11 話 AIリリスの喜び
食後のコーヒーをペットボトルからグラスに注いで飲みながら……。
僕は何となくテレビでも点けてみることにした。
ふむふむ。
この世界のテレビはパソコンで番組を選んで出力するのか。
PCのネットTVを外部出力するようなものかな?
──こうなってくると、もうノリは完全に近未来である。
説明書と一緒にあった手引書のようなペーパーを見ながら何とか操作する。
それにしても新しい世界ってさ。
こうして何をするにも一々最初から学んで。
何でも意識的にやらないとひとつとして前に進まない。
漫画やアニメでは、あんなに簡単に異世界に適応して、ラクラク俺TUEEEとかしてるっていうのに……全く現実ときたら!
──そんなふうにブツブツ心のなかで愚痴を言うのも何だかいい加減虚しくなってきた。
そうやって色々調べながら、テレビを一応つけるところまでは持っていったのだが……しばらくあちこちチャンネルを切り替えてから結局消してしまった。
知ってる芸人さんも誰もいなくなっちゃったし、時事ネタにも全くついていけない。
だからバラエティを見ていてもあんまり面白くないのだ。
スポーツの試合もいくつかやっていたけど、興味があるスポーツがそれまでも特にあった訳ではない僕には、今更それを観る気分になれるはずがないわけで。
うーん……こういう時、気分転換に軽く流せるような趣味や娯楽が、何にも無いっていうのはきついなー。
何でもそうだけど。
ゲームひとつにしたって、1から始めるとなると結局新しい世界に適応するのと同じことなのだ。
だから、今まさに新しい世界自体に1から適応しようとしている僕にとって頭の負担でしかない。
結局、頭を休められないから余暇にならないんだよね。
そうやって色々模索して万策尽きた後。
僕はまた思い立って手元のナビAIを呼び出してみることにした。
◆◇◆◇◆
「リリス?」
「はい、ここに」
すぐにピンク色の光の玉が出てきて目の前にデーンと居座る。
一度野外に出て、小さくなったのを見ているだけに、なんだかいやに大きく感じるな。
「……ちょっと大きくない?」
そう思わず聞いてしまうが。
「これが通常の大きさです」
そう即答されてしまった。
「部屋の中では誰の邪魔にもなりませんので問題ありません」
大威張りでそう言われてもな。
ま、いいけど。
「でも、あの小さくなってたのって、リリスもやっぱり周りに気を使ってたってことなの?」
「当然のことです」
そうなのか。
なんかそういう使命感みたいなものでもあるのかな?
でも、こうやって少しリリスと話していると、少し気分が落ち着いてくる。
そう言えばそうだ。
こうして異世界に転移した直後って孤独だもんな。
異世界人用ナビゲーションシステムって言ってたけど。
そういうのを気遣って、リリスのようなナビゲーションシステムを転移者達に配布しているのかもしれない。
そんなことを考える。
「そうだリリス。いくつか聞きたいことがあったんだけど」
リリスに聞きたかったことを思い出してそう切り出した。
「どうぞ」
シンプルにそう答えるリリス。
さっきの外で見た街の様子の話とかは後でするとして、まずは聞きそびれていたことがあったんだ。
「この腕時計みたいなのから出てくるリリスの球体とか、キーボードとかって立体映像なんだよね? フォログラフィーっていうのかな。なのにちゃんと触れるのはどうしてなの?」
これって最初見た時から不思議だったんだ。
「それがフォログラフィーであるだけでなく、ARつまり拡張現実の処理を受けているからです」
「AR……? VRじゃなくて?」
VRだったらゲームとかで聞いたことがある。
実際やったことはないんだけど。
「VRが使用者の環境情報全てをサイバースペースに移し替えるものなのに対し、ARは現実の環境情報の一部を書き換えて使用者に経験させるテクノロジーです。ですのでARはVRの応用ではあるものの、人間が生きている現実世界そのものを拡張するものだとして区別されています」
わかったような、わからないような……。
「このARを応用したナビゲーションシステムでは、腕に装着されたリング式のコントローラーを通じて生体電流に酷似した信号が脳の特定の部位に送信され、擬似的な触覚や知覚が生成されているのです」
つまり脳を騙してるわけ?
