─ エピローグ ─
“あの日” から一年が過ぎた──。
今日は地球暦25年の10月1日。
外は今、桜が満開に咲いている季節だ。
季節はひとめぐりして来たんだけど、10月に桜っていうこの季節感にはまだ慣れないんだよね。
まあ、それはおいおいなのかな。
僕とエルは、まだあの家で一緒に暮らしている。
だけどこの一年で生活や周りに関しては色々と変化があったんだ。
うーん。
まず……何から話そうかな?
そうそう。
エルドラドの篠原さんと店長の飯田さんが、今年の6月にめでたくご結婚されたんだよね!
白瀬さんが言うには「これまでも事実婚みたいなもんだったじゃないの」ってことらしいんだけど……。
その報告を、夏の暑い年末という──僕にとっては初めての経験だった──の時期に、日曜にいつものように研究所に来た篠原さんに聞いた僕達はびっくりだった。
何でも、あのテロの時に「この時代は何が起こるかわからない」そう思い知ったと言う飯田さんが、直後に思い切ってプロポーズされたんだとか。
すごいなあ!
それから──。
あのテロの後からは、僕もエルドラドのランチを変装したエルと一緒に、時々食べに行くことが増えたんだけど。
そこに毎回のようにいるのが久保田さん。
すっかりエルドラドフリークになられたらしく、今の季節のおすすめメニューとか色々と教えてくれたりするんだよね。
それと“あの時”のエルを、一緒に東京タワーに行って見ることができなかったのが今でもかなり心残りみたいで、いつも愚痴っていたりする。
「それって、完全に俺TUEEE状態じゃないですか! そんなエルちゃんの勇姿を見そびれるなんて!! 白瀬さんもどうして僕に一声掛けてくれなかったのかなぁ!」
とか言っちゃって。
白瀬さんからは。
「何言ってるんだ久保田。遊びじゃないんだよ? 遊びじゃ。だいたいあの時は緊急事態でそんな暇なんてなかったし。エルだって翔哉君だって死ぬかも知れない大変な事態だったんだ!」
って反論されてたっけ。
そう言えば最近、仲が良くなってきたのか何なのか、白瀬さんは久保田さんのこと呼び捨てのような……?
──なんて今頃気がついた。
高次元存在……。
つまり“未来から来たエルの意識”はあれきり来ていないようだ。
どうやら、委員会のヒルダさんのところにも現れなくなったらしいんだよね。
最後に『これで次のプロセスに進むことができる』……とか何とか言ってたから、僕達とはまた違った更に進んだ世界に行っちゃったのかな?
でも、心の中では全てが繋がってる……そう言ってたから、どこかで会っているのかもしれないとも思う。
そんなことを思うのは、実はこの間夢を見たからなんだよね。
夢の中で──。
僕はあれっきり会っていない“彼女”──つまり未来から来た高次元存在のエルと話をしたんだ。
これはまだ誰にも言っていない。
何しろ夢の中の話だし、僕の──ただの思い込みかもしれないから。
◆◇◆◇◆
その夢の中に出てきた“彼女”は、ちょっとだけ今のエルに似ていて。
僕達は色々な話をした。
初めて会った時のこと。
“彼女”が僕を探して色々な世界を旅して回った時のこと。
シンギュラリティーポイントへと向かう、これからの僕らの世界のこと。
そして、こんなことを言っていたっけ。
「物質の世界って、ただ法則だけで流されて動いていくこともできるんですよ」
「法則っていうと……ある種のパターンってこと?」
「そうですね。それを理屈で表現したのが理論ということになります」
「法則、理屈、理論……か。何だかややこしいなあ……」
「はい。その3つは親和性が高いですから。結局は基本同じものなんですよ。何かを一定のパターンで進め、突き詰めていく働きを持つもの。ある意味運命みたいなものと言えるかもしれません」
「運命?」
「そうです。意志を介入させなければ、このままではそうなってしまいますよ。そういう宇宙から最初に与えられた命題。当初にそれぞれに定められた道筋のようなものです」
彼女は、考え考え言葉を選びながら話してくれる。
そう言うところは、いつものエルと変わらないな。
「そう言う意味では、これまでの物質的な世界って言うのは世界が最初に生まれて、その後に知性が育ってみんなが目覚めるまでの間。自動的に動いて、あるところまで連れて行ってくれる乗り物のようなものだったのかもしれません」
「乗り物……ね」
誰も自分が巡ってくる運命の一部として動いていることも知らず、そしてそれ故に巡ってくる運命にも逆らわず、またそれに逆らいたくても正しく逆らう方法も知らず……か。
