19 話 響き合う心
翌朝起きると7時過ぎだった……!
な、何を言ってるかわからないと思うんだけど、僕も何が起こったのかわからなかったのですよ、うん。
……あーいやーなんていうか。
ちゃんと説明しないとわかんないよね、これ?
この世界のこの時代としては非常に珍しいことに、レストラン・エルドラドではほとんどの料理が手作りなのだ。
だからお店でメニューにある料理を毎日滞りなく出すためには、朝の仕込みをその日その日にしっかり行わなければならない。
だから開店時間は朝の10時なのだが、スタッフの出勤時間はいつも基本8時ということになっている。
そこから厨房担当は仕込みをフロア担当は開店準備をするのである。
──だから。
昨日の夜は目覚ましを6時にセット、もといリリスに6時に起こしてくれるよう頼んで寝たはずなんだけど……。
「私はちゃんと午前6時丁度から5分おきに都合14回起こしました」
いつもの無機的なリリスの声が不満げに聞こえる。
はい……。
つまり寝過ごしましたとさ。
ちゃんちゃん。
「一向に起きる気配がないので、インターフェースを利用して電気ショックを試みようとも考えましたが、身体までの距離が遠く成功しませんでした」
リリスが何気に怖いことを言っているが、今はそんな言葉に反応している暇はない。
このままじゃ二日目から遅刻してしまう!
「次からは腕にセットしたまま眠ることを推奨します」
いや……それは遠慮しておく……。
余計にストレスから寝不足になって悪い結果を招きそうだ。
幸い出勤はまだ二日目。
だから着替えのストックは何着かある。
超スピードで新しい服を適当に着ると必要なものを引っ掴んで家を飛び出した。
走りながら腕時計型のリリスの端末を見る。
7時25分。
これならギリギリ間に合うかな?
◆◇◆◇◆
「おはようございます!!」
そう言ってお店に飛び込んだのは8時を5分くらい過ぎた頃だった。
店の中からはほぼ全員の挨拶が帰ってくる。
やっぱり最後か……。
僕は一番下っ端なのにそれはまずいよなあ。
「おお~翔哉君~張り切ってるね~!」
高野さんが奥から出てきてくれる。
「すいません。少し遅れちゃって……」
息を切らせながらそう謝ると──。
「大丈夫だよ~これくらいならね!」
そうフォローが入った。
よかった……なんとか一応セーフらしい。
店の中の様子を伺ってみると、まだ本格的に仕込みや開店準備は始まっていないようだ。
みんなは私服からコスチュームやコックコートに着替えてはいるものの、仕事前の厨房でまだお茶を飲みながら談笑をしているところらしかった。
思わず目でエルを探してしまう。
すると……エルはいた。
端っこのほうで気配を殺すように立っていたが、僕と目が合うとにっこりと微笑んでくれた。
「それで早速なんだけど~、翔哉君には今日から少しずつフロアに接客に出てもらうからね~」
高野さんからそう聞かされた。
僕用のフロア用男性コスチュームが今朝届いたのだそうだ。
それに着替えるために、割り当てられたロッカー前で着替えをしていると清水さんが近づいて来た。
「着替えたらちょっとこっちに来てくれ」
色々と通達や打ち合わせがあるらしい。
それはそうだ。
昨日の僕はお客さん扱いだったけど、今日からは少しでも戦力にならないといけないのである。
改めて気合を入れ直す。
清水さんに連れられて厨房奥のオフィスに行くと、高野さんや安原さんも既にいて打ち合わせが始まった。
まずは、今日の天気と大方の見通し、注意事項の伝達など普通のミーティングから始まって、それが一通り終わると高野さんはレジ周りや経理関係の準備、安原さんは客席の方へ──それぞれの準備をするために散って行った。
その後は清水さんと僕の二人だけになる。
ここからは、打ち合わせというより僕の新人研修みたいなものだろうか。
僕は昨日はほぼ見学だけだったので、実質今日から初めてこのお店で仕事をすることになる。
その分、打ち合わせや指導など色々細かいところにまで教えてもらわなくてはならない。
注文する時のオーダーの伝え方や、水やオシボリを持っていった時のマニュアル対応。
ランチなどのラッシュ時には、当面高野さんや安原さんそれから清水さんに任せて、僕は厨房やバックヤードのフォローに回ること。
それから、洗い物などで手が足らなくなった時のロボットの起動方法など。
この店でのセオリーと、仕事の基本を身体で覚えるまでは、この辺りは少し煩雑だ。
…………。
「まあ、だいたいこんな感じかな」
何の仕事でもそうだけど最初は色々覚えることがあって結構大変そうだ。
「じゃ、頑張ってくれよ。翔哉君!」
「が、頑張ります……」
「まあ、そんなに緊張することないよ」
清水さんがニヤッと笑って緊張気味の僕の肩を叩いた。
「うちみたいな店は常連さんの比率も高いからね~。適度にイジってもらいながら経験を積めばいいと思うよ~!」
高野さんが見計らったように戻ってきて茶々を入れてくる。
そんなものなのかな?
