16 話 超絶料理人その誕生の秘密
「約一名って。もしかして篠原さん……ですか?」
僕は恐る恐る横にいる高野さんに尋ねる。
すると──彼は芝居がかった口調で勿体ぶってこんなことを言い始めた。
「そうなんだよね~。超絶料理人篠原和美、彼女は究極の舌を持っているのだ。それ故にまずい飯は~!」
やっぱりそうなんだ。
篠原さんは、普段はあんなにニコヤカで優しい人なのに、きっと食べ物の味のことになると人が変わってしまうのかも。
──つまりやっぱり、ぶっちゃけて言うと『女将を呼べ!!』的な人なんですね、篠原さん!
なんて、僕がドキドキしながら思っていると……。
「そこ! 黙って聞いていたら、なーにあることないこと谷山君に吹き込んでるのよ~」
……女将さんの前に僕たちに雷が落ちた!
もちろん声の主は篠原さんである。
「いや~翔哉君がね、篠原さんって味にうるさい人だって言うから、お店に雷を落とすんじゃないかってさ~!」
──って、読心術でもあるんですか、高野さん!
「言ってません。言ってませんよ。そんなこと!」
でも心の中では思っていたので、まだ口に出して言ってなかっただけだったりするんですけどね?
……スバリ心の中を言い当てられてしまった感じがして、言い訳しながら少し良心にズキズキと痛みが走る。
「いや~怖いな~、姉御は怖いなぁ~!」
歌うように悪ノリしている高野さんの額を、向かいの席から乗り出して手を伸ばした篠原さんがペシッと叩く。
「失礼しちゃうわね~! 谷山君誤解しないで。私はね、単にアレルギー体質で薬品類を全く体が受け付けないだけなの!」
「え?」
なーんだ……じゃなかった。
食べ物の話じゃなくて──え? 薬品!?
「……そうなんですか?」
イマイチ要領を得なくて、思わず聞き返してしまう。
「そうなの。私はただ食品性化学物質過敏症という特異な体質なだけよ。幼少の頃からね」
「なんだこの不味い飯は! 女将を呼べ!! ……じゃなくて?」
思わず思っていたことが口から出てしまう。
「違うわよー」
と、笑いながら篠原さんは口を尖らせて見せる。
「私はそんなに押し付けがましい人間じゃありません。失礼しちゃうわね」
そう言いながらも篠原さんは笑っていた。
そこまで聞いてみて、やっと僕は納得する。
どうやらこれは彼らの仲間内のいつものネタ遊びということらしい。
「私はね」
そこから篠原さんは自分の特異な体質について話してくれた。
「9歳の時に戦争が終わったんだけど、その前後辺りから結構幅広い食物に関して、食べただけですぐに嘔吐してしまうっていう謎の症状に見舞われたのよ。お医者さんに行っても原因がよくわからずに、戦時中の過度のストレスのせいとか新型爆弾の強い電磁波が原因だとか言われちゃってね」
そして──。
医者を転々とした末に最終的にわかったのは、食品に入っている諸々の添加物や残留農薬などに過度に反応する食品性化学物質過敏症というアレルギーが、何かをきっかけにして発症した……ということだったらしいのだ。
「そう聞いても最初はよくわからなかったけど。とにかく藁にもすがる思いで食品添加物や農薬を一切体に入れないようにしたら、食べては吐き食べては吐きの症状はピタッと収まったのよね」
そんなことってあるんだ……。
僕は初めて聞く話に感心することしきりだったが、そう話している篠原さんに柴崎さんが茶々を入れてくる。
「でも、そのお陰で小さい頃から全く化学調味料を口にしてないってんでしょ?」
その口調は感心するというよりは「ずるいなー」という感じ。
むしろ不満げですらある。
「そうよ? 普通に市販されてる惣菜とかお菓子にはほとんど入っちゃってるでしょ。だから最初はお母さんが全部手作りしてくれてたのよ」
ため息をつく篠原さん。
「そうじゃなくてー」
どうやら彼が言いたいのはそういう方面のことではないらしい。
「篠原さんが持っている誰も追従できないほどの超絶味覚は、その頃──つまりたった9歳の頃から本物の食材の味だけを口にしていたからではないか……そういう言説があるんだ」
横から清水さんがそう説明してくれた。
「そうなんっすよね~。はあ……絶対勝てないじゃないっすか。そんなの……」
柴崎さんは泣きそうである。
「そういうのも確かにあるのかもしれないけど……」
そこからはまた篠原さんが話を引き継いだ。
「その頃はもうただひたすらお母さんに悪くって。ほら、私の食事って絶対手を抜けない訳じゃない? お弁当にうっかり冷凍食品も使えないのよね。朝早くから私のために特別早起きして、お弁当やご飯を作ってくれるお母さんを少しでも楽にしてあげたくって。それでお料理を必死に練習したんだよね……」