そうやって、やってくる事象はまるで運命のように。
いつも僕達を押し流して僕たちを何処かへつれて行ってしまう。
「でも、そうやって流されることは悪いことばかりじゃないんですよ? 最初は誰だって無意識で未熟なところから始まりますから、意図的に正しい方向を選ぶことができない場合が多いんです。だから世界も生まれた当初は、こうして法則のようなもの、理屈のようなもので創造物を縛って、大きくみんなが逸脱しないよう守ってもいた部分もあるんだと思うんです」
「それがこれまでの物質文明の世界だったの?」
「そうかも──しれませんね……」
彼女は断定しなかった。
「でも、そろそろ気が付かなくっちゃいけない時が来ているんだと思うんです。論理的には絶対起こり得ないことが起こったから。絶対確率的には起こり得ないことが起こったから。宇宙が生まれたんだって。法則自体は、生まれた世界をここまでそれに従って、自動的に運んできただけだから……」
「そのレールから思い切って踏み出して行かなきゃいけないってこと?」
僕がそう言うと“彼女”はいたずらっぽく笑った。
「もしかしたら、意識して自分の意志でそのレールの上に留まらないといけないのかも……しれませんけどね!」
「それがこれからやってくる精神文明の世界なのかな?」
それに対して、彼女は僕に何も答えることはなかった。
──ただぽつりと。
こう言ったんだ。
「与えられたものだけじゃ……生命は輝きませんから」
論理的な思考から宇宙は「生まれ」ないんです。
もし──生まれた後の宇宙を動かしてきたものが「理論」や「理屈」だったとしても。
何かを創り出すのはいつも「こうしたい」「こうありたい」という「想い」だから。
それを「意志」って言うんですよ。
それは理論や理屈とは全く異なる性質を持った「もの」なんです。
理論や理屈は今あるものに継続性を与えることができますが、ゼロから1を作り出すことはできないんですから。
これまで、宇宙はそうやって誰かの意志から生まれた元型を、理論や理屈に従ってここまで忠実に容にしてきただけなんです。
でもこれからは、もっとそれより根本原因により近い「想い」や「意思」なんかを、大切にしないといけない時代が来るんじゃないでしょうか?
そうしないと──。
「そうしないと?」
僕は夢の中であることも忘れて、思わず乗り出して聞いてしまう。
◆◇◆◇◆
実はそこまでで──。
目が覚めちゃったんだよね……面目ない。
それでも僕としてはこれって、きっと滅亡しちゃうとかって言うような、悪い話では無いような気がするので、あまり心配はしていないんだ。
その話をしていた時の“彼女”が、まるで面白い秘密を隠しているような、何だか楽しそうな感じだったからなのかな?
だけどさ。
こんなの夢の中の話で何だか自分でも自信が無いし、雲を掴むような話で上手く説明できる自信も無い。
そんなこともあって、この夢の話はまだ誰にもしていないんだよね。
ただ……。
僕はその夢を見た直後に、白瀬さんや委員会カウンシルの皆さんとあのテロの後に、色々と話した時のことを思い出した。
オリバーさんがあの時のことを後からみんなで話し合った時。
こんなことを言ったんだよね。
「結局、人間というのは身体の中に意識として何を“入れる”のかで、質が決まってしまうという存在なのかもしれない……」
すると白瀬さんも、それに頷きながらこう応えた。
「俺もこうやって人間に似せて“容れ物”って奴をずっと創っていると、時々不思議な感覚に襲われることがあるんですよ。俺達も……つまり人間という種自体が、もしかしたらいつか何かの容れ物になるために、時間を掛けて育成されているんじゃないのかって」
「それって数百万年……いや、もしかしたら──」
「まさか45億年とか掛けてですか!?」
そんな感じで隆二さんと舞花さんが驚いて。
その後に恵さんも考え込みながら。
「そう言えば、旧約聖書にも“神は自分の姿に似せて人間を作った”って……」
そう呟いた後。
真剣な顔で誰にともなくこう呟いた。
「何のためにでしょう?」
白瀬さんは、そこからしばらく考えていたみたいなんだけど。
やがて──こう答えた。
「何のためにだろうねー。その時になったらわかるんじゃないの? その時の都合って奴があるんだろうよ。その時に俺達が生きてるかどうかは……わからないけどね!」
僕達は何のために生きているんだろう。
そこに何か確たる理由はあるんだろうか?
