13 話 出勤初日
そして次の日。
8月8日、月曜日の朝である。
新しい世界、新しい街で、新しい職場に就く最初の日がいよいよやってきたのだ。
ここのところ一気に色々異常な体験をしたからだろうか。
これまで何も感じずに生きてきた僕らしくもなく、その日の朝はいつになく胸がドキドキするような気分だった。
新しい世界、新しい街、そして新しい出会い。
それがこれからの僕にいったい何を運んでくるというのだろう。
そんなことを、ガラにもなく考えてしまう。
──らしくないな。
ちょっと期待し過ぎなのかもしれない。
今朝の僕はなんだか変だ。
◆◇◆◇◆
初出勤となるその月曜日は、朝から雪がチラチラ舞う空模様だった。
ここ数日と比べても猛烈に寒い。
これで日付が8月8日だっていうんだから参ってしまう。
まあ、僕の元いた世界とは6カ月ずれているとのことなので、それで言うと2月始めくらいにあたるんだろうし。
しょうがないのかな?
仕事時に着る制服は、お店で支給されるそうなので私服で家を出る。
コートにマフラーそして手袋。
寒かったのでインナーは少し多めに着込んだ。
そして今日は、この世界に来て初めて電車に乗ることになるのだ。
家の近くの駅は「配置局前」と言う。
ここから商業地域である「銀座街区」まで電車に乗るのである。
自動改札はそれほど変わっている感じはしない。
まあ勝手知ったる感じかな。
店長さんから貰った通勤用のプリペイトカードを、センサーにかざせばいいのかスリットから入れればいいのか少し迷ったけど──まあ、その程度。
大した問題はなかった。
ホームもちょっと大きめではあったが普通の駅という感じで、そこまで大きな違いは感じられない。
自動運転でホームに滑り込んでくる電車を見ていると、少し未来的なデザインであることを除けば、まるでゆり◯もめとか舎人◯イナーのようである。
敢えて違和感を挙げるとしたら、朝の8時過ぎの通勤時間であるにもかかわらず、人がそれほどギュウギュウ詰めではないくらいかな?
その辺りは初めてのこの日はちょっと意外な感じがした。
それからこの配置局前のホームでは、ロボットというかアンドロイドというか、二足歩行の人間型機械が歩いているのがチラホラ見える。
そういう人間型ロボットは、逆にこの配置局前駅の近く──つまり僕が住んでいる『職安』周辺ほど多い気ががした。
お店もほとんどが無人店だしね。
この後、電車であちこち行くようになってきて感じたのは、降りる駅によってずいぶんと街の空気に差がある感じがするということだ。
屋外で見かける人達もこの配置局前辺りでは、みんな無言で歩いていてお互いに話をしている様子もない。
なんだか根暗な人達が多いというか……そういう地域なのかな?
僕は元々人に話しかけられるのが苦手なので、ある意味それは気楽と言えば気楽なんだけど、みんながそんな感じで鬱々と下を向いて歩いているのを見ると、それはそれで最初はちょっと正直気味が悪かった。
だけど電車に乗って、目的地まで5つほどの駅を通過していると、だんだんと車内に人が増えてくる。
そして、乗ってくる彼らの表情が次第に明るくなり、挨拶を交わしている人達もちらほら出てくるようになるのだ。
だんだん電車の中でも話し声がひそひそと聞こえ始め、よく知った感じの電車内の雰囲気に変わっていく──。
それを不思議な感じで眺めていると目的の駅に着いた。
ここが今日から僕が働く街『銀座街区』である。
銀座と言っても、昔「銀座」という街があった場所とは全然違う位置らしい。
今の時代はどの地名についてもそうらしく、昔のイメージで有名だった街の名前をあちこちに付けているみたいなのだ。
この世界ではずいぶん昔という感覚なんだろうけど、僕にとっては頭がこんがらがるので困ってしまう。
その銀座街区の駅に着くと。
新宿かどこかに着いたようにどわーっと人が降りた。
僕もその人の流れに従って電車を降り──。
ふと周りを見渡すと、人々の中にロボットのような人影はあまりいなくなっていた。
ここは人間の街だ。
そんな感じがする。
◆◇◆◇◆
そこからはすぐだった。
駅からはそれほど歩くことなくレストラン『エルドラド』に到着した。
洋食の専門店っぽい雰囲気のお店。
距離は歩いて10分程だ。
万が一にも初日から迷って遅刻っていうのは避けたかったので、道中は一応リリスを呼び出してナビをしてもらったんだけど、あっさり着いてみると全くそんな必要は無かった感じ。
駅前は僕が住んでいる地域とは比べ物にならないくらい開けていて、人がずいぶんと多い上に当然のことながら道幅も広く、自動車などの交通量も多い。
スクランブル交差点なんかもあって……。
そんな中を人並みに流されながら歩いていくと、そこから一度横道に入ったくらいですぐに目的地には着いてしまった。
ふう。
いよいよだ。
僕は一息ついて服装を正す。
そして、リリスにはそこで引っ込んでもらってから、緊張気味に入口のドアを開けた。
カランカラン♪
センスの良い鈴の音が鳴った。
「はーい、開店は10時からなんですが~」
中からすぐに元気の良い男の人が出てくる。
「あの、今日からこのお店で働くことになっている……」
そう言うと。
「ああ、君のことか。うん。聞いている聞いてる。えーと谷山翔哉君だっけ?」
すぐにわかってくれた。
少しほっとする。
「ちょっとその辺の椅子に座ってて~」
明るい調子の彼はそう言うと奥に引っ込んでいった。
よかった……。
まずは第一関門突破である。
店の中は暖房が効いていて既に暖かかった。
コートを脱いで、横の椅子にバッグを置くと、手近な椅子に座る。
店中は、結構高級なレストランの雰囲気だった。
西洋風のアンティークな家具。
中央付近の落ち着いたシャンデリアとゆったりと並べられた椅子、テーブル。
調度品も品が良さそうだ。
置いてあるメニューも革の装丁がしてある本格的なもの。
えーと値段は……と。
コーヒー 90アリア。
ランチ 280アリア。
えっと、いくらだっけ?
