12 話 どこで働くかそれが問題だ
そして次の日になった。
この新しい異世界とやらにやってきたのが、この世界では7月24日にあたるらしいから、今日は26日になったってことだ。
7月27日の明日は、また『職安』と呼ばれている位相転換分子再配置局に行く予定になっている。
異世界コーディネーターの伊藤さんにもう一度会って、今後の仕事についてどうするのか、直接返事をすることになっているのである。
だから今日中にどうするかを決めておかないといけない。
ただ──。
僕の気持ち自体は、昨日一日でもうだいたい固まってしまっていた。
こういう時に暇を持て余すとむしろどうしていいかわからなくなってしまう。
それがよくわかったのだ。
伊藤さんが“自分の世界をロストした人達は、新しい世界にアイデンティティーが無いと情緒不安定になる”って言っていたけど、それが少しわかったような気がする。
何しろ昨日一日放置プレイされただけでも、僕はもう既にそれを実感するどころか──テンパってしまっていたくらいなのだから!
こうなったら出たとこ勝負。
まずはこの世界で一度働いてみるのが、この世界を知るためにもそして慣れるためにも、一番いいことのような気がしてきていた。
そう一旦心を決めてしまうと、ずいぶんと心が軽くなる。
問題は何の職種を希望するかだな。
選べる職種は……。
僕は先日伊藤さんにプリントアウトしてもらった紙を取り出す。
・コンビニエンスストアの店員とかの小売業
・フランチャイズのレストラン勤務なんかの外食産業
・マンションの管理人などの不動産業
──そこにはこう書いてあった。
そうすると……だ。
パソコンの前で腕を組みながら順番に考えてみる。
マンションの管理人はボツだろうな。
頭の中で選択肢にまず✕印が入る。
新しい世界に来た直後にまずは働き始めることで、新しい社会や人間のことを知り、そこに適応しようと思っているのなら、マンションやビルの管理人なんかだといまいち遠回りになる気がするんだ。
今までに苦手だった人間関係は回避できそうだけど、逆にこれだとこれから少し積極的に生きてみようと思っている僕の方針にそぐわない。
後はレストランかコンビニということになるわけだけど……。
この2つに関してはちょっと判断が難しい。
リリスを呼び出し、色々と情報を聞き出しながら検討した結果。
結論から言うと、僕は結局レストラン勤務に代表される外食産業を希望することにした。
リリスによると、コンビニもレストランもこの街から少し離れた高級ショップ街に行かないと有人のお店は無いらしいのだ。
そこまで通勤して働くことになるのは一緒なのである。
後は業態。
有人コンビニはやはり色々な作業を少人数で任されるらしい。
これ以上、慣れないカルチャーギャップで気疲れするのも勘弁だけど、シフトで組まされた人間が性格的に合わない人だとしんどそう。
それに対してレストラン勤務の方は、実はフランチャイズと言ってもファミレスみたいなものではないとのことなのだ。
そういう大衆的なレストランは、この世界では逆に無人レストランになることが多いとのこと。
普通、有人レストランは専門店的な店になることが多いらしく、そうなると厨房にもフロアにも何人かスタッフが配置されるような、僕が前の世界でよく知っている感じの業態になっている可能性が高いらしい。
そうやって色々と考えた結果。
希望職種はレストラン勤務の外食産業。
そして、今すぐに働き始めることを希望することにしたのである。
◆◇◆◇◆
「よくすぐに決断できたわね」
翌日。
それを異世界コーディネーターの伊藤さんに伝えると、彼女は手元の端末をひとしきり操作した後、感心したようにそう言ってくれた。
「いやー、3日間暇になっただけで息が詰まりそうでしたもん」
「色々あって慣れるの、結構大変よね」
伊藤さんも知った感じで笑いかけてくれる。
そう言ってもらえると、なんだかほっとするな。
「そうなんですよ。見かけ上はよく似ていて、実際触ってみたら全然違うって、結構なストレスですよね」
「そうなのよ……ずっと勉強している感じっていうのかな」
「そうそう」
そんな感じで、僕達はしばらく「異世界転移あるある」話で盛り上がった。
──さて。
伊藤さんが言うには、この後はおよそ一週間ほどしたら勤務先が決定され、支給されているスマホにメールで通知されてくるとのことだ。
リリスが言っていた通り、勤務地はここから少し離れたところにあるちょっと高級な商業地域の街になるだろうとのこと。