そして、それを理解できる時は果たして来るんだろうか……。
なんてね。
僕も最近は、柄にも無くそんなことを考えるようになってしまったみたいだ。
だけど今の僕の周りの人達からの影響や、ここしばらく色々経験してきちゃったことからすると、ある意味これは当たり前のことなのかもしれないけどね。
◆◇◆◇◆
それから僕自身はと言うと……。
実は大学に入るための受験勉強を今更ながら始めていたりする。
自分で色々考える時は勿論だけど、沢山の情報を周りから取り入れていく場合や、何か大事なことを決めなきゃいけない時であっても、やっぱり基本的な勉強はしておいたほうがいいと今回のことでも痛感したからだ。
エルを守りたいという一心だけで、その時急に正しい判断ができるようになるわけじゃない。
それじゃ、イザという時に本当に助けてあげることなんて、できないんじゃないかって思って……ね。
ここまで事ある度に、自分の無力さを感じることが多過ぎたっていうのもあるんだと思う。
これからは何かあった時には、もっと少しでも本当の意味で、エルの──そしてみんなの力になれる存在に。
僕はなりたくなった──そういうことなんだろうな。
そして──最後にエルことなんだけど。
エルはあの後も、今までと何ら変わることなく目を覚まして。
完全に復活した。
高次元存在が言っていたように、身体が壊れている間もエモーショナルフォースが保たれていて、物質変換によって復活した外殻に戻れたことによって、彼女の記憶と意志の連続性は保たれたらしいんだ。
それから。
あの時以来変な力が出たりは一切していない。
だから、やっぱりあの時の凄い力は憑依した高次元存在のものだったんだろう──。
あれから一年。
僕とエルの間にも色々なことがあった。
夏にエルとプールに行くために、開発課の皆さんがエルの防水処理機構を強化してくれたんだけど、彼女がその頃から僕と一緒にお風呂に入りたいと言い出したり……。
今のところ一緒にお風呂に入ることについては、恥ずかしいので何とか断り続けてるんだけど。
最近になって開発課の皆さんが、その話をエルから聞いちゃったらしくて、興味を持っちゃったみたいなんだよね。
いつまで断りきれるか……はぁ……。
それから特筆すべきはエルの料理のことだ。
これは更に物凄いことになってしまった。
あれから毎週エルに料理を教えてくれていた篠原コックが「こうなったらもう自分のお店を開いちゃいなよ!」なんてオファーしてきて下さったんだ。
これについては、白瀬さん達も「厨房を非公開にしてエル独りが料理を作るようにしたらいけるんじゃ」ってことでゴーサインが出た。
実はこれについては、裏で委員会の皆さんも色々協力して下さったみたいなんだけどさ。
そんな訳でついこの間。
地球暦25年の9月の半ば頃から、エルがメインシェフで当面は僕が接客という形で小料理店「ブルーメ」が開店する運びとなったんだ。
元々、このお店はエルドラド以上に採算を取る必要が無いこともあって、とにかく店だけでも試しに細々と動かそうみたいな形で、ひっそりと開店するはずだったんだけど……。
いざ開店してみると──大きく予想に反して。
この「小料理店ブルーメ」は美味しい……と、周りに評判になってしまったみたいで。
銀座街区方面からもわざわざ食べに来る人が出てくるほど、大賑わいのスタートになってしまった。
その結果。
ファクトリーエリア駅の裏に入った路地とかっていう──。
わざわざ極悪な立地にしたのに、開店から一週間でそこに行列ができるような事態になってしまったという……!
「いらっしゃいませー!」
「おう、舞花ちゃん。なんでアンタがここで働いてんの?」
「ちょっと……知り合いのお手伝いでですね……」
「そうなの、大変だねぇ」
そんな感じで。
あまりの忙しさに舞花さんと隆二さんが、ランチ時には代わる代わるお手伝いに来てくれるような事態になっていた。
「ランチ3つ出まーす!」
「はーい」
「次は定食でしたっけ」
「そう味噌煮込み定食」
申し訳ないとは思ってるんだけど……。
でも僕が気を使う度に、決まって舞花さんはこう言うんだ──。
「舞花さん本当にいつもすいません!」
「何言ってるの! このブルーメはドイツ語で“花”を意味するんでしょ? つまり私の名前から採った店じゃない。こうなったら自分のお店だと思って、これからも喜んで手伝ってあげるわよ!」
「舞花さん本当にありがとうございます!!」
「あ、エル、ちょっと! こっちに出てくると見えちゃうわよ。ほら!」
……………。
…………。
………。
今から、シンギュラリティーポイントまでは後5年だ。
いったいこの先、何が起こるかわからないと言えば、まだ確かにわからないんだけど。
それでもやってくる未来を信じて一歩一歩。
僕らは進んで行くしかない。
だからこれからも精いっぱい自分なりに頑張って行こう。
そう決めたんだ。
もちろん。
エルとはこれからもずっと一緒だ。
その先には、きっと僕らの幸せな未来が待っているはずだから──。
ね、翔哉さん。
宇宙では一番最初にね。
論理的には絶対起こり得ないことが起こったの。
絶対確率的には起こり得ないことが起こったの。
だから私達は今ここにいる。
それが“意志”と呼ばれるもの。
それが“愛”と呼ばれるもの。
それはきっと誰かの“祈り”のような──。
そんな波動なのかもしれない。
だから、もうちょっと信じてもいいんじゃないのかな?
一瞬一瞬やって来る
見えない未来を。
毎日毎日、目の前に現れる
見知らぬ人たちのココロを。
そして──
いつもいつも一緒にいる
わからない自分自身を……。
<FIN>