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20 話 特訓開始

 出勤3日目である。

 この日はお店に到着した僕を篠原シェフが腕を組んで待っていた。


 着替えた僕は早速厨房の片隅に呼び出される。

 なんだか今日は厨房に野菜がやたらと一杯置いてあるような気がする……なんて思っていると。

 ──それをじっくり観察する間もなく僕に声が掛かった。



「翔哉君!」


「は、はいっ」


「今日から“特訓”を始めます」



 静かに、そして宣告するように、篠原さんがそう言ったのだ。

 なんかこの展開──昨日からもう予想できてたような。



「はい……」



 力なく僕は返事をした。

 力なくって言ってもやる気がないという訳ではなくて。

 ですよねーって感じである。



「何の特訓かはわかっていますね?」


「包丁扱いの……?」


「はい。よくできました!」



 やっぱり!


 昨日はずいぶんジャガイモを無駄にしちゃったしなー。

 何より僕自身このままではやっていけそうになかったのだ。

 特訓はやむなしと言ったところである。


 僕は、篠原さんの前で蛇に睨まれた蛙という姿勢で直立していた。


 他のみんなというと。

 僕と篠原さんを交互に眺めながら、興味津々の呈でニヤニヤしている。



 さっきも言ったように特訓すること自体に異論はない。

 むしろありがたい。

 だが、僕にも言い分が無いわけではなかった。



「あの……今って地球暦24年なんですよね?」



 なので無駄と知りつつ、一応抵抗してみることにする。



「そうよ?」


「ロボットが調理を全て肩代わりできるほどのテクノロジーがある世界、西暦世界から来た僕にとっては憧れの未来世界……」



 何を言い出すのかと固唾を飲んで見守る一同。



「そんな時代に、野菜や肉を手で捌かなければいけない理由があるんでしょうか!?」



 バーン!!(効果音)

 ……それが僕が昨日一晩考えた精一杯の抵抗だった。



 しかーし。

 篠原さんは僕の言葉を聞くと逆に満足そうに微笑み。

 ──そして短くこう言い切ってみせたのである。



「その理由。それは料理人の……心よ!」



 ドーン!!(効果音)



 ……はい?

 そう自信満々に言われてましても。


 ???


 僕には最初さっぱり意味がわからなかった。



 ──そんな僕に対して。

 ここから篠原さんの説明せっきょうが怒涛のように始まる訳なのだが。


 それはもう説明などという生ぬるいものではなく──世界的権威篠原シェフ直々の料理哲学講義とでも呼ぶべきものであったのだ。



「料理というのは生き物なのよ。同じ素材、同じ料理、同じ味付け、そして同じ盛り付けであっても、その時その時の天気や湿度、状況や出す時刻、そして食べる相手などによって細やかな心遣いが必要なの」



 演説を始めた篠原さんから、あたかもオーラのように謎の迫力が放射される。

 流石、全日本料理選手権5連覇、料理オリンピック連覇のカリスマ料理人である。

 これが料理オリンピック現役日本代表。

 世界をその前にひれ伏させた彼女の料理哲学なのか……!



「そのために重要なのが料理人の心……つまり感性よ!」



 す、すごい説得力である。



「それを身につけるための基本、それが使い方を誤れば自らを傷つけることもある、包丁を扱って行う素材との対話の中にこそある……! それはサムライが常に真剣を身に着け、自らの精神を磨いたことにも通じる料理人の矜持なのです!!」



 ピキーン!(効果音)



 あ、なんか今、仕事人みたいな効果音へんなおとが聞こえてしまった。


 篠原さんの演説はまだまだ続く。

 その語り口は熱っぽさを帯びてはいるものの、決して脅したり圧したりするようなものではなく、むしろ誠実さに溢れているようにさえ思えた。


 だがしかし。

 その謎の迫力はどんどん増していく。


 それに僕は次第に圧倒されていき、最後にはその場にひれ伏してしまいそうになる。


 ごめんなさい、すいません、もうしません!

 僕の邪な反骨心はサンドバッグのように打ちのめされ……。

 後は要らぬ口答えをしてしまったことを後悔するしかなかったのである。


 僕のエゴから生み出された浅知恵などでは全く叶いっこない。

 そう、そんなとんでもない相手だったのだ。

 この篠原シェフは──!


