105 話 精神文明への転換点
「人類は物質中心の文明から精神中心の文明への大きな転換点の途上にある」
委員会の7人の前に現れた高次元存在──。
“彼女”はそう語った。
しかしその大事な転換点において、本来なら新しいテクノロジーを発見しながら徐々にそのプロセスから学んで行くべきだった智慧を、この世界の人々は誰も持っていなかった。
それは、彼ら7人が未来予知によって手に入れたテクノロジーで、社会そのものを再構築してしまったから──そのために力に振り回されて自滅しそうになっているというのである。
それでは、物事を達成するためのプロセスとは本質的には何なのだろうか?
その問いに当時の7人は誰も答えられなかった。
やってきた高次元存在である“彼女”は、その彼らに対してこのように語ったという──。
ある物事を達成するとは。
本質的にはそれに関連する力を手に入れる前に、そのプロセスから“新しい力の扱い方”を学ぶということなのだ、と。
何かを意図して自分が世界に対してアクションを起こす。
しかし最初はなかなか思い通りにはならない。
“物事をコントロールできない”
それは、自分自身がまだ物事のどこをどう刺激することで何が起こって、どういう結果に結びつくのかという法則をわかっていないからだ。
それを繰り返し試行錯誤することで、物事を思い通りにコントロールするまでの過程から、人間は原因と結果の関係つまり因果律を学ぶというのである。
そしてそれが表の世界に現象として現れたものが、二元的な善悪の間の闘争やポジティブ側とネガティブ側の相克なのだ。
その過程で物質的な力やそれらをどう動かすかという判断を通じて、何を刺激すれば世界からは何が返ってくるのかを繰り返し受け取り続けることによって、次第に事象を成り立たせている法則を自然な形で学んでいく。
それが引いては、何をすることが自己破壊的な行動となるのかを見極め、理解していくことに繋がるというわけである。
やがて彼らはその理解によって、自らの自己破壊的な性向を自分自身のために改めるようになり、次第にモラルによる機械的なものではない真に合理的な“自律”を達成していく──。
そういう“仕組み”になっているのだという。
結局のところ力のコントロールとは、その力を使った際の反作用を理解するということであり、言い換えればその力に関する自己破壊的な行動とは何かを正確に掌握することで、持続可能な事象の繋がりを作り出すことなのだ。
本質的には“物事を達成する”というのはそういうことなのである。
そう言ったそれぞれの力に係る因果律に対する理解と意識改革が進むにつれて物事は次第にスムーズにコントロールすることが可能となる。
一方でこのムーブメントを更に広範囲な社会的側面として見た場合、その力とテクノロジーに対する“不理解”は、他者を力づくで圧して支配しようとする“暴力”として現れていく。
それが故に最終的には、この世界全体の不理解の権化とも言うべきネガティブな勢力を、いかに制御して自分たちのコントロール下に置けるのかというのが、社会全体として力の効用を理解し自滅を避けるための指標にもなってくるというのである──。
◆◇◆◇◆
「つまりこれまでの人間は、最初は物質の世界だけに理解を限定し、まずそれをコントロールできるようにするために、その法則をこの世界でこれまで学んできたというわけなんですね……?」
白瀬が頷いた。
物質的な因果律。
それが物理的法則であり、科学的理解であり、物質的なあらゆるテクノロジーだったということだ。
「そして“彼女”が言うには、人間が次に手に入れるテクノロジーの方向、つまり物質の次に来る“新しい力”は、その物質世界を統括する精神──知性の方向へと向かっていくと言うのよ」
そうヒルダが続けた。
知性とは外的世界の内的認知とそのコントロールである。
──つまり平たく言えば、感性、判断、包括的理解ということらしい。
それがひいては、世界の方向性を決める集団的因果律の理解から、可能性事象の制御にまで到達することになるのだと言う。
それがすなわち“自分達の未来を意図的に選ぶ”ということなのだ。
我々はこれまでも物質的には意図的に選んできたつもりではあるのだが、これからはもっとそれ以前のより根元に近い部分の因果や、可能性事象の分岐が起こるそれぞれの流れを制御するための潜在的な原因に対する理解。
そういう更に踏み込んだ奥深い“選択”を意図的に行うこと──それが次に示されている段階だというのである。
「でも、もしそのテクノロジー。つまり“力”を制御できなかったら……?」
思わず隆二が呟いた……。
この世界は、現在その“智慧”を欠いている状態だと言っていた。
では──。
もしそのまま事態が進んだらどうなってしまうのか?