一瞬混乱したものの、最初のコーヒーがコンビニ弁当くらいすることに思い至った。
んー、じゃあ、500円くらいかな?
──かなりお高い店のようである。
ここの雰囲気は、この世界に来て2週間ほど僕が暮らしてきた自分の部屋の近くのお店とは、控えめに言っても別世界とでも言えるような様相だった。
しかし雰囲気的にはある意味では、むしろこのお店のほうが元いた世界に近いとも言える気がするな。
そんな感じで。
僕がお上りさんのようにキョロキョロしていると──。
今度は奥から人がゾロゾロと出てきた。
これも、この2週間どこにいっても無人店ばかりに遭遇してきた僕からすると、かなりびっくりな展開である。
「新人さん?」
「また来たんだ」
「そりゃ人数足りてねーからよ」
「きゃ~可愛いじゃない~」
「またつっかえねーお荷物じゃなきゃいいんだけどな」
「しっ。きこえるでしょ!」
1、2、3、4人くらいか?
そこにさっきの彼が、引率の先生のように手を叩きながらやってきて僕の前に立つ。
「はいはいはい~。今、紹介するからがっつかないでよ~」
5人に一斉に好奇の目で見つめられて、僕はちょっと居心地が悪い。
「彼が、今日から一緒に働く谷山翔哉君だよ~!」
そんな感じで紹介される。
「谷山です。どうぞよろしく」
そう控えめに挨拶した。
「翔哉君は、異世界から最近来たばっかりなんだそうだ~。色々と教えてあげて欲しい」
「異世界? すごーい!」
「異世界ねぇ~?」
「かっこいいじゃん~☆」
などと玩具にされながら、ペコペコ頭を下げていると。
もう一人奥から女の子が顔を出した。
「あの……奥の倉庫のお片付けが終わりましたけど」
その女の子にリーダーらしき彼が声をかける。
「ああ、良いところに来たね~エル。これから、みんなが新人さんの彼に自己紹介をするところなんだよ~。君も──」
“エル”か……。
この世界に来てから初めて日本人らしくない名前に遭遇したな……なんて思っていると。
それを遮るように強気そうな男が口を挟んだ。
「なんで? あんな人形なんかほっときゃいいじゃん!」
人形?
今、人形って言ったの?
この人?
「柴崎く~ん、エルちゃんは確かにアンドロイドだけど。人形なんて言い方はないだろ~。ちゃんとガイノイドって呼んであげて欲しいって言われてるじゃないか~!」
リーダーさんが柴崎と呼んだ男にそう言い聞かせている。
「ちっ。高野さんだって知ってんだろ? こいつは──」
その柴崎さんはまだ納得していないようだったが。
「こんな時に、そんな突っかかんないでくれよ~シバ~!」
高野さんと呼ばれたリーダーさんが、柴崎さんが言おうとしたことを慌てて遮るようにそう言葉を重ねた。
「店長からもさ~。エルについてはできるだけ人間と同じように接してやってくれって、そう言われているんだから~」
目の前で展開されるそんなやり取りを聞きながら、ふとそれとはなしにその女の子を見た僕は──。
──!!!
そのまま声が出ないほどびっくりしていた。
その『エル』……と呼ばれた女の子は……!
『夢に出てきた“あの女の子”だ!!』
心の中でそう叫んでいた。
前の世界の最後の一週間。
突然、夢の中に現れて僕が助けた“彼女”
リーダーの高野さんからエルと呼ばれたその女の子は、夢だというのに何度も観たせいか、今だにはっきり覚えているその“彼女”の姿に瓜二つだったのだ。
そしてその彼女がアンドロイドだと紹介されたのにも二度びっくりだった。
すぐには信じられなかったほどである。
彼女がアンドロイド……だって?