 僕はいつしか、大天使を前にして調伏された悪魔のようにがっくりとうなだれ、全身から服従の意を発していた。


 ──それを見て周りのみんながパラパラと拍手をしている。


 正に完全論破。

 無条件降伏である。



「ドゥーユーアンダスタン?」



 最後止めを刺すように篠原さんにそう突きつけられた僕は。



「はい……」



 と、素直に頷いたのだった。



「俺もあれ最初にやられたんっすよー……」


「後光が射すんだよな~」



 勝負がついた途端。


 周りが急ににぎやかになる。

 しかしそのみんなの声にはむしろ尊敬と感嘆の響きがあったほどだ。


 先生──これがカリスマ性というものなんでしょうか?



「さて。納得してくれた翔哉君には早速これ……」



 篠原さんの手が動くと、ドスンと目の前の調理台に音が響いた。


 はい、これ?

 キャベツ……です……よね??



「キャベツの千切りをしてもらいます!!」



 意気揚々と言い放つ張りのある篠原さんの声と──。

 やることのチープさの落差がすごい。



「キャベツの千切り……ですか」



 それこそ機械でやったほうが早いんじゃ……と、どうしてもそう思ってしまうのだが、さっき論破された手前それを口に出すことはできない。



「このキャベツの千切りは、大昔の厨房から修行者の通る道として受け継がれてきたものなのよ!」


「大昔から……ですか?」



 うさんくさい──と一瞬疑ってしまった僕の考えは、また正義の光によって見通され、次の瞬間にすぐさま打ち砕かれた。



「そう。キャベツの千切りはとてもポピュラーな付け合せでひたすらに量が必要。にもかかわらず多少の技術的な拙さはある程度許される食材でもあるわけ。加えてできるだけ細かく均一にそして早くという包丁使いの基本をひたすら繰り返して練習することができる。だから理想に近いトレーニングになるのよ!」



 再び彼女の背後に後光が射したような錯覚を覚える。



「──それが厨房で絶えず受け継がれてきた理由なの!」



 ピキーン!(効果音)


 か、勝てる気がしない……がくっ。



 また圧倒的な敗北感から現実が遠のく──。

 はたと気がつくと僕の手には包丁が握らされており、そして目の前にはキャベツが鎮座していた。

 正にまな板の鯉である。


 あ、いや、切るのは僕なんだけどね。



 まあ、でも。

 こうなることは結局最初から避けられなかったわけなので。

 そうは言っても僕自身は納得はしていたんだよね。



 しかし──だがしかしである。


 その後に待っていた展開には……そんな僕もまったく意表を突かれてしまった。

 ここまで以上にびっくりさせられてしまったのである。



「それじゃ、これから翔哉君にはキャベツの千切りをしてもらうけど、その時の教官役として彼女についていてもらいます!」



 そう言った篠原さんの横から出てきたのは……。



「え、エル!?」



 たまらず僕は素っ頓狂な声を出してしまう。


 エルが僕の教官役……だって!?



   ◆◇◆◇◆



 エルは少しモジモジしながらも──。

 篠原さんに連れ添われて僕の前までやってきた。



「えー、なんっすかそれー!」



 ここまで静観していた外野、とりわけ柴崎さんは大ブーイングである。



「おっかしいじゃないっすか。さっきシノさんは料理人の心だって言ったクセに。なんだってこんな人形が教官なんっすか!!」



 当然ながらブレない柴崎さんは怒り心頭の様子。



「その辺りは問題ない、いえむしろ適任だと判断したわ」



 またきっぱりとそう言い切る篠原さん。



「なんでっすか。コイツの包丁使いが上手いからっすか? それだったら今回はそれこそお門違いでしょ? スライサー使うのと結局一緒じゃないっすか!」



 僕は一応エルの味方を自称しているんだけど、その僕でも一見その意見は正しいように思えてしまった。

 しかし、それを聞いた篠原さんは全く動じるところはなく。



「私の目は節穴じゃないのよ」



 むしろ迫力を増してそう言い放ったのである。



「私はエルが来てからずっと彼女の仕事ぶりを見てきたわ。確かに人と接する部分では上手くいかないことも多かったけれど、包丁を扱って食材を仕込む作業には卓越したものがあった。彼女の切ったキャベツの千切りは、葉の硬い部分は細く、柔らかい部分は荒く、そして芯の大きさによっても食べやすい歯ごたえになるよう調整されている。ジャガイモや他の食材についてもそう。ただ機械的に正確に切っているだけじゃないの。状況に応じた最適解。つまりそこには『思いやり』があるのよ」