後は、職場の責任者と一度会って勤務開始日を決めてから、その当日に勤務先に向かうだけということになる。
これで仕事の話はだいたいオッケーだな。
そこで、僕は伊藤さんにひとつ気になっていたことを聞いてみることにした。
リリスから「ナビゲーションAIは一般の人は持てない」と聞いたこと、そしてその理由について「人生観や価値観に大きな影響を与えるため答えられない」と言われたこと。
その件について聞いてみることにしたのである。
「このナビゲーションAIシステムって、元々は第三次世界大戦直後に新政府が開発した新しい社会インフラの象徴的存在だったらしいの」
そう伊藤さんは言う。
同じようなことをリリスも言っていた。
「個人個人のニーズに合わせて自動的にカスタマイズされ、成長し、それを全体としてもビッグデータにフィードバックする。先進的なユーザーインターフェースとも相まって、一時は爆発的な人気を誇った画期的なAIシステムだったらしいのよね」
僕がいた世界の2019年当時でも、そろそろそういうタイプのAIナビは売り出されて来ていたけど、リリスは何というかそんなのとはレベルが違うって感じだもんな。
人気になったのはなんかわかる気がする。
「でも、その後数年もしないうちに使用者の知能レベルが著しく低下してきているのがわかったらしいのよ」
「ち、知能レベルが……低下ですか? でもAIが一緒にいて色々教えてくれたら、普通に考えれば逆に賢くなるんじゃ?」
僕は思わずそう返してしまう。
しかし、伊藤さんは首を横に振った。
「私もそう思っていたんだけどね。実際には逆だったと聞いているわ。多くの人々はAIと共に考えることで、より合理性の高い判断を追い求めることよりも、次第に最初からわかっている答えだけをAIに求めるようになったそうよ。そのために、だんだん自発性を失っていって最終的に一部の人達は与えられたことをこなすだけ──まるで機械のような人間になってしまったらしいのよね」
うわ……なんですか、それ……。
「そのため政府は、新しいインフラが社会に浸透してきた頃を見計らって、個人ユースでのナビゲーターAIの製造配布を中止。そしてその保持も禁止した。でもその時には既にナビゲーターAI無しでは生きられないと感じるほどに、依存しきってしまった人たちがたくさんいたということなの。結局、進んで自主的に回収に応じた人は少なくて、最終的には没収的に取り上げられ、あちこちで暴動みたいな騒ぎも起きたそうよ」
マジですか……。
想像するとそれはそれで怖いな。
それ以降は。
僕たちのような異世界から来た人間用に再調整されたAIが、リリスのようにいくつか存在しているだけって状況になったらしい。
うーん。
正にテクノロジーの光と闇……って感じだな。
僕としては、色々便利になればなっただけ幸せに近づけるもんだと、単純にそう思い込んでいたんだけど……。
現実はそれほど単純ではないらしい。
なるほどね。
だけど、それを聞いて僕は納得もしていた。
それでリリスは情報を出せなかったんだ。
なんだか「人生観や価値観に抵触する」なんて言われた時は大袈裟な気もしたんだけど、今となってはリリスが言ってたことも少しわかったような気がする。
やっぱりこんな経緯を聞かされちゃうと色々考えちゃうもんね。
思っていた以上にデリケートな問題だったということか。
◆◇◆◇◆
それからの日々は。
急に忙しくなったこともあって、あっという間に過ぎていった。
こうして、だんだん気持ちや生活が仕事モードになってくると復活してくるのが曜日感覚……である。
その辺も含めて、ちょっとそれからを説明すると。
僕がこの世界で最初に目が覚めたのは7月24日だったのだが。
この日が実は日曜日だったらしい。
そして次に伊藤さんに会いに職安に行ったのが27日の水曜日。
その後、8月5日の金曜日に働くお店と勤務地が決定した。
だいたい一週間って言われていたので、これはほぼ予定通りだったとは言えるのだが、実はそこからが慌ただしかった。
8月6日の土曜日にすぐに面接がしたいということで、働く予定のレストランの店長さんが僕の家の近くの喫茶店までわざわざ来てくれたのだが、何か事情があるらしくすぐに8日の月曜日から出勤して欲しいとのことだったのだ。
店長さんは30代くらいの真面目な感じの人。
飯田良二さんと言うらしい。
