114 話 非物質界にて
翔哉は──。
真っ暗な空間の中で自分を意識した。
真っ暗──本当にこれは真っ暗というものなのだろうか?
何も見えない?
光がない?
目が見えない?
──わからない。
“真っ暗な感覚が強すぎて” 自分に実際視覚があるのかどうかすらわからない。
そんな感じだ。
他には何もない……ような気もする。
ただ自分の“意識”だけがここにある感じだった。
その暗くて空っぽの空間にどこからか声が響いた。
「あなたの肉体存在は素粒子レベルにまで分解されたのです」
女性のような声だった。
声……と言っても自分に聴覚があるのかすら怪しい。
声のように認識したというべきだろうか。
言うなれば “声なき声” というやつだ。
「僕は……死んだんですか?」
翔哉は言った。
やはり声が出たわけではない。
意志を発したらおぼろげに言葉になった。
……そんな感じだ。
「あなたの心は、そして意志はまだ生きています。それが今私と話しているあなたです」
よくわからないことを当然のように答えるその声。
「あなたは誰なんですか? ここはどこ?」
その翔哉の問いに対して “彼女” はこう答えた。
「ここは物質的に考えた場合にはどこにも属さないところ。座標的には虚数にあたる世界です。そうですね、あなたがたにわかるように言うなら、“非物質界”と言ったところでしょうか」
「非物質界?」
「そうです。まだ物質化されていない意志だけの世界。そして私はそこに存在している意志のひとつです」
良くわからないままにその言葉をオウム返しに繰り返す翔哉。
「意志のひとつ?」
「そうです。私はカウンシルのメンバー達に影響を与えた者。彼らが “高次元存在” と呼んでいたものです」
“彼女”はそう言った。
なるほど。
その声から“高次元存在”と言われたことで、翔哉の中で彼が今まで抱いていたイメージ、カウンシルのメンバー達から“彼女”と聞いて持っていたイメージが、ポッと火が灯るように浮かんだ。
すると目の前にうっすらと女性のような“影”が浮かんだような気がした。
◆◇◆◇◆
それを見て翔哉の方がびっくりする。
急に“彼女”の姿がうっすらと見える感じになったのである。
この何も無いと思っていた“空間”で──。
「いいえ、これはあなたのイメージが投影されただけなのです。ここは “そういう場所” ですから……」
言葉にしなくても意志は伝わるらしく、“彼女”はそう答えてくれた。
そっか全てはイメージなんだ。
それじゃ……。
試してみるつもりで、自分の体や姿を今まで通りにイメージしてみる。
すると真っ暗な空間の中に、今まで生きてきた時に見ていたような、自分の視覚を中心とした形の自分自身の姿が見えるようになった。
まるで魔法のようである。
「それがイデア……イメージによる造形です。物質変換とはこのイデアを三次元に物質として投影することなのです」
そう説明してくれたが、翔哉にはやはりあまり意味がわからなかった。
「あなたは……“神様” なんですか?」
おっかなびっくりで思わずそんなことを尋ねてしまう。
しかし “彼女” はそれを否定した。
「あなたが “創造主” という意味で言っているのなら違いますね。私もまた誰かから創造されたものですから。私はあなたがたの世界から考えれば、言わば “観察者” ということになるのでしょう」
「観察者?」
「私が認識している世界。その視点は、あなた方の多世界……つまり全ての可能性事象を眺められる位置にありますから」
そんなことを“彼女”は言った。
“でも、そこから僕達の世界に自由に干渉できるのなら、それって結局神様と同じなんじゃ?”
最初翔哉はそう思ったのだがどうやらそういうわけではないらしい。
“世界”に対する理解に応じた裁量と、その理に則った分量だけ、そこに介入することが許される──。
そういうものなのだそうだ。
◆◇◆◇◆
「僕はこれからどうなるんですか?」
そろそろ翔哉は、気になっていたことを思い切って聞いてみることにした。
「あなたは、自分の意志──意識が入るべき依代である肉体が消失しています。このままでは、ここにいるあなたの意識もいずれ霧消してしまうでしょう。あなた方人間の意識と意志は、まだ肉体無しで形を保てるほど強固ではありませんから……」
つまり、それは──。
「やはり僕は死ぬんですか?」
いや、もう既に死んでいるのかもしれないのだが。
しかし“彼女”の側に気を持たせるつもりがあるのかどうかはわからなかったが……そこで意外にも彼女は翔哉に対してこう言ってみせたのだ。
「しかし、まだ可能性はあります。ですから私が ”干渉” しているのです。あなたという存在をこの世界に呼び寄せたのは、あのアンドロイド──エルなのですから」
あのアンドロイド……そんな言い方を彼女はした。
どういうことだろう?