「あの……それは私が篠原さんのやり方を参考にさせて頂いたからで……」



 エルがおずおずと種を明かす。

 だが、それを聞くと彼女は一層優しい声になって彼女にこう応えたのだ。



「私の切り方をただ機械的に真似ただけではあれはできないわ。その時その時の私の意図。つまり感性を真似ることができなければ、あんなふうに状況に応じた最適解は出せないでしょう、エル?」



 その言に贔屓だーと言わんばかりに柴崎さんがまた噛み付く。



「何が感性っすか。こいつのは本当の心や感性じゃないっしょ? そんなのただの電気信号じゃないっすか!」



 それに対して再び篠原さんが冷静に反論した。



「料理は結果よ柴崎。その心と感性が本物なのかどうかを証明する必要はないの。心を理解しそれに共感し、それを再現する能力があるのならば、例えレイバノイドであったとしても一流の料理人になれるのよ」


「くっ……!」



 痛いところを突かれたのか、柴崎さんはそのまま押し黙ってしまった。



「だから問題ないわ、エル。あなたが翔哉君の特訓についていてちょうだい。そして必要があったらあなたが思う助言をしてあげて。それから──」



 篠原さんはそこで一呼吸おくと最後にこう付け加える。

 少し声色が変わった。



「サボらないようにしっかり監視すること!」



 また光り出しそうな勢いで言い放つ篠原さんの声に呼応するように、エルがそれに元気よく答えたのだった。



「はい、お任せ下さい!」



 それにしても、こんな一言にまで無駄に説得力を込めるなんてカリスマの無駄遣いだよなー……そう心の中でボヤいていた僕は、まだその時気がついていなかったのだ。


 エルの超がつくほどの生真面目さと予想を上回る責任感の強さに。



   ◆◇◆◇◆



 キャベツを半分に、そして4分の1にして。

 真ん中の芯を削いでから左手を添える。

 そしてその欠片の右端からサクサクサクサク……!


 もちろんこんな小気味のいい音を立てているのは、僕にお手本を見せてくれているエルがキャベツを切る音だ。



「こんな感じです。翔哉さんやってみて頂けますか?」



 あのー。

 あまりにも凄すぎて参考にならないんですが……。


 まあ、何をどうやるのかの指示代わりにはなるか。

 そう思い直して見様見真似で僕もキャベツを切ってみる。


 ズーワック、ズワック、ズワック……。


 見せられたものを参考に同じようにやってみようとしたのだが、僕の立てる音はいかにも美しくない。

 その上リズミカルとか……無理です、こんなの絶対無理ですよー。

 だって下まで包丁通りませんもん。



「エルはやっぱり力があるんだなあ……」



 思わずそうボヤいてしまう。



「そんなことないですよ? 特に筋力は使っていません。包丁の刃をしっかり直角にするんです。あ……それから切ろうとする時には少し手前に引くような感じで……」



 言われた通りにやってみると。



「お……今度はスムーズに包丁が通った! こんな感じ……かな……」



 ザック、ザック、ザック……・。


 ちょっとマシな音になって、少しはリズムが出てきた気ががする。

 まだ千切りというにはキャベツの切れ端が太いけど……。



「そんな感じだと思います!」



 エルも真剣そのもので助言をしてくれる。

 朝の仕込みが進む厨房でそんな空気を読まないやり取りが続く。


 近くでは、柴崎さんは不機嫌そうにムッツリと自分の作業を進め、篠原さんは時々チラリチラリとこちらを伺いながら、時折何やら満足そうに頷いていた。


 包丁でキャベツの欠片と格闘中だったその時の僕には、そんな周りの様子をうかがう余裕は全くなかった訳なのだが。



   ◆◇◆◇◆



 10時の開店時間になると一時特訓は中断。

 そしてランチ時のラッシュが始まると裏の厨房にまた入って特訓再開である。


 この特訓。

 キャベツをただ千切りにしていくだけなのだが、これがなかなか先に進んでくれないのだ。


 キャベツ4分の1分を終わらせるのに最初は30分以上かかった。


 エルは、僕の横でサクサクサク……と、あっという間に半分にしただけのキャベツを刻み終えてしまう。

 こちらはというと。

 彼女の包丁の上下に合わせて、細かいキャベツが踊っているようにすら見えるほどの見事な手際である。


 しかもこれも篠原シェフの説明によると、僕の横でただデモンストレーションしているだけという訳ではないらしい。

 僕の出来の悪い千切りと、エルの細かい千切りを混ぜ合わせることによって、「使える」千切りの束を少しでも作り出すため……なんだそうだ。


 感心するやら情けないやら……複雑な気持ちである。



 その特訓も短い休憩を挟みながらとは言え、午後3時を過ぎるくらいまで続けていると流石にダレてくる。


 飽きた。

 あーもう飽きた。

 嫌になってきたっ!