僕はファーストフード店でバイトをしたくらいしか社会経験がないので、こうして本格的な料理を出すレストランでどれくらいやれるのか……皆目検討もつかない。
いつもの通り、こんなの出たとこ勝負しかないよね?
◆◇◆◇◆
やがて開店時間の10時になった。
「いらっしゃいませー!」
僕は、率先して入ってきたお客さんのいるテーブルに水の入ったグラスとおしぼりを置く。
最初はちょっと手が震えてしまった。
「へえ。新人さんか」
「将来有望なのかな?」
そんな感じで。
常連客には高野さんが片っ端から紹介してくれたこともあり、好奇の目にさらされながら仕事をこなす。
「ああ、翔哉君。そんなに全部のお客さんに向かっていかなくていいよ」
「真面目だね~。肩の力を抜きましょうね~」
「私達もいるんだからそこまで急がなくていいよ~♪」
なんか……フォローされっぱなしである。
そんな感じでワタワタしているうちにランチ時になった。
厨房のほうに戻っていくと「お疲れっす!」「頑張ってたわね」と柴崎さん篠原さんが声を掛けてくれた。
「ありがとうございます……。でも慣れなくってずいぶん迷惑かけちゃいましたけど……」
最初だからしょうがないとはわかっているのだが、個人的には少し落ち込み気味である。
「あれくらい問題ないって!」
柴崎さんが背中を叩いて励ましてくれる。
エルは?
そう思って少し見回すと、厨房の隅っこで昨日と同じようにジャガイモの皮を剥いていた。
そんな僕に篠原さんが聞いてくる。
「ちょっと今日はジャガイモの仕込みがたくさん必要なの。翔哉君は野菜の皮とか剥いたことある?」
「い……いえ……」
自炊はしたことがない……な。
「じゃあ、エルのサポートに入って、皮を向く前の芋の水洗いをお願いできるかしら」
「は、はい!」
僕は言われた通り、流しに行ってジャガイモの水洗いを始めた。
今日はポテトサラダに加えて、メインディッシュの付け合せやキッシュなんかを作るのに大量に芋の皮むきが必要らしいのだ。
それをざっくりと水を切って、皮を剥いているエルに渡す。
「ありがとうございます。谷山さん!」
エルは嬉しそうに受け取ってくれた。
いや……そんなに大したことをしている訳ではないので、お礼を言われるとむしろ罪悪感があるくらいで……。
そして次だ。
いつまでも水洗いをしているわけにもいかないのである。
今度は皮を剥いてみろ……と命じられ、果物ナイフ──正式にはこれペティナイフというらしい──を渡されてエルの近くに座ることになった。
しかし、リンゴの皮も自分で剥いたことがない身にとっては、ジャガイモというのは……なかなか……!
デコボコの芋の表面と格闘しながら、思わずピーラー(皮むき)はないのかピーラーは!
