15 話 高級和洋料亭 皇
「谷山さんはもう行ったほうがいいですね。そろそろ仕事に戻らないと……」
「そうだった!」
エルのその言葉に僕は飛び上がるように反応して腕の時計を見る。
厨房からトイレに行くと言って奥へ入ってから、既に15分くらいが経過してしまっていた。
「じゃ、僕は行くね」
慌て気味にそう言う。
一気に気持ちに余裕が無くなってしまった。
しかしそんな僕に──
「はいっ!」
倉庫を出る前に彼女はとびきりの笑顔を返してくれたのである。
◆◇◆◇◆
厨房に戻るとランチ時のラッシュはまだ続いていた。
「次のオーダー何?」
「Bランチとバーグ定です」
柴崎さんと安原さんが声を掛け合っている。
その後ろで篠原さんは黙々と盛り付け。
客席もほぼ満席ですっかりザワザワ状態だ。
そんな中、戻ってきた僕にさりげなく高野さんが近寄ってくる。
「遅かったね。お腹でも壊したかい?」
「い、いえ……」
やっぱりしっかり見ているんだな。
ちょっと返答に困ってしまう僕だったが──そこに。
「ごめんなさい高野さん。私が倉庫で高いところにあるお荷物を取って頂いていたんです!」
僕の後ろからすぐにエルがやってきて助け舟を出してくれた。
「そうか。うん、よかった」
高野さんはそれで納得してくれたようである。
「もう新人にまで迷惑かけてんのかよ……」
柴崎さんがすかさずそれにも突っ込みを入れて来たのだが、その目がそのまま横滑りしてエルが抱えてきたものへと向かうと──。
「マスタードとドレッシングじゃない。こっちで丁度切れて来てたのよ。助かったわ、エル!」
黙々と盛り付け作業をしていた篠原さんがその横から喜びの声を挙げた。
「はい! よかったです」
それを確認してにっこりするエル。
「珍しく……き、今日は気が利くじゃないか」
少し気まずそうだったが柴崎さんも認めてくれたようだ。
取り敢えず、めでたしめでたし……かな?
…………。
ランチ時のラッシュが終わると、午後2時くらいからは比較的ゆっくりした時間になった。
時々飲み物やちょっとした軽食の注文があるだけだ。
その後はもう──夕食の時間帯になっても、ランチ時ほどの忙しさはないようである。
「うちのお客さんは、この周りにあるオフィス街のサラリーマンがほとんどだからね。今日は月曜だからこの時間になるとみんな余力は無いのさ。仕事を早めに切り上げて帰り始めてるんじゃないかな?」
そう清水さんが教えてくれた。
「そういう訳でだ!」
その清水さんの声を受けるように、今度は高野さんがみんなに向かって声を張り上げる。
「今日は夜8時ぴったりにはお店も閉められそうだしね、そこからはみんなで翔哉君の歓迎パーティーと行きましょうか~!」
「わ~い賛成~☆」
安原さんがいち早く歓声を上げ、みんなも拍手で同意する。
──こうして。
初日の仕事が終わった後は、そのままエルドラドのお店の人達とみんなで一緒にパーティーへという流れになった。
◆◇◆◇◆
「では、私はこれで失礼します」
深々と頭を下げてエルが独りで帰っていく……。
研究所とかに帰る──のかな?
僕としてはちょっとがっかりした気持ちもあったんだけど、パーティーと言うからにはこれからみんなで飲んだり食べたりする訳だからね。
まあ、しょうがないか。
そう思って心の中で納得する。
近くの居酒屋風のお店にでも入るのかな?
そう思って聞いてみると──
「この時間からお酒も飲めて料理も出てくるような店ってさ。最近はほとんど無人店になっちゃったんだよね~」
そう高野さんが言う。
「……ということは、今日はあそこ行くんっすか? やっぱスメラギ?」
柴崎さんの口調が少し軽い感じになっている。
スメラギというのはきっと店名なんだろう。
「そりゃあね。柴崎君もさ。せっかく翔哉君のためにパーティーしようって話になってるのに、姉御が抜けるのは味気ないだろ~?」
こちらはいつも通りの軽い口調で高野さんがそう言うと──。
柴崎さんは「あっ(察し)」って顔になった。
「姉御? それって篠原さんのことですか?」
……と、僕が高野さんに質問しようとしていると、もうそのお店の前まで着いてしまったらしい。
そこでみんなの足が一斉に止まった。
僕もその立派な門構えの建物を見上げて店名を探す。
すると門の上のほうに横書きで『和洋料亭 皇』と書いてある高級そうな看板が目に入った。
えっ……ここって……料亭!?