「エル……少し休……」



 しかし、少しでもサボろうとしてしまう僕に対してエルは容赦がなかった。



「15分前に休憩しましたよ、翔哉さん。少しずつ切ったキャベツもまた荒くなって来ています。もうちょっと頑張りましょう!」


「う……」



 エルはとことん真面目だったのだ。



「あの……これくらいやったら少しくらいは……」


「駄目ですよ、翔哉さん。私は今日は夕方5時までしっかり続けるよう篠原さんから頼まれています。その信頼を裏切ることはできないんです」



 そして、エルの責任感は非常に強かったのである……。


 ふとそこで誰かからの視線を感じてそちらを見る。

 するとそこには、そんな僕達二人を遠くから満足そうに観察している篠原さんがいた。


 もしかして……僕の心にまた畏怖に似た感情が湧き起こる。

 エルのそんな秘められた性格すら見抜いて篠原シェフは……!?

 その半ば怯えたような僕の視線に気がついたのか、篠原さんが僕にウインクをする。


「どんな小さなことも見逃さない観察眼と目配り。それが一番の料理の隠し味なのよ、エルちゃん、翔哉君!」



  ◆◇◆◇◆



 やっと……午後5時になった。



「5時になりました。終了ですね!」


「はい、ご苦労さま二人共」



 エルと篠原さんが順番にそう宣言して。

 僕はやっと特訓から開放された。

 力尽きてベタッとそのまま調理台に突っ伏す。


 右腕……もう動きません……。


 エルと一緒なら特訓も少しは楽をできるのでは……と、少しでも考えていた僕は大甘だった。


 彼女はひとたび物事を任されると、鉄の意志を発揮する責任感を持っていた。

 実は芯はかなり強いんだな……。

 頼もしくはあるのだが、特訓時の教官としては、常に冷静であることも含め、正に鬼そのものであった。



 仕事が終わった後。

 その日もまた僕とエルは二人で一緒に並んで駅までの道のりを歩いていた。



「すみませんでした……」



 二人で今日のことを話しながら、軽い気持ちでそう愚痴った僕にエルが謝る。



「あ、いや。全然。あれは別にエルが悪い訳じゃないんだから……」



 しどろもどろ──である。



「──もしかして、私は思いやりが足りなかったんでしょうか……?」



 う……僕は言葉に詰まる。

 そんなふうに言われてしまうと、ね。

 僕にもエルが必要なことをしているとわかってはいたのだ。



「そんなことはないと思うよ。ほ、ほら、あれは特訓だから。特訓っていうのは大きな負荷を与えることで相応の成長を促すイベント……だから……」



 エルを擁護しているうちに、墓穴を掘っている気も……。

 うん、そんな気もする。



「篠原さんには、明日も今日と同じようにお願いって頼まれているんです」


 ぎくっ……。

 そんな擬音を心の中で発している僕を。

 まるで追い詰めるようにエルがウルウルした瞳で見つめてくる。



「大丈夫ですか? 翔哉さん」



 ダメぜったい!

 いや……もうやめたげて、翔哉君のHPはゼロよ!!

 そう思う気持ちに逆らって口から出たのは──。



「だ、大丈夫だと思うよ? うん……頑張る。頑張らせて頂きます……」



 という言葉であった。


 またもや完全敗北。

 もうどうにでもして──の心境である。



「よかった……」



 しかしその気持ちとは裏腹に出た僕の言葉にエルが安堵のため息を漏らす。



「私……翔哉さんからもうやめてくれって言われたらどうしよう……って、ずっと心配だったんです」



 その顔は心底嬉しそうで。

 それを見て思わずよかった……と僕も安堵してしまう。

 正に守りたいその笑顔!って感じなのだ。


 こんなふうに喜ばれると、もう頑張るしかない……ような?



 はっ。

 そこで僕の背中にまた冷たいものが走った。

 もしかして、篠原さんはそこまで読み切ってエルを教官役に──!



 ま、まさか。

 まさかね……ははは……は……。


 目の前にウインクした篠原シェフの幻が見えた気がした。


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