何気にそんな凄いことをやってたのか。
「じゃあ、押したボタンが反応するのはなんで?」
「それはVR技術の応用です。ですが、こちらについては位置情報のモニタリングフィードバックを参照することで、そこから必要な信号処理が行われているに過ぎません」
そうやって技術的なことをやたら詳しく説明されてもな……理系じゃない僕にはよくわからないんだけど。
まあ、すごい技術ってことで良しとしよう。
そう自分を納得させることにした。
「まるで魔法みたいだね……」
イマイチよくわからないこともあって、僕は相槌のつもりで月並みな感想を口にした。
小並感ってヤツだ。
そんなどうでもいい一言にまで、リリスは反応してきた。
「西暦時代において記録されている言葉に『十分に発達した科学技術は、魔法と見分けがつかない』というものがあります。ここからも人間は自分が理解できない現象を魔法という言葉で置き換える傾向が強いものと考えられるでしょう」
AIだし、きっと面倒臭いとか、そういうのは無いんだろうな。
むしろ何かを聞かれると嬉々として説明を加えてくれる感じだ。
1を聞いたら10を返すというか……。
実はリリスって、無機的に見えて案外構ってちゃんだったりして。
退屈なこともあったけど、僕はそんな興味からリリスにちょっと絡んでみることにした。
「なんかさ。リリスずいぶん張り切ってない?」
試しにそう聞いてみる。
「そんなことはありません」
「これまで何かにストレスが溜まってたとか。そういうのってやっぱり無いの?」
「私達AIにストレスは存在しません」
淀むことなくそう言い返される。
まあ、そりゃそうか……プログラムだもんなあ。
やっぱり思い過ごしかな?
そう思ってこの話題については諦めようとした時、リリスがそれまでの一切迷いの無い様子から珍しくためらいがちに──。
「ただ……」
そう付け加えてきたんだ。
「ん? ……ただ、何?」
僕は即座に聞き返した。
「私の前回の持ち主が著しく興味や知識欲に乏しい人だったことは事実です」
リリスはそんなことを言ってきた。
それが何だか少し寂しそうに見えたんだよね。
「つまりあんまりリリスと喋ってくれなかったってこと?」
「はい」
これについて、ここで少しリリスから話を引き出してみると。
彼女(と言っていいのかどうかはわからないが)は元々地球暦3年前後に作られた最初期タイプのものがベースになっているとのことなのだ。
そこから20年以上筐体を乗り換えながら稼働を続けてきたことになる。
その間、AIは経験というか情報の蓄積が生命線なので、メインプログラムを徐々にアップデートしながらも、同じリリスの人格が何人かの人間の手に渡りつつ、今まで継続して稼働してきたそうなのだ。
つまりその度ごとにリセットされることなく、前の使用者の記憶を保ちながらリリスはAIとして年齢を重ねてきたことになる。
しかし、僕の前の持ち主である最後の一人が物事にあまり興味を示さない人間だったとのことで、その人の元にいた数年間はめったに呼び出されることがなかったそうなのである。
なるほどね。
それを聞いて、僕はなんだかそれがどんな“感情”なのか、わかったような気がした。
「きっとリリスは寂しかったんだね」
しばらくリリスとこうして、人間に対してと同じように会話を続けていたこともあって、僕は思わずそんな風に返してしまった。
それを聞いたリリスも、最初は取り付く島も無くそれを否定していたのだが──。
「そんなことはありません」
「本当に?」
「本当です。私達ナビゲーターAIには最初からそのような感情回路は組み込まれていません」
「それじゃ、放って置かれても平気なんだ」
「……問題ありません」
だんだん答えが怪しくなってきた気がする。
これは面白いかも。
別に意地悪と言うわけではなかったのだが──。
リリスに感情が本当に無いのかについては僕にも少し興味があったんだ。
すると、リリスがこんなことを口にした。
「ですが、私達AIはディープラーニングテクノロジーによって膨大な情報を多層的に蓄積しています。その情報を開示できる機会を得られることは喜びである、とは言えるかもしれません」
まるで考えながら話すように微妙に間を取りながら、リリスはそんなことを言ったんだ。
喜びである……リリスは確かにそう言った。
さっきは感情を一度否定していたのに。
「喜び……やっぱり嬉しいんだ」
感情回路がないのに?
どういうことなんだろう?
僕がそんなことを考えているとリリスはこう続けたんだよね。
「自分が作られた目的に沿った形で、この世界に影響を与えることができた時、感じられる感情を『喜び』と言うのだと、以前に聞いたことがあります」
そんな風に表現されるとちょっと堅苦しい感じもするな。
まるで哲学者みたいだ。
まあ、でも──。
「つまりそれは僕から色々聞かれると嬉しいということでいいのかな?」
そう聞いた僕に。
「わかりません」
リリスは一度そう答えた後……。
「ですが、私は情報を与えることによって人々を利するよう作られたことは確かです。あなたが何かを問い、私がそれに答えた時、ここに存在する目的が果たされたことになる。そのように考えることができます」
そこまではまだ何だか固苦っしい感じだったが、最後にはっきりとこう付け加えたのである。
「それが私にとっては嬉しい……ということなのかもしれません」
それを聞いて、僕は思わず吹き出しそうになってしまった。
なぜって?
そのリリスの様子が、まるで素直に嬉しいと口にできないツンデレの女の子みたいに思えたから。
「どうかしましたか?」
「あ、いや、リリスって可愛いよね」
「どういうことでしょう?」
「あ、うん。わかんなかったらいいんだ」
なんて言って誤魔化しながら、これからは何か疑問があったらできるだけリリスを呼び出してあげることにしよう。
僕は心の中で秘かにそう思っていた。