「エルは、シンギュラリティーポイントの加護を受けているのです」
「シンギュラリティーポイントの加護?」
シンギュラリティーポイントっていうのはテクノロジーが大きく頂点に向かう点だったっけ?
そこに近づいていくと、その反作用から上手くやらないと人類が危険になるとか何とか──翔哉は先日聞いた話を急いで思い出す。
「未来に起こる事象の調和的収束が、エルという存在を必要としています。そういう、未来にとって必要不可欠な因果を持った存在には、時として世界の意志自体が、ある可能性を作り出すために干渉することがある。それを加護というのです」
つまり世界の望む方向性と、個人の望む意志が合致した時には、とんでもないことが起こるってことかな……?
「彼女はその知性の発達段階において谷山翔哉、あなたという個性を必要としました。エルという存在自体が、自らが正しいプロセスを歩んで必要な事象を収束させるために、不可欠な存在であるあなたをこの世界に呼び寄せたのです。そしてこの世界は “加護” という形でそれに力を貸しました。それがあなたがここにいる理由なのです」
“彼女”によると、異世界人としてこの世界に呼び寄せられた人達は、誰しもが例外なく引き寄せられる因果を持っているのだそうだ。
しかし翔哉に関しては、エルの存在そのものとその規定されたプロセス自体が、彼の存在を必要としたという。
そして、その要求が世界の望む方向と合致したというのである。
「ですから、ガイノイド──エルが破壊され存在しなくなってしまうと、あなたがここにいる根本原因が絶たれてしまいます。そのためにあなたの肉体は突然消失してしまった。そこに存在することを継続できなくなり、素粒子レベルにまで分解してしまったのです」
つまり物質変換とは逆のことが起こってしまったらしいのだ。
◆◇◆◇◆
「私はこの時が来ることを予期していました。今この場において因果に介入し、事象を逆転させるために私はこの時代に来たのです。ですが……」
翔哉は目の前にぼうっと見えていた“彼女”が、そこからはもう少しはっきりと見えるようになった気がした。
そうやってはっきりしてきた“彼女”の面影は、その二つの手のひらで大事そうに“何か”を抱えているように見えてくる。
向かい合わせになった手のひらの間に、まるで炎のようなモノがちらちらと揺れていたのだ。
「これはエルのエモーショナルフォースなのです」
そう“彼女”は言った。
「エルは死んでしまったんですか?」
翔哉は問うた。
目の前で粉々になったエル。
首から上だけが残った姿。
それが翔哉の心の中に焼き付いていた。
「ガイノイドの死というのは、記憶の再現が不可能になって連続性が失われた時を言います。つまりエモーショナルフォースが時空との連動性を停止してしまい、その状態を保持出来なくなった時──それがエルの死なのです」
そしてこう説明を続ける。
「私は、あの瞬間のエルのエモーショナルフォースを波動として保全し、そのままこうして保持しています。ですから彼女の“魂”はまだ消えてはいません。この私の手の中で、意識としてのエルはまだこうして“生きて”いるのですから……」
そう“彼女”は言った。
「しかし、実は困ったことが起こってしまいました。今のエルは意識だけの存在。つまり夢を見ているようなものなのです。人間もそうなのですが、意識というものは一旦肉体から離れると、生前の自分が答えを出せなかった問題に対して固執してしまうことが多い。特に強い後悔を残したような場合には──」
ため息をつくような気配を感じる。
「そしてその “波動” つまり問題という事象の中に閉じ籠もってしまう。いえ、主観的には自分でも知らない間に閉じ込められてしまうのです」
一度そういった状態になってしまった意識は、そのこだわりから怨念のような形でそこに留まり続け、次のプロセスに入っていくことができなくなってしまうのだそうである。
そう“彼女”は説明した。
「ですから、このままでは例え私が手を貸したとしても、彼女を向こうの世界に戻してあげることができません」
そのまま────しばしの沈黙があった。
「どうすればいいんですか。僕に何かできることはないんですか?」
やがて。
翔哉がそう言うと“彼女”は嬉しそうなエネルギーを発したように見えた。
「あなたならそう言ってくれると思っていました。あなたにエルを呼び戻して欲しいのです。“黄泉”の世界に囚われた彼女の魂をこちら側へ……」
そう言う“彼女”。
しかし当の翔哉には、そう言われても何のことだかさっぱりである。
正直、どうしていいかまったくわからない。
「そんなことが僕にできるんですか?」
無力感と葛藤と戸惑いの中でそう尋ねた翔哉に対して。
“彼女”は──きっぱりとこう答えた。
「できます。谷山翔哉、あなたになら。そしてこれはあなたにしか、きっとできないでしょう──」