最初にもらった名刺には「レストラン・エルドラド店長」という肩書が書いてあった。
そして「綾雅商事株式会社」という社名と会社ロゴ。
綾雅商事……これがこの店の親会社なんだろうか。
そこからがすごい。
喫茶店で最初に顔を合わせ、まずは軽く挨拶から……と思っていたら。
「異世界から来たんだってね。大変だったね」
「ええ、まあ……」
「もうこの世界には慣れた?」
「たぶん、少しは……」
「じゃあ、8日からお店に来れるかな? 次の月曜日なんだけど」
「え、明後日ですか?」
「うん」
早っ!……という。
話の展開も早ければ、スケジュール的にもずいぶん急な気がする。
──そんな感じで。
最初から採用がほぼ決まっていたらしいとは言え、それは面接とはおよそ言えないようなものだった。
その後は、通勤に使う電車のプリペイトカードとかを貰って、軽く雑談をしておしまい。
「いいんですか、これで?」と、思わず聞いてしまった僕に。
「いいんですよ。後はお店で色々聞いて下さい」なんて、即答されてしまうオマケ付き。
飯田さんはずいぶんと忙しい人らしく、そうやって30分足らずで僕との話を終えると、また追い立てられるように「次があるので!」と喫茶店を出ていってしまった。
それがもう昨日のことである。
なので今日は、もう8月7日の日曜日なのだ。
終わってみると嵐のような一週間だった。
それが過ぎ去ると、明日の月曜日からいきなり新しい職場で働くことになってしまったという。
それも……「異世界の」のカギカッコ付きである。
もう何が何やらよくわからない。
なので、この近未来にしか見えない異世界とやらで、これから社会に出ていく前に少し頭を整理しておこうと思う。
現在のこの世界は、地球暦24年の8月に入ったばかり。
季節はなんと冬だ。
西暦は2016年で終了しており、そこから24年の歳月が経っている。
異世界コーディネーターの伊藤さんや昨日会った店長さんの飯田さんとの話を総合すると、僕が住んでいる「この街」は場所的には元日本の神奈川県辺りに相当するらしい。
第三次世界大戦とその最終期に見舞われたポールシフトにより、地球にいた人類は約7割が死亡。
それぞれの都市も大方一度更地状態になって、戦後に1から再開発されたのだそうだ。
その元日本、つまり日本列島周辺で再開発が決定され、結果として残された都市圏は3つ。
関東圏の東京区域と、関西圏の大阪区域、そして九州周辺の福岡区域だ。
その3つのそれぞれの区域は、ほぼ同じような形で組織化されており、行政地域と隣接して大衆住宅地域と商業地域、そこから少し離れた場所に高級商業地域が。そしてその周りを囲むように農業プラントや工業プラントが配置されているのだそうだ。
僕は行政地域の近くにある大衆住宅地域のアパートに住んでいて、そこから少し離れたところにある高級商業地域のレストランまで通勤することになったということなのである。
社会生活も見かけ上は西暦時代と大して変わっていないように見えて、その内実はずいぶんと変わっているようだ。
何より人がいないのである。
日本を3つの都市圏に凝縮して集まって住むようにしたとはいうものの、それでも都市機能を回していくには人間だけでは人手が足りない──らしい。
だから大戦後、政府は巨額を投じてAIとアンドロイドの開発に力を入れ、今は街でも人間に混じってかなりのアンドロイドが歩いているようだ。
それでも、都市機能を円滑に回すことが一番の優先順位だったためなのか、あまり人間と見間違えるほどの自然なアンドロイドはいない気がする。
いかにも作業機械のようなもの。
作業効率を第一に考えたものが多いのだ。
まあ、この数日の僕の身の回りでということだから。
大衆住宅地区の周囲ではということなんだけど。
別の地域では、もしかしたらもっと色々なアンドロイドがいるのかもしれない。
今までいた2019年当時の世界と一見変わらないような町並みやそこに暮らす人達から、予想外のものが出てくるカルチャーギャップには少しは慣れてきたとは言え、その度にやっぱりびっくりさせられてしまう。
これだったら、まるっきり最新鋭って感じのキンピカの未来都市であってくれたほうが、ここまで心臓には悪く無かったんじゃないかと思うんだけど……。
ベッドに入って、そんなことを考えながらなんとか心を落ち着かせようとしていると、いつの間にか寝入ってしまった。
そして月曜日──。
僕が新しい世界で新しい職場に就く、その最初の日がやってきたのである。