイバノイド……だから」



 彼女は僕と出会ってから始めて、自分のことをアンドロイドでもガイノイドでもなく『レイバノイド』と口にした。

 それが少し気になった──


 でも、だからってそれがどうだって言うんだ?

 僕には訳がわからないよ。



「だいたい君はレイバノイドじゃなくてガイノイドなんだろ?」



 僕はエルを励ますようにそう強く口にする。

 ──いつも君はそう言ってたじゃないか。



「でも……」



 口ごもるエル。

 自分に対する自信を失ってきているんだろうか?



「でもどうして君がレイバノイドだったら、みんなからそんな目で見られなきゃいけないんだ?」



 少しムキになった僕が思わず強い口調でそう口にすると、周りの目のいくつかがこちらに注目するのが見て取れた。

 それを見て直感する。

 ──このままここで話し続けるのはマズい気がする。



「そうだ。エルがいつも降りている駅まで行こうよ。僕も一緒に降りるからちょっとそこで話をしないか」


「はい……」



 そうして。

 僕達はエルがいつも降りる駅「ファクトリーエリア」まで移動した。



   ◆◇◆◇◆



 「ファクトリーエリア」駅……つまり工場街ってことか。

 降りてみると、街は確かに住宅街や繁華街とはちょっと違う空気である。

 オフィス街っぽい雰囲気ではあるんだけど、もう少し組織立っていて、かつ規模が大きい──みたいな感じかな?


 ……この近くにエルが創られた研究所があるんだろうか。

 そんなことを思いながら、注意深く周囲の様子を観察する。


 周りに人は疎らで、誰からも興味を引いていないようだ。

 きっとこれならエルと一緒にいても大丈夫だろう。

 それを確認すると、僕とエルはホームのベンチに座って話し始めた。



「この世界の人間はそんなにレイバノイドが嫌いなの?」



 ちょっと直球過ぎるかな……とは思ったものの、こういうことをあんまり気を使って遠回しに話すのも気持ちが悪い気がする。

 第一そういう話し方は苦手だった。



「たぶん……そうなんだと思います」



 エルは悲しそうに頷いた。



「この世界では、終戦直後に社会を成り立たせるだけの人手が足りない中、人間の代わりに労働をさせるための目的でレイバノイドは生まれてきました。でもそれが社会を効率優先の方向へより加速させてしまったことで、逆に働きたい人達が望む仕事に定着するのを難しくしてしまった。それは確かなんだと思います」


「だけどここでは別に働かなくても人間は生きてはいけるんだよね?」



 僕は尋ねた。



「きっと──いえ、だからこそなんだと思います。必ずしも働かなくていい社会だからこそ、仕事を持っている人達にはある種のエリート意識が芽生えたんです。そのアイデンティティーを守るために人は頑張るようになったと言えるのかもしれません」



 つまり専門的な仕事を持っていること自体がエリートの証明ってことか。


 生きるために働くという切実な動機が無くなった代わりに、それを奪われるってことが地位からの転落になるから……働くということに変わったという訳だ。


 だから、レイバノイドがライバルであり仮想敵だってことになるのか?



「そうですね……」



 エルは頷いた。



「実際には、レイバノイドは求人と求職の需要と供給によって、人間が優先して労働できるよう非稼働になります。だから本来はライバルにはなり得ないはずなんですが……」



 そう言えば篠原さんも新歓バーティーで──


『ロボットやアンドロイドは人手が足りないところに配置されるし、人手が足りたら撤去されるものだからね』


 そう言っていた。



「それなら問題は無いんじゃないの?」



 どうして仮想敵になっちゃうんだろう。



「そうですね。理屈としてはきっとそうなんです。でも人間には感情がありますから。日々感じている劣等感や仕事に対するプレッシャーから、いつしか自分たちがレイバノイドに取って代わられ、必要無いって言われるのではないか? そういう恐れを感じているんだと思います……」



 エルはさして考えることもなくスラスラと自分の分析を言葉にする。

 それを聞きながら僕は感嘆を禁じ得なかった。

 彼女はこれほどまでに人間の『気持ち』を汲み取り、そのアナログな感覚をまるでデジタルのように分析ことができるのか──!


 それどころか……自分自身を害する者達の気持ちまで、立場や利害を超えて等しく推し量れてしまうっていうのか?


 アンドロイドが感情を手に入れるっていうのはそれほどまでに──もしかしたら自分のものだけでなく、他人の感情を洞察し正確に分析するというところまで、直結できてしまうものなんだろうか?

 そんなことを考えさせられてしまうほどに、エルの洞察は理屈では割り切れないはずの人間の気持ちまで、汲み取ったもののように僕には思えたんだ。


 そうか。

 だからエルは優しいけれど、その分より自分も傷つきやすいんだ……。

 そう、ふと思ってしまってから思わず「はっ」とした。


 僕はそれに気が付いた。

 いや気が付いてしまった。

 おい、ちょっと待て、ちょっと待ってくれよ!


 それじゃ……これまでもずっと彼女は、全てを感じて全部を理解した上で、この周りからの敵意に耐えてきたっていうのか?

 そして彼女が生きている間……つまり稼働し続けていく限り、ずっとこれからもたった独りで、このみんなの敵意と戦っていかなきゃならないっていうのか?


 たった独りで、それも痛みを感じてしまう繊細な心を抱えたままで──


 そんな……そんなことって……!?



「翔哉さん!?」



 僕は、気がついた時にはエルを抱きしめていた。


 どうしたらいいのかわからない。

 エルを取り巻く状況が、僕にはあまりにも絶望的に思えた。

 そして、そのあまりの無力感に僕は頭が真っ白になってしまっていたんだ。



「ごめん、エル。僕は……君に何もしてあげられない……」



 そう口に出すのが──やっとだった。


 僕は嘘つきだ。

 初めて会った日から。

 「協力する」って約束したあの時からだって──僕は彼女のために一体何ができたっていうんだろう?


 僕は怒っていた。


 ──でもそれは何に対してだろう。


 誰に対してなんだろう。

 彼女を傷つける誰かに対して?

 口だけで結局何もしてあげられない自分に対して?

 それとも、こんな風に彼女を作ってしまった開発者に対して……なのか。



「翔哉さん。私の方こそいつも翔哉さんに助けられています。挫けそうな心をいつもあなたに勇気づけてもらっているんです。本当はお礼を言わなければならないのは……私のほうなんです」



 エルはそう言うと。

 そっと僕の背中に手を回して、懸命に僕に向かって微笑んでくれた。

 目に涙のような液体をいっぱいにたたえながら──

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