それはここに同席して、ここまで話を聞いてきた者達なら薄々誰もがわかってきていたことだった。
──力を制御できない生命体の末路は決まっている。
「自分たちの不理解の権化。つまり自己破壊的な力の暴走を抑えられずに淘汰されるのよ。適者生存の法則によってね……」
ヒルダの言葉が、裁判官の判決のように部屋の中に不気味に響いた。
これは何も目新しい概念ではない。
当時圧倒的な力を誇っていた恐竜でさえも “適者生存の法則” 故に滅んだというのは有名な話だ。
──もっと大昔、ずっと前のプロセスの変わり目にだが。
勿論これまでも人類は、物質的なテクノロジーに関しては何とかその滅亡の危機で、何度も踏みとどまってきたと言える。
あの忌まわしき第三次世界大戦もその荒波に含まれるだろう。
しかし精神的なテクノロジーに関しては、今のところ人類はまだあまりにも無知で稚拙過ぎた……。
「高次元存在である“彼女”が言うには、数ある可能性事象を見渡せば西暦2000年前後辺りから、物質的テクノロジーの暴走による淘汰があちこちの “周辺多世界”(基準となる元の世界の周りの比較的小さな違いによって分岐している可能性世界)で起こっていて、いくつかの世界が滅亡してきているらしい」
オリバーが厳かな口調で言う。
「それじゃ、その “物質世界の卒業試験” には私達の世界は一応パスしたってことになるのかな?」
舞花の安堵を伴った言葉に、アルビナが皮肉交じりに答える。
「赤点ギリギリ。それもカンニングしながらってところかしらね?」
そこからはまたヒルダが話を続けた。
「そして“彼女”が言うには、西暦2045年にあたる地球暦30年に向けて、今度は次の波──精神的テクノロジーによる次の淘汰が起こっていくというのよ」
扱う力が大きくなっていくとはそういうことなのだ。
力が大きくなればそれによる因果律的反動も大きくなる。
ましてや、それが指数関数的に持つ力が拡大していくシンギュラリティーポイントに向けてとなれば、失敗すればどれほどの反動があるのか想像もつかない。
その後の話をエリックが陰鬱に引き継いだ。
「加えて言うと、僕達は真っ当な経路でテクノロジーを得ていない。その分だけ社会の不理解は大きく、立ちはだかってくる自己破壊的な勢力は必然的に大きくなってしまうことになる……」
それがこの世界では社会不安から始まって、最終的にはテロリストなどの暴力的な勢力として牙を剥いてくる──そういうことらしいのである。
◆◇◆◇◆
「僕達はこうして自分達の罪を償うために、高次元存在に出会ってからは新しい精神的テクノロジーを理解し、それによって社会を正しく変革していくための情報提供を受けてきた。つまり教育されてきたんだよ」
そうエリックが言う。
だが困ったことにその知識を闇雲に社会に広げることはできなかった。
精神のような非物質的なテクノロジーについては、時にその知識自体が力そのものとなるからだ。
因果律に対する理解が不十分のままでノウハウだけが先走れば、逆に破滅を近づけることにもなりかねないのである。
「だから秘密主義を貫くしかなかった。その一方で一部にノウハウだけを提供し、因果律を共有しない可能性世界から人間を転送する計画などを実行してきたというわけなんだ」
それが異世界からの転移者獲得計画。
つまり “ハンティング・プロジェクト” だった。
この計画は、高次元存在の協力の元に慎重に取り行われた。
「この世界と一部でも過去を共有している周囲世界からだと、パラドックスを避けるために世界の再編成が起こってしまい、この世界が属している系統樹自体が崩れてしまう危険があるからね」
そうオリバーが説明してくれる。
しかしながら嬉しい誤算もあった。
このいわゆる異世界転移は、人さらいのようでもあり印象はとても悪かったのだが、違う系統樹の世界で役割を無くした人間を転移させてくることでメリットもあったのだ。
それはこういうことだ。
それぞれの世界で生きている人間達は、自分がどこで活用されるかという情報を無意識下で共有しており、それが「生きがい」として顕在意識にシグナルを送っているらしい。
だが自分達の属した世界の進む方向によっては、当初あったはず役割が後から無くなってしまう人間がどうしても出てきてしまう。
そう言った人間達は、だんだん生きていても強い不安感に苛まれるようになり、いわゆる「生きがい」を無くしてしまうのだ。
そして、そこから新しい役割を自分自身で作り出せずにいると、自分が消えてしまうかのような虚無感に苦しむことになるのである。
このハンティングは、そう言った境遇にある人間たちに、ある意味では新しい世界での「居場所」を提供することになった。
その結果、この世界に来た転移者達は意外に新しい社会にスムーズに溶け込むことになり、自分に起こった転移に対してもポジティブで感謝すら感じる者が多いのだと言う。
「そして、ガイノイド計画よ」
ヒルダがもうひとつのポイントに言及する。
「心。つまり精神や非物質の部分においても、今までのアンドロイドより更に人間に近付いた存在であるガイノイドは、シンギュラリティーポイントに向けて人類と人工知性の橋渡しとして大切な存在になってくれるらしいの」
今回の特別なミーティングもさることながら、これまでの度々の介入はそう言うことだったのか。
──白瀬は心の中で深く納得していた。
「この世界が精神文明的な智慧にかけていたことで、ガイノイドの存在と成長は著しく難しい状況に置かれてしまった。しかし彼女……ガイノイドのエルを守り育てていくことが、この世界がシンギュラリティーポイントを越えて生き延びるための鍵になってくることだろう」
そうオリバーが言った。
「これからも是非協力させて欲しい」
そう言ったエリックと白瀬はがっちりと握手を交わした。