──とか思ってしまう。
「あー、こいつはひでぇな!」
僕の剥いたジャガイモをひとつ取って、その周りを眺めながら柴崎さんが愚痴った。
「元と大きさ全然違うじゃねーか」
「す、すいませーん」
僕の足元には随分と”身”が付いたジャガイモの皮が不格好に転がっていた。
夢中でジャガイモと格闘していて気が付かなかったが、これは非常にまずいような気がする。
もったいない……よね、これ。
「こりゃ~特訓が必要だな!」
そう言う柴崎さんの目が怖かった。
このエルドラドは、これまでも実質6~7人くらい人数──有人店舗としては少数──で店を回してきた関係上、高野さんや清水さん、安原さんなど主にフロアを担当している人たちも含め、全員が仕込みもできるくらいに調理技術を身につけているそうなのだ。
高野さんが「僕の時は篠原さんが直接教えてくれたんだけど~。その鬼教官ぶりは半端なかったんだよ~。もう死ぬかと思った……」と述懐してくれた。
エルはと言うと、これが最初こそ不慣れな手付きだったそうなのだが、包丁扱いについてはみるみる上達したそうだ。
今ではその技術はフロア組を凌ぐくらいになっているとのこと。
そこは、流石高性能AIが搭載された最新レイバノイドの面目躍如というところだろうか。
単純作業にはめっぽう強いということらしかった。
「芋の皮むきだけは一級品だよな」
と、柴崎さんが認めるくらいである。
「まあ、皮むき専用機だとしたら、逆に金がかかり過ぎだろ~がよ!」
それでもしっかり最後に毒づくことは忘れなかったが。
ブレないな柴崎さん。
◆◇◆◇◆
そんなこんなで何とか2日目が終了した。
店の他の皆さんはそれぞれこの近くで買い物をしたり、夕飯を食べたり、飲みに行ったりしてから帰るとのことだ。
なので、今日の帰りは店を出てからは一人になっていた。
あまり寄り道をする気分にもなれなかったので、トボトボ駅に向かって歩いていると後ろから声をかけられ少し驚く。
「谷山さん!」
──エルだった。
「そっか。エルも帰宅部だったよな」
昨日もそうだったみたいだし。
「帰宅……部……ですか?」
怪訝な表情のエル。
「ああ、家にまっすぐ帰る人達ってことなんだ」
頭をかく。
純粋な彼女に変な言葉を教えてしまった気分だ。
「ええ。それじゃ私も帰宅部ですね! 今日は目の前に谷山さんが見えたので、思わず声をかけてしまいました」
エルは嬉しそうにそう言った後になって、今度は少し不安げな表情をした。
そして──。
「迷惑でしたか?」
最後にそう付け加える。
「いや、全然そんなことないよ!」
僕がそう答えると、彼女の表情が幾分明るくなったみたいだ。
それを見てなんだか僕まで恥ずかしい気持ちになってしまい、照れ隠しに言葉を続ける。
「それより今日はありがとう。僕は全然戦力にならなったけど……」
本当にこうやって話しながら歩いていると、彼女がレイバノイド──いやガイノイドだったっけ──だなんてとても思えない。
なんだか……話していても不思議な感じなのである。
「最初はみんなそうですよ。私も最初は散々でしたから」
そう慰めてくれる。
「でも、その後は物凄い勢いで上達したって聞いたよ?」
「それは……私の場合はディープラーニングエンジンが自動的に働くので、ああいった技能の習得に向いているからですよ。だから別に私がすごいわけじゃないんです」
そうは言ったものの彼女はちょっと嬉しそうだ。
「そうらしいね。でも今の僕にとっては羨ましいよ。包丁なんて今まで持ったこともなかったから全然自信ないや……」
ため息をつく。
「きっと大丈夫ですよ。頑張って下さい、谷山さん!」
エルはそう言ってにっこりと微笑んでくれた。
そこまで話したところで駅に着く。
今日はここでエルともお別れかな?