その時の僕にはまったくそうは思えなくて唖然としてしまう。
柔らかそうな栗色の髪に自然な表情。
声や話し方もごく人間的な感じだし……。
どこから見ても普通に可愛い女の子にしか見えないのだ。
物腰だってこんなに──
こうして少し僕が色々と考えて呆然としている間。
高野さんと呼ばれたリーダーさんは、少し困り顔で何かを誤魔化すかのように、柴崎さんやみんなをなだめるよう諭していた。
そして「ほら~みんな早く自己紹介、自己紹介~。もうすぐお客さんが来ちゃうよ~」と少し強引に話を持っていく。
そうこうしているうちに、ようやく店のみんなの自己紹介が始まった。
リーダー然と振る舞っていた彼はフロア責任者の高野さん。
突っかかっていた短髪の男の人は厨房担当の柴崎さん。
髪が長めのしっかりした感じの男の人がフロア担当の清水さん。
さっきからキャピキャピ気味に元気だったショートカットの女の子。
彼女はフロア担当で安原さんだ。
そして、おかっぱ気味のしっかりした感じの女性、コック帽を被った美人が厨房責任者の篠原さん。
──そうみんなが一人一人僕の前で自己紹介をしてくれる。
そして。
最後に“彼女”が少し遠慮気味に僕の目の前にやってきた。
その時の僕はというと。
まだ心臓が早鐘のように打って止まらなかったんだ。
それはもう……目の前で行われたみんなの自己紹介の記憶もぼーっと曖昧になってしまうくらいに──。
彼女は一度、目を伏せるように礼をした後、僕に向かって顔を上げた。
「あの……ここで研修させて頂いているガイノイドのエルです……」
そして彼女と僕の目と目が合う。
その目はよく見ると、確かにレンズのような物が複雑に組み合わさった人工のもので出来ていた。
「よ、よろしく」
どもってしまった。
それにしても……!!
やっと冷静になってきた僕は、今度は違った意味で興奮してきてしまった。
僕がこの世界に来てから既に2週間。
人手不足を補うためにAIやレイバノイドと呼ばれるアンドロイドを積極的に社会参加させているというのは聞いていた。
街中でも既にたくさんのレイバノイドを見てきている。
でもここまで僕が見てきたレイバノイド達はお世辞にも人間に似ているとはいい難く、むしろ作業機械に毛が生えたようなものに近かったのだ。
アンドロイドというよりも、むしろロボットって感じかな?
だからまだこの世界であっても、そこまでのテクノロジーには達していないんだろう……と、一人で勝手に納得していたんだけど。
──やっぱり、この世界にはこんなに凄いアンドロイドを作れる技術が、ちゃんと存在したんじゃないか!
「何が研修だよ、まったく……」
「こら!」
と、後ろでまた柴崎さんがそんな感じで呟いていて。
厨房責任者の篠原さんに咎められているのが耳に入り僕も我に返った。
エルのこと……そんなに嫌いなのかな? 柴崎さん。
ちょっと不思議な感じがする。
エルと呼ばれた彼女はあんなに可愛いし、それに性格だって見るからに大人しそうなのにな。
嫌わるようにはあまり見えない彼女の様子と、柴崎さんの態度とのギャップからついそんなことを考えてしまう。
そう言えば……?
みんなの挨拶が終わって落ち着くと、今度は僕を面接してくれた飯田さんの姿が見当たらないことに気付いた。
店長さんって言ってたような気がするけど?
一応高野さんに聞いてみることにする。
「あの、店長さんは……?」
「ああ。飯田さんね。店長の飯田さんは今はあんまり店にいないことが多いんだ。特にここ最近は何かと各方面で忙しいらしくてね~」
調整が必要な様々な事を処理するためにあちこちに出向いているんだそうだ。
そんな訳で普段からあまりお店には常駐していないらしい。
確かに僕が会ったときも随分と忙しそうだったもんなあ。
ようやくこれでまず一段落って感じかな?
僕が自己紹介という次の難関を終えてほっとしていると、フロア責任者の高野さんが僕にこう言ってくれた。
「じゃあ、今日一日は見学っていうか、みんなの仕事ぶりを近くで見てくれていればいいよ~」
まず今日に関してはそういう軽い感じでいいらしい。
僕は心のなかでもう一度安堵の息をついた。
「合間にちょっと手伝ってもらうくらいはあると思うけどね~」
最後にそう付け加えた高野さんだったが、のんびりとした朝の時間はそこまでだった。
そこで篠原さんから、少し慌て気味に「谷山君。お客さんが来るからそろそろ厨房の方に入ってくれる?」と声がかかる。
そ、そうなんだ。
迷惑をかけないよう慌てて店の奥だと思われる方へと篠原さんを追い抜いて先に引っ込む。
するとその後ろから厨房担当の篠原さんと柴崎さんが続いてやってきた。
どうやらこっちの方向で合っているようだ。
そんなこんなで、バタバタしているうちに開店時間になった。
開店時間。
壁にかかっている時計を確認する。
午前10時になったのだ──。