単なる僕なんかの新歓パーティーに、まさか高級料亭ですか!?
「実はもう店長が予約を入れてくれてるんだよね~」
門をくぐって建物の中に入りながら高野さんが得意げにそう言うと、それに呼応したかのようにお店の人が慌てたように寄ってきた。
「あ! お聞き申し上げております。エルドラドの皆さんでございますね?」
顔が引きつっているのを見ると店員はかなり緊張気味。
言葉も噛みそうになりながら、無意識に早口になっているようだ。
そこに奥からバビュンって音がしそうな感じで、今度は少し年配の男の人が飛んでくる。
そして一直線に篠原さんのところへ。
「篠原さん。ご無沙汰致しております……!」
平身低頭の体である。
「あ、平さん。お久しぶりです」
それに対して篠原さんはいささか軽めの返しをする。
知り合いの店員さんとかなんだろうか。
それにしても、篠原さんはかなり気を使われているようだよな。
「あの店員さんって、篠原さんのお知り合いなんですか?」
興味をそそられて、そうヒソヒソと隣の清水さんに聞いてみる。
「あの人はここのコック長だよ」
マジですか!
「篠原さんが料理の世界で最初に頭角を表した時くらいからのお知り合いらしいんだ。かれこれ15年くらい前ってことになるのかな?」
それで、あんな年配の人がこんなにも平身低頭なのか……。
「篠原さんはその18歳くらいの頃から、既に料理界では神童的存在だったそうですからねー!」
そう言う安原さんも何だか誇らしそうだ。
「俺らにとっては雲の上の人なんだよ。篠原さんはよ」
柴崎さんが珍しく神妙にそう言う。
「そういう堅苦しい態度を彼女が嫌がるから、普段は僕たちもできるだけ普通に接してますけどね~」
高野さんが更にそう口を挟んでくる。
なるほど……話には聞いていたけど、実際そこまで凄い人だったとは!
向こうの方ではその平さんが──。
「今夜は篠原さんに恥ずかしくない料理をお出ししますので!」
とか言ってるし。
あの……今日は普通に僕の新歓パーティーだったのでは?(汗)
これでは僕のほうが緊張してきてしまいそうである。
そうこうしているうちに、お店の一番奥の方にある重厚な造りの掘り炬燵部屋に通された。
ぞろぞろとみんなが奥から座っていく。
僕の両脇には高野さんと安原さんが座った。
そのまま流れるようにスムーズに女将さんがやってきて、僕たち全員に手渡しで暖かいオシボリを配っていく。
その態度は、やはりまるで僕らが国会議員であるかのように丁重だ。
こんな扱いは、ただの浪人生だった僕にはこれまでも経験がない。
ましてや人がいなくて、今や無人店が普通になってしまったというこの世界において、それがどれほど稀有なことなのか。
この時の僕には想像もできなかった。
「す、すごいですね……」
「出てくる料理もきっとすごいよぉ~。平さんが腕によりをかけてるからね~」
安原さんが期待に胸を膨らませてそう言う。
あの……。
ここからまさか美味◯んぼみたいな展開になっちゃうんでしょうか?(汗)
むしろ僕こそここでは場違いなのでは……。
「いや……これはもう僕の新歓パーティーなんかがメインじゃなくて、別に何かのお祝い事があるんじゃないんですか?」
むしろそうだった方が気が楽なんだけど……。
僕のほうは期待に胸膨らむというより、恐れ多くて居心地が悪いくらいだった。
「そうじゃないの、そうじゃないのよ~!」
フフフ……。
そんな様子の僕を見て、安原さんがいたずらっぽく笑った。
「私達が集まる時には、こういうお店にしなくちゃいけない理由が……実はあるんだよねー。タカノン♪」
そして高野さんに話を振る安原さん。
「そうそう。こういうお店に行かないと約一名絶対に帰っちゃうんだ。困ったものだよね~ヤスノン~!」
それに高野さんがそう受ける。
そう言えばさっきもそんなことを言ってたような?
「その約一名って。もしかして篠原さん……ですか?」
そうこわごわ尋ねながら──僕の頭の中にはある想像がよぎっていく。
来店するなり平身低頭の料理長。
高級料亭じゃないと帰っちゃう篠原さん?!
ってことは、この美味し◯ぼ展開のオチってやっぱり……。
『なんだこの料理は! 女将を呼べッ!!』
とか言って、高級掘り炬燵ごとテーブルをバーンとひっくり返す篠原さんの図みたいな!?
ガクガクブルブル……。
これからどうなっちゃうの?
この新歓パーティー!?