そういう経緯で料理の道に入ったんだ、篠原さん。
「それにしたって、そこから始まって18の時にはシニアの料理コンテストで彗星のようにデビューして……その後もトントン拍子に料理オリンピックの日本代表として2大会連続金メダル。今も現役の日本代表コック……な~んて経歴は凄すぎでしょ~。漫画でも絶対無いっすよ~そんなの~!」
そう高野さんがまた茶々を入れる。
「私とか~☆ そ~んな篠原さんに憧れて~レストラン勤務を希望したんですもん。エルドラドに就職が決まった時は~もう夢のようだったんですから~♪」
安原さんがそう言うと──。
「俺も学生時代の友達からサイン貰ってきてくれってせがまれた」
清水さんもこんな感じである。
「あ~そういえば~一人だけいたっけな~」
そこで高野さんが思い出したようにニシシ笑いをした。
「俺こそはこれから篠原和美のライバルになる男なのだ! な~んて~就業時に息巻いてた新人がさ~」
「あああーっ!!!」
名指しされてもいないのに、そこで柴崎さんが自分から涙目で叫ぶ。
「やめてーやめて下さいよー高野さーん! 若気の至りっす、天狗だったんっす。世間を知らなかったんすよーー!!」
この独白にはみんな大爆笑だった。
なんか最初は僕の中ではもっと暗いイメージの人だったんだけどな~。
それがこの場で見事にひっくり返ってしまった。
柴崎さん……お茶目過ぎます。
◆◇◆◇◆
こうして、ひとしきり話が盛り上がったところで乾杯となった。
料理も次々と運ばれてきているがこれがまた凄いのだ。
「平さん意地になってんな、これ」
と、柴崎さんが思わず真顔で呟いたくらい、テーブルには超が付くほど豪勢な料理が並んでいった。
そして乾杯!
みんなでグラスを合わせて一口飲んだ後はいよいよその料理の解禁である。
僕が貧乏臭く付き出しの小皿から箸を這わせていると(でもこの付け出しも凄く美味しかったんだけど!)、いち早く大皿の料理に箸をつけた安原さんが歓声をあげた。
「なんなの?! これ美味しい~~!!」
「なんだろ……俺もわかんねえ。これって魚だよな」
料理人の柴崎さんであってさえも首を捻っているようだ。
「ほら、食べてみなよ」と清水さんに誘われ、僕も食べてみることにする。
それは、うすーくスライスされた刺し身だった。
食べてみると確かに物凄く美味しいものであるのは確かだったが、何なのか全く見当がつかないってことはないような?
この透けるほど薄くスライスされて、口に入れるとコリコリする歯ごたえの刺し身──意外なことに僕には思い当たるフシがあったのだ。
これは……昔に一度や二度は食べたことがあるかも……?
「これって、フグですかね?」
誰にかわからないが一応聞いてみる。
すると同じくその刺し身を口にした篠原さんが答えてくれた。
「そうね。これはフグよ。半年くらい前に、絶滅したフグの再現に成功したって聞いたことがあるわ!」
絶滅した?
そう言われても最初はよく事情が飲み込めなかったが──。
詳しい話を聞いてみると、この世界では第三次世界大戦による放射能と海洋汚染で、一時海の魚はほぼ食用不可能となり、その他たくさんの魚介類も一旦はほぼ絶滅状態になったのだそうだ。
後になって、動物も含め一部の絶滅した種に関しては、シードバンクという遺伝子保存テクノロジーからの復元を試みているらしいのだが、やっぱりなかなか難しい状況らしい。
「すごいっすよ! こんなの捌ける人まだいたんっすね~」
そういうことだから、この世界では刺し身というもの自体がかなり珍しいものらしいのだ。
フグの薄い刺し身を透かして見ながら柴崎さんが感心している。
「平さんは、洋食のみならず和食の道も、かなり研鑽を積んだらしいからね」
篠原さんもこれには流石に感心の呈である。
それに対してまた柴崎さんが言う。
「それなんっすけど、あの人18歳のある神童にコンテストで負けてから、洋食の道では絶対一番になれないって痛感したからだって。『料理の道マガジン』のインタビューで言ってたっすよ?」
それはそれは。
思いっきり平さんの人生設計を狂わせてますね……篠原さん!
「恨まれてますよ、絶対」
ふふふ、と笑いながら箸を運ぶ清水さん。
「いやぁ~、恨まれてこんなすっごいのを食べられるんだったら、僕ぁむしろ感謝だなぁ~!」
などと軽口を叩く高野さん。
なるほど、そういう考え方もあるかも──なんて。
そう僕自身も納得しそうになっちゃたくらいである。
だってそのお陰で、今日出てきた料理はどれもこれもこれまで食べたことがないくらい、とびきりに美味しいものばかりだったのだから!
料理がド素人の僕でも、その平さんって人の意地を感じてしまうくらいに。