ちょっと寂しい思いを感じながら、改札からホームに向かおうとすると、エルが僕の後からついて来た。
どうやら同じ方面の電車らしい。
「谷山さんもこっちなんですね!」
エルの表情や声が少し嬉しそうにみえる。
実は僕も同じだった。
エルと並んでホームに向かって歩きながら僕は考えていた。
横にはニコニコしながら一緒に並んで歩いている彼女がいる。
エル──
これが……ガイノイド。
僕は彼女のほうをチラチラ見ながら、なんだか不思議な気分だったのだ。
この世界に来てからレイバノイドやロボットと呼ばれるものについては、既にあちこちでたくさん目にしてきていた。
けれども……彼女ほど『人間らしい』アンドロイドは、まだ他にはどこでも見たことがない。
「エル……君のようなガイノイドはまだこの世界にはそんなにいないの?」
そう聞いた僕にエルは……。
「谷山さんはこことは違う世界、つまり異世界からやって来た人なんですよね?」
確認するようにそう聞いてきた。
僕がそれに頷くと、少し気を使うように慎重に言葉を選びながら彼女は話してくれた。
「私は擬似的な感情を持つように作られた、この世界で最初のアンドロイドなんです。正確にはその試作機ということになります」
試作機。
つまりプロトタイプって奴か。
それじゃ……。
「つまりこの世界にはエルのようなアンドロイドは、本当にまだ君一人きりしかいないってことなんだね」
道理で他では見かけないわけだ。
「はい。私は将来生まれてくる妹達のために生み出されました。そして、今回初めて開発者の皆さん以外の人間と触れ合うために、一週間前にレストラン・エルドラドに配属されて来たんです」
一週間前……つまり8月1日くらいかな?
「いつまでここにはいられるの?」
「今回の臨床テストは1ヶ月間の予定なので8月末までですね」
「そっか」
後3週間……か。
「それまでよろしくね、エル」
「はい。谷山さん!」
微笑み返してくれるエル。
「あー。それから僕のことは翔哉でいいから」
その微笑みにつられて思わずそう言ってしまう。
「翔哉……さん?」
最初エルは怪訝そうだったが、すぐに嬉しそうに相好を崩す。
「うん。あんまり谷山って上の名前は好きじゃないんだよね」
正直、谷山って名字は前から好きではなかったんだ。
面白みのない俗っぽい名前だと思っていたから。
幸いお店のみんなは、あの新歓パーティー以来だいたい翔哉って呼んでくれるようになったみたいなんだけど、エルにだけ「谷山さん」って言われ続けるのはちょっと複雑……っていうか。
頭の中でゴニョゴニョと言い訳してしまう。
そこでエルが降りる駅に着いたようだった。
「ここで降りるの?」
「そうなんです。また明日ですね!」
「うん」
なんだろう。
──この気持ちは。
僕はエルを見た。
──エルも僕を見ていた。
そして。
僕はいつしかその彼女から目が離せなくなっていた。
僕と彼女の交錯する視線の間に──何か言葉にすることができないような。
そんな何かが……確かに絡みあっているような気がしたから。
やがて駅に着きドアが開く。
「翔哉さん」
エルがホームに降りてから、僕に向かってペコリとお辞儀をする。
そして笑顔──。
「明日もまたお会いするのを楽しみにしています!」
最後に懸命に僕に向かって言葉を投げかけてくれたエル。
その言葉には、言葉にならないたくさんの想いがこもっていて──。
それが無言のまま僕が返した想いと目の前で交錯する。
それを少しでも掴み取ろうと彼女を見つめている間に、ドアが目の前でバタンと閉まってしまった。
そしてそのまま何事もなかったかのように電車は走り出し、エルの顔が目の前から流れて消えてしまっても、その彼女の表情がずっと僕の脳裏から離れてくれない。
だから、そのまましばらく呆けたように電車のドアのガラスからボウっと外を眺め続けていた。
どんどん後方に流れていく街の明かり。
そのせいでまるで催眠術にかかったかのように時間を忘れて漂ってしまった僕は──。
結局、降りるはずだった『配置局前』で降りることまで忘れてしまい、ずっと後に気が付いてから逆路線で戻ってくる羽